最終更新日:2022年12月29日
※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。
目次
大郷町
栗原市
小牛田町
塩竈市

鹽竈神社博物館

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七ヶ浜町

七ヶ浜町歴史資料館


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【ランチ・お土産】うみの駅 七のや


仙台市青葉区

仙台城跡

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仙台市太白区

山田上ノ台遺跡

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仙台縄文の森広場




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仙台市若林区
55
法領塚古墳
7世紀前半に造られた径55mの円墳。この大きさは、円墳としては宮城県内では、雷神山古墳の隣にある小塚古墳と並んで最大級である。ただし、現在は墳丘はかなり削られてしまっている。
古墳はウルスラ学院の構内にあるため、平日であれば事前の予約で見学することができ、かつ、横穴式石室の扉の鍵も貸してくれる。
横穴式石室も東北地方最大級で、現在残っているのは玄室のみだが、元々は10m以上はあったはず。
法領塚古墳の周辺も6世紀の頃は人口が希薄になるが、7世紀になって再び活性化してきて、このような大型の古墳を築造するだけの有力者が出現した。
その時代は全国的には国造の時代だが、先代旧事本紀を読む限りでは、断定はできないものの、仙台に国造がいたようには見えない。おそらく、国造の配置の北限は阿武隈川下流域である。つまりは、国造の範囲外に、国造級の墓が造られたことがとても面白いのだ。
ただし、その後の歴史を見ても分かる通り、東北地方の行政は他地域と違って特殊なことが多いため、国造ではない何か違う地方首長が蘇我氏によって任じられていた可能性もある。
6世紀末から7世紀中葉にかけて、のちに初代陸奥国府ができる郡山遺跡に集落跡が形成され、その集落を作った人々は千葉県の印旛沼周辺からやってきたと思われ、印波国造などが仙台の開発に活躍した可能性があり、これと同様に関東か南東北からやってきた人びとの中でこの地で権力を得た者があったのだろう。
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史跡陸奥国分寺・尼寺跡ガイダンス施設


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多賀城市

多賀城跡

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多賀城碑

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多賀神社

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陸奥総社

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東北歴史博物館


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名取市
60
宮山古墳
飯野坂古墳群

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14.4
観音塚北1号墳
飯野坂古墳群

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14.2
観音塚北2号墳
飯野坂古墳群

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168
雷神山古墳
4世紀後半に築造された墳丘長168mの前方後円墳で、東北地方最大を誇る。高さは後円部12m、前方部6m、3段築成ですべての法面に葺石が認められる。1段目は地山を削って成形し、2・3段目は盛土で構築している。
後円部径と前方部幅が同じで、このデザインは渋谷向山古墳(現景行天皇陵)と同じで非常にヤマトチック。前期ヤマト王権の影響力が宮城県域にまで及んでいたことを如実に表している。
4世紀には、雷神山古墳のすぐ西側に飯野坂古墳群の前方後方墳が継起的に築造された。
南東北の古墳文化はそれ以前の弥生文化を継承しておらず、土器を見ると、弥生時代の末期頃、太平洋側は南関東から、日本海側は北陸から多くの移住者があったことが分かる。古墳時代初頭の関東地方には濃尾の人びとが大量に移住してきているが、彼らは東北にも進出している。
仙台平野には、南から移住してきた古墳文化人と、アイヌ語を操る続縄文人(江別文化人)が混在していた。続縄文人の目には、自分たちの集落の近くに築造された大型古墳はどのように映ったのだろうか。王権にとっては、古墳はその権力をアピールする装置として機能した。
4世紀後半にヤマト王権が東北南部に積極的にアプローチしたのは、南下してきた続縄文人との交易が最大の目的ではなかっただろうか。反対に続縄文人も交易によってメリットを享受できたはずだ。
前方後円墳の築造は、4世紀のうちには宮城県北部まで及び、少しの間を空けて、5世紀後半になると岩手県奥州市に角塚古墳が築造される。宮城県北部では、4~5世紀の住居跡が多数検出されており、大型古墳を築造するための経済的・労働力的基盤があったことが分かる。
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54
小塚古墳

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古川市