最終更新日:2024年5月6日

 ※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
 ※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。

 

目次

出雲市

雲南市

松江市

安来市

 

 

出雲市


砂原遺跡

すなはらいせき

出雲市多伎町多岐135-1(道の駅 キララ多伎)

🅿なし(道の駅を使うと良い)
🚻なし(道の駅を使うと良い)

私たちではない人類、つまりホモサピエンスではない人たちの遺跡の候補の一つ。ただし、考古学会としては、ホモサピエンスが日本列島にやってきた約4万年前より前には日本列島には人はいなかったとするのが一般的で、研究者個人として、その可能性を追求している人が多い。

遺跡は、道の駅キララ多岐から国道9号線を挟んだ向かいにあるホテル小田北東側。現地に行くことはできないので、道の駅から望見して、周囲の地形を確認しよう。

砂原遺跡から出土した礫器(礫で作った石器)は12万年前のものとされるが、研究者によって見解が分かれる。松藤和人氏は大いに肯定的だが、ホモサピエンス以前の日本人の存在を明確に認める竹岡俊樹氏は、長崎県・入口遺跡の礫器とともに、当遺跡から出土した礫器は明確な偽石器としている。

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道の駅 キララ多伎

 

道の駅 キララ多伎

 

道の駅 キララ多伎

 


猪目洞窟遺物包含層

いのめどうくついぶつほうがんそう

出雲市猪目町1338

🅿なし
🚻なし

『出雲國風土記』記載の「黄泉の穴」比定地。夢でこの洞窟に訪れると死ぬと言われている。

縄文中期の土器が見つかっているが、弥生時代から古墳時代後期までの生活痕と埋葬の形跡が主たるものである。

人骨が13体以上見つかり、ゴホウラ製貝輪を装着した弥生人骨も見つかっている。

洞窟は、幅、奥行きともに30mほどある。

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青木遺跡

あおきいせき

出雲市東林木町

🅿なし
🚻なし

弥生時代から近世初頭にかけての複合遺跡。

青木4号墓は、弥生時代中期後葉に築造されたよすみで、島根県では最古。ただし同じ頃、広島県三次市では9基ほどのよすみがみつかっている。

弥生時代の土壙墓などから11体分の人骨が出土したが、その1体の頭部付近から近畿式銅鐸の破片が見つかった。銅鐸片を副葬品とした一例である。

20240422A

 

 

 

滅亡状態

 

井戸の表示

 

 

奈良・平安時代の掘立柱建物跡の表示

 

 


荒神谷遺跡

こうじんだにいせき

出雲市斐川町神庭

🅿荒神谷博物館にあり
🚻荒神谷博物館にあり

1984年に358本の銅剣が発見され、その直後にはさらに銅鐸6個と銅矛16本が見つかり、古代出雲の奥ゆかしさが神話だけでなく考古遺物によって具体的に証明された記念すべき遺跡。

銅剣・銅鐸・銅矛の三種の青銅器が同じ場所から見つかった遺跡は荒神谷だけだ。

発掘現場は対岸や側面のデッキから見学できるようになっている。

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リニューアル後(2024年4月20日)に撮影

 

 

 

 

 

出土した銅剣と銅矛(古代出雲歴史博物館にて撮影。なおこの日はすべて実物だった)

 


荒神谷博物館

出雲市斐川町神庭873-8
0853-72-9044
公式HP

火曜日休館
9時~17時

🅿あり
🚻あり

荒神谷遺跡について詳しく紹介した博物館。青銅器全般についての詳しいパネル展示があり、遺跡発見のきっかけとなった須恵器片も展示してある。

荒神谷での青銅器埋納状況の模型があり、間近で詳細に確認することができる。銅剣の向きは最初同じ方向を向いていたが、そのうち互い違いに納めて収納スペースを節約した様子も分かる。

また、荒神谷遺跡が発見された経緯や、最初の発掘の時のフィーバーぶりなどを紹介したビデオを見ることができて必見。

展示してある青銅器はレプリカ。実物は出雲大社の隣にある古代出雲歴史博物館にあるため、そちらもあわせて見学するとよい。

書籍を始めとしてグッズも販売する小さなミュージアムショップもある。

 

 

 


西谷1号墓

2020年11月14日撮影
2020年11月14日撮影

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20201114C
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50
西谷2号墓

西谷墳墓群のよすみのなかで、現在「西谷墳墓群史跡公園 出雲弥生の森」で見られるものには、1号墓、2号墓、3号墓、4号墓、6号墓があり、近くの三谷神社の境内で9号墓を見ることができる。

各よすみの築造順を『西谷3号墓発掘調査報告書 本文編』(島根大学考古学研究室・出雲弥生の森博物館/編・2015)を参照して述べると以下の通りとなる。

弥生後期後葉(草田3期)の間に、3号墓第 4 主体、続いて3号墓 第1主体、そして、2号墓(第2主体)の埋葬が行われた。

1号墓の築造は3号・2号と同じころ(草田3期)。

4号は2号よりも新しく草田4期、6号墓はさらに新しく草田5期。

9号墓は複合口縁壺が出土しておらず時期決定は難しいが、草田4~5期と推定。

2018年10月3日撮影
2018年10月3日撮影
2018年10月3日撮影
2018年10月3日撮影
2022年5月28日撮影
2022年5月28日撮影

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50
西谷3号墓

西谷墳墓群形成の端緒となったよすみ。

弥生後期後葉(草田3期)に、第 4 主体部が初葬となり、つぎに第1主体部に埋葬が行われた。

3号墓の被葬者は、吉備の楯築墳丘墓の被葬者と同じ時代に生きた。

 
 
 
 
 
2022年5月28日撮影

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西谷番外3号墓

 
 

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40
西谷4号墓

 
 

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西谷5号墓

 
 

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20181027C
20191026C
20201114C
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西谷6号墓

 
 

20181003


西谷17号墓

 
 

20181003
20181027C
20191026C
20201114C
20220528A
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西谷横穴墓群 第2支群

 
 

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西谷横穴墓群 第3支群

 
 

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西谷9号墓

🅿三谷神社の駐車場を利用
🚻なし

西谷墳墓群のよすみの中で最大規模を誇り、現状は三谷神社の社殿が載っている。4つの突出部のなかで、社殿奥左側の突出部のみ藪の中にその姿を見ることができる。

築造時期を決定する遺物の出土はないが、西谷墳丘墓の首長墓の中では最後の築造と推定され、その時期は2世紀末だと考えられる。

境内にはとても詳しい説明板が設置してあり歴史への熱い思いを感じる。

 
 
 
 
 
 
 

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92
今市大念寺古墳

いまいちだいねんじこふん

出雲市今市町1696

🅿大念寺にあるかもしれないが未確認
🚻線路高架側に公衆トイレがある

6世紀後半に築造された前方後円墳で、出雲では山代二子塚古墳と並び最大級の古墳。

石室は玄室・前室・羨道からなる複室構造で全長約11m以上あり島
根県内では長大な部類に入る。

玄室と前室にそれぞれ出雲独特の横口式家形石棺が安置され、玄室の物は国内最大級の石棺で、石棺内に入ることができる。石棺内は宴会ができるくらい広い。

前室の石棺はほぼ壊滅状態でわずかに形跡を残すのみ。

なお、横穴式石室の入口は基本的に施錠されている。最近は開いていることが多いようだが、原則としては、出雲市文化財課に連絡して開けてもらう。

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46
上塩冶築山古墳

かみえんやつきやまこふん

出雲市上塩冶町264

🅿あり
🚻なし

6世紀後半に築造された径46mの円墳で周溝を含めた直径は77mを越える。

横穴式石室の全長は14.6mで山陰で最長。玄室には大小2基の家形石棺が置かれ大石棺はとくに巨大で中に入ることができる。豪華な副葬品が見つかったことでも有名。

写真の騎馬像は、出土遺物を基に再現したもので、冠が見つかっていることが特筆される。

なお、横穴式石室の入口は基本的に施錠されており、原則としては、出雲市文化財課に連絡して開けてもらう。

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古代出雲歴史博物館にて撮影

 


築山古墳群

出雲市上塩冶町264(上塩冶築山古墳)

🅿あり(上塩冶築山古墳)
🚻なし

上塩冶築山古墳の周囲では7基の古墳が見つかっている。古墳は残っておらず、上塩冶築山古墳の駐車場に説明板があるのみ。

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15
上塩冶地蔵山古墳

かみえんやじぞうやまこふん

築山古墳群

🅿なし
🚻なし

今市大念寺古墳、上塩冶築山古墳に続いて首長墓として7世紀前半に築造されたと推定。

現状は15mの方墳状だが、本来の形状や大きさは不明。

石室は玄室・前室・羨道からなる複室構造で全長約8m。玄室には横口式家形石棺が直交して置かれており、地元の方の信仰の場となっている。

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上島古墳

駐車スペースあり

 
 
 
 
 

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国富中村古墳

駐車スペースあり

 
 
 

20240422A


宝塚古墳

たからづかこふん

🅿あり
🚻なし

規模・形状不明。葺石はない。円筒埴輪あり。

玄室長は3.6mで、横口式家形石棺が安置されている。

20240421

 

 

 

49
妙蓮寺山古墳

みょうれんじやまこふん

🅿妙蓮寺にあり
🚻なし

6世紀後半の築造。円筒埴輪を検出。玄室には家形石棺が安置されている。築造時期は、出土遺物から今市大念寺古墳と同じ頃と推定。

玄門の閉塞は板石を観音扉状に起き、円柱状の石で閉塞するという極めて珍しい形態。

なお、古墳は妙蓮寺の墓地を抜けた場所にあってちょっと分かりづらい。墓地の上の山ではないので注意。

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放れ山古墳

はなれやまこふん

🅿なし
🚻なし

埴輪・葺石なし。石室全長約5.3m。単室構造。玄室に石棺はなく、石床が設けられている。

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大梶古墳

おおかじこふん

🅿あり
🚻なし

墳形不明。石棺式石室の下部らしきものが展示してある。

20240422

 

 

 


塚山古墳

つかやまこふん

🅿なし
🚻なし

20240422

 

 

 


小坂古墳

こさかこふん

🅿なし
🚻なし

切石積みの石室は全長5.4m。長さ2.2mの玄室内に石櫃が安置されている。生の石櫃が見られる古墳は珍しい。

石櫃があるということは火葬が行われていたということだが、通常石櫃を置く7世紀後半には、昔ながらの横穴式石室は作らず、石槨のようなものを作るがここはちゃんと石室を造っている。

蕨手刀(奈良・平安時代)が見つかっているというのも興味深い。

いろいろ不思議な古墳。

20240424A

 

 

 

 


出雲大社

いずもたいしゃ

大社町杵築東195
0853-53-3100
公式HP

🅿あり
🚻あり

言わずと知れた我が国で最も著名な神社の一つ。

祭神の大国主は、様々な別名を持っていて複雑極まりない。国主(くにぬし)というのは古墳時代の列島各地にいた王の尊称。つまり、大国主は王のなかの王なのである。

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三本組柱の表示(宝治2年<1248>造営の本殿の可能性が高いとされているが、この柱の構造だけでは高さは推定できない)

 

画像は加工しています

 


稲佐の浜

いなさのはま

🅿あり
🚻あり

神在祭(かみありさい)の初日の夜、列島各地から集まった神々は、稲佐の浜に上陸する(神
迎祭<かみむかえさい>)。

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屏風岩

びょうぶいわ

🅿なし
🚻なし

大国主が高天原から派遣されてきたタケミカヅチを迎えて交渉に及んだ場所。

交渉の結果、大国主は天孫族に国を譲り政治の舞台から降りることになった。

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伊那西波岐神社

いなせはぎじんじゃ

出雲市大社町鷺浦102

🅿あり
🚻あり

出雲大社摂社。『出雲国風土記』記載。延喜式内社。祭神の稲背脛命(いなせはぎのみこと)は、天
穂日命(あめのほひのみこと)の御子神。

国譲りの交渉時、大国主は美保関で猟漁中の事代主に稲背脛命を遣わせて呼び戻した。

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日御碕神社

ひのみさきじんじゃ

出雲市大社町日御碕455

🅿あり
🚻あり

『出雲国風土記』に「美佐伎社」として現れる神社。日御碕神社は、下の本社・日沉宮(ひしずみのみや)と上の本社・神の宮(かむのみや)との総称。

日沉宮の祭神はアマテラス、神の宮の祭神はスサノオ 。

江戸初期に建てられた社殿群は、境内に14棟と2基の鳥居からなり、それらは国の重要文化財に指定されている。両宮の建物は似た造りだが、日沉宮の方が一回り大きく造られている。

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下の本社・日沉宮

 

下の本社・日沉宮

 

上の本社・神の宮を見上げる

 

上の本社・神の宮

 

上の本社・神の宮

 

上の本社・神の宮から境内を見下ろす

 

 


隠丘神社

かくれだけじんじゃ

出雲市大社町日御碕

🅿あり(日御碕灯台駐車場を利用)
🚻あり(日御碕灯台駐車場トイレを利用)

日御碕神社の神の宮の元宮とされている。出雲の国を造ったスサノオが、根の国(黄泉国)で「吾
が神魂はこの柏葉の止まる所に住まん」と柏の葉を投げて占ったところ、柏葉は隠丘神社背後の隠ヶ丘に舞い落ちた。その後、スサノオ五世の孫である天葺根命(あめのふきねのみこと)がスサノオを奉斎。

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長浜神社

ながはまじんじゃ

🅿あり
🚻未確認

20240422A

 

 

 


韓竈神社

からかまじんじゃ

出雲市唐川町字後野408

🅿あり
🚻あり

延喜式内社。『出雲国風土記』記載の「韓銍社(からかまのやしろ)」に比定。「カマ」は、溶鉱炉を意味するとの説がある。

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岩船

いわふね

スサノオが新羅から渡ってきた際の乗船といわれている大岩。

韓竈神社の登り口の鳥居の先にある。

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鰐淵コミュニティセンター

韓竈神社の御朱印はこちらでいただける。

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宇美神社

うみじんじゃ

出雲市平田町宮ノ町688-1

祭神は事解男命(ことさかおのみこと)で、縁切の神社として信仰されているが、同時に縁結びのご利益もあるという。

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阿須伎神社

あすきじんじゃ

出雲市大社町遙堪

『出雲国風土記』に記載されている神社。主祭神は、阿遅須伎高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)。

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三谷神社

さんたにじんじゃ

西谷9号墓の墳丘上に社殿がある。

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比布智神社

20240420

 

 


妙蓮寺

みょうれんじ

境内墓地の先に妙蓮寺山古墳がある。

20240421

 

 


出雲日御碕灯台

いずもひのみさきとうだい

出雲市大社町日御碕1478

🅿あり
🚻あり

明治36年に設置された石造灯台で、海面から灯塔の灯火までは63.3m、地上から塔頂までは、
43.65m あり、石造灯台としては日本一高い。国の重要文化財に指定されている。

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出雲日御碕 灯台資料展示室

🅿あり
🚻あり

灯台の麓にある無料・無人の展示室。灯台の歴史や豆知識について解説しており、列島各地の灯台について知ることができる。

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旧大社駅

 
 

20191026C


出雲弥生の森博物館

大津町2760
0853-25-1841
公式HP

西谷墳墓群について大型ジオラマを交えて詳しく解説しているほか、出雲市内の考古遺物の展示があり、とくに古墳について詳しく知ることができる。

定期的に企画展を開催しており、毎回興味深い展示でとても面白いミュージアム。

無料のパンフレット類も大量に入手できる。

 
2022年5月28日撮影
 

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島根県立 古代出雲歴史博物館

大社町杵築東99-4
0853-53-8600
公式HP

9時~18時
第3火曜日休館
一般620円
大学生410円

古代出雲について紹介した博物館で、古代出雲大社の社殿の想定復元モデルの展示があり、出雲国風土記に関する展示解説も豊富。

国宝である荒神谷遺跡の銅剣と加茂岩倉遺跡の銅鐸の実物が展示してあり、358本の銅剣に関しては、すべて金ぴかの復元品も一緒に並べてあり圧巻。

ミュージアムショップは書籍類も充実しており、過去の展示図録も販売されているため、予算をふんだんに準備して臨もう。

ちゃんと見たければ最低でも2時間は必要。

 
2022年5月28日撮影
2022年5月28日撮影
2022年5月28日撮影

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20201114C
20220528A
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雲南市


加茂岩倉遺跡

かもいわくらいせき

🅿ガイダンスにあり(麓にもあるが登ってくるのがちょっと大変)
🚻ガイダンスにあり

荒神谷遺跡での世紀の大発見から12年後の1996年、今度はこの地で道路建設中に銅鐸39個が見つかり、出雲の古代史への注目がさらに高まった。

現地では遺跡発見当時の状況をレプリカを使って再現している。

加茂岩倉遺跡ガイダンスの横の駐車場の利用をお勧めするが、大型バスの場合は、そこへ行くのにテクニックが必要でドライバーによっては嫌がるため麓の駐車場に停めてもらうのが無難。

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埋納抗のうち辛うじて破壊を免れた部分

 

 

第一発見者によって一か所にまとめておかれていた時の状況

 

 

隣では何も納められていない土坑も見つかっている

 

 

 


加茂岩倉遺跡ガイダンス

かもいわくらいせき

加茂町岩倉837-24
0854-49-7885

🅿あり(麓にもあるが登ってくるのがちょっと大変)
🚻あり

展示してある銅鐸の実物は出雲歴史博物館で展示してあり、こちらはレプリカであるが、落ち着いて観察するにはむしろこちらの方がいいだろう。もちろん、出雲歴史博物館も併せて見学して欲しい。

遺跡発見当時のビデオが数種あり、その中の一編では在りし日の佐原真氏が銅鐸について議論を交わしており興味深い。

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2022年5月28日AICT探訪時

 

50
松本1号墳

麓に駐車場があり、そこから2~3分ほど山を登ると2号墳の前面に到達するが、乗用車であれば3号墳近くまで車で登ることができる

2018年10月3日撮影
2022年5月28日撮影
2022年5月28日撮影
2022年5月28日撮影
2022年5月28日撮影
2022年5月28日撮影

3期

20181003
20220528A

15
松本2号墳

2018年10月3日撮影
2022年5月28日撮影
2022年5月28日撮影
2022年5月28日撮影

20181003
20220528A

52
松本3号墳

2018年10月3日撮影
2022年5月28日撮影
2022年5月28日撮影

1~2期

20181003
20220528A

7
松本4号墳

 

20220528A

29×25
神原神社古墳の竪穴式石室(移築)

かんばらじんじゃこふん

🅿神社の駐車場以外にも赤川土手上の道のわきに若干のスペースあり
🚻なし

神原神社の境内にある。赤川の改修によって現在地に移築。

景初三年(239年)銘の三角縁神獣鏡が出土した方墳で、邪馬台国の問題と絡めて考えると非常に興味深い

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20220528A
20240420A

 

 

神原神社古墳出土三角縁神獣鏡(古代出雲歴史博物館にて撮影)

 


神原神社

延喜式内社。赤川の改修によって現在に遷移。

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20220528A
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須我神社

すがじんじゃ

🅿あり
🚻あり

スサノオがヤマタノオロチを退治した後に宮を造営した場所とされ、「日本初の宮」と称する。

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普賢院

ふげんいん

🅿あり
🚻あり

高野山真言宗。鏡智山と号する。須我神社に隣接。

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松江市


弓ヶ浜

ゆみがはま

八束水臣津野命が能登半島から土地を引っ張ってきたときのロープ(by 国引神話)。

※鳥取県米子市ですが、他の遺跡との関係上、とりあえずここに記しておきます。

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茶臼山(神名樋山)

『出雲国風土記』に「神名樋野(かんなびぬ)」と記された標
高171.5mの山。意宇地域のシンボル的な神奈備山。古代から信仰され、中世には山城としても使われ、曲輪や堀切などの遺構が残っている。

登山口はいくつかあるようだが、西口から登った場合は、山頂まで20分程度。ただし、前半戦は傾斜がきついのでちょっと大変かも。散歩がてら登っている近所の人もいる。

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令制出雲国中心方面

 

山代二子塚古墳は木々に遮られて見えない

 

山代二子塚古墳からはこのように見える

 

 


権現山洞窟住居跡

ごんげんやまどうくつじゅうきょあと

松江市美保関町

縄文時代後期から晩期にかけての洞窟遺跡。

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田和山遺跡

たわやまいせき

松江市乃白町32-3

弥生時代前期~中期。3重の環濠を持つが、集落跡ではなく、山頂には柵で囲まれた何らかの建物跡が見つかっている。

前期末~中期後半には、物見やぐららしきものが建てられており、つぶて石が3000個見つかっている。中世の山城でもつぶて石が見つかることがあり、本遺跡でも戦争に対する備えがあったと見られるが、山頂には集落はなく、もし敵対勢力から守るためだとしたら、何を守っていたのかが不明。 このような例は他に類を見ず、信仰上の特殊な遺跡と考えられている。

中期末には廃絶するが、この時期は出雲において青銅器祭祀が終わり、よすみを中心とした墳墓祭祀に移行する時期である(出雲は列島各地に先駆けて青銅器祭祀が終焉している)。

なお、北側にある友田遺跡では、中期の墳丘墓が6基築造されており、後期にはよすみと思われる墳丘墓も築かれている。

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古墳の丘 古曽志公園

松江市古曽志町562-1

🅿あり
🚻あり

 消滅した古曽志大谷1号墳を実物大模型で再現したものや、島根県で3番目に大きい円墳である古曽志大塚1号墳などいくつかの古墳がある素敵な公園。

 広い公園の真ん中に駐車場とトイレがあり、北側と南側に古墳がある。

 北側エリア(上図の左側)には、姥ヶ谷古墳群、古曽志大谷4号墳模型、同1号墳模型、古曽志寺廻田西古墳群がある。 

 南側エリアへは、「地球46億年をわたる橋」という壮大なネーミングの橋を渡って入り、古曽志廻田古墳群や古曽志大塚古墳群がある。

北側エリアから駐車場を見下ろす(中央の橋が「地球46億年をわたる橋」)

 

46
古曽志大谷1号墳(模型)

こそしおおたにいちごうふん

古曽志公園北側エリア

5世紀末に築造された墳丘長46mの前方後方墳・古曽志大谷1号墳の実物大模型である。出雲では6番目に大きい前方後方墳。

古曽志大谷古墳群は、現在朝日ヶ丘住宅団地になっている古曽志町字大谷根智の丘陵上に位置し、丘陵最高所に1号墳が造られ、そこから南に延びる尾根の先端部に2号墳、そして1号墳の北東の谷をはさんだ尾根上に3号墳と4号墳が築造された。すべて消滅している。

1号墳は墳丘長46mの前方後方墳で2段築成。葺石が施され、円筒埴輪がめぐるという同時期の畿内の古墳と同様な外観になっているが、前方部先端に造出を設けたり、円筒埴輪列に朝顔形埴輪が少ないなどの独自性が見て取れる。

墳丘は地山削り出しで下部を造り、その時出た土を盛って上部を造るという丘陵上の古墳で良く見られる作り方がされていた。

初葬者のものと思われる後方部の主体部は、後世の地滑りによって崩壊しており、調査時にはすでになかったが、前方部からは埋葬施設が見つかり、模型に反映されている。

後方部の地滑り箇所は傾斜がきつくなっており、築造時点でウィークポイントとして把握されていたようで、その部分だけ他所よりも大きめの石で葺き、崩壊を防ぐように配慮していることが分かる。

なお、出雲は中期・後期にも前方後方墳が築かれる特異な地域である。前方後方形という形の古墳は、前期において、東日本と西日本では意味合いが異なると考えられ、また前期と中期以降とでも異なると考えられる。単純に形が一緒だから意味合いも同じだと考えてはいけない。

※『古曽志遺跡発掘調査報告書』(島根県教育委員会/編)参照

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前方部先端に造出がある(現在階段が設けられている先端部には、発掘調査時にも葺石は検出されなかった)

 

 

 

 

 

 

 


古曽志寺廻田西1号墳

こそしてらさこたにしいちごうふん

古曽志公園北側エリア

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古曽志寺廻田西2号墳

古曽志公園北側エリア

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19×16
姥ヶ谷1号墳

古曽志公園北側エリア

南北19m×東西16mの方墳。5世紀の築造と推定。

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2号墳から1号墳を見る

 

 

18×15
姥ヶ谷2号墳

古曽志公園北側エリア

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2号墳(奥は3号墳)

 

19×16
姥ヶ谷3号墳

古曽志公園北側エリア

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2号墳から3号墳を見る

 


古曽志大谷4号墳(模型)

こそしおおたによんごうふん

古曽志公園北側エリア

7世紀後半に築造された古墳で、終末期古墳に良く見られる山寄せ型の古墳。

これも模型だが、元々の場所は、谷の最奥部で集落等への見通しはまったくきかない場所だった。

一辺が8.2m未満の歪な台形状の古墳だったが元々の形は分からない。

主体部は小型の組合せ式石棺のように見えるが、火葬した遺骨を骨壺に収めて埋葬する墓だとしたら石槨的な発想だったのかもしれない。非常に興味深い主体部だ。

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古曽志廻田古墳群

こそしさこたこふんぐん

古曽志公園南側エリア

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45
古曽志大塚1号墳

こそしおおつかいちごうふん

古曽志公園南側エリア

5世紀後半に築造された造出付き円墳。

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造出

 

 

44
岡田山2号墳

おかだやまにごうふん

🅿出雲風土記の丘駐車場
🚻あり

出雲風土記の丘にある。

岡田山1号墳の隣にある前期末から中期初頭に築造された径44mの円墳。出雲では、前期や中期に大型の前方後円墳が築造されないが、その時期には比較的大型の円墳や方墳が多数築造されている。

例えば、意宇地方東部の安来平野では、弥生末期のよすみの跡を受けるような形で方墳の築造がなされ、前期の大成古墳や造山1号墳は一辺が60mもある。

一方、杵築地方では、前方後方墳を2基擁する松本古墳群(1号墳が50m、3号墳が52m)や一辺が30m未満の方墳の神原神社古墳が築造されたが、単純に大きさでは意宇に敵わない。

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24
岡田山1号墳

おかだやまいちごうふん

🅿出雲風土記の丘駐車場
🚻あり

出雲風土記の丘にある。

6世紀後半に築造された小型の前方後方墳で2段築成。葺石が施され、後方部には円筒埴輪のほか、子持ち壺が並べられていた。

後方部に全長5.6mの横穴式石室を備え、側壁は持ち送り式で、玄室は両袖式。九州地方との関りが指摘されている。

石室は施錠されているが、展示学習館の方にお願いすれば案内していただける。

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大庭鶏塚古墳

おおばにわとりづかこふん

山代・大庭古墳群

松江市大庭町1595

🅿なし
🚻なし

6世紀中頃に築造された2段築成の方墳だが、菱形のような歪な形状をしており、西側と南側の2辺に造出を備える。やはり出雲は独特だ。

主体部は未調査。

大庭鶏塚古墳の被葬者は6世紀後半における意宇地方の首長と考えられるが、これ以降、山代二子塚、山代方墳、そして最後は山代原古墳(以前は、永久宅後<えいきゅうたくうしろ>古墳と呼ばれた)の順に首長墓が造営されたと考えられている。

なお、これらの古墳を見学するには、ガイダンス山代の郷に車を停めてめぐると良い。時間があれば、茶臼山も登ってみよう。

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意宇の神奈備山である茶臼山(神名樋山)と一緒に

 

94
山代二子塚古墳

やましろふたごづかこふん

松江市山代町470-1

🅿あり(周囲もめぐるならガイダンス山代の郷に駐車することをお勧め)
🚻前方部側近くのガイダンス山代の郷にある

山代・大庭古墳群

今市大念寺古墳と2メートルの差しかないが、こちらが出雲最大の古墳(島根県では、98.8mの益田市・スクモ塚古墳に続いて2位)。

整備開始時点で後方部の半分が破壊されていたが、辛うじて主体部の破壊は免れている。後方部側には破壊されたことを逆手にとって土層観察施設を造り、想定される横穴式石室の側面を白線で表示している。古墳の土層が見られる施設は珍しいため貴重(土層観察施設も開館日・時間があるので見学するときは要注意)。

興味深いのは、出雲最大の古墳が前方後方墳であることで、出雲は全時代を通じて方墳が多いが、6世紀に前方後方墳を築造しているのが非常に独特。

なお、千葉県も後期の前方後方墳を築造する地域で、何らかの関連性、というか共通性を疑ってみる必要がある。

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意宇の神奈備山である茶臼山(神名樋山)と一緒に

 

前方部にある土層観察施設の入口

 

墳丘の土層(いわゆる版築工法ではない)

 

 

43×45
山代方墳

やましろほうふん

松江市山代町893-1

🅿なし
🚻ガイダンス山代の郷に駐車して行くと良い

山代・大庭古墳群

7世紀初頭に築造された2段築成の方墳。周溝の周りに外堤を備え、外堤を含めると一辺は80mを越える。

埴輪のほかに子持壺などの須恵器が多数見つかっており、須恵器も埴輪のように墳丘に立て並べていたと推定されている。

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墳丘から周溝を見る

 

意宇の神奈備山である茶臼山(神名樋山)と一緒に

 

 

 


山代原古墳

🅿なし
🚻ガイダンス山代の郷に駐車して行くと良い

山代・大庭古墳群

以前は永久氏宅後(えいきゅうしたくうしろ)古墳と呼ばれていた。民家の敷地内にあって見学はできず、道路からチラッと見える墳丘を眺めるのみ。

説明板なし。

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墳丘から周溝を見る

 


ガイダンス山代の郷

松江市山代町470-1
公式HP
火曜休館

🅿あり
🚻あり

意宇地方独特の石棺である向山1号墳の出雲型石棺式石室や穴神1号横穴墓の石棺および前壁(装飾あり)の実物大模型が置かれており、当地方の古墳の独特さがよく理解できて俊逸。

映像コーナーもあるほか、解説パネルで各地域の古墳や古代遺跡の知識を得ることができ、遺物の展示も少しだけある。

山代二子塚古墳の北側にも駐車場があるが、こちらに停めて周辺の遺跡を散策するのが良い。

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向山1号墳の出雲型石棺式石室の実物大模型

 

 


出雲玉作跡(宮垣地区)

古墳時代前期から平安時代にかけて大規模な玉作りが行われた遺跡で、玉製品の制作が盛んな出雲においてその中心的役割を担っていたと考えられる。玉作り工房跡が約30棟検出された。

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出雲玉作資料館

松江市玉造99-3
0852-62-1040

🅿あり
🚻あり

古代の玉作について詳しく解説した資料館。

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烏場1号古墳石棺(移築)

出雲玉作資料館の敷地内にある

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女夫岩遺跡

めおといわいせき

松江市宍道町白石

🅿なし
🚻なし

家畜市場側に登り口あり。

山の中に巨石が佇立している。古代祭祀場で、今でも信仰の対象。地元では『出雲国風土記』記載の「猪石(ししいし)」はこれではないかと言われている。

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出雲国府跡

2018年10月3日撮影
2018年10月3日撮影
2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影

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出雲国府総社

2018年10月3日撮影
2018年10月3日撮影
2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影

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出雲国分寺跡

2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影

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古道

出雲国分寺の南門から南に延びる幅6mの石敷道で、出雲国分寺跡とともに国指定史跡になっている

 

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出雲国分尼寺跡

 

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出雲国山代継遺跡群 正倉跡

 
 

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八重垣神社

やえがきじんじゃ

松江市佐草町227

🅿あり
🚻あり

スサノオがクシナダヒメを匿ったところとされている

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出雲風土記の丘 展示学習館

松江市大庭町456
0852-23-2485
公式HP

出雲の古代史、とくに意宇地方については大型のジオラマと共に詳しく解説している。

出雲独特の興味深い遺物も数多く展示してあり、岡田山1号墳出土の「額田部臣」銘入り大刀や
国内に3例しかない見返り鹿埴輪はとくに必見。

2019年10月17日撮影
2018年10月4日撮影
2019年10月17日撮影
2019年10月17日撮影
2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影

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20191027C
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東光台古墳箱式石棺(移築)

出雲風土記の丘の公園内に展示

 
 

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20181028C
20191027C
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来美廃寺礎石(移築)

出雲風土記の丘 展示学習館の隣に展示

 
 

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20181028C
20191027C
20201115C
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松江城跡

まつえじょうあと

松江市殿町1-5(松江城山公園管理事務所)

🅿あり(有料)
🚻あり

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堀尾吉晴公像

松江城跡にある

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安来市

50
造山2号墳

造山古墳群
(史跡名称は荒島古墳群)

「古代出雲王陵の丘」という総称で、複数の地区のよすみや古墳が整備されているが、全体像がつかみづらい。

その理由の一つとして、通称や公園名で呼んでいる名前と国史跡としての名前が違うところがあげられる。

また、考古学的な縛りのために弥生墳墓は、「〇号墓」、古墳は、「〇号墳」というように呼び名を分けているため、初心者には意味が分かりづらい。いっそのこともう全部古墳と呼んだらいいのではないかと思う時もあるが、学問的には弥生時代と古墳時代は明確に分けるべきなので仕方がないだろう。

「古代出雲王陵の丘」の全体像を掴むにはまずは造山公園を訪れることをお勧めする。

造山公園のある場所は造山古墳群と呼ばれているが、現状では前方後方墳の2号墳と方墳の3号墳、4号墳のみ見学できる状態になっている。ただし、2号墳から3号墳へ行くには降り道を3~4分くらい歩く必要があるため、戻ってくるときは当然登り道になる。

60mの方墳である1号墳は見学できず残念。

説明板は多数設定されているが、かなり劣化が進んでおり読めないものもある。

最高所にある2号墳からの眺望は素晴らしいので、麓の駐車場から頑張って登ろう。

眼下には山陰本線が通っており、どうやら鉄道の撮影にも適しているようだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

9期
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40×30m
造山3号墳

造山古墳群

 
 
 

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13
造山4号墳

造山古墳群

 

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25×20
塩津山1号墳

塩津山墳墓群
(史跡名称は荒島古墳群)

よすみ築造の時代が終了し、いよいよ古墳時代に突入という時期に造られた方墳であるが、葺石ではなく貼石を備え、まだよすみの影響が残っている面白い方墳。

なお、貼石はその名の通り表面にペタペタと石を貼っていくイメージで重ねは1枚のみ。一方葺石は、古墳時代の用語として定着しているため、表面に石を1枚貼るだけでもそう呼ばれるが、中には数段の石積みのようになっているものもあり、奈良の中山大塚古墳では90㎝の厚さの葺石が確認されている。

紛らわしいが、近くには塩津1号墓という県史跡のよすみがあり、安来地方では最大の40mの規模を誇る。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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8
塩津山2号墳

塩津山墳墓群

 
 

8m(説)
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塩津山4号墳

塩津山墳墓群

 

前期
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宮山Ⅳ号墓(宮山4号墳)

宮山墳墓群
(史跡名称は仲仙寺古墳群)

弥生時代に築造された「よすみ」の宮山Ⅳ号墓の上に、4号墳が築造されおり、復元は宮山Ⅳ号墓の状態が分かるようになされている。

丘ごと完全消滅した1号墳は57mの前方後方墳で、この地域では大型の部類に入るため消滅が惜しまれる。

 
 
 
 
 

20220529A


竪穴住居跡

 

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宮山2号墳

宮山墳墓群
(史跡名称は仲仙寺古墳群)

 

20220529A

23.7
宮山3号墳

宮山古墳群
(史跡名称は仲仙寺古墳群)

 

23.7m(DB)
8期
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27×22.5m
仲仙寺9号墓

仲仙寺墳墓群
(史跡名称は仲仙寺古墳群)

仲仙寺の丘の上には、8基の方墳と4基の円墳、それに3基のよすみが確認されている。

9号墓の築造時期は、現地説明板では3世紀と書かれているが、2世紀に上がると考えられる。

 
 
 
 

20220529A


穴神横穴墓群

あながみよこあなぼぐん

安来市吉佐町

🅿なし
🚻なし

4基の横穴墓群が見つかっており、1号横穴墓は墳丘を伴う横穴墓。精緻な丹塗りの石棺が安置されており、石室内の前壁には壁画が施されている。つまりは、装飾古墳。

現在は保護のため未公開ということだが、一応現地に行ってみたところ、竹藪が凄すぎて見つけられなかった。

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いにしえ横穴学習館にある1号横穴墓石棺のレプリカ

 

15
神代塚古墳

いにしえ横穴学習館の建物の前にある。

石室が露出しているとのことだったが、探訪時は藪が酷すぎてまったく観察できなかった。

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穴神横穴墓群

いにしえ横穴学習館

安来市吉佐町

🅿あり(敷地内に停められるが侵入するのがちょっと大変なので裏手が良いだろう)
🚻なし

穴神横穴墓群のすぐ東。穴神横穴墓群1号横穴墓、島田遺跡第1号横穴墓、臼コクリ遺跡F区1号横穴墓の石棺のレプリカがあって素晴らしい。

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