やまのうえこふん 15m 7世紀中葉
上野三碑(こうずけさんぴ)の山上碑の隣にある
上野三碑は高崎市が運行する無料巡回バスでめぐることができる
駐車場、トイレあり
駐車場からは少し階段を登る
現地には解説の方がいるときもある
横穴式石室にはいつでも入れるが、普通にコフンムシがいる
現地説明板
解説
※本項の写真は、特に断りが無い限り2022年6月4日にAICTで訪れた時に撮影したものです
山上碑のページと重複しないように、ここでは古墳について書きます。
7世紀中葉に築造された径15mの円墳で、山寄式の築造方法をとっているため、前面から見ると普通の円墳に見えますが、背後は山と繋がっていまする。こういった作りの古墳は後期末から終末期にかけて列島各地で作られ、例えば欽明天皇陵の平田梅山古墳も140mという大型の前方後円墳にも関わらず、山寄せで作られています。
凝灰岩の切石によって造られた横穴式石室はいつでも入室可能。全長は現況で6m。
羨道は天井が低く、しゃがみながら進む必要があり、両袖型の玄室は170㎝未満の方なら立つことができます。でも、6人一緒に入るとパンパン状態。コフンムシちゃんが普通にいるので驚かないようにしてください。下ばっかり気にするかもしれませんが、結構天井にいますよ。
石室は切石積で作られていますが、切石積を採用したのは群馬県内では早い方です。
山上碑の元位置は、現在値とほぼ変わっていないと推定されることから、被葬者は、山上碑を建立した長利の母・黒売刀自と考えられますが、時代を考慮すると、黒売刀自は追葬で、初葬は、黒売刀自の父ではないかと考える研究者がおり、私もそう思います。
その人物の名前は分かりませんが、そのさらに父か祖父にあたる人物が、同じく山上碑に記された佐野ミヤケの管掌者である健守命ではないかと考えられ、健守命の墓は、漆山古墳もしくは山名伊勢塚古墳と考える研究者が多く、ごく最近の調査で漆山古墳についてさらなる知見が得られたため、漆山古墳説が盛り返してくる可能性が高いです。
既述した通り、上野三碑は無料巡回バスでめぐることができます。詳しくは下記ページをご覧ください。
高崎市公式HP内「上野三碑めぐりバス」のページ
関連施設
参考資料
● 現地説明板
● 高崎市教育委員会の上野三碑解説サイト
●『山上碑の世界』(多胡碑記念館/編・2008)
●『群馬県史 資料編3 原始・古代3』(群馬県史編さん委員会/編・1981)P.273~ 石室の詳細な図面を掲載
●『群馬の古墳物語 下巻』(右島和夫/著・2018)P.44~ 石室実測図を縮小した大きさで掲載