最終更新日:2025年2月14日
和泉には、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」と国指定史跡「百舌鳥古墳群」に含まれる古墳があります。 世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産には、以下の49基の古墳が含まれます。 ・百舌鳥古墳群から以下の23基 仁徳天皇陵古墳、履中天皇陵古墳、ニサンザイ古墳、反正天皇陵古墳、御廟山古墳、いたすけ古墳、茶山古墳、大安寺山古墳、永山古墳、源右衛門山古墳、塚廻古墳、収塚古墳、孫太夫山古墳、竜佐山古墳、銅亀山古墳、菰山塚古墳、丸保山古墳、長塚古墳、旗塚古墳、銭塚古墳、寺山南山古墳、七観音古墳、善右ヱ門山古墳 ・古市古墳群から以下の26基 津堂城山古墳、仲哀天皇陵古墳、鉢塚古墳、允恭天皇陵古墳、仲姫命陵古墳、鍋塚古墳、助太山古墳、中山塚古墳、八島塚古墳、古室山古墳、大鳥塚古墳、応神天皇陵古墳、誉田丸山古墳、二ツ塚古墳、東馬塚古墳、栗塚古墳、東山古墳、はざみ山古墳、墓山古墳、野中古墳、向墓山古墳、西馬塚古墳、浄元寺山古墳、青山古墳、峯ヶ塚古墳、白鳥陵古墳 国指定史跡「百舌鳥古墳群」には、以下の古墳が含まれます。 ニサンザイ古墳周濠、御廟山古墳内濠、乳岡古墳、いたすけ古墳、長塚古墳、収塚古墳、塚廻古墳、文珠塚古墳、丸保山古墳、御廟表塚古墳、ドンチャ山古墳、正楽寺山古墳、鏡塚古墳、善右ヱ門山古墳、銭塚古墳、グワショウ坊古墳、旗塚古墳、寺山南山古墳、七観音古墳 |
※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。
目次
和泉市

池上曽根遺跡
いけがみそねいせき
和泉市池上町・泉大津市曽根町
大阪府のみならず畿内を代表する弥生遺跡といっても良い有名な遺跡。中期頃の環濠集落で、
当時の大阪湾から 2㎞の距離。今の地図を見ても明らかに埋め立て地と分かる場所を取り除けば、
大体の海岸線が想像できる。地下水位が高いため木製品や植物遺存体などが多く検出されたのが
特徴の一つ。
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和泉国府跡

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和泉国分寺跡

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大阪府立弥生文化博物館
全国各地で出土した弥生時代の有名な遺物のレプリカが並んでおり、日本中の弥生時代の様相
がここだけで把握できる。
また、徒歩5分の所にある池上曽根遺跡についても詳しく解説している。
卑弥呼に会えるぞ。



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貝塚市
70
貝塚丸山古墳
3段築成。埴輪あり。住宅に完全包囲されながらも見事な墳丘が残る。
天正13年(1585)の秀吉の紀州攻めで秀吉が本陣を置き、橋本の積善寺城を攻めたとの伝承あり。
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岸和田市
200
摩湯山古墳
4世紀後半の前方後円墳。墳丘長200mは、前期古墳としては大和以外では最大級だが、本格的な調査はされておらず詳細不明。墳丘は立入禁止。
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130
久米田貝吹山古墳
4世紀中ごろの築造。埴輪あり。周辺の池は周濠のあとといわれている。
地元では、橘諸兄(たちばなのもろえ)の墓との伝えがある。諸兄は聖武天皇の天平9年(737)に天然痘の流行で藤原四兄弟をはじめとして多くの閣僚が没した後に知太政官事・鈴鹿王とともに政権を運営。死後、子の奈良麻呂が変を起こす。また、近くの久米田寺には光明皇后の墓と言われる古墳がある。もちろん、諸兄も光明皇后もこの地には眠っていない。
永禄5年(1562)3月、三好軍と畠山・六角軍が戦い(久米田の戦い)、貝吹山古墳には、三好実休が布陣し討死。一存についで実休が死に、弟二人をなくしたことは長慶にとって痛手であった。
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71
風吹山古墳
5世紀初頭の築造。帆立貝形で今見られる南東側の方丘意外に、南西側に造出がある。
当初は造出付きの円墳として造られのちに帆立貝形に改築された。埴輪・葺石あり。2基の埋葬施設は発掘調査され多数の副葬品あり。

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25~30
光明塚古墳
久米田自境内にあり、光明皇后の墓と伝わる。
元は25~30mの円墳と推定(岸和田市HP)。

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堺市

堺市役所21階展望ロビー
堺市堺区
百舌鳥古墳群を訪れる際は、ここから眺めて主だった古墳の位置を確認しておくと良いだろう。



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以下、政令指定都市である堺市は複数の区に分かれるが、ここでは史的な意味付けのある地域ごとにまとめて掲載する。
【① 古墳群西側】
この地域では、百舌鳥古墳群で大王墓が築造されるよりも前の在地の王の墓と思われる大型古墳が築造された。
【② 田出井山古墳(反正天皇陵)とその周辺】

方違神社
ほうちがいじんじゃ
堺市堺区

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竹内街道
堺市堺区

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【③ 大山古墳(仁徳天皇陵)とその周辺】
大山古墳の周囲には陪塚のように見える古墳が10基以上確認されているが、そのすべてが必ずしも陪塚であるとは限らず、例えば永山古墳は墳丘長100mの大型前方後円墳であるので、独立した古墳の可能性がある。
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525
大山古墳(大仙陵古墳・仁徳天皇陵)
堺市堺区
白石太一郎氏は、伝承通り仁徳天皇の陵である可能性が高いとしている(『古墳からみた倭国の形成と展開』)
5C中頃(説)
円筒Ⅳ式
7期
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20201120C
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87
丸保山古墳
まるほやまこふん
仁徳天皇陵陪塚へ号
堺市堺区
説明板なし

87m(『堺の文化財 百舌鳥古墳群』)
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【④ 大山古墳と上石津ミサンザイ古墳との間】

堺市博物館
堺市境区


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【⑤ 上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)とその周辺】
365
上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)
堺市西区
5C前半(説)
白石太一郎氏は、周濠内の墳丘裾の本来の位置を勘案して400m以上の古墳であったと推定している(『古墳からみた倭国の形成と展開』)。
円筒Ⅲ式
5期
5世紀前半
365(説)
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20201023C
20201120C
20210323C
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石塚古墳(湮滅)
堺市西区
上石津ミサンザイ古墳の陪塚

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56
七観山古墳
堺市堺区
七観音古墳と混同しがちだが別物。
説明板なし

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【⑥ 百舌鳥古墳群東側】
25
万代山古墳
もずやまこふん
堺市北区
説明板なし

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300.3
土師ニサンザイ古墳
はぜにさんざいこふん
堺市北区
5C後半(説)
今尾文昭氏は、雄略天皇の陵と考えている(『天皇陵古墳を歩く』)
円筒Ⅳ式
7期
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20201024C
20201121C
20210324C
20211113C
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【⑦ 堺市美原区】
114
黒姫山古墳
堺市美原区黒山
5世紀中頃に築造された墳丘長114mの前方後円墳。西向き。2段築成で、周濠と周堤を備える。昭和22年頃に末永雅雄らが発掘調査を行い、後円部の主体部はすでに盗掘を受け破壊されていたが、前方部で竪穴式石槨が見つかり、そこから国内最多の24領の甲冑が出土した。
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堺市立みはら歴史博物館
堺市美原区黒山281
072-362-2736
月曜休館
9:30~17:15(16:30)
黒姫山古墳と中世の河内鋳物師をメインテーマに据えた博物館。黒姫山古墳から出土した甲冑を始めとした遺物を展示している。
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岬町
210
西陵古墳
さいりょうこふん
5世紀の築造。西側くびれ部に造出。埴輪・葺石あり。
埴輪は淡輪技法。凝灰岩製の長持形石棺。陪塚は 2基。
紀小弓(きのおゆみ)の墓と伝わる。小弓は雄略朝にて新羅に渡り戦い死亡。妻の吉備上道采女大海(きびのかみつみちのうねめおおしあま)は、夫の埋葬地について大伴室屋に相談し、天皇は、紀氏と大伴氏の領域の接点である田身輪邑(たむわのむら)に造らせ、大海は 6 人の家人を室屋に贈った。
6期
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40
西小山古墳
にしこやまこふん
5世紀中葉の築造。金銅装眉庇付冑が出土。他の出土例は、仁徳天皇陵前方部、大阪府北天平塚古墳、奈良県五条猫塚古墳、三重県佐久米古墳、福岡県月岡古墳、千葉県祇園山古墳などがあるが非常に珍しい。
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180
淡輪ニサンザイ古墳
宇度墓古墳
宮内庁の垂仁天皇皇子五十瓊敷入彦宇度墓。五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)は、
景行天皇の同母兄。剣1千口を作り石上神宮に納、石上神宮の神宝を管掌。
くびれ部両側に造出。陪塚は6~7基。陵墓のため墳丘には入れない。

170m(説)
180m(DB)
7期
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以下は蛇足。
名称 | 陵墓 | 世 | 国史跡 | 墳丘長 | 主体部 | 周溝 | 埴輪・須恵器 | 時期 |
乳岡 | 〇 | 155 | 組合式長持形石棺 鍬形石 車輪石 | 4C後半 | ||||
津堂城山 | 参考地 | 〇 | 〇 | 208 | 円筒Ⅱ | 4C後半 | ||
古室山 | 〇 | 〇 | 150 | 円筒Ⅲ | ||||
仲津山 | 仲姫 | 〇 | 290 | 円筒Ⅲ | 4C後半 | |||
上石津ミサンザイ | 履中天皇 | 〇 | 365 | 二重 | 円筒Ⅲ | 5C初 | ||
大塚山 | 168 | 円筒Ⅲ | ||||||
野中宮山 | 154 | 円筒Ⅲ | ||||||
墓山 | 〇 | 〇 | 225 | 円筒Ⅲ | ||||
誉田御廟山 | 応神天皇 | 〇 | 外濠・外堤 | 425 | 二重 | 円筒Ⅳ | ||
御廟山 | 〇 | 内濠 | 203 | 二重 | 円筒Ⅳ | 5C前半 | ||
大山 | 仁徳天皇 | 〇 | 525 | 三重 | 円筒Ⅳ | |||
いたすけ | 〇 | 〇 | 146 | 円筒Ⅳ? | 5C前半 | |||
市野山 | 230 | 円筒Ⅳ | ||||||
土師ニサンザイ | 参考地 | 〇 | 内濠 | 300 | 二重 | 円筒Ⅳ | 5C後半 | |
田出井山 | 反正天皇 | 〇 | 148 | 不明 | 二重 | 円筒Ⅳ | 5C中頃 | |
軽里大塚 | 日本武尊 | 〇 | 200 | 円筒Ⅳ | ||||
岡ミサンザイ | 245 | 円筒Ⅴ | ||||||
野中ボケ山 | 122 | 円筒Ⅴ | ||||||
白髪山 | 清寧天皇 | 115 | 円筒Ⅴ | |||||
高屋城山 | 安閑天皇 | 122 | ||||||
河内大塚山 | 参考地 | 335 |