当該現地講座の3日目の午後は、大和(おおやまと)古墳群をグルグルと歩き回り、参加した方々の中には何の古墳を見たのか分からなくなっている方もいると思いますので、以下に歩いた順番で写真を掲載します。また、参加した方はご自身で撮影した写真が何を写したのか分からなくなったときは、このページを参考にして記憶を蘇らせてください。
※大和古墳群についての詳しい説明はこのページではしませんが、下記ページに少し書いてあります。
古墳時代 ~ツアーに参加する前に知っておきたい古代史~
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長柄駅を12時45分に出発。
歩きはじめてほどなくして、【① 星塚古墳】(前方後方墳・70m)の後方部の森が見えてきました。
星塚古墳は、【② 大和(おおやまと)神社】の境内にあります。
大和神社境内にある【③ 戦艦大和展示室】。
私は、軍用機については結構喋れるのですが、軍艦はあまり詳しくありません。
それでも油断すると1時間くらいは話しそうなので、敢えて説明はしませんでした。
ここに見えるだけでも水上機が6機もありますが、大和は最大8機搭載可能でした。
ダメだ、つい話したくなる。
星塚古墳には、前回訪れた時にはなかった説明板が設置されていました。
前方後方墳とはいえ、このような形状をしているため、方墳が2基と考える研究者もおり、さらに突っ込んだ考えとして、弥生時代の台状墓ではないかという考えもあります。
星塚古墳が弥生墳丘墓だったら面白いですねえ。
大和神社の境内から出て、田んぼのあぜ道を突っ切り南下します。
【④ 平塚古墳】(円墳・54m)が遠くに見えます。
墳丘は結構平らになっていて目立ちません。
あまり南まで行くと戻るのが大変なので、【⑤ 弁天塚古墳】(前方後円墳・70m)も遠くから眺めるだけにします。
背後の山は三輪山ですよ。
大和神社の参道を横から眺めます。
私が気を逸らした隙に【⑥ マトバ古墳】(円墳・55m)の横を通過してしまったようですが、目視できた参加者もいたようです。
【⑦ 矢矧(やはぎ)塚古墳】(前方後円墳・102m)が出てきました。
東西軸の矢矧塚古墳の後円部側には上ツ道が走っています。
すなわち、この道をずっと歩いて行くと箸墓古墳の後円部に到達するわけですが、壬申の乱のときは大友皇子派の軍勢もこの道を南下して行ったはずです。
矢矧塚の説明板発見!
と思ったら滅亡していました。
※帰宅後にWebで調べてみたら数年前の写真ではちゃんと文字が読めますので、最近になって故意に消されたようです。
上ツ道を北上します。
右手の路地に少し入った場所に【⑧ フサギ塚古墳】(前方後方墳・110m)の墳丘が見えますが、よく分かりません。
上ツ道に戻ってさらに北上すると、左手に南北方向の主軸の【⑨ 馬口山(ばぐちやま)古墳】(前方後円墳・110m)が現れました。
墳丘には小さな説明板があります。
上ツ道にお別れして国道へ出ると、古墳の跡が検出された【⑩ マバカ西古墳跡】(前方後方墳)があります。
現状は普通のお宅が建っているため写真は割愛します。
※横断歩道を渡るときに、南の方を指して、セブンイレブンのところに【⑪ 栗塚古墳】(前方後円墳・120m)があるとお伝えしましたが、あんまりよく分からなかったと思うので違う日に撮った写真を掲載します。
マバカ西古墳から道路を挟んだ東側には【⑫ マバカ古墳】(前方後円墳・74m)があり、道路沿いに説明板が設置してあります。
墳丘図を見ても分かる通り、墳丘は道路によって分断されています。
左側が後円部で右側は前方部です。
説明板がもう一つ建っていますが、それは柿についての説明板です。
奈良って果樹園になっている古墳が多いのですが、この周辺は柿が多いですね。
北側には東西軸の【⑬ ノムギ古墳】(前方後方墳・63m)の墳丘が見えます。
向かって右が後方部です。
ノムギ古墳にも説明板があります。
大和古墳群は奈良県にしては珍しく、前方後方墳が多いのが特徴の一つですが、ノムギ古墳が前方後方墳としては最古の古墳となり、纒向古墳群のメクリ1号墳と並んで、奈良で最古級の前方後方墳です。
ここには大和古墳群全体の説明板もあります。
ノムギ古墳は今日は藪化していないので墳丘に登りましょう。
後方部墳頂。
後方部墳頂から前方部を見ます。
説明板の図の通り、前方部もかなり削らており全体的に改変が著しいですが、大和古墳群には墳丘に登れる古墳がほとんどないため、そういう意味でもノムギ古墳は貴重な存在ですよ。
つづいて、【⑭ ヒエ塚古墳】(前方後円墳・130m)へ向かいます。
ヒエ塚古墳の鞍部は道路となっていますが、それほど掘り切っているわけではありません。
【⑮ 波多子(はたご)塚古墳】(前方後方墳・140m)が見えてきました。
中央やや右の緑色の高まりが波多子塚古墳の後方部で、前方部は向かって右方向に伸びています。
坂に上ってくる途中の左手には【⑯ クラ塚古墳】(円墳・32m)もありますよ。
少しずつ標高が上がってきているのが実感できていると思いますが、坂の昇り降りが多いと疲労するので、今回は極力同じ等高線上にある古墳を見ながら徐々に標高を上げていくようにルートを考えています。
波多子塚古墳の前方部東側には山の辺の道が走っています。
説明板の前で少しの間座って休憩しましょう。
波多子塚古墳は全国で2番目に大きい前方後方です(1位は同じ天理市の西山古墳<190m>です)。
波多子塚古墳の向こうには奈良盆地が見下ろせ、遠くには生駒山が見えます。
さて、現在の時刻は14時25分。
ここまで1時間40分歩きましたが、波多子塚古墳を見下ろせるこの場所は、大和古墳群を歩く際の途中の休憩ポイントとして最適です。
近くにはトイレもあります。
ちなみに、大和古墳群は車でめぐることは不可能ですから、興味がある方は頑張って歩きましょう。
では、午後の後半戦を歩きますよ。
山の辺の道を南下するとすぐに【⑰ 西山塚古墳】(前方後円墳・120m)の前方部が現れました。
大和古墳群には前期の大型古墳が集中しているのですが、西山塚古墳は大型前方後円墳としては唯一の後期の古墳です。
このあと訪れる西殿塚古墳は宮内庁によって継体天皇の皇后・手白香皇女の陵に治定されているのですが、西殿塚は前期古墳のため時代が合わず、この西山塚古墳が手白香皇女の真陵だと考える研究者が多い印象があります。
側面に回ってみましょう。
普通に墳丘に人が住んでいますが、なかなか素敵なヴューですね。
説明板もあります。
さらに丘を登り、菅原神社境内に来ました。
ここには【⑱ 空路宮山(くうろくやま)古墳】があり、後期の円墳とされているのですが、元々は100mほどの前方後円墳であったとも言われているため、もしそうだったとすると、西山塚古墳と並んで後期の大型前方後円墳が隣接して築造されていたということになります。
古墳霊を供養しています。
では、いよいよ大和古墳群のボスである西殿塚古墳へ行こうと思いますが、その前に西殿塚の背後に隠れている墳丘長175mの大型前方後円墳【⑲ 東殿塚古墳】を見に行きましょう。
かなり標高が上がってきていますが、こんな高い場所にも周堀状の溜池があります。
とても良い眺めですね。
遠くに耳成山とその後ろに畝傍山が見えます。
背後の大きな山は金剛山です。
意外と登り坂が多くて大変かと思いますが、今日はこれ以上高いところには行きませんよ。
東殿塚古墳の前方部側からくびれ方面を見ます。
といってもあんまりよく分からない。
墳丘は登れなくもない風情です。
でも、奈良の場合はこういう佇まいの古墳は所有者の許可をもらってから墳丘内に入った方が無難なため、登らずに西殿塚へ向かいます。
はい、ボスが現れました。
やっぱり、230mともなると森も大きいですね。
遠くには巨大な前方後円墳が見えます。
この位置から見えるのは墳丘長242mの行燈山古墳(崇神天皇陵)ですね。
墳丘長300mの渋谷向山古墳(景行天皇陵)は行燈山に隠れて見えません。
拝所へ向かおうかと思いましたが、その前に少し高度を下げて、【⑳ 下池山古墳】(前方後方墳・125m)を見てしまいます。
下池山古墳は、発掘調査が行われており、詳しいことが分かっています。
ここに記されている割竹形木棺は橿原考古学研究所附属博物館に展示してありますよ。
あとで行きますが、燈籠山古墳の横っ腹と中山大塚古墳の後円部が望めます。
左が燈籠山古墳。
右が中山大塚古墳。
西殿塚古墳の南側のストレートラインを歩いて拝所を目指します。
いいですねえ。
今日も天候に恵まれて本当に良かった。
拝所への道は陵墓にしては珍しく整備が万全でなく、柿林の中を通って行くようになっています。
拝所に到着。
【㉑ 西殿塚古墳】は大和古墳群最大の墳丘長230mを誇る前方後円墳で、多くの研究者が大王の墓であったと考えている古墳です。
東殿塚古墳と併用した説明板があります。
ここからも大和三山方面の眺望が開けています。
こちらは森が重なって見えているだけで、一つの大きな古墳ではないですね。
景色を楽しんだ後はまた歩き始めます。
少しだけ見えるのが【㉒ 火矢塚古墳】(前方後円墳・49m)の墳頂かしら?(自信なし)
先ほど見えた【㉓ 燈籠山古墳】(前方後円墳110m)の前にやってきました。
説明板がありますよ。
下池山古墳が見えます。
燈籠山古墳の墳丘は、前方部側のみが墓地になっているようです。
おっとこっちに立派な説明板があった。
では、これもまた重要な古墳で【㉔ 中山大塚古墳】です。
中山大塚古墳も下池山古墳と同様に発掘調査が行われていて、詳しいことが分かっています。
多くの研究者は箸墓古墳と同時期の古墳と考えていますが、見つかった特殊器台を見ると、むしろ箸墓よりも古いんじゃないかと考えます。
そして本日の最後は、【㉕ 小岳寺(しょうがくじ)塚古墳】(前方後円墳・50m)です。
天理市も「卑弥呼の里」を標榜している(していた?)ようですが、桜井市には「ひみこちゃん」というキャラクターがいるものの天理にはそういうキャラクターはいないのでしょうか?
卑弥呼の里っていいですね。
私は奈良説ではありませんが、これはこれで「遊び」としては大変良いものだと思います。
ゴールである柳本駅に着いたのは、16時15分頃でしたので、午後の散策は3時間半でした。
本ページでは大和古墳群についての詳しい説明はしていませんが、多くの古代史マニアが知っている通り、初期ヤマト王権の謎を解くために様々な情報を持っている古墳群ですので、マニアの方はぜひ歩いてみてください。
邪馬台国奈良説の方は、それを補強する材料が見つかるかもしれませんよ。