最終更新日:2023年5月17日

 ※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
 ※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。
 ※便宜上、横芝光町と芝山町は上総のページに記載しています。

 

目次

市川市

柏市

香取市

鎌ケ谷市

栄町

佐倉市

白井市

千葉市中央区

千葉市若葉区

成田市

船橋市

松戸市

 

 

市川市


堀之内貝塚

 

説明板に載っている堀之内1式土器(複製)

堀之内2式土器群
左側が小田原市山田出土の堀之内1式土器で、右側が堀之内貝塚から出土した面白い形をした土器(これ以降、國學院大學博物館にて撮影)
東京都町田市相原遺跡出土の堀之内1式土器
東京都町田市相原遺跡出土の堀之内1式土器
堀之内1式の注口土器群
 
 

縄文時代後期前半から晩期中頃の集落跡。東西に長い尾根上に造られたU字型の馬蹄形貝塚で、長径100m、最大短径110m(説明板による)。開口部は東側。

記録の上では明治16年には遺跡としてその存在が知られており、明治37年には東京人類学会の遠足で発掘され、その後も東京から近いということもあり、多くの学者やマニアが訪れ掘り散らかした。比較的大規模な発掘調査は昭和38年の杉原壮介率いる明治大学による発掘(B地点)。

山内清男は、本遺跡出土の土器を堀之内式土器と命名し、新旧で1式と2式に分類した。ただし、このように堀之内式土器の標式遺跡にもかかわらず、古くからの乱掘もあって遺跡の全容は分かっていない。

説明板に載っている土器は個人蔵の堀之内1式土器で、市川考古博物館に複製が展示してあり、同館には2式土器も展示してある。また、國學院大學博物館にも堀之内式土器の展示がある。

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曽谷貝塚

 
左上の土偶は曽谷貝塚から出土(市川考古博物館にて撮影)
ちなみにこれは秋田県北秋田市藤株遺跡出土の縄文後期の土偶(伊勢堂岱縄文館にて撮影)
曽谷貝塚出土の堀之内2式土器(市川考古博物館にて撮影)
曽谷貝塚出土の安行1式異形台付土器(市川考古博物館にて撮影)
 

北側に開口する縄文時代後期の馬蹄形貝塚。現状はだだっ広い広場になっており、近所の子供たちが野球などをして遊んでいる。

外径南北240m、東西210m(説明板による)で、国内最大級の貝塚。貝塚はCの字の窪んでいる中央部周辺で見つかり、Cの字の高まりの部分から外側にかけて住居跡が見つかっている。

出土する土器は、称名寺式、堀之内式、加曽利B式、安行式土器などでこれらは後期の土器であり、遺跡自体は後期がメインとして考えてよいだろう。

市川考古博物館には、本遺跡出土の土偶や堀之内2式の深鉢、安行1式の異形台付土器が展示してある。

本遺跡を標式とする曽谷式土器もあるが、個体数は少ない。

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姥山貝塚

うばやまかいづか

 
 
 
 
姥山遺跡出土遺物(市川考古博物館にて撮影)
 

縄文時代中期の集落跡で貝塚を伴う。見つかった住居跡は39軒、人骨は143体で説明板が設置された昭和57年の時点では国内で3番目の数。

現状では南側に開口する馬蹄形貝塚に見えるが、乱掘の影響もあるため、実際はリング状だった可能性がある。外径は東西130m、南北120m(説明板による)。

住居跡を完掘したことにより、日本で初めて縄文時代の住居が炉を持つ竪穴住居であることが確実に分かった。

大正15年には考古学に造詣が深かったスウェーデンのグスタフ・アドルフ皇太子(後に即位)が発掘し、その際皇太子は層序を気にしたが対応した大山柏はそれほど気に留めなかったという逸話が残る。

現地には各発掘地点ごとに説明板が設置されていて、発掘の歴史を追うことができて楽しい。なお、杉原壮介発掘地点(S2地点)も明示されているが、このとき杉原は旧制中学生。

市川考古博物館には、本遺跡出土の注口土器や石皿などが展示してある。

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65
法皇塚古墳

ほうおうづかこふん

 
 

前方部はおおよそ北西を向いており、江戸川の方に側面を見せて築造されているが、角度的に川から見ることは無理。対岸の武蔵野台地からは小さすぎて目視できないはずだが、もしかしたら目に見えなくても呪術的に武蔵野台地側を意識した築造かも知れない。

なお、市川市内には以下の明戸古墳と弘法寺古墳を含めて3基の前方後円墳が確認されているが、すべて後期後半から終末期初頭にかけての築造と考えられ、3基の築造順は不明。

現在の千葉県・東京都・埼玉県の江戸川流域を見渡しても大きな古墳は築かれず、後期後半にいたってようやくこれら3基の前方後円墳が築造され、それらの中でも法皇塚古墳が最大。

65m(説)
10期

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40
明戸古墳および国府台城跡

あけどこふん

 
 
 

戦国期の国府台城の土塁の一部に利用されてしまったが、なんとなく古墳であることが分かる。後円部には箱式石棺が2基並んでおかれており、元々の位置を保っている。石材は黒雲母片麻岩で、この石は筑波山麓から運ばれてきた。

古墳の向きは法皇塚古墳とほぼ同様だが、やはり江戸川からは見えないだろう。

40m(説)
10期
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43
弘法寺古墳

ぐほうじこふん

 
 

現地標柱の説明によると、6世紀後半から7世紀前半の築造とあり、関東における最終段階の前方後円墳の一つであろう。

台地上の南縁に東西の主軸で前方部を西に向けて築造されており、海側から仰ぎ見られるような立地。現在は墳丘の南側は崖の崩落とともになくなっており、墳丘に登ることはできない。

43m(説)
10期

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真間山古墳

ままやまこふん

 

弘法寺古墳と同じく弘法寺境内にあり、円墳と考えられているが、調査がされておらず詳細不明。弘法寺の境内にはほかにも古墳のようなものがあるが、確実なものはない。

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下総国府跡

しもうさこくふあと

 

説明板はおろか、標柱も無いが、発掘調査によって国衙の位置が分かっている。

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下総総社跡

しもうさそうじゃあと

 
 

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下総国分寺跡

しもうさこくぶんじあと

 
 

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下総国分尼寺跡

しもうさこくぶんにじあと

 
 

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柏市


北ノ作1号墳

 
 

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北ノ作2号墳

 

20191208

 

 

香取市

120
三之分目大塚古墳

 
 

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富田1号墳

 
 

20191208


香取神宮

 

20191208

 

 

鎌ケ谷市


中沢貝塚

 
 

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下総小金中野牧跡

 
 

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栄町

42
龍角寺21号墳

栄町龍角寺

 

20180525

13
龍角寺52号墳

栄町龍角寺

 

20170503

31
龍角寺53号墳

栄町龍角寺

 
 

20170503

32
龍角寺54号墳

栄町龍角寺

 

20170503

12
龍角寺55号墳

栄町龍角寺

 

20170503

48
龍角寺57号墳

栄町龍角寺

 

20170503

25
龍角寺58号墳

栄町龍角寺

 

20170503

17
龍角寺62号墳

栄町龍角寺

 

20170503

17
龍角寺63号墳

栄町龍角寺

 

20170503
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龍角寺65号墳

栄町龍角寺

 
 

20170503
20210502A


龍角寺66号墳

栄町龍角寺

 

20170503
20210502A

18
龍角寺67号墳

栄町龍角寺

 

20170503

30
龍角寺68号墳

栄町龍角寺

 

20170503
20210502A

28
龍角寺69号墳

栄町龍角寺

 

20170503

27
龍角寺71号墳

栄町龍角寺

 

20170503

20
龍角寺72号墳

栄町龍角寺

 

20210502A

19
龍角寺73号墳

栄町龍角寺

 

20170503
20210502A

22
龍角寺75号墳

栄町龍角寺

 

20170503

龍角寺78号墳

栄町龍角寺

 

20170503

12
龍角寺80号墳

栄町龍角寺

 

20170503

龍角寺81号墳

栄町龍角寺

 

20170503

16
龍角寺82号墳

栄町龍角寺

 

20170503

22
龍角寺84号墳

栄町龍角寺

 

20170503

龍角寺85号墳

栄町龍角寺

 

20170503

15
龍角寺86号墳

栄町龍角寺

 

20170503

12
龍角寺99号墳

栄町龍角寺

 

20170503

16
龍角寺100号墳

栄町龍角寺

 

20170503

25
龍角寺101号墳

栄町龍角寺

 
 

20170503
20180602C
20190306C
20190317C
20210502A

34
龍角寺104号墳

栄町龍角寺

 
 

20210502A

78
岩屋古墳(龍角寺105号墳)

栄町龍角寺

 
 

20170503
20180525
20180602C
20190306C
20190317C
20210502A

35
みそ岩屋古墳(龍角寺106号墳)

栄町龍角寺

 
 

20170503
20210502A


浅間山古墳(龍角寺111号墳)

栄町龍角寺

 
 

20170503
20180525
20180602C
20190306C
20190317C
20210502A


龍角寺

栄町龍角寺

 
 

20170503
20180525
20180602C
20190306C
20190317C
20210502A

瓢塚41号墳石室移築

栄町龍角寺

 
 

20170503

龍角寺108号墳石室移築

栄町龍角寺

 
 

20170503


房総のむら 風土記の丘資料館

栄町龍角寺

 
 

20170503
20180602C
20190306C
20190317C

  

 

佐倉市


飯郷作遺跡

 
 
 

20191208


飯郷作1号墳

 

20191208


印旛郡市文化財センター

 
 

20220726


国立歴史民俗博物館

 
 

19990327
20220726

 

 

白井市

河原子台Ⅱ-3遺跡

 
 

20170503

 

 

 

千葉市中央区


千葉市埋蔵文化財センター

 
 

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千葉市若葉区


加曽利貝塚

 
 

20220213P


千葉市立加曽利貝塚博物館

 
 

20220213P

 

 

成田市

13
公津原9号墳

公津原古墳群

 

20180525
20180602C
20190306C
20190317C
20210502A

33
公津原10号墳

公津原古墳群

 
 

20210502A

85
船塚古墳(公津原8号墳)

公津原古墳群

前方後方墳説があったが、珍しい大型の長方形墳ということで確定

 

20180525
20180602C
20190306C
20190317C
20210502A

33
石塚古墳(公津原16号墳)

公津原古墳群

 

20210502A


公津原20号墳

公津原古墳群

 

20210502A

63
天王塚古墳(公津原21号墳)

公津原古墳群

 

20191208
20210502A

8
公津原22号墳

公津原古墳群

 

20191208
20210502A


公津原23号墳

公津原古墳群

 

20191208
20210502A

11
公津原24号墳

公津原古墳群

 

20191208
20210502A

公津原30号墳

公津原古墳群

 

20210502A

12
公津原31号墳

公津原古墳群

 

20210502A

12
公津原32号墳

公津原古墳群

 

20210502A

12
公津原33号墳

公津原古墳群

 

20210502A

13.5
公津原34号墳

公津原古墳群

 

20210502A

12
公津原35号墳

公津原古墳群

 

20210502A

14.5
公津原36号墳

公津原古墳群

 

20210502A

12.5
公津原37号墳

公津原古墳群

 

20210502A

23
公津原38号墳

公津原古墳群

 

20210502A

35×36
伝伊都許利命墳墓(公津原39号墳)

公津原古墳群

 
 

20180525
20180602C
20190306C
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20210502A


公津原埴輪窯跡

千葉県で2か所しか見つかっていない埴輪窯跡の一つだが、目で見られるものはない

 

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八代玉作遺跡

 
 

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20210502A


吾妻神社

 
 

20191208


船形麻賀多神社

 

20180525
20180602C
20190306C
20190317C
20210502A


台方麻賀多神社

 
 

20180525

 

 

船橋市


下郷後遺跡

 
 

20200530

 

 

松戸市

栗山古墳

 
 

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野馬除土手

 
 

20200530

野馬除土手の木戸遺構

 
 

20200530

金ケ作陣屋跡

 
 

20200530


高龗神社・香実会所跡

 

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松戸市立博物館

 
 

20220213P

 

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