2日間かけて山梨県(甲斐国)と長野県(信濃国)にある古墳や博物館を訪れるツアーで、バラエティに富んだいろいろなタイプの古墳を訪れます。
甲信には素晴らしい遺跡が数多くあり、とてもではないですが1度でめぐることはできませんが、厳選した古墳や、素晴らしい縄文土器や土偶が見られる博物館にご案内しますので、甲信の古代史に興味がある方で、とくに古墳や甲斐の素晴らしい縄文土器・土偶を見てみたい方におすすめです。
2022年4月現在、3回開催しておりとても好評です。
概要
探訪箇所
探訪箇所は以下の通りで、これがデフォルトルートとなります。各探訪箇所の詳細は下記をご覧ください。
【1日目】
① 山梨県立考古博物館(甲府市)
② かんかん塚、岩清水遺跡など(甲府市)
③ 丸山塚古墳(甲府市)
④ 甲斐銚子塚古墳(甲府市)
⑤ 上の平遺跡(甲府市)
⑥ 龍塚古墳(笛吹市)
⑦ 岡銚子塚古墳(笛吹市)
⑧ 盃塚古墳(笛吹市)
⑨ 姥塚古墳(笛吹市)
⑩ 経塚古墳(笛吹市)
⑪ 釈迦堂遺跡博物館(笛吹市)
【2日目】
⑫ 弘法山古墳(松本市)
⑬ 長野県立博物館 (千曲市)
⑭ 森将軍塚古墳館 (千曲市)
⑮ 森将軍塚古墳(千曲市)
⑯ 大室古墳群(長野市)
集合場所
甲府駅南口近くの指定場所に9時30分までにお集まりください。
※具体的な集合場所はツアー催行直前にお伝えします。
※東京方面から来る方が大多数ですので、甲府駅に9時8分に到着する「あずさ3号」に乗ってきていただくことを想定しています。
※荷物はそのまま持ってきていただいても車に積めますので問題ありません。
宿泊場所
甲府駅から歩ける範囲のホテルを各自お取りください。
ちなみに、稲用や参加者が使ったことがあり好評なホテルは以下の通りです。
● 城のホテル ・・・ 甲府駅南口近くで甲府城跡のすぐ隣です
● ドーミーイン ・・・ 駅からは少しだけ歩きますが大浴場があります
● 東横イン甲府駅南口 ・・・ 東横インはリーズナブルなビジネスホテルですが、甲府駅南口は他の東横インと比べて高い気がします、と文句を言いつつも甲府駅南口は掃除が行き届いていて綺麗だと思うことが多く、稲用お気に入りです
解散場所
長野駅にて解散。長野駅には17時半までには到着します。帰りの新幹線の指定席をあらかじめ買う場合は、念のため18時以降の便をお買い求めください。
参加資格
AICTツアーに参加したことが無い方でも大丈夫ですが、もし参加したことが無ければ、旅行会社主催のツアーなどで稲用のツアーに参加した経験がある方が望ましいです。
参加方法
基本的には参加者の方で3名様集めていただいてから稲用まで問い合わせていただきたいですが、2名様であってももう1名様を稲用がお探しすることもできます。また、稲用の方で日程を決めてから参加者0名の状態からAICTメンバーに参加を呼び掛けることもあるかもしれません。
参加費
35,000円
※各遺跡へは稲用が車で送迎します
※地図、簡易レジュメをお付けします
※3名様以下の場合はガイディングレシーバーは付きません
1日目
上述のデフォルトルート以外には、時間が微妙に確保できたときにわずかな時間でしたが甲斐国分寺跡と甲斐国分尼寺跡を訪れたことがあります。
山梨県立考古博物館
やまなしけんりつこうこはくぶつかん
甲府市下曽根町923
055-266-3881
月曜休館
9時~17時
一般220円
⇒公式サイト
鳥居原狐塚古墳出土・赤烏元年銘神獣鏡(複製)とその復元品
旧石器時代から近世甲府城跡までの各時代の遺物が大集合しており、とくに縄文時代と古墳時代の展示は質量ともに素晴らしい。
楽しくて仕方がないため油断しているとすぐに時間が経過するため時間がない場合は気を付けよう。
ザーッと流すだけなら1時間、少し落ち着いて見るのなら2時間、じっくり見るのなら3時間。
何度訪れも飽きない博物館だ。
26
かんかん塚古墳
県立考古博物館に隣接して多くの遺跡があるが、博物館を出て歩き始めると、まずは古墳時代中期の円墳である「かんかん塚古墳」と中世の塚である「さかづき塚」が現れる。
かんかんづか古墳は5世紀後半に築造された径26mの円墳で、5世紀前半に築造された丸山塚古墳の72mと比べてかなり小さくなっている。
さかづき塚
紛らわしいが、古墳ではなく中世の塚。
26
岩清水遺跡1号墓
円墳状のものが3基並んでいるが、1号墓と2号墓は古墳時代中期に築造された墓で、研究者によって円形周溝墓と呼んだり低墳丘墓と呼んだりしている。
1号墓の直径は26m。
30
岩清水遺跡2号墓
2号墓の直径は約30mで、1号墓ともども周溝墓としたら最大級のものになる。古墳時代中期に至ってもこういった墳墓を古墳と呼ばず、周溝墓と呼んだり、低墳丘墓と呼ぶということは、一線を越えることのできない何かが存在するのかもしれない。
岩清水遺跡3号墓
3号墓は弥生時代後期の円形周溝墓。とても小さくて可愛らしい。
72
丸山塚古墳
まるやまづかこふん
5世紀初頭に築造された径72mの山梨県最大の円墳。円墳でこのサイズは全国的に見ても大きい。中道地域で築造された最後の大型古墳。
72m(説)
169
甲斐銚子塚古墳
かいちょうしづかこふん
丸山塚古墳の西側にある墳丘長169mを誇る山梨県最大の前方後円墳。築造された4世紀後半の時点では東日本最大の規模を誇り、ヤマト王権の東国への勢力伸長を考察する上ではこの上なく重要な古墳。
いつ訪れても綺麗に整備されており、ここを初めて訪れた多くの方が、「山梨にもこんなに大きくて綺麗な古墳があったんだ!」と感動する。
墳頂からの眺望も素晴らしく、季節ごとにそれぞれの美しい景色が見られるため、何度訪れても飽きない。
3~4期
169m(説)
ランチ
店が休みでない限り、ランチは稲用が個人的に気に入っている「宮古」で食べます。写真は天丼とうどんのセットですが、ソースカツ丼や蕎麦など、他のメニューもありますよ。
上の平遺跡
うえのだいらいせき
上の平方形周溝墓広場
方形周溝墓群の復元を見られる場所としては国内最大級で、ホーケーシューコーバー垂涎の遺跡。
発見されたのは128基(説明板によるが、考古博物館のパネル展示では125基)で、築造時期は弥生時代末期の2世紀末から3世紀前半にかけて。四隅の一か所に陸橋を残すタイプがほとんどだが、陸橋の方位は遺跡全体で統一が取れているわけではない。住居跡は見つかっておらず、ここは完全な墓域であった。かなりの密集度を示し、切りあいも多いが、切りあっている場合も周溝までで丘を潰してその上に新たな墓を作ることはしていない。
表示されているのはそれらのうちの35基。最大規模の1号墓(約23m×約18m)とその周辺の2号墓、3号墓は当時の様子に近いイメージで復元され、残りの32基は植栽によって表現されており、迷路遊びができるようになっている。
圧倒的な景観には興奮を禁じ得ない。
20191128
20210528A
20210731A
20220420A
56
竜塚古墳
5世紀に築造された56mの大型方墳で、この時代にこれだけ大きな方墳は全国的に見ても珍しく、多くの謎を秘めた古墳。
もし戦国時代にこの場所から眺めることができたら、信玄の軍勢が移動する様子が見られたであろう。
92
岡銚子塚古墳
おかちょうしづかこふん
2018年11月7日撮影
甲斐銚子塚古墳の弟分のような雰囲気を漂わせる前方後円墳で、墳丘長は92mある。
甲府盆地はなんとなく古代から一つのまとまりであったように考えがちだが、甲斐銚子塚古墳のある中道地域とは別に、この地域では、もし亀甲塚古墳が前期前半の築造となると、中道とは別系統の勢力がいて、岡銚子塚古墳がその系譜に連なる可能性が高い。ただし、両者が並び立っていたとしても、墳丘の大きさからすると中道の勢力の方が力があったと想定できる。
この古墳からも甲斐盆地の素晴らしい眺めが見られる。
92m(説)
23
盃塚古墳
岡銚子塚古墳のすぐ隣には、23mの円墳である杯塚古墳がある。
前方後円墳の横にその前方後円墳と比べても釣り合う大きさの円墳を配置するのは、甲斐銚子塚古墳と丸山塚古墳も同じで、全国を見渡しても散見できるため何か意味がありそうだ。
姥塚古墳
南照院の境内にある円墳。横穴式石室が開口しており、その長さは15mもあり、全国的に見てもトップクラスの大きさの石室。玄室には入れないが、前室までは入れるため、その巨大さに驚いていただきたい。
※2021年7月31日に訪れた時は、崩落の危険があるのか、入室禁止になっていたが、翌年4月には復活していた。
13
経塚古墳
きょうづかこふん
中部地方で唯一の八角墳。八角墳は、古墳時代終末期に天皇の墓にも採用されたデザインだが、なぜ甲斐にそれがあるのか、考えてみよう。
石室は開口しているが、柵があって中には入れない。
対角長13m(説)
甲斐国分尼寺跡
※デフォルトルートには含まれていません
北側には現代の甲州街道が走り、「石」交差点から南下したすぐの場所にある。南へ歩いてすぐの距離に国分僧寺跡があるが、尼寺跡の場所の方が標高は低い。
金堂跡と講堂跡の基壇が分かり、礎石が残っている。
甲斐国分寺跡
※デフォルトルートには含まれていません
甲斐国分尼寺南側のより標高の高い場所にぼ隣接して造営された。
丘陵北側斜面にあるため、四神相応ではないが、やはりとても気持ち良い場所。
塔跡、金堂跡、講堂跡などに礎石が残っているが、石垣や水路が随所にみられるが、近代まで畑として利用されていた名残であろう。
釈迦堂遺跡博物館
しゃかどういせきはくぶつかん
笛吹市一宮町千米寺764
0553-47-3333
火曜日・祝日の翌日休館
9時~17時
一般400円
⇒公式サイト
土偶と土器に重きを置いた洗練された展示
水煙文土器
中央高速の釈迦堂PAを作る際に発掘調査がなされた縄文時代の集落跡である釈迦堂遺跡から出土した遺物を展示する博物館。釈迦堂PAに車を置いたまま歩いて行くこともできる。
普通の縄文遺跡からはそれほど見つからない土偶がここでは1166点も見つかり、三内丸山遺跡が明らかになるまでは国内で最もたくさんの土偶が出た遺跡だった。
2020年にリニューアルオープンし、さらに展示が洗練され、とくに土偶の展示は圧巻だが、水煙文土器という山梨発祥の素晴らしい土器が見られることもこの博物館の大きな魅力だ。
じっくり見るなら最低でも1時間は欲しいし、企画展や特別展をやっている場合はその時間も勘案して見学時間をスケジューリングしよう。
2日目
2日目はデフォルトルートだけをめぐると少し時間に余裕があるため、他のお好みの場所へお連れすることができる場合があります。実績としては、川柳将軍塚古墳と姫塚古墳へ探訪したことと、松本市立考古博物館と有明山将軍塚古墳に探訪したことがあります。
松本市立考古博物館
まつもとしりつこうこはくぶつかん
松本市中山3738-1
0263-86-4710
月曜休館・冬季は土日のみ開館
9時~17時
一般200円
⇒公式サイト
※デフォルトルートには含まれていません
異形台付土器
松本市内の遺跡から出土した遺物を展示。長野県らしく素晴らしい縄文土器が多数展示してあるが、土偶も負けていないので良く見てみよう。
縄文遺跡では中期から晩期の集落遺跡であるエリ穴遺跡を大きくフィーチャーしており、女性の身体が表現された土板や、遮光器土偶で有名な北東北発祥の亀ヶ岡文化の影響を受けた土偶など、面白い遺物を見ることができる。
古墳時代では全国的にも有名な弘法山古墳の展示が充実。
松本に来たら必ず寄りたい施設で、最低1時間は確保して臨もう。
66
弘法山古墳
墳丘を直に降りて撤収する在地の人びと(2022年4月21日撮影)
墳丘長66mを誇る甲信以東で最古級の前方後方墳のひとつ。説明板には3世紀終わり頃の築造とあるが、おそらく3世紀半ばであろう。出土遺物を見ると、濃尾の勢力がこの地に進出して王として君臨したことが推定できる。
前方後方墳らしく、ほぼ独立した丘上に、松本盆地方面に前方部を向けて築造されており、非常に見晴らしがよい。反対に麓からも墳丘を確認することができる。
松本盆地ではこの古墳の築造後は大きな古墳が築かれることがなく、古墳時代後期には群集墳が築かれ、むしろ北信の長野市周辺や南信の飯田市周辺において古墳の築造が盛行する。
2021年8月に訪れた時には、大きなトレンチを開けていたので、その報告が楽しみ。
松本市立考古博物館には弘法山古墳のコーナーがある。
66m(説)
1期
川柳将軍塚古墳
せんりゅうしょうぐんづかこふん
※デフォルトルートには含まれていません
姫塚古墳
ひめづかこふん
※デフォルトルートには含まれていません
ランチ
赤味噌ラーメンにとろろご飯を付けてみたが、麺が意外と多いので食べ過ぎに思えた
2日目のランチは行程にもよるが、姨捨SAで食べる可能性が高い。いろいろなメニューがあって比較的リーズナブルでヴォリュームもあり美味しい。
長野県立歴史館
ながのけんりつれきしかん
千曲市大字屋代260-6
026-274-2000
3~11月:9時~17時(16時30分)
12~2月:9時~16時(15時30分)
月曜休館
常設展300円、企画展300円、セット500円
公式サイト
長野市松原遺跡出土・台付深鉢(前期末葉)
※以前のキャプションには「トロフィー形土器」とあったが今はその呼び名は使わないのだろうか
旧石器時代から近代までが時系列で見ることができる施設。考古展示もあり、縄文土器の優品も展示してあるが、新しい時代の歴史時代に詳しい。
全時代を見学しようとすれば2時間は必要だと思うが、旧石器時代から律令時代までをザーッと見るのであれば、30分ほどで可能だと思う。
ただし、企画展をやっていることもあるし、ミュージアムショップでの買物時間も考慮して見学時間を計算しておいた方がいい。
千曲市森将軍塚古墳館
ちくましもりしょうぐんづかこふんかん
千曲市大字屋代29-1
026-274-3400
9時~17時
月曜休館
一般200円
※長野県立歴史館の入館券とのセット販売もある
※森将軍塚古墳への送迎代は往復で500円(片道もある)
森将軍塚古墳の主体部の竪穴式石室の実物大の復元があり圧巻。
竪穴式石室はレプリカであっても見られる場所はあまりないため貴重。
他には森将軍塚古墳を始めとした県内の古墳をパネルや遺物で紹介している。長野県は「将軍塚」という名前の古墳がやたら多いのが面白い。
100
森将軍塚古墳
もりしょうぐんづかこふん
墳丘長100mの前方後円墳で長野県で最大の古墳。山石で葺石された上に、独特な形状の大型の埴輪が立て並べられ、墳丘平面部には玉砂利が敷かれるという最高度な積極的復元がなされ、独特な存在感を醸し出している。
恐らく日本で最も奇妙な形の前方後円墳だと思われるが、下手すると前方後方墳に見えてしまうのを防ぐために、後円部墳丘の裾に円を描くように石を敷いて後円形に見えるように頑張った。
また、墳丘の周りに小さな墳丘を伴う墓や埴輪棺を納めた墓など多くの墓が造られているのも特徴の一つ。
非常に眺望に優れており、何度登ってもその景色には感動する。
古墳館から歩いて登ると結構な登り道を20分くらいかかるため、時間や残存体力を気にしている場合はワゴン車での送迎を利用するとよい。古墳館で受け付けており往復で500円。
約100m(説)
1~3期
37
有明山将軍塚古墳
ありあけやましょうぐんづかこふん
※デフォルトルートには含まれていません
前期の前方後円墳で、森将軍塚古墳からさらに10分ほど山を登ると到達できる。
37m(説)
20220421A
大室古墳群
おおむろこふんぐん
5世紀から築造が始まった群集墳で、総数は500基を超えている。
墳丘は一般的な古墳と同じように土を盛って造られたものや、石だけを積んで造られた積石塚、それに両者の要素を合わせたものがあり、多分に渡来系の要素が強く、古墳群の造営開始時期は列島内での馬の飼育が本格的に始まる時期と重なるため、すでにこの時期に後の勅使牧に相当するような馬牧を信濃に設置し始めたのではないだろうか。
立地も特殊で、通常の古墳群とは異なり、尾根の上ではなく谷の間に造られている。
駐車場を備えた古墳館が古墳群を歩く際の起点となり、緩い山道を登っていくと、随所に古墳が見え、そのうちのいくつかには石室に入ることができるが、危険な個所もあるため注意して歩こう。また、あまり谷の奥まで歩いて行くと帰るのが大変になるのでこれも注意。
古墳群自体がちょっと分かりづらい場所にあるが、カーナビに大室古墳館の住所(長野市松代町大室310)をセットすれば到達できるはず。
20210529A
20210801A
20220421A