最終更新日:2023年11月6日
※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。
目次
和泉市

池上曽根遺跡
いけがみそねいせき
和泉市池上町・泉大津市曽根町
大阪府のみならず畿内を代表する弥生遺跡といっても良い有名な遺跡。中期頃の環濠集落で、
当時の大阪湾から 2㎞の距離。今の地図を見ても明らかに埋め立て地と分かる場所を取り除けば、
大体の海岸線が想像できる。地下水位が高いため木製品や植物遺存体などが多く検出されたのが
特徴の一つ。
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20231103A

和泉国府跡

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和泉国分寺跡

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大阪府立弥生文化博物館
全国各地で出土した弥生時代の有名な遺物のレプリカが並んでおり、日本中の弥生時代の様相
がここだけで把握できる。
また、徒歩5分の所にある池上曽根遺跡についても詳しく解説している。
卑弥呼に会えるぞ。



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20231103A
貝塚市
岸和田市
130
久米田貝吹山古墳
4世紀中ごろの築造。埴輪あり。周辺の池は周濠のあとといわれている。
地元では、橘諸兄(たちばなのもろえ)の墓との伝えがある。諸兄は聖武天皇の天平9年(737)に天然痘の流行で藤原四兄弟をはじめとして多くの閣僚が没した後に知太政官事・鈴鹿王とともに政権を運営。死後、子の奈良麻呂が変を起こす。また、近くの久米田寺には光明皇后の墓と言われる古墳がある。もちろん、諸兄も光明皇后もこの地には眠っていない。
永禄5年(1562)3月、三好軍と畠山・六角軍が戦い(久米田の戦い)、貝吹山古墳には、三好実休が布陣し討死。一存についで実休が死に、弟二人をなくしたことは長慶にとって痛手であった。
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20231103A
71
風吹山古墳
5世紀初頭の築造。帆立貝形で今見られる南東側の方丘意外に、南西側に造出がある。
当初は造出付きの円墳として造られのちに帆立貝形に改築された。埴輪・葺石あり。2基の埋葬施設は発掘調査され多数の副葬品あり。

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20231103A
光明塚古墳

202009019
堺市北区
300以上
土師ニサンザイ古墳
はぜにさんざいこふん
今尾文昭氏は、雄略天皇の陵と考えている(『天皇陵古墳を歩く』)
円筒Ⅳ式
7期
20190105
20201024C
20201121C
20210324C
20211113C
146
いたすけ古墳

146m(DB)
円筒Ⅳ式?
6期
20190105
堺市堺区

方違神社
ほうちがいじんじゃ

20190105
竹内街道

20190105
104
永山古墳

104m(DB)
7期
20190105
87
丸保山古墳
まるほやまこふん
仁徳天皇陵陪塚へ号

87m(DB)
20190105
樋の谷古墳
仁徳天皇陵陪塚丙号

20190105
525
大山古墳(大仙陵古墳・仁徳天皇陵)
白石太一郎氏は、仁徳天皇の陵である可能性が高いとしている(『古墳からみた倭国の形成と展開』)
円筒Ⅳ式
7期
20190105
20200919
20201023C
20201120C
20210323C
グワショウ坊塚古墳

20190105
20201023C
20201120C
20210323C
七観山古墳

20190105

堺市博物館


20190105
20201023C
20201120C
20210323C

堺市役所21階展望ロビー



20190105
20201023C
20201120C
20210323C
堺市西区
石塚古墳跡

20200919
岬町
210
西陵古墳
さいりょうこふん
5世紀前半の築造。西側くびれ部に造出。埴輪・葺石あり。
埴輪は淡輪技法。凝灰岩製の長持形石棺。陪塚は 2基。
紀小弓(きのおゆみ)の墓と伝わる。小弓は雄略朝にて新羅に渡り戦い死亡。妻の吉備上道采女大海(きびのかみつみちのうねめおおしあま)は、夫の埋葬地について大伴室屋に相談し、天皇は、紀氏と大伴氏の領域の接点である田身輪邑(たむわのむら)に造らせ、大海は 6 人の家人を室屋に贈った。
6期
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20231103A
40
西小山古墳
にしこやまこふん
5世紀中葉の築造。金銅装眉庇付冑が出土。他の出土例は、仁徳天皇陵前方部、大阪府北天平塚古墳、奈良県五条猫塚古墳、三重県佐久米古墳、福岡県月岡古墳、千葉県祇園山古墳などがあるが非常に珍しい。
20231103A
180
淡輪ニサンザイ古墳
宇度墓古墳
宮内庁の垂仁天皇皇子五十瓊敷入彦宇度墓。五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)は、
景行天皇の同母兄。剣1千口を作り石上神宮に納、石上神宮の神宝を管掌。
くびれ部両側に造出。陪塚は6~7基。陵墓のため墳丘には入れない。

170m(説)
180m(DB)
7期
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20231103A
以下は蛇足。
名称 | 陵墓 | 世 | 国史跡 | 墳丘長 | 主体部 | 周溝 | 埴輪・須恵器 | 時期 |
乳岡 | 〇 | 155 | 組合式長持形石棺 鍬形石 車輪石 | 4C後半 | ||||
津堂城山 | 参考地 | 〇 | 〇 | 208 | 円筒Ⅱ | 4C後半 | ||
古室山 | 〇 | 〇 | 150 | 円筒Ⅲ | ||||
仲津山 | 仲姫 | 〇 | 290 | 円筒Ⅲ | 4C後半 | |||
上石津ミサンザイ | 履中天皇 | 〇 | 365 | 二重 | 円筒Ⅲ | 5C初 | ||
大塚山 | 168 | 円筒Ⅲ | ||||||
野中宮山 | 154 | 円筒Ⅲ | ||||||
墓山 | 〇 | 〇 | 225 | 円筒Ⅲ | ||||
誉田御廟山 | 応神天皇 | 〇 | 外濠・外堤 | 425 | 二重 | 円筒Ⅳ | ||
御廟山 | 〇 | 内濠 | 203 | 二重 | 円筒Ⅳ | 5C前半 | ||
大山 | 仁徳天皇 | 〇 | 525 | 三重 | 円筒Ⅳ | |||
いたすけ | 〇 | 〇 | 146 | 円筒Ⅳ? | 5C前半 | |||
市野山 | 230 | 円筒Ⅳ | ||||||
土師ニサンザイ | 参考地 | 〇 | 内濠 | 300 | 二重 | 円筒Ⅳ | 5C後半 | |
田出井山 | 反正天皇 | 〇 | 148 | 不明 | 二重 | 円筒Ⅳ | 5C中頃 | |
軽里大塚 | 日本武尊 | 〇 | 200 | 円筒Ⅳ | ||||
岡ミサンザイ | 245 | 円筒Ⅴ | ||||||
野中ボケ山 | 122 | 円筒Ⅴ | ||||||
白髪山 | 清寧天皇 | 115 | 円筒Ⅴ | |||||
高屋城山 | 安閑天皇 | 122 | ||||||
河内大塚山 | 参考地 | 335 |