最終更新日:2025年2月14日

 河内国は、現在の行政では便宜上、北・中・南の3つの領域に分け、19の自治体が含まれています。そのうち中河内には、以下の3つの自治体があります。

 ・柏原(かしわら)市
 ・東大阪(ひがしおおさか)市
 ・八尾(やお)市

 また、歴史的に見ると中河内と同じ領域には大阪市の一部も含まれますので、本ページでは、大阪市平野区も紹介します。
 

 

 ※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
 ※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。

 

目次

大阪市平野区

柏原市

東大阪市

八尾市

 

 

大阪市平野区


長原遺跡(長原古墳群)

大阪市平野区長吉長原西

縄文時代晩期の長原式土器の標式遺跡。

古墳時代の遺構としては、中期前半の鍛冶工房跡や中期を中心とした200基以上の古墳が見つかっている(長原高廻り古墳群)。ただし、墳丘はひとつも残っていない。

出土した遺物のうち、残存状態の良好な埴輪30個と、附指定として鏃形土製品3個が国の重要文化財に一括指定され、一部は大阪歴史博物館に展示され、同館の古墳時代の展示の主役的存在となっている。

現地には標柱があるのみ。

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加美遺跡

大阪市平野区加美東

弥生時代中期後半の2基の墳墓が検出され、全容が判明したY-1号墓は、南北26m×東西15m、高さ3mを測り、23基の主体部を持っていた。その規模や内容からして、方形周溝墓と呼ぶよりも、墳丘墓と呼ばれることが多い。もっと言えば「王墓」でも良いだろう。

埋葬施設はいずれも木棺直葬で、そのうちの14基が成人、9基が小児であることが分かった。

中心に位置する5号木棺は、二重構造の組合せ木棺という特異なもので、被葬者は30代男性。

ただし、副葬品はみつからなかった。また、2号木棺と14号木棺からは銅釧が出土しており、その2名は女性とされている。なお、すべての木棺に朱がまかれていた。

弥生時代中期後半というと、北部九州では奴国や伊都国のルーツとなる国々が生まれ始めた頃であるが、それと同じ頃、畿内でもこの加美遺跡や兵庫県尼崎市の田能遺跡の例で分かる通り、政治勢力の萌芽が見られたのだ。

なお、現地には説明板と石碑があるのみ。

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大阪市平野区民センター

大阪市平野区長吉出戸5-3-58
基本無休
9:30~21:30

縄文時代晩期末の長原式土器や、加美遺跡の弥生墳丘墓から見つかった土器、それに高廻り2号墳出土の埴輪のレプリカなどを展示している。

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柏原市

110
小松山古墳(玉手山1号墳)

 
西日がもろに反射してしまった 
西日がもろに反射してしまった

110m(『玉手山7号墳の発掘調査』<大阪市立大学日本史研究室・柏原市教育委員会/編>)

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70
玉手山2号墳

 

70m(『玉手山7号墳の発掘調査』<大阪市立大学日本史研究室・柏原市教育委員会/編>)

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96
勝負山古墳(玉手山3号墳)

 
 

100m(説)

96m(『玉手山7号墳の発掘調査』<大阪市立大学日本史研究室・柏原市教育委員会/編>)

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110
後山古墳(玉手山7号墳)

玉手山公園のなかにあるため、公園が閉まってしまうと見学できないので注意

 
 

110m(『玉手山7号墳の発掘調査』<大阪市立大学日本史研究室・柏原市教育委員会/編>)

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玉手山6号墳竪穴式石室

 
 

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東ワカ山古墳家形石棺

 

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後藤又兵衛基次之碑

 
 
 

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柏原市立玉手山公園 ふれあいパーク 歴史館

 

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130
松岳山古墳

まつおかやまこふん
柏原市国分市場

国分神社の石段を上がり、社殿に向かって左に行くと説明板と墳頂への登り道がある。

墳丘長130mを誇る前方後円墳で、築造時期は前期中葉。大和川を河内方面から遡上してくると、平野が終わる狭隘な地形の左岸側の丘の上に前方部を下流方面(西側)に向けてその威容を示すように築造されている。ただし、現状では古墳全体は森の中で、大きな墳丘全体を外から眺めることはできない。

後円部墳頂には、竪穴式石槨が造られているが、現在は長大な組合式長持形石棺が露出しており迫力がある。出土遺物としては総重量50㎏におよぶ武器や農具などの鉄製品や27個以上の石釧と鍬形石のかけらが見つかっていることが特筆できる。

墳頂には板石が多数散乱しており、おそらく竪穴式石槨の壁や天井に使用した石と思われ、石棺の短辺両側には穴の開けられた板石が立てられているが、いつ誰が立てたのかは分からない。

前方部西側裾テラスで見つかった鰭付楕円筒埴輪は大変珍しく、柏原市立歴史資料館で接合されたものを見ることができる。類例は、大阪府茨木市の紫金山古墳でしか確認されていない。

周溝はなく、前方部側に接するように茶臼塚古墳という方墳が築造されているのが珍しい。ただし、茶臼塚古墳の墳丘は北側にさらに伸びるようで、松岳山古墳の付属施設の可能性もある(現在現地では調査中)。

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河内国分寺跡

大和川左岸の河内国内最奥部に立地し、四神思想に合致していないが、ここで見つかった塔跡が河内国分寺跡といわれている。

 
 

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河内国分尼寺跡推定地

河内国分寺跡の西側住宅街に「尼寺」という地名が残っており、そのあたりが河内国分尼寺跡と推定されるが、遺構などは見つかっていない。ただ、そこの地形を見ると、住宅街の場所は僧寺跡から一段下がった川に近い場所であるので、僧寺跡と同じ段丘上にも何かがあったようにも思える。

 

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高井田横穴

6 世紀中頃から7世紀初めにかけて造営された横穴墓群で、総数は200基を超えると考えられている。その中には線刻画が施された横穴が27基あり、とくに3-5横穴の羨道右壁に描かれた「ゴンドラ形の船に乗る人物」は有名。レプリカが柏原市立博物館にある。

 
 

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白坂神社

 
 

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柏原市立歴史資料館

柏原市高井田1598-1
072-976-3430
月曜休館
9:30~17:00

柏原市内の遺跡から出土した考古遺物を展示。松岳山古墳から出土した楕円筒埴輪、松岳山古墳に隣接する茶臼塚古墳から出土した三角縁神獣鏡や腕輪型石製品、高井田山古墳や玉手山古墳群から出土した遺物などの古墳時代の展示が豊富。縄文土器の展示もある。

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亀の瀬

 
 

古代史が語られる際、大和川は、大和と瀬戸内海を結ぶ重要な交通路であったと説明されることが多いが、奈良県と大阪府の県境の大阪側にある亀の瀬は舟航する際の難所であったと言われ、名前の通り、亀の形に見える大きな石がある。

川岸から見ると実際の大きさはよく分からないが、人間が20人ほどが乗れる大きな岩だそうだ。

古代と現代では水量が違うはずだが、現代の水量ではとてもではないが船は通れない。江戸時代の文献に亀石が見えることから、すでにその頃には水深が浅くなっていたことが分かる。

古代もここを通過する際はいったん人や荷物を陸揚げして運んだと考える研究者もいる。

なお、大和と瀬戸内海を結ぶ河川交通ルートは、他に淀川~木津川と奈良山の陸送をミックスしたルートと、葛城地方と和歌山平野を結ぶ紀川ルートがあった。

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亀の瀬1号排水路

 
 

地すべりを防ぐために作られた排水用のトンネル。トンネルだがどこかと繋がっているわけではなく、少し歩くと行き止まりになる。常時入れるわけではないので、地すべり資料室に連絡して確認してから行くとよい。

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亀の瀬地すべり資料室

大阪府柏原市峠地先
072-971-1381(大和川河川事務所 調査課)

土日祝休館
9時半~16時半
入館無料

※事前申し込みで、旧大阪鉄道亀瀬隧道も見学できるため、訪問する際は一度確認の連絡をしてから訪れよう。また、下記ページでも確認できる。

⇒亀の瀬地すべり見学会のページ

 
 
 

亀の瀬は古来より地すべりが多発した場所で、もしそれによって亀の瀬が閉ざされてしまった場合は、奈良盆地は昔のように湖になってしまう。それを防ぐために亀の瀬周辺には巨大な杭を打ち込んだり、排水施設を作ったりして地すべりを防ぐ工事が行われているが、その工事や亀の瀬周辺の地形や歴史について説明した資料館。

パネル展示がメインだが、実際の杭の3分の1のモデルも展示してある。また、JR線がなぜ、現在のように川の右岸と左岸をわざわざ行き来するようになったのか、その理由もわかる。

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東大阪市


日下貝塚

くさかかいづか

🅿なし
🚻なし

東大阪市日下町

東大阪市の位置は、現在の地図で見ると少し内陸側にあるが、縄文海進のときは海が迫っていた。

見つかった貝の99%は、セタシジミ。縄文晩期の亀ヶ岡文化の土器が出土しており、北東北の文化がこの地にまで影響を及ぼしていたことが分かる。また、古墳時代のほぼ完全な馬の骨が見つかったことでも有名。現地は説明板があるのみ。

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八尾市


中田遺跡

🅿なし

目で見られるものは特になく、公園内に説明碑が立っている。

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55
向山古墳および向山瓦窯跡

むかいやまこふん
楽音寺・大竹古墳群

🅿なし
🚻なし

55m(『大阪の前期古墳』所収「北・中河内の前期古墳の特質」秋山浩三/著)

楽音寺・大竹古墳群では最古の前方後円墳で、前期前半の築造。

真冬でも墳丘上は藪が酷くて登頂は難しい。

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55
西ノ山古墳

楽音寺・大竹古墳群

55m(『大阪の前期古墳』所収「北・中河内の前期古墳の特質」秋山浩三/著)

熊野神社拝殿北側の森の中に墳丘が隠れている。真冬でも藪が酷く登頂は難しい。

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73
花岡山古墳(湮滅)

楽音寺・大竹古墳群

🅿なし
🚻なし

73m(『大阪の前期古墳』所収「北・中河内の前期古墳の特質」秋山浩三/著)

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160
心合寺山古墳

しおんじやまこふん

楽音寺・大竹古墳群

🅿🚻しおんじやま古墳学習館

しおんじやま古墳学習館の休館日は墳丘内に立ち入れないので注意。駐車場は同館にあり。

5世紀前半に築造された墳丘長160mを誇る南向きの大型前方後円墳。3段築成で西側にのみ造出を備え、葺石と埴輪を備えていた。後円部墳頂からは、粘土槨を3基検出。前方部には方形檀が構築されていた。長持形石棺の縄掛突起が採集されている。

墳丘は綺麗に整備されおり、気軽に大型前方後円墳を体感できる。

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八尾市立しおんじやま古墳学習館

八尾市大竹5-143-2
072-941-3114
火曜休館
9:00~17:00

心合寺山古墳に隣接。展示室内は写真撮影NG。

展示室では主に心合寺山古墳について解説しているが、説明が丁寧で分かりやすく、他の施設では意外と説明がない盲点を突いた説明もあり(例えば、鶏形埴輪は雄と雌でトサカの大きさを分けて表現しているなど)、学芸員の熱意を感じることができる。

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28
鏡塚古墳

楽音寺・大竹古墳群

🅿なし
🚻なし

28m(『大阪の前期古墳』所収「北・中河内の前期古墳の特質」秋山浩三/著)

説明碑には中期末の築造とあるが、八尾市は現在は後期としている。

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25
愛宕塚古墳

🅿なし
🚻なし

全長16.76mを誇る大阪府内最大級の見事な横穴式石室が開口しており、いつでも見学できる。

石室は巨石によって構築され、玄室の天井高は4.1mもある。とても見学しやすい素晴らしい石室だ。

八尾市は、楽音寺・大竹古墳群にも高安古墳群にも属さないとしている。

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15
俊徳丸鏡塚古墳

🅿なし
🚻なし

横穴式石室が開口しているが、入室禁止となっている。

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佐麻多度神社

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熊野神社

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八尾市立歴史民俗資料館

八尾市千塚3-180
072-941-3601
火曜休館
9:00~17:00(16:30)

「大和川流域と高安山 -その歴史と文化-」というテーマで展示を行っており、八尾市内の遺跡から出土した遺物を展示している。

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