最終更新日:2022年12月13日
※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。
目次
出雲市

荒神谷遺跡
こうじんだにいせき
1984年に358本の銅剣が発見され、古代出雲の凄さが文献だけでなく考古遺物によって具体的に証明された記念すべき遺跡。
発掘現場は対岸のデッキから見学できるようになっている。
荒神谷博物館よりも奥の方にあるので、車で来た場合は、博物館の隣の駐車場を利用しよう。




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荒神谷博物館
斐川町神庭873-8
0853-72-9044
公式HP
火曜日休館
9時~17時
荒神谷遺跡について詳しく紹介した博物館。展示してある銅剣の実物は、出雲大社の隣にある古代出雲歴史博物館にあるため、そちらもあわせて見学するとよい。
この施設では荒神谷遺跡が発見された経緯や、最初の発掘の時のフィーバーぶりなどを紹介したビデオを見ることができて必見。
書籍を始めとしてグッズも販売する小さなミュージアムショップもある。

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50
西谷2号墓
西谷墳墓群のよすみのなかで、現在「西谷墳墓群史跡公園 出雲弥生の森」で見られるものには、1号墓、2号墓、3号墓、4号墓、6号墓があり、近くの三谷神社の境内で9号墓を見ることができる。
各よすみの築造順を『西谷3号墓発掘調査報告書 本文編』(島根大学考古学研究室・出雲弥生の森博物館/編・2015)を参照して述べると以下の通りとなる。
弥生後期後葉(草田3期)の間に、3号墓第 4 主体、続いて3号墓 第1主体、そして、2号墓(第2主体)の埋葬が行われた。
1号墓の築造は3号・2号と同じころ(草田3期)。
4号は2号よりも新しく草田4期、6号墓はさらに新しく草田5期。
9号墓は複合口縁壺が出土しておらず時期決定は難しいが、草田4~5期と推定。
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50
西谷3号墓
西谷墳墓群形成の端緒となったよすみ。
弥生後期後葉(草田3期)に、第 4 主体部が初葬となり、つぎに第1主体部に埋葬が行われた。
3号墓の被葬者は、吉備の楯築墳丘墓の被葬者と同じ時代に生きた。
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西谷9号墓
三谷神社の駐車場を利用可能
西谷墳墓群のよすみの中で最大規模を誇り、現状は三谷神社の社殿が載っている。4つの突出部のなかで、社殿奥左側の突出部のみ藪の中にその姿を見ることができる。
築造時期を決定する遺物の出土はないが、西谷墳丘墓の首長墓の中では最後の築造と推定され、その時期は2世紀末だと考えられる。
境内にはとても詳しい説明板が設置してあり歴史への熱い思いを感じる。
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島根県立 古代出雲歴史博物館
大社町杵築東99-4
0853-53-8600
公式HP
9時~18時
第3火曜日休館
一般620円
大学生410円
古代出雲について紹介した博物館で、古代出雲大社の社殿の想定復元モデルの展示があり、出雲国風土記に関する展示解説も豊富。
国宝である荒神谷遺跡の銅剣と加茂岩倉遺跡の銅鐸の実物が展示してあり、358本の銅剣に関しては、すべて金ぴかの復元品も一緒に並べてあり圧巻。
ミュージアムショップは書籍類も充実しており、過去の展示図録も販売されているため、予算をふんだんに準備して臨もう。
ちゃんと見たければ最低でも2時間は必要。




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旧大社駅


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雲南市

加茂岩倉遺跡
荒神谷遺跡での世紀の大発見から12年後の1996年、今度はこの地で道路建設中に銅鐸39個が見つかり、出雲の古代史への注目がさらに高まった。荒神谷遺跡と並んで弥生時代の出雲における二大遺跡。
加茂岩倉遺跡ガイダンスの横の駐車場の利用をお勧めするが大型バスの場合は、そこへ行くのにテクニックが必要なため下の駐車場の方が無難。

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加茂岩倉遺跡ガイダンス
加茂町岩倉837-24
0854-49-7885
展示してある銅鐸の実物は出雲歴史博物館で展示してあり、こちらはレプリカであるが、落ち着いて観察するにはむしろこちらの方がいいだろう。もちろん、出雲歴史博物館も併せて見学して欲しい。
遺跡発見当時のビデオが数種あり、その中の一編では佐原真氏などが銅鐸について議論を交わしており興味深い。


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20191026C
20201114C
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50
松本1号墳
麓に駐車場があり、そこから2~3分ほど山を登ると2号墳の前面に到達するが、乗用車であれば3号墳近くまで車で登ることができる
3期
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7
松本4号墳

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29×25
神原神社古墳(移築)
赤川土手上の道のわきに車1台分のスペースあり
景初三年(239年)銘の三角縁神獣鏡が出土した方墳で、邪馬台国の問題と絡めて考えると非常に興味深い
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大田市
松江市
24
岡田山1号墳
10期
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20191027C
20201115C
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44
岡田山2号墳
前期末~中期頃(説)
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20191027C
20201115C
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94
山代二子塚古墳
山代・大庭古墳群
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20191027C
20201115C
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山代原古墳
山代・大庭古墳群
以前は永久宅後古墳と呼ばれていた
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ガイダンス山代の郷
松江市山代町470-1
公式HP
山代二子塚古墳の北側にも駐車場があるが、こちらに停めて周辺の遺跡を散策するのが良い
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20201115C
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出雲国府跡








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古道
出雲国分寺の南門から南に延びる幅6mの石敷道で、出雲国分寺跡とともに国指定史跡になっている

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出雲国分尼寺跡

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出雲風土記の丘 展示学習館
松江市大庭町456
0852-23-2485
公式HP






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安来市
50
造山2号墳
造山古墳群
(史跡名称は荒島古墳群)
「古代出雲王陵の丘」という総称で、複数の地区のよすみや古墳が整備されているが、全体像がつかみづらい。
その理由の一つとして、通称や公園名で呼んでいる名前と国史跡としての名前が違うところがあげられる。
また、考古学的な縛りのために弥生墳墓は、「〇号墓」、古墳は、「〇号墳」というように呼び名を分けているため、初心者には意味が分かりづらい。いっそのこともう全部古墳と呼んだらいいのではないかと思う時もあるが、学問的には弥生時代と古墳時代は明確に分けるべきなので仕方がないだろう。
「古代出雲王陵の丘」の全体像を掴むにはまずは造山公園を訪れることをお勧めする。
造山公園のある場所は造山古墳群と呼ばれているが、現状では前方後方墳の2号墳と方墳の3号墳、4号墳のみ見学できる状態になっている。ただし、2号墳から3号墳へ行くには降り道を3~4分くらい歩く必要があるため、戻ってくるときは当然登り道になる。
60mの方墳である1号墳は見学できず残念。
説明板は多数設定されているが、かなり劣化が進んでおり読めないものもある。
最高所にある2号墳からの眺望は素晴らしいので、麓の駐車場から頑張って登ろう。
眼下には山陰本線が通っており、どうやら鉄道の撮影にも適しているようだ。
9期
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13
造山4号墳
造山古墳群

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25×20
塩津山1号墳
塩津山墳墓群
(史跡名称は荒島古墳群)
よすみ築造の時代が終了し、いよいよ古墳時代に突入という時期に造られた方墳であるが、葺石ではなく貼石を備え、まだよすみの影響が残っている面白い方墳。
なお、貼石はその名の通り表面にペタペタと石を貼っていくイメージで重ねは1枚のみ。一方葺石は、古墳時代の用語として定着しているため、表面に石を1枚貼るだけでもそう呼ばれるが、中には数段の石積みのようになっているものもあり、奈良の中山大塚古墳では90㎝の厚さの葺石が確認されている。
紛らわしいが、近くには塩津1号墓という県史跡のよすみがあり、安来地方では最大の40mの規模を誇る。
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宮山Ⅳ号墓(宮山4号墳)
宮山墳墓群
(史跡名称は仲仙寺古墳群)
弥生時代に築造された「よすみ」の宮山Ⅳ号墓の上に、4号墳が築造されおり、復元は宮山Ⅳ号墓の状態が分かるようになされている。
丘ごと完全消滅した1号墳は57mの前方後方墳で、この地域では大型の部類に入るため消滅が惜しまれる。
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27×22.5m
仲仙寺9号墓
仲仙寺墳墓群
(史跡名称は仲仙寺古墳群)
仲仙寺の丘の上には、8基の方墳と4基の円墳、それに3基のよすみが確認されている。
9号墓の築造時期は、現地説明板では3世紀と書かれているが、2世紀に上がると考えられる。
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