最終更新日:2024年4月11日
※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。
目次
八王子市(大栗川流域)
八王子市(南浅川・湯殿川流域)

船田石器時代遺跡

標柱が一本立っているだけで、目で見られるものは説明板すらない
20091108

高尾天神社

20021123
20040522
20101113
20120224
20120301
20120303
20120308
20120313
20120324
20120401
20130907

山王社

20130909

白山神社

20130909

浅川金毘羅宮(金毘羅山砦跡)

20061231
20101113
20130918

八王子城跡
20140914
20150111
20150125

八王子城跡ガイダンス
20150125

宗閑寺

20140914

浄福寺城跡

20140921
20141026

浄福寺
20140921
20141026

出羽山

20091108

刀匠武蔵太郎安國鍛刀之地

20091108

白山神社
20

絹の道資料館


20170224D
八王子市(多摩川・谷地川・川口川・北浅川流域)
大和田横穴墓群
広範囲にわたって横穴墓が構築されていたが、現在は地表面からは見られなくなっている(ただし、1か所だけそれらしきものが残っている)

説明板なし
20101001
鹿島古墳
湮滅。
規模不明。主体部は玄室と羨道に分かれる全長5.3m、最大幅1.5mの河原石積みの横穴式石室で、玄室は片袖となっており胴張りが認められる(『多摩の古墳』<八王子市郷土資料館/編>)
7C中頃の築造。石室規模は、玄室が3.3m×1.24mで、羨道部分が1.7m×0.76m(『新八王子市史 資料編1 原始・古代』<八王子市市史編集委員会/編>)

説明板なし
20200422

鹿島神社

20200422
鹿島北古墳
わずかに墳丘が残っている。
直径約3m、高さ約0.7mの地膨れが残っており、元々の大きさは不明。地元では付近に存在した古墳を合祀したという話が伝わっている(『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』<多摩地区所在古墳確認調査団/編>)

説明板なし
20200422

日枝社

20200422
一本松古墳
復元すると径10m前後になり、残っているのは墳丘の東側(『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』<多摩地区所在古墳確認調査団/編>)

説明板なし
20200422
川口古墳
墳丘隠滅。
石室は、河原石積みの横穴式石室。大きさは4.3m×1mほどで、玄室と羨道の区別のない無袖型式の長方形。奥壁から2.7mの範囲の床面には扁平な河原石が敷き詰められており、これが玄室としてのスペースであると考えられる。昭和31年に発掘調査がなされ、玄室スペースの南端部で鉄鏃10本と刀子4点が出ている。鉄鏃によって、6世紀末葉から7世紀初頭の築造と推定でき、市内では鵯山古墳と同時期とされる。またその時期より少し後の鉄鏃も出ているため、7世紀前半代に追葬が行われたと想定される(『新八王子市史 資料編1 原始・古代』<八王子市市史編集委員会/編>)

説明板なし
20200422
八王子市№30遺跡
東京都はこれを「古墳」としているが、情報はまったくない。
『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』(多摩地区所在古墳確認調査団/編)には、項目としては存在するが、古墳については何も書いていない。

説明板なし
20200422
調井古墳
墳丘隠滅か。
『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』(多摩地区所在古墳確認調査団/編)には、墳丘は「残存」とあるが、該書が書かれたのは四半世紀前で、現在の地図で確認してみても、該書が指し示す場所にはガッツリと民家が建っている。

説明板なし
20200422

滝山城跡

20141019
20141130
20150719
20150816
20151213
20160410T03
20230729A
20230805

龍光寺

20150913

西蓮寺

20150913

東福寺

20150913

大義寺

20160410T03

妙薬寺

20160410T03

横山塔
妙薬寺境内にある

20160410T03

八王子市郷土資料館
閉館して新たな郷土資料館を建設中


20091110
20140917

桑都日本遺産センター 八王子博物館「はちはく」
主として日本遺産を紹介する博物館のため古代の考古関係の展示は非常に貧弱。新しい郷土資料館が早くできることを望む


20220514P