最終更新日:2024年5月5日
※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。
目次
大田市(おおだし)

さんべ縄文の森ミュージアム
大田市三瓶町多根ロ58-2
0854-86-9500
9:00~17:00(16:30)
火曜休館
縄文時代に形成された埋没林が見られる施設。
三瓶山は、標高 1126mの活火山で、島根県を代表する山の一つ。約10万年前に最初の火山活動が認められ、計7回の活動を行った。古い時期の大規模噴火によりカルデラが形成され、その後のカルデラ内での溶岩の噴出により、複数の溶岩円頂丘で構成された山容となった。その中の最高峰が1126mの男三瓶山だ。
本施設で見られる埋没林は、約4000年前の7回目の活動期の噴火の際に形成された。この噴火は、雲仙岳の平成噴火と同タイプで、ゆっくりと溶岩を噴出しながら火砕流を発生させた。
埋没林の樹種構成を見ると、4000年前の三瓶山北麓の谷筋には、純林と言ってよいほどのスギ林が展開しており、トチノキなどの広葉樹もわずかに生えていた様子が伺える。
施設は大きく3つに分かれ、駐車場から見える建物がガイダンス棟。埋没林ができた過程をビデオで見ることができ、パネル展示やグッズ販売がある。
メインが、「縄文の森発掘保存展示棟」で、巨大な杉の木のスケール感に圧倒される。
もう一つ、「根株展示棟」があり、移設展示のために木を伐り出した後の根株のみ深さ13mの場所に残され展示してある。螺旋階段を少し降りて見に行くとができる。
邑南町(おおなんちょう)

順庵原1号墓
じゅうなんばらいちごうぼ
邑南町上亀谷
🅿なし
🚻なし
弥生時代後期前半に築造された
8.3m ×10.8mの四隅突出型墳丘墓(通称「よすみ」)。1968~69年にかけて日本で最初に発掘調査がされた記念すべきよすみである。
埋葬施設は、石棺が2基と木棺1基。
斜面には貼石があり、裾には棒状の列石が並べられている。周溝もあり、その中には円形状に小石を立て並べたストーンサークルが3つあるという独特な墓。ただし、現状ではストーンサークルは確認できない。
島根県立古代出雲歴史博物館にジオラマが展示してあり、出土遺物は、車で数分の距離にある邑南町郷土資料館に展示してある。
20240426A
13.4×12.8
鱒渕4号墳石棺移築
邑南町下亀谷210
鱒渕4号墳は5世紀頃に築造された方墳。古墳は消滅したが、3基の箱式石棺が検出され、邑南町郷土資料館の敷地内に移設展示されている。
20240426A
津和野町(つわのちょう)

津和野城跡
鎌倉時代後期に吉見氏によって築造されたといわれているが、普通、鎌倉時代には山城は築かない。ただし、元寇の脅威に対応するためとも言われているので、築城した可能性も無くはないが、位置的に内陸部に過ぎるのではないか。
確かなこととしては、慶長6年(1601)に坂崎直盛が3万石で入部し、近世城郭として生まれ変わった。直盛は、宇喜多忠家の子で、直家は伯父に当たる。
直盛は、従兄弟の秀家に仕えていたが、関ヶ原合戦では東軍として戦った。
元和3年(1617)には、因幡国鹿野城より亀井政矩が4万3000石で入部し、それ以降、津和野藩・亀井氏11代の居城として明治維新まで存続。
20240426A
浜田市
74
周布古墳
すふこふん
浜田市治和町
🅿かどうか分からない空き地あり
🚻なし
4世紀後半から5世紀初頭の築造と考えられる復元長74mの前方後円墳。墳丘長では、島根県で5位、石見国では3位になる。
二段築成で葺石が施され、埴輪や須恵器が見つかっている。
墳丘はとくに前方部がかなり削られているが、前方後円墳としての形態は辛うじて保っている。
住宅に囲まれているが、墳丘への登り口はある。
20240425A
12
片山古墳
浜田市下府町
🅿県道の広くなっている場所に停められる
🚻なし
7世紀中頃に築造された一辺12mの方墳。横穴式石室が開口しており、全長6.4mの無袖型で切石積。
近くには本古墳の造営時期とそれほど変わらない下府廃寺跡があり、被葬者との関係が興味深い。
なお、県道から徒歩5分くらい山を登ると到達するが案内板が立っているので迷わないだろう。
20240425A

下府廃寺跡
しもこうはいじあと
浜田市下府町
🅿なし
🚻なし
7世紀末~8世紀初頭頃に建立され、10世紀初めまでには廃絶したと考えられている。
建立時期は片山古墳の築造時期とそれほどかけ離れているわけではなく、同一系統の勢力の仕事の可能性がある。
伽藍配置は、法起寺伽藍配置。現地には花崗岩製の塔心礎が残り、その規模からは五重塔が想定されている。
20240425A
伊甘神社
いかんじんじゃ
浜田市下府町
🅿あり
🚻なし
延喜式内社。祭神は天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)で石見地方を開拓した小野族の遠祖とされる。
石見国総社である府中神社を合祀し、石見国庁跡だと言われている。
20240425A

浜田市浜田郷土資料館
浜田市黒川町3746-3
0855-23-6453
9:00~17:00(16:30)
基本月曜休館
館内写真撮影NG
近世以降がメインだが、考古遺物の展示も多少ある。
20240425A
益田市

新槙原遺跡
益田市匹見町道川
匹見川と赤谷川の合流地点の狭隘な河岸段丘上に位置し、旧石器時代から縄文時代前期までの遺物が見つかった。石器に使用された黒耀石は、隠岐島産と姫島産がある。
20240426A
88
大元1号墳
おおもといちごうふん
益田市遠田町
🅿なし
🚻なし
4世紀末頃から5世紀初めに築かれた前方後円墳。墳丘長は88mで、島根県では4位、石見地方では2位となる。
墳丘は後円部が4段、前方部が2段で周溝はない。中期前方後円墳の後円部は3段築成が多く4段は珍しい。
出土した埴輪は、スクモ塚古墳出土の埴輪と高い共通性があり、近い時期に同一製作集団により生産されたと考えられている。築造時期はこちらの方がやや早いとの考え方もあるが、両墳の被葬者はほぼ同時代に活躍した有力者同士で、生前は面識もあったであろう。
20240425A
98.8
スクモ塚古墳
益田市久城町
🅿あり
🚻なし
前期末~中期初頭の頃に築造された前方後円墳で、近年の調査で島根県最大の古墳であることが確認された。
後円部は2段築成で、前方部には方形壇が設けられている。時期や大きさが近い大元1号墳も周溝はないが、本墳もない。大元1号墳は山の頂部に築造されているので周溝がないのも分からないでもないが、それでも一般的には山の頂部であっても周溝は造作する。本墳の立地は周溝を造る余裕があるのに造っておらず一般的な原則に当てはまらない。しかしこれが石見の特徴なのかもしれない。
葺石は後円部上段斜面にのみ葺かれていたようで、円筒埴輪が見つかっており、有志が制作したレプリカが古墳の横に展示してある。
20240425A

小丸山古墳
こまるやまこふん
益田市乙吉町
🅿は隣接している雪舟の郷記念館の駐車場を使用
🚻なし
6世紀初頭の築造。益田平野を一望できる丘陵上に造られた墳丘長52mの前方後円墳。大きさは石見で4位。
周溝と外堤があるのは地域によってはごく当たり前だが、石見では本古墳のみである。
また、副葬品には、鏡や刀、馬具などがあり、鈴杏葉(すずぎょうよう)は中国地方で唯一の出土で注目される。畿内的な古墳と言えよう。
20240425A

鵜ノ鼻古墳群
うのはなこふんぐん
益田市遠田町
🅿なし
🚻なし
6世紀後半から7世紀にかけて築造された石見最大級の群集墳。元々は50基ほどあったようだが、県史跡の範囲内(下図の破線から西側)にある十数基を除いて、他はほとんど残っていないと思う。史跡範囲内の古墳でも、多くの古墳の石が抜かれている。
辛うじて石室の残りが良いのが、30mほどの前方後円墳の17号墳と、10mほどの円墳の8号墳。
_古墳配置図.jpg)
古墳群へは西側の海岸にある小さな港に行くと登り口があるのが分かる。数分登ると上図の14号墳の麓に出る。そこから右に行くと17号墳などの東エリアで、左に行くと8号墳などの西エリア。西エリアからは海が望めてとても素敵な群集墳。






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益田市立歴史文化交流館 れきしーな
益田市本町6-8
0856-23-2635
9:00~22:00(ただし、情報発信エリア及び展示ルームは17:00まで)
基本火曜休館
益田市は中世を推しており、館内に入ると中世益田の領主・益田氏の歴代が出迎えてくれる。
20240425A
【ホテル】益田グリーンホテルモーリス
益田駅ロータリーに面したホテル。運が良ければトレインビューの部屋に泊まれる。朝食ビッフェは、値段の割には種類も多くて、デザート類も多く絶対お勧め。



