いせづかこふん 27.2m 6世紀末

 

墳形は藤岡市は4段築成の不正形八角墳あるいは円墳とするが、右島氏は2段築成の円墳とする

築造時期は説明板では6世紀後半、藤岡歴史館の展示パネルでは6世紀末、『群馬県史 資料編』では、7世紀中葉頃とする

気軽に入れる横穴式石室が開口しているが、懐中電灯は必要

駐車場は無いが、七輿の門・駐車場から歩いて行ける距離

 

 

現地説明板

現地説明板(2022年6月4日撮影)
藤岡歴史館にて撮影(2022年6月4日撮影)
藤岡歴史館にて撮影(2022年6月4日撮影)

 

墳丘と石室

※本項の写真は、特に断りが無い限り2022年6月4日にAICTで訪れた時に撮影したものです

 墳丘を実測した際に墳頂にて埴輪片が見つかっていますが、墳丘全体にぐるっと巡らせるような埴輪の配列はなかったと考えられます。

 墳丘には葺石が施されていた可能性が高いです。

 横穴式石室は、ほぼ南に向かって開口しており、通常であれば24時間365日開口しています。

 石室の全長は8.9m。羨道と玄室で構成され、羨道は幅約1m、長さは約4mで、天井石の入口側は抜き取られていますが、手前の向かって左側に残る角柱状の牛伏砂岩が羨道入口の名残をとどめています。

 現状では分かりづらいですが、羨道の天井はもともとは2段になっていて、奥の方が天井が高く、そこには、楣(まぐさ)石のようなものがあり、説明板では「疑似楣」と記しています。外観としては、用途はまったく違いますが、商業施設などで見られる防煙壁のようなものです。

真下から見るとこうなっていますが、決して落ちてきませんので安心してください。

 玄室は、最大幅約2.4m、奥行き約4.7m、高さ最大2.5mで広々としています。

 伊勢塚古墳の石室の大きな特徴は、模様積と呼ばれる構築方法で玄室の側壁を施工しているところで、細長い結晶片石を積みつつ、一抱えある大きめの珪石質の転石を積んでおり、いわゆる飛白(かすり)模様になっているところです。石材は鮎川から取ってきています。

 なお、羨道の側壁もなんとなく模様積を意識しているようで積む石の大きさを変えてはいますが、それほど目立ちません。

 天井石は、砂岩質の石材2個で構成されていますが、特に奥の方が巨石です。

 大きい方が全体の4分の3を占めているため、小さい方に目が行きません(小さい方は下の写真の手前側)。

 奥壁はほぼ高さを揃えた大きな砂岩の切石を3段積み、天井に近い幅が狭まった部分は違う石を載せて仕上げています。玄室の平面形は胴張。部屋自体がドーム状です。

 床面の最大幅は2.4mですが、ドーム状に整形していることにより、天井幅は1.2mとなっています。

 模様積は、この地域独特の非常に珍しいものですが、玄室を胴張にしてドーム状に施工するのは武蔵地域ではよく見られ、例えば東京都府中市の武蔵府中熊野神社古墳は、切石積みではあるもののその形態の好例と言えます。

武蔵府中熊野神社古墳石室の実物大レプリカ内部(2022年6月11日のAICT開催時に撮影)

 玄門は両袖型で、玄門の門柱石は厚さ15㎝ほどの緑泥片岩の板石です。

 

遺物

 石室が古くから開口していたため、副葬品については不明ですが、戦前の調査では、直刀、金環、土器等の出土があったそうです。説明板には須恵器が出たとあります。

 藤岡歴史館には展示はありません。

 

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参考資料

現地説明板
藤岡歴史館の展示パネル
『群馬県史 資料編3 原始・古代3』(群馬県史編さん委員会/編・1981)P.424~ 石室実測図を「付図9」として収録
『群馬の古墳物語 下巻』(右島和夫/著・2018)P.114~ 石室実測図をかなり縮小した大きさで掲載