最終更新日:2023年5月19日

 ※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
 ※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。

 

目次

北区

新宿区

文京区

 

 

北区

飛鳥山の碑

 
 
 

20160924
20230128A
20230129A


桜の賦の碑

 
 

20160924
20230128A
20230129A


飛鳥山公園の鉄道車両展示

 

20160924
20230128A
20230129A



王子神社

 
 
 
 

20160924
20170121
20170226
20170311C
20230128A
20230129A



関神社

 
 

20160924
20230128A
20230129A


音無渓谷 

 
 

20160924
20170121
20170226
20170311C
20230128A
20230129A


音無さくら緑地内旧石神井川の自然露頭 

 
 
 
 

20160924
20170121
20170226
20170311C
20230128A
20230129A


金剛寺(源頼朝の布陣伝承地)

 

20160924
20170121


松橋弁財天洞窟跡

 
 

20160924


正受院(不動の滝跡)

 
 
 

20160924
20170121


石造近藤守重坐像

 
 

20160924
20170121


醸造試験所跡地公園

 

20160924
20170121



王子稲荷神社

 

20160924



豊島郡家跡(御殿前遺跡)

 
 

20121116
20170121
20230125
20230128A
20230129A


古東海道・鎌倉道・熊野坂

 
 
 

20121116
20170121
20170226
20230125
20230128A
20230129A



平塚城跡および平塚神社

 
 

20121116
20230125
20230128A
20230129A


西ヶ原一里塚

 
 

20121116
20170121
20170226
20170311C
20230125
20230128A
20230129A



七社神社

 
 
 
 

20121116
20230125
20230128A
20230129A


31
飛鳥山1号墳

 
 

20121116
20160924
20170121
20170226
20170311C
20230125
20230128A
20230129A



飛鳥山博物館

 
博物館に許可を頂き撮影

20121116
20160924
20230125
20230128A
20230129A


 

 

新宿区

牛込城跡

19990914
20010123


新暦調御用所(天文屋敷)跡

20010123


牛込見附跡


四谷見附跡

 
 

20170325



赤城神社

20001209



筑土八幡神社

20001209



西念寺

家康の江戸入部後、半蔵は麹町清水谷(千代田区内)に居し、信康の遺髪を供養した。家康はそこに寺を建てるように命じたが、それが果たせないまま半蔵は慶長元年(1596)に病没。その後建立されたのが西念寺。

その後、西念寺は、寛永11年(1634)に現在地へ遷った。

 
 

20170325



服部半蔵の墓

服部半蔵というと忍者として有名だが、「半蔵」という名前は一家の当主の通称。家康に仕えて活躍した有名な服部半蔵は2代目半蔵で、諱は正成。天文11年(1542)生まれ。

父の保長(初代半蔵)は、伊賀国の土豪で忍者だったが、家康と縁ができ、三河に移住。正成は三河で成長する。

正成は、16歳の弘治3年(1557)に初陣を果たしたのち、槍の使い手として数々の戦で敵の首級を挙げ、「鬼の半蔵」として名を馳せた。

出自から分かる通り、正成本人は忍者ではないが、家康の江戸入部後、家康の伊賀越えの際に家康に臣従した元・伊賀の地侍たちで編成された伊賀同心(伊賀衆)の指揮をゆだねられた。

なお、天正7年(1579)、岡崎信康が切腹した際は、渋川四郎右衛門が介錯役であったが、直前に出奔したため、急遽正成に命じられた。ところが、正成も刀を振れず涙を流して倒れ込んでしまったため、天方通綱が介錯を行ったという。

 
 

20170325



岡崎三郎信康供養塔

家康の嫡男。「信」の字は信長の偏諱で、妻は信長の娘・徳姫。永禄2年(1559)の生まれなので、家康が17歳の時に生誕している。

浜松城に居した家康とは別に岡崎城に居して、その周辺には信康の家臣団ができあがっていたため、父とさほど年齢の変わらない信康は、父にとってはライバルのような存在になっていたと考える研究者もいる。

父と子でそれぞれ派閥ができていたことは事実だと考えられるが、織田・徳川の同盟にとって最大のライバルであった武田勝頼に通じたとの嫌疑を受け、信長の命によって、天正7年(1579)、22歳の時に母とともに自刃させられた。

供養塔は文禄2年(1593)に服部正成が建立したもの。

 
 

20170325



新宿歴史博物館

 
 

写真撮影NG

20170325


 

 

文京区


妻恋神社

 
 

20110929
20230401A


湯島天満宮

 
 
 

20110929
20230401A

本郷城跡(三四郎池)

 
 
 

20110929
20230401A

旧加賀屋敷御守殿門(赤門)

 
 

20110929


根津神社

 
 

20170226
20170311C
20230401A

徳川家宣胞衣塚

 
 

20170226
20170311C

サトウハチロー旧居跡

 
 

20170226
20230401A


弥生式土器発掘ゆかりの地

 
 
 

20170226
20170311C
20230401A


弥生二丁目遺跡

 
 
 
 

20170226
20170311C
20230401A

「向岡記」碑

 
 

20170226
20170311C
20230401A

 

一覧へ戻る