柏原市


松岳山古墳

まつおかやまこふん
柏原市国分市場

墳丘長130mを誇る前期の前方後円墳で、大和川を河内方面から遡上してくると、平野が終わる狭隘な地形の左岸側の丘の上に前方部を下流方面に向けてその威容を示すように築造されている。

後円部墳頂には、長大な組合式長持形石棺が露出しており迫力がある。登頂して確認しよう。

また、墳頂には板石が多数散乱しており、おそらく竪穴式石室の壁や天井に使用した石と思われ、石棺の短辺両側には穴の開けられた板石が立てられているが、何の石でいつ立てられたのかは不明。

国分神社の石段を上がり、社殿に向かって左に行くと説明板と墳頂への登り道がある。

130m(説)
3期

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河内国分寺跡

大和川左岸の河内国内最奥部に立地し、四神思想に合致していないが、ここで見つかった塔跡が河内国分寺跡といわれている。

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河内国分尼寺跡推定地

河内国分寺跡の西側住宅街に「尼寺」という地名が残っており、そのあたりが河内国分尼寺跡と推定されるが、遺構などは見つかっていない。ただ、地形を見ると、住宅街の場所は僧寺跡から一段下がった川に近い場所であるので、僧寺跡と同じ段丘上にあったように思える。

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亀の瀬

古代史が語られる際、大和川は、大和と瀬戸内海を結ぶ重要な交通路であったと説明されることが多いが、奈良県と大阪府の県境の大阪側にある亀の瀬は舟航する際の難所であったと言われ、名前の通り、亀の形に見える大きな石がある。

川岸から見ると実際の大きさはよく分からないが、人間が20人ほどが乗れる大きな岩だそうだ。

古代と現代では水量が違うはずだが、現代の水量ではとてもではないが船は通れない。江戸時代の文献に亀石が見えることから、すでにその頃には水深が浅くなっていたことが分かる。

古代もここを通過する際はいったん人や荷物を陸揚げして運んだと考える研究者もいる。

なお、大和と瀬戸内海を結ぶ河川交通ルートは、他に淀川~木津川と奈良山の陸送をミックスしたルートと、葛城地方と和歌山平野を結ぶ紀川ルートがあった。

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亀の瀬1号排水路

地すべりを防ぐために作られた排水用のトンネル。トンネルだがどこかと繋がっているわけではなく、少し歩くと行き止まりになる。常時入れるわけではないので、地すべり資料室に連絡して確認してから行くとよい。

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亀の瀬地すべり資料室

大阪府柏原市峠地先
072-971-1381(大和川河川事務所 調査課)

土日祝休館
9時半~16時半
入館無料

※事前申し込みで、旧大阪鉄道亀瀬隧道も見学できるため、訪問する際は一度確認の連絡をしてから訪れよう。また、下記ページでも確認できる。

⇒亀の瀬地すべり見学会のページ

亀の瀬は古来より地すべりが多発した場所で、もしそれによって亀の瀬が閉ざされてしまった場合は、奈良盆地は昔のように湖になってしまう。それを防ぐために亀の瀬周辺には巨大な杭を打ち込んだり、排水施設を作ったりして地すべりを防ぐ工事が行われているが、その工事や亀の瀬周辺の地形や歴史について説明した資料館。

パネル展示がメインだが、実際の杭の3分の1のモデルも展示してある。また、JR線がなぜ、現在のように川の右岸と左岸をわざわざ行き来するようになったのか、その理由もわかる。

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