最終更新日:2024年10月8日

 ※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
 ※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。
 ※令制美作国は、和銅6年(713)4月3日、備前国から英多郡、勝田郡、苫田郡、久米郡、真嶋郡、大庭郡の六郡を分けて建国されました(『続日本紀』)。

 

目次

赤磐市 (備前国)

岡山市北区 (備前/備中国)

岡山市中区 (備前国)

岡山市東区 (備前国)

岡山市南区 (備前/備中国)

勝央町 (美作国)

倉敷市 (備中国)

総社市 (備中国)

津山市 (美作国)

 

 

赤磐市(あかいわし)


南方前池遺跡

赤磐市南方

縄文時代晩期の前池式土器の標式遺跡。晩期の貯蔵穴が10基みつかり、それらは穴の上部を植物で覆い、粘土で密封していた。貯蔵していた植物は、トチの実やドングリ。

遺跡はため池の底に保存されている。出土遺物は、山陽郷土資料館に展示されている。

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ため池の堤の上に建つ標柱と説明板

 

 

 

 

赤磐市山陽郷土資料館の南方前池遺跡コーナー

 

貯蔵穴の模式図(赤磐市山陽郷土資料館にて撮影)

 

前池式土器(赤磐市山陽郷土資料館にて撮影)

 

 


便木山方形台状墓

びんぎやまほうけいだいじょうぼ

赤磐市山陽4丁目

🅿なし
🚻なし

便木山遺跡内で見つかった弥生末の方形台状墓。墳丘が保存されている。南側では弥生後期の土抗墓が40基以上見つかった。

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便木山3号墳あたりから見下ろす

 

 

 

南側の眺望

 

東側の切通道路の向こう側にも便木山3~5号墓が展開している

 

北側の眺望

 

 


便木山1~3、9号墳

赤磐市山陽4丁目

🅿なし
🚻なし

いずれも10mほどの円墳で、5世紀の築造と考えられている。

現状の見た目では、2号墳と3号墳は墳丘が認められるが、1号墳と9号墳はそれらしきものはない。

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便木山2号墳

 

便木山3号墳

 

便木山1、9号墳方面

 

手作り感のある説明板

 

 

 

206
両宮山古墳

赤磐市穂崎

🅿あり
🚻あり

5世紀後半に築造された墳丘長206mの超大型前方後円墳で、岡山県で3番目の大きさを誇る。全国では35位。

3段築成で両側に造出がある。周濠が一本めぐっているが、往時は二重であったことが判明している。主体部は未発見。

興味深いこととして、葺石や埴輪が見つかっておらず、古墳築造の最終工程を待たずして廃棄された可能性があり、埋葬もされていないかもしれない。

日本書紀によると、雄略天皇7年(463年?)には吉備下道臣前津屋(きびのしもつみちのおみさきつや)が讒言により雄略に殺害され、またこの頃、雄略は吉備上道臣田狭(きびのしもつみちのおみたさ)を朝鮮半島に出征させ、その妻・稚媛(わかひめ)を奪っている。

雄略天皇崩御の同23年(479年?)には、稚媛が雄略との間に儲けた子である星川皇子(ほしかわのみこ)とともに、ヤマト王権に対して反乱を起こして死んでいる。

事実、この時期以降、考古学的には吉備の古墳が小型化され、状況的には独立的立場が弱まったと想定でき、両宮山古墳が未完成であることと関連があることが想起できる。

2022年に一部墳丘の護岸工事が完了し、西側の造出を含めて外観が綺麗になった。墳丘は、無理すれば前方部の墳頂まで登れるが、後円部側に行くことは困難であるし、そもそも所有者のものなので立入はやめよう。

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55
和田茶臼山古墳

説明板無し

両宮山古墳の陪塚と考えられている。現在赤磐市は、5世紀後半から末に築造されたと考えられる墳丘長55mの帆立貝形古墳としている。

奥の方にある草が刈られた整った形状の土盛が和田茶臼山古墳。手前のモシャモシャは、両宮山古墳の中堤の名残か。

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82
森山古墳

岡山県重要遺跡。両宮山古墳の陪塚と考えられている。現在赤磐市は、5世紀後半に築造されたと考えられる墳丘長82mの帆立貝形古墳としている。

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? 23
正免東古墳跡

完全湮滅。

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85(赤磐市)
朱千駄古墳

しゅせんだこふん

岡山県重要遺跡。現在赤磐市は、5世紀末に築造されたと考えられる墳丘長85mの前方後円墳としている。

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67
小山古墳

現在赤磐市は、5世紀末に築造されたと考えられる墳丘長67mの前方後円墳としている。

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47
廻り山古墳

岡山県重要遺跡。現在赤磐市は、6世紀前半に築造されたと考えられる推定墳丘長47mの前方後円墳としている。

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20
岩田14号墳

赤磐市山陽3丁目(愛宕公園)

🅿なし
🚻なし

山陽団地内遺跡群内に所在する岩田古墳群の1基。山陽団地内遺跡では、弥生時代後期になって突如として大集落が現れた。山陽団地内遺跡群全体では、前期から後期までの77基の古墳が見つかっている。

岩田14号墳は、6世紀後半に築造された径20mの円墳。横穴式石室の現存長は11.8mで、右片袖の玄室内には7基の木棺があり、それ以前にも埋葬が行われていた。珍しい雁木玉や装飾大刀など豊富な副葬品が見つかり、それらは赤磐市山陽郷土資料館に展示してある。

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赤磐市山陽郷土資料館にて撮影

 

 


備前国分寺跡

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備前国分尼寺跡

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熊山遺跡

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赤磐市山陽郷土資料館

赤磐市下市337
086-955-0710
月曜休館
9:00~17:00(16:30)

赤磐市に2ヶ所ある郷土資料館の一つで、こちらには市内の遺跡から出土した考古遺物を展示。

南方前池遺跡出土の前池式土器や山陽団地内遺跡群出土の顔の造形のあるものを含めた分銅形土製品、それに特殊器台形土器・特殊壺形土器、朝鮮半島との交流の証かも知れない楽浪系土器、装飾大刀、装飾付き陶棺などを展示している。岩田14号墳出土の雁木玉(がんぎだま)はとくに必見。

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用木山遺跡出土・分銅形土製品土器

 

便木山遺跡(便木山10または12号墳)出土・特殊壺形土器

  

門前池東方遺跡出土・楽浪系土器(弥生後期以降)

 

岩田8号墳出土・陶棺(あまり見ない形状の陶棺)

 

 

 

岡山市北区


津島遺跡

岡山市北区いずみ町

縄文晩期から歴史時代に至る各時代の遺構が確認された複合遺跡だが、とくに弥生時代の遺構が有名で、弥生前期前半の集落跡と水田跡が検出され、朝鮮半島の土器が出土。

遺存状態の良い建材が検出できたお陰で忠実に復元できた高床式建物の扉は、興味深いことに内側から鍵が掛けられる仕組みになっており、中では秘密の「何か」が行われていたのだろう。

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水田跡

 

出土した建材を元に復元した高床式建物

 

 

 


遺跡&スポーツミュージアム

岡山市北区いずみ町2-19
086-255-7300
月曜休館(スタジアムのイヴェント時は休館)
9:00 ~ 16:30

津島遺跡から出土した遺物を展示している。ロビーには屋外に復元してある高床建物の部材が見つかった時の様子をレプリカで展示。なお、展示室自体が使用する素材やデザインなどに非常にこだわった作りになっている。

通常墳墓から出土する特殊器台・特殊壺と同様な土器が、津島遺跡では、集落に接した川の斜面から小破片として見つかったが、それを接合したレプリカの展示もある。

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ロビーにある倒壊した高床式建物の復元

 

集落内で見つかった「特殊な壺と器台」(復元)

  

 

35.5
矢藤治山古墳

黒住教本部から山の中を10分くらい歩くと到達するが、探訪時は1月だったのに墳丘の形が確認できない程に藪化していた。

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135
尾上車山古墳

おのうえくるまやまこふん

🅿なし
🚻なし

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120
中山茶臼山古墳

🅿なし
🚻なし

大吉備津彦命墓(おおきびつひこのみことのはか)として宮内庁が治定。

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150
神宮寺山古墳

🅿なし
🚻なし

岡山市内では珍しい沖積地にある大型前方後円墳。大きさは岡山県内で5位タイ。

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150
佐古田堂山古墳

🅿なし
🚻なし

説明板なし。大きさは岡山県内で5位タイ。

秀吉の高松城攻めの際は、仙谷秀久が陣を敷いたという。

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350
造山古墳

🅿あり
🚻あり

5世紀前半に築造された言わずと知れた全国で4番目に大きな超巨大前方後円墳。登れる古墳としては列島最大。

後円部墳頂が妙に平になっていて縁が土塁のようになっているのは、秀吉の備中高松城攻めの際、高松城の救援のために進軍してきた毛利輝元が本古墳に在陣したからである。その際、郭も造成しており、後円部の前方部側にある段々もその時に造られた。前方部も果樹園だったためかなり改変を受けている。

前方部墳丘上にある荒神社脇に置かれている石棺は、刳抜式長持形石棺で、熊本県宇土半島から産出する馬門石(ピンク石)とよばれる石材でできている。元々どこに
あったのかは不明だが、千足古墳の石室の件も考え合わせると、中期の頃に吉備と肥後に交流があったことが想起される。

従来は周溝は無かったと言われていていたが、最近では存在した可能性も考えられている。

ただし、周溝に関する考え方は研究者によって違い、墳丘周辺の水田の形状を見ると、後円部東側にはあった可能性が高いが、墳丘西側に関しては岡山大学が植生の調査に入ったが、今のところは不明。つまりは、あったとしても、一周していたかどうかは分からず、今後の調査の進展により明らかになるであろう。

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前方部にある刳抜式長持形石棺の身

 

前方部にある刳抜式長持形石棺の蓋

 

 

前方部から後円部を見る(平坦なのは果樹園だったため)

 

後円部から前方部を見る(城郭遺構としての腰郭の発掘調査中)

 

後円部墳頂から高松城方面を望む(赤い鳥居の奥が高松城跡)

 

 

 

 

北西側から見た造山古墳

 

岡山市埋蔵文化財センターにて撮影(東側の住宅地側は、現在一目で墳丘と分かる以上に墳丘が大きかったことがこの図で分かる)

 

 


榊山古墳(造山第1古墳)

造山古墳の国史跡としての正式名称は、「造山古墳 第一、二、三、四、五、六古墳」である。つまり、周囲にある6基の古墳も造山古墳と一緒に国史跡に指定されているわけだ。

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千足古墳から見る榊山古墳

 

『造山第2号古墳 付 伝・千足古墳出土遣物』(岡山市教育委員会/編)より転載

 

 


造山第4古墳

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千足古墳から見る造山第4古墳

 

 

81
千足古墳(造山第5古墳)

5世紀前半に築かれた帆立貝形古墳で、吉備における最古の横穴式石室を備える。石室は、筑肥型と呼ばれる福岡県南部や熊本県あたりをルーツとする造り方。

なお、5世紀前半に横穴式石室の導入は意外と早い感じがするが、その後造られなくなり、6世紀前半になると再び円墳に採用され、6世紀中葉には首長墓級の大型古墳(こうもり塚古墳)にも採用される。ただしその時には畿内の巨石墳と似た構造となる。

2023年から石室の見学ができるようになったが、造山古墳ビジターセンターの開館時間と同様、開いているのは10時から15時までで、月曜日は閉まっているので注意しよう。

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第1石室

 

第1石室

 

石障のレプリカ(岡山市埋蔵文化財センターにて撮影)

 

 

 

千足古墳から見る造山古墳前方部

 

造山古墳前方部から見る千足古墳

 

千足古墳から見る鬼ノ城

 

 


造山古墳ビジターセンター

岡山市北区新庄下789
月曜休館
10:00~15:00

造山古墳のガイダンス的施設。資料の販売がある。15時に閉まるので注意。

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142(DB)
小造山古墳

岡山市北区新庄上・総社市下林

🚻なし
説明板なし

岡山県で7番目に大きい前方後円墳。5世紀後半に作山古墳と同じかややあとに築造されたと考えられている。2段築成。埴輪あり。

所在地はテクノパーク総社という小さな工業団地の南側丘陵上。テクノパーク総社の南側にある(有)小川製作所の敷地の東隣に道路から森に入って行く道があるので、そこから入って行けばあとは古墳めぐりに慣れた人なら勘で2分くらい歩けば後円部の麓にたどり着けるだろう。後円部の墳丘が確認できたら、あとは適当な場所から登るだけだ。

ただし、9月終わりに探訪した時は森の中に張り巡らされた蜘蛛の巣に辟易したので、夏場に行くことはお勧めしない。

車は折敷山古墳北側に数台停められる駐車場があるのでそこに停めるとよい。そこから上述の古墳入口までは徒歩3分くらい。

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後円部墳頂から前方部を見る

 

前方部墳頂から後円部を見る

 

 

44.5~42.6
折敷山古墳

おしきやまこふん

5世紀後半に築造された岡山県最大の方墳。

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30
牟佐大塚古墳

むさおおつかこふん

岡山三大巨石墳の一つ。玄室内まで柵などは設けられていないが、2度訪れて2度とも石室内は池状態で、3度目の訪問の時にようやく玄室に入れた。石棺内にも入ることができる。

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石棺内

 

池状態時(2018年10月1日撮影)

 

 

 


吉備津彦神社

きびつじんじゃ

備前国一宮

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吉備津彦神社

きびつひこじんじゃ

備中国一宮

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惣爪塔跡

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岡山城

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岡山県古代吉備文化財センター

岡山市北区西花尻1325-3
086-293-3211
基本無休
9:00~17:00

岡山県内各地の旧石器時代以降の遺跡から出土した遺物を展示している。

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【うどん】うどんよしだ

岡山市北区牟佐1416
086-229-1187

牟佐大塚古墳のすぐ近くにあるが、初めてだとちょっと車を入れづらいかもしれないので近くなったら速度を落とそう。岡山市街から赤磐市方面へ向かう左手側だ。食券機の前で考え込んでしまうくらいメニューが豊富。

 
今まで食べたカレーうどんで最高レヴェルと感じた

 

【ランチ】ONE-GRAIN

岡山市北区立田45
086-287-4122

ヴォリュームたっぷりのランチが食べられる。店員さんは元気で親切。位置的には吉備津神社や岡山県古代吉備文化財センターなどに近いので、古代史探訪の際のランチにもお勧めだ。食べきれなくてもお持ち帰りケースを頂けるから心配ないぞ。

 
 豚カツ丼もなかなかのボリュームだ

 

【食事】桃太郎

岡山市北区吉備津915
086-287-5654

吉備津神社のすぐそばにある。看板メニューの桃太郎うどんは、食べているとどんどん美味しさが増してくる不思議な魅力のあるうどん。

 
 

 

【焼肉定食】めんどくサガリ屋 磨屋町店

岡山市北区磨屋町2-8 酒井ビル1階
086-227-1199

美味しい焼肉をリーズナブルな価格でお腹いっぱい食べたいときはここだ。岡山城に比較的近い場所にある。この近くのホテルに連泊した時は、2日連続で行ってしまった。他に下中野店もある。

 
 

 

 【うどん】うどん およべ 清輝橋店

岡山市北区岡南町1-8-26
086-239-2525

いろいろな種類のうどんがあるが、「つけめん坦々」は、絶妙な味のスープで、食べていながらも「また食べたい」と思った。それほど辛くはない。うどんは、讃岐系。2玉まで追加料金なしだ。

 
絶妙な「つけめん坦々」

 

【ホテル】岡山シティホテル厚生町

岡山市北区厚生町3-1-20
086-236-1000

岡山駅の徒歩圏ではないが、駐車場代が無料なので車移動の方にはとくにお勧め。1980円で夕飯ビッフェが食べられるので外に食べに行くのが面倒な時にも便利だし、朝飯には岡山木村屋のパンも良いぞ。もし、北側でさらに西寄りの部屋に泊まれたら新幹線と瀬戸大橋線の両方が良く見える素晴らしいトレインヴューが待っている。

 
 
1階には岡山木村屋が入っている
快速マリンライナー

 

 

岡山市中区

48.3
備前車塚古墳

三角縁神獣鏡が11面出たほか、画文帯神獣鏡と内行花文鏡がそれぞれ1面ずつ出土。

かなりの急斜面を直登していかなければならず、同行者の体力を考慮し断念。

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125(岡山市HP)
湊茶臼山古墳

🅿なし
🚻なし

説明板なし。住宅地に囲まれた山の頂上にある。

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165
金蔵山古墳(操山30号墳)

岡山市中区円山

操山にある前期末から中期初頭の頃に築造された大型前方後円墳で、岡山県で4番目に大きい古墳。5世紀前半に造山古墳が築造されるまでは、中国・四国・九州地方で最大の古墳だった。ほぼ北向き。前方部は2段築成で後円部は3段築成。埴輪、葺石あり。

後円部墳頂に埴輪列で方形に区画された下に中央と南の2基の石槨を検出。いずれも盗掘を受けていたが、中央石槨からは鍬形石・筒形銅器・鉄製武器類・玉類が出土するなど、見つかった遺物は多い。後円部墳頂に天井石1枚分開口しているのは南石槨。

また、東側くびれ付近には人の手によって加工された巨石で囲んだスペースがある。

出土遺物は、岡山市埋蔵文化財センターに展示しているが、倉敷考古館にはさらに豊富な展示がある。

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前方部から後円部を見る

 

前方部先端の段差

 

東側くびれ付近

 

 

 

操山31号墳

岡山市中区円山

31号墳を含めて、森の中に多くの古墳があるようだが散策路からは見えない。散策路自体、人が来ないようで蜘蛛の巣天国。

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操山古墳群の一基(名称不明)

岡山市中区円山

何号墳か分からない。

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奥の塚古墳

130基ほどある操山(みさおやま)古墳群の一基で操山公園里山センターの裏にあり石室が開口している

 

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操山公園里山センター

操山古墳群についてパネル展示などで詳しく説明しているため、操山古墳群を訪れるときは必ず立ち寄ろう

 

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唐人塚古墳

かろうとづかこふん

説明板無し

 

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幡多廃寺塔跡

 
 

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賞田廃寺跡

 
 
 

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備前国庁跡

 
 

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中世山陽道

 
 
 

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岡山市埋蔵文化財センター

 
 

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岡山市東区

138
浦間茶臼山古墳

2024年に駐車場がオープンした。

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岡山市南区


彦崎貝塚

岡山市南区彦崎

🅿なし
🚻なし

前期の羽縄文系土器である彦崎式土器の標式遺跡(命名者は山内清男)。縄文時代早期から晩期までの長期間に渡る遺構や遺物が検出された。貝塚は前期後半に最大規模となるが晩期中頃まで継続して形成された。出土した貝は、ハイガイやマガキが主体。縄文時代の明確な住居跡は未検出。

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岡山市灘崎歴史文化資料館

岡山市南区片岡186(灘崎文化センター内)
月曜休館
9:00~17:00

国史跡・彦崎貝塚から出土した遺物や展示パネルを中心に、旧灘崎町内から出土した考古遺物と民俗資料を展示。

施設には専門員は常駐していないが、その代わりに展示解説に力が入っていて、無料の資料も多く置いてある。岡山県の縄文時代について詳しく説明した資料館は少ないためとても貴重。学芸員の意気込みが感じられる素敵な資料館。

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勝央町(しょうおうちょう)

90
植月寺山古墳

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弘誓山観音寺

勝田郡勝央町植月東895
​0868-38-2488
公式HP

天台宗。植月寺山古墳の墳丘裾から表採された土器片などが保管されている。

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倉敷市


上東遺跡

じょうとういせき

倉敷市上東

弥生時代から古墳時代を中心とする集落遺跡。船溜まりを造作したような突堤の南側からは、9606 個の桃核をはじめとして、多数の土器や木製品が見つかっている。

突堤は、一般的には波止場状遺構と呼ばれるが、現地説明板や岡山県古代吉備文化財センターの展示では、波止場であると断定調で説明されている。ところが面白いことに、同センターの職員の間では、波止場とは考えられないという考えが多数派であることを職員から直接聴いた。展示とそこで働いている人の考えが同じでないことの一例であるが、研究者によって様々な考え方があるのだろう。詳しく知りたい場合は、平日に同センターに行って尋ねてみよう。

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遺跡から南を見る(前方に見える早島は古代はその名の通り島だった)

 

突堤は道路向かいのなかやま牧場の駐車場方向へ向けて延びていた

 

遺跡から北東側を見る

 

現地説明板

 

岡山県古代吉備文化財センターにて撮影

 

岡山県古代吉備文化財センターにて撮影

 

左は上東出土、右は上東遺跡出土(倉敷考古館にて撮影)

 

 

72
楯築遺跡(墳丘墓)

たてつきいせき(ふんきゅうぼ)

倉敷市矢部

2世紀に築造された吉備の王墓。以前は2世紀後半の築造と言われていたが、最近では弥生土器の実年代の考え方が早まったことにより、2世紀の中でも早い時期と考えられるようになった。出雲の西谷墳墓群と並んで、弥生墳丘墓の頂点に君臨する。

墳丘の形状は双方中円形で全長は 72mとも80mとも言われる。給水塔が建てられたりして方丘部は破壊されたが、円丘部は残っている。そこには不思議な立石が並んでいるが、いつ立てられたものかは不明。そして、さらに不思議なものとして、元々ここの楯築神社(今は鯉喰神社に合祀)の御神体として祀られていた旋帯文石(弧帯文石)がある。現在は墳頂の祠の中にはなく、遺跡に立つ大きな収蔵庫の中に収められており、窓からチラッと見ることができ、東京国立博物館平成館でレプリカを見ることができる。それがいつから祀られていたのかは分からないが、楯築墳丘墓を発掘した際に、それに類するものがバラバラに破壊された状態で出土したため、御神体の弧帯文石も弥生時代後期のものであると推測される。

主体部は、木棺の周りを木槨で囲んだ木槨木棺墓といわれる構造になっており、木棺があった底の部分に大量の朱が堆積していた。総重量は32㎏以上といわれており、異常な量である。見つかった副葬品は、鉄剣1口と玉類が3連のみ。これを研究者によっては貧弱と言ったり豪勢と言ったりしている。歯の小破片が2つ見つかったが、分析できる程の良好な状態のものではなかった。

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旋帯文石

せんたいもんせき

倉敷市矢部

楯築遺跡の項で説明した旋帯文石が祀られている。建物の両側に一つずつ窓があり、そこから旋帯文石を拝むことができる。

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旋帯文石のレプリカ(東京国立博物館 平成館にて撮影)

 

 


鯉喰神社弥生墳丘墓

こいくいじんじゃやよいふんきゅうぼ

倉敷市矢部109

楯築墳丘墓の北西数百メートルの場所に築造された墳丘墓で、鯉喰神社の社殿が載っている。

40m×32mほどの方形と考えられているが、突出部があった可能性もある。

築造時期は、楯築墳丘墓のあとと考えられている。旋帯文石は、楯築墳丘墓以外ではここでしか見つかっていない。

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黒宮大塚1号墓

倉敷市真備町尾崎

弥生時代末の墳丘墓。昭和52年に倉敷考古館が発掘調査をした際に特殊器台が出土し、倉敷考古館に展示してある。その後、平成31年には倉敷市が測量調査をし、従来は前方後方形と考えられていた墳丘は、2基の別個の弥生墳丘墓であることが判明した。

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黒宮大塚2号墓

倉敷市真備町尾崎

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王墓山古墳群

楯築墳丘墓に隣接して、8基の古墳があり、壊れた状態の横穴式石室を見ることができる。

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38
二万大塚古墳

倉敷市真備町下二万

6世紀中頃から後期の頃に築造された前方後円墳。全長9.1mの両袖式の横穴式石室を備える。横穴式石室を備えた前方後円墳としては、吉備では最古段階。現在は石室開口部は埋まっている。

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or 28
王墓山古墳

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画文帯仏獣鏡(東京国立博物館平成館にて撮影)

 

 

54
箭田大塚古墳

やたおおつかこふん

🅿あり
🚻あり

6世紀後半に築造された径54mの大型円墳で、下道氏の墳墓と考えられている。岡山県三大巨石墳のひとつで石室の全長は19.1mあり、全国的に見てもトップクラスの長さ。

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駐車場の観光案内図には吉備真備が大きく描かれている

 

 


阿智神社

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鯉喰神社

こいくいじんじゃ

倉敷市矢部109

楯築墳丘墓の上に建っている。祭神は、夜目山主命、夜目麻呂命、狭田安是彦、千田宇根彦。

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倉敷考古館

倉敷市中央1-3-13
086-422-1542
月~木曜休館
10:00~15:00

倉敷美観地区内にある江戸時代の土蔵作り米倉を改装した施設。そのため、建物自体も古風でよいが、倉敷考古館は発掘調査も行っており、吉備の多様な考古遺物を見ることができる。

岡山県内ではあまり見ることのできない貴重な縄文土器も完形で展示しており、古墳時代の展示では、金蔵山古墳の遺物展示が群を抜いて豊富。

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総社市

38
宮山墳丘墓

総社市三輪(百射山神社の裏山なので神社を目標に行くと良い)

🅿あり
🚻あり

宮山墳墓群の被葬者たちを束ねたであろう人物の墓。前方後円形をしており、主体部からはは中国製の鏡や武器類、それにガラス小玉などが出土。

宮山墳丘墓に立てられていたと考えらえている特殊器台は、宮山型と呼ばれるが、不思議なことに吉備では他に見つからず、箸墓古墳などの奈良の古い古墳で見つかっている。

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主体部は埋められている

 

 

 

宮山型特殊器台のレプリカ(総社市埋文学習の館にて撮影)

 

 


宮山墳墓群

弥生時代後期から古墳時代初頭にかけて造営された墳墓群。箱式石棺や土壙墓、それに特殊器台を棺に転用した特殊器台棺を埋葬した集団墓が展開している。

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奥に見えるのが宮山墳丘墓

 

一つひとつプレートが設置されている

 

丘陵の先端部分

 

 

 

70+
一丁ぐろ1号墳

総社市秦

4世紀前半に築造された前方後方墳。葺石あり。

一丁ぐろ古墳群として、33基の古墳が見つかっており、吉備にしては異質な状況としては、そのほとんどが方墳であるということだ。

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埋葬施設に使用された石材も混ざっている

 

墳丘からの眺め

 

 

 

 

17×16
一丁ぐろ2号墳

総社市秦

2号墳から5号墳までアイコンは赤色にしているが、築造時期の確認は取れていない。

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10×11.5
一丁ぐろ3号墳

総社市秦

2号墳から5号墳までアイコンは赤色にしているが、築造時期の確認は取れていない。

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17×15
一丁ぐろ4号墳

総社市秦

2号墳から5号墳までアイコンは赤色にしているが、築造時期の確認は取れていない。

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8×9
一丁ぐろ5号墳

総社市秦

2号墳から5号墳までアイコンは赤色にしているが、築造時期の確認は取れていない。

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282
作山古墳

総社市三須

🅿あり
🚻あり

5世紀中頃に築造された吉備で2番目の大きさを誇る巨大古墳。全国では10位。前方部・後円部ともに 3 段築成で、北側にのみ造出を備える。葺石・埴輪あり。

ナチュラル墳で、木々が生えていて見通しが悪いが、歩いていると巨大さを実感できる。冬場に行けば、造出の形状などが少し分かりやすい。

前方部側は元々あった丘と切断して墳丘を形作っているが、その方面は岩が固く造作が困難であったようで、前方部底辺の段築を平行かつ直線的に仕上げることができていない。

ジオラマや出土した遺物は、総社市埋蔵文化財学習の館に展示されている。

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上段テラス

 

前方部墳頂から北側側面を見下ろす

 

後円部墳頂

 

後円部から前方部を見下ろす

 

2023年設置された新しい説明板

 

 

100
こうもり塚古墳

6世紀後半に築造された前方後円墳。葺石や埴輪は見つかっていない。岡山三大巨石墳のひとつ。横穴式石室の全長は19.9m あり、全国でも有数の長さ。石室の奥までは入れないが、玄室に波形石と呼ばれる井原市近辺で取れる貝殻石灰岩で造られた石棺が安置されているのが確認できる。

出土した陶棺の破片などの遺物は、岡山県古代吉備文化財センターに展示されている。

岡山県古代吉備文化財センター制作の動画(YouTubeへリンク)

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5
風水古墳

7世紀末葉に築造された方墳。現地で見ても墳丘は確認できず、終末期古墳にありがちな山寄型のため確認できないのかもしれない。 

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備中国分寺跡

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備中国分尼寺跡

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鬼ノ城(鬼城山)

きのじょう(きじょうざん)

古代山城のうち神籠石系山城に分類される。すなわち、遺構はバッチリ残っているのに一切の記録がない古代山城である。

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総社市鬼城山ビジターセンター

総社市黒尾1101-2
0866-99-8566
月曜休館
9:00~17:00

鬼ノ城のガイダンス施設。鬼ノ城や各地の古代山城について、ジオラマやパネルで詳しく解説している。

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百射山神社

ももいやまじんじゃ

総社市三輪1347

創建年代は不詳。祭神は大山祇命。大山祇命の裔・五田守国勝長狭命(ごたのかみくにかつながさのみこと)と宇津命(うつのみこと)が、水軍を率いて吉備の島々の賊を平定し、滞在地の百射之山島(福山)に御祖神・大山祇命を奉斎したのが始まりという。

福山というのは、倉敷、清音、山手にかかる標高302mの山。南北朝時代の福山合戦(1336年)で社殿を焼失。後に隣山の幸山(こうやま)に遷座、寛文12年(1672)には藩主池田光政の命により現在の宮山の麓へ移され今日に至っている(岡山県神社庁ホームページを参照)。

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総社市埋蔵文化財学習の館

総社市南溝手265-3
土日祝休館
9:00~16:00

総社市内の遺跡から出土した遺物を展示しており、弥生土器や埴輪の展示が多い。また、鬼ノ城については職員手作りの凝ったジオラマがある。

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津山市


沼遺跡

 
 

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津山弥生の里文化財センター

津山市沼600-1
0868-24-8413
公式HP

 
 

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83
美和山1号墳

 
 
 
 
 

1期
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40
美和山2号墳

 
 

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40
美和山3号墳

 
 

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17
美和山6号墳

 

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津山郷土博物館

津山市山下92
0868-22-4567
公式HP

 
 
 

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