最終更新日:2024年11月22日
※本ページは作成途中です
※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。
目次
飯塚市
立岩・堀田甕棺遺跡
🅿なし
🚻なし
魏志倭人伝の不弥国の候補地。遺跡群としての名称は立岩遺跡。それに含まれる堀田遺跡の甕棺墓群からは前漢鏡10面をはじめとする多くの副葬品がみつかり、「立岩遺跡堀田甕棺群出土品」として国の重要文化財に指定され、飯塚市歴史資料館に展示している。
遺跡自体は小さな公園のようになっているが草ぼうぼうだし、説明板の前にも草が生えていて読みづらいし、あまり整備が行き届いていないようだ。たまたま、探訪のタイミングが悪かったのかもしれない。しかしこんな場所であっても、不弥国の候補地として、訪れるべき遺跡であろう。
不弥国の所在地はまだ決定しておらず、例えば地名が似ているとして、宇美町と考える人や、宗像方面と考える人もいるが、飯塚で会った方々は皆、本遺跡を推していた。
20241019A
29
小正西古墳
おばさにしこふん
6世紀に築造された径29mの2段築成の円墳。円筒埴輪が見つかり、上段には葺石が葺かれていた。
同時に構築された2つの横穴式石室を持つ双室墳だが、双室墳は、前方後円墳や長方形墳であることがほとんどなのに、円墳でそれをやってしまったためか、2基の石室の主軸が直交しているのが非常に面白い。
北向きに開口した1号石室は、西向きに開口した2号石室と比べて大型。盗掘され半壊状態だったが現在は修復されて見学ができるようになっている。単室構造で、玄室には板石を立てて死床を設置している。
一方、2号石室は未盗掘だった。プロの墓掘りでもまさか直交している2号石室には気づかなかったようで、1号石室を調査した際に壁に不自然さを感じた調査員の勘の良さのお陰で見つかった。
入口はかなり狭く、石室内も狭い。でもちゃんと墓室であり、4体分の人骨が出土している。
「遠賀川流域の古墳・遺跡同時公開」のときのみ石室内を見学可能。
20241019A
川島古墳群
川島古墳群は、6世紀に築造された13基の円墳から構成される。川島古墳公園のなかに、1~3号墳と10~12号墳の6基の古墳が現存し、1号墳と2号墳、それに10号墳は市史跡に指定されている。
装飾古墳の11号墳は、川島古墳の名称で県史跡に指定されている。1号墳・2号墳・11号墳の石室は、通常は閉ざされており、毎年春と秋に開催される「遠賀川流域の古墳・遺跡同時公開」の日に見学することができる。
17
川島1号墳
6世紀後半の築造。横穴式石室は複室構造の割に全長は7mしかない。玄室の奥壁には石棚が設置されており、天井が高い。石材は花崗岩。
20241019A
16
川島2号墳
1号墳と同じ頃の6世紀後半の築造。横穴式石室は、1号墳よりも短い5.6mだが、複室構造になっている。こちらの玄室には石棚は無いが、奥壁の造作が面白くて、上が尖った形状の鏡石のような巨石を右側に寄せて設置している。中々素敵なセンスだし、技術的に見ても面白い。玄室の天井は高く、石材が花崗岩なのは1号墳と同じ。
20241019A
川島3号墳
ナチュラル墳。
20241019A
16
川島10号墳
1号墳や2号墳と同じ頃の6世紀後半の築造。石室はいつでもオープン。天井石がなくなっており、上からのぞき込んで見学することができる。
20241019A
15
川島古墳(川島11号墳)
6世紀後半から末頃に築造された径15mの円墳で、周溝がめぐる。横穴式石室は複室構造で全長7m。玄室には石棚を備え、奥壁に壁画がある。壁画は黒色で人物・円文・三角文などが描かれているが、元々は青色か緑色だったと推定されており、背景には赤色を使っていたとも推定されている。
石室内は写真撮影NG。
20241019A
川島12号墳
ナチュラル墳。
20241019A
井出ケ浦窯跡群
20241019A
飯塚市歴史資料館
飯塚市柏の森959-1
0948-25-2930
水曜休館
9:30~17:00(16:30)
考古資料の展示は企画展示室にあり、企画展をやっているときは展示を縮小する。
ただし、目玉は立岩遺跡出土の国指定重要文化財で、「立岩遺跡出土品収蔵展示室」という特別な部屋に展示され、常に見ることができる。前漢鏡や大型の甕棺など、かなり凄いものが展示されており圧巻。全体的に非常に見ごたえのある施設だ。
20241019A
遠賀町(おんがちょう)
遠賀町立民俗資料館
遠賀町31
093-293-2030
民俗資料が豊富だが、考古遺物もほんの少しだけある。ただ、そういうのには力を入れていない様子だ。
20240514
嘉麻市(かまし)
69.5
沖出古墳
おきでこふん
嘉麻市漆生
4世紀末ごろに築造された墳丘長69.5mの前方後円墳。前方部2段、後円部3段で、葺石・埴輪あり。埋葬施設は後円部墳頂に竪穴式石室が1基みつかり、内部が朱で塗られた刳抜式の舟形石棺がみつかった。盗掘を受けていたが、鍬形石3個、車輪石2個、石釧 2個などが出土。
20241019A
嘉麻市碓井郷土館
嘉麻市上臼井767
9:30~17:30
月曜休館
歴史コーナーと民俗コーナーがあり歴史コーナーには縄文時代から近代までの資料を展示。沖出古墳の出土遺物も展示しているが、腕輪型石製品はレプリカ。
20241019A
桂川町(けいせんまち)
86
王塚古墳
地域柄、地下には炭鉱の坑道が造られており、昭和9年に古墳近くの水田が陥没したため王塚古墳の盛土を使用することになった。その際の工事で作業員が壁画を見つけ、年後に国史跡に指定。昭和29年に国指定特別史跡となった。
6世紀に築造された墳丘長86mの前方後円墳。2段築成で、葺石・埴輪あり。前方部は土取りでほぼ消滅して現在見られる姿は復元。
横穴式石室は複室構造、判明して
いる限りでは全長6.5m。玄室に
は石棚を設け、石屋形を設置している。
装飾に使用している色は、赤、黒、白、緑、黄、灰色(青に似ている)の6色。国内に装飾古墳は約660基あるが、これだけの色数を使った装飾壁画は他に無い。
横穴式石室内は毎年春と秋の2度、「遠賀川流域の古墳一斉公開」の日に合わせて公開され、その日は町を挙げてのお祭りのような賑やかさになる。
20240514
20241019A
62
天神山古墳
桂川町豆田
豆田天満宮の境内に所在する6世紀中葉から後葉の頃に築造された墳丘長62m(あるいは68m)の前方後円墳。周溝と周堤がめぐる。石室の調査は行われていないが、後円部中心から南西方向に延びる墓道は確認済み。
周囲には、王塚古墳を含め計8基の前方後円墳があるが、天神山古墳はその中の最後の古墳で、被葬者は、『日本書紀』に記されている穂波屯倉と関係がありそうだ。
古墳の駐車場はないが、豆田天満宮の境内に停めることができる。ただし、大きな車だと厳しいかもしれない。
20240514
20241019A
二塚2号墳(移築復元)
王塚装飾古墳館の敷地内にある。
20240514
明寺原古墳(移築復元)
王塚装飾古墳館の敷地内にある。
20240514
豆田天満宮
20240514
20241019A
王塚装飾古墳館
桂川町寿命376
0948-65-2900
月曜休館
9:00~16:30
王塚古墳について詳しく解説した施設。とくに実物大レプリカは圧巻。列島各地の装飾古墳や大陸の墳墓の壁画なども紹介しており、装飾古墳について全体的な知識を得られる。
20240514
20241019A
鞍手町(くらてまち)
古月横穴
6世紀後半から7世紀後半にかけて築造された横穴墓群で現在のところ40基が確認されている。
装飾がある横穴墓は3基あり、2号横穴と6号横穴は線刻、9号横穴は奥壁と左側壁に朱色の文様がある。ただし、横穴はすべて埋め戻されている。現在整備されている箇所で確認できる墳丘横穴墓は、9号と12号の2基。
なお、鞍手町歴史民俗博物館は令和7年2月まで長期休館中。
20240513
古賀市
鹿部田渕遺跡(糟屋屯倉跡)
ししぶたぶちいせき
20181231
45
船原古墳
ふなばるこふん
古賀市谷山
6世紀末から7世紀初頭の頃に造られた前方後円墳。みつかった副葬品の中ではとくに馬具が優れており、国内で3例目の馬冑(ばちゅう=馬のヘルメット)もあった。
古賀市立歴史資料館には、船原古墳コーナーがある。ただし、馬冑の実物は展示していない。
20241018A
船原2号墳
20241018A
古賀市立歴史資料館
古賀市中央2-13-1 リーパスプラザこが
092-944-6214
月曜休館
10:00~18:00
古賀市内の歴史についてパネルや遺物を展示して解説した施設。船原古墳と鹿部田渕遺跡についてはとくに詳しく展示している。
20241018A
新宮町
相島大塚古墳(120号墳)
あいのしまおおつかこふん
相島積石塚群は、玄界灘に浮かぶ相島に所在する4世紀から7世紀にかけて築造された積石塚群。現在までに254基の古墳が見つかっている。
群最大の古墳は5世紀中頃に築造された前方後方墳(といわれる)120号墳で全長20m。
古墳群からは伽耶系の須恵器も出土。島内では同時代の集落跡はみつかっていない。
津屋崎古墳群の石室の石材は、相島から運んだと考えられている。
20241018A
相島北塚(1号墳)
あいのしまきたづか
新宮港から相島までは船で約20分。湊からは、猫に遭遇しながら徒歩20分ほどで説明版の場所に到達する。古墳群は南北に500mほどあり、説明版の場所は南端で、北端まではさらに徒歩5分以上かかる。それを踏まえつつ、船のダイヤを気にして相島に赴こう。
20241018A
新宮町立歴史資料館
新宮町新宮東2-5-1シーオーレ新宮
092-962-5511
月曜休館
9:30~17:00(16:30)
相島積石塚群などの新宮町内の遺跡から出土した遺物を展示している。町内には夜臼式土器の標式遺跡である夜臼貝塚があり、夜臼式土器も展示しているほか、人丸古墳出土の琴柱形石製品も展示。
20241018A
中間市
中間市歴史民俗資料館
中間市垣生660-1
093-245-4665
遠賀川流域の土器などの展示があるが、目玉は瀬戸第14号装飾横穴のレプリカであろう。ただし、ショーケースの配置の関係で展示パネルが読みづらい。
20240513
直方市(のうがたし)
水町遺跡群
直方市上境49-1
弥生時代中期の集落跡もあるが、6世紀中頃から7世紀後半にかけて築造された横穴墓が70基以上みつかっている。墳丘横穴墓や線刻の装飾もみつかっているが、装飾を見ることはできない。
20241020A
福津市
津屋崎古墳群
津屋崎古墳群は、福津市内の玄界灘に面する南北8km×東西2kmの広範囲に分布する古墳の総称で、現存する古墳は、前方後円墳(帆立貝形古墳含む)が16基、円墳が43基、方墳が1基の総数60基。それらの中で主な古墳や古墳群を北側から順に示すと以下の通りである。
・勝浦高原古墳群 ・・・ 6世紀後半・49m・前方後円墳である11号墳と12基の円墳から構成(国史跡は11号墳と13号墳)
・勝浦井ノ浦古墳 ・・・ 5世紀中頃・70m・前方後円墳
・勝浦峯ノ畑古墳 ・・・ 5世紀中頃・97m・前方後円墳
・新原・奴山古墳群 ・・・ 後述
・生家大塚古墳 ・・・ 後述
・大石岡ノ谷古墳群 ・・・ 6世紀後半・55m・前方後円墳である1号墳と6世紀後半・43m・前方後円墳の2号墳から構成
・須多田古墳群 ・・・ 後述
・在自剣塚古墳 ・・・ 後述
・宮地嶽古墳 ・・・ 後述
築造された時期は中期から終末期で、いわゆる首長墓級の大型前方後円墳は、北から南へ移る傾向が看取できる。地形は、江戸時代以降の干拓で変わってしまったが、往時は入海が存在し、それに臨む立地であった。出土遺物に関しては、後述する通りとくに宮地嶽古墳が俊逸で、国宝に指定されている。
また、史的背景に関しては、例えば新原・奴山古墳群は、宗像(漢字での表記は数種類ある)氏の墓域と考えられ、宮地嶽古墳は、天武天皇に娘が嫁いだ宗形徳善の墓と考える研究者が多いが、宮地嶽古墳を所有する宮地嶽神社では、宗像とは別勢力の安曇氏の墓域とし、筑紫君磐井との繋がりを強調しているのが興味深い。
73
生家大塚古墳
ゆくえおおつかこふん
🅿なし
🚻なし
5世紀後半頃の築造。墳丘長は73mと推定され、周溝と周堤を備える。
前方部はほとんど破壊されており、後円部に立ち入るのも困難。
説明板は無い。
20170821
83
須多田天降神社古墳
🅿なし
🚻なし
須田古墳群は、前方後円墳4基と円墳1基から構成される。それらの中で最古のものは5世紀中頃に築造された径33.5mの円墳の須多田ニタ塚古墳。
須多田天降神社古墳は、須田古墳群の一基で、6世紀中頃の築造。須多田古墳群最大の墳丘長83mを誇る前方後円墳で2段築成。葺石、周溝、周堤を備える。
みつかった円筒埴輪に半竹管状組合刺突文を施すものがあり、うきは市の塚堂古墳や熊本県氷川町の端ノ城古墳といった他地域の大型前方後円墳に類例があり注目される。説明板に「王墓のみから出土する円筒埴輪」とあるのは、それのことだろう。
なお、上で偉そうに説明しておきながら、私は現時点では、「半竹管状組合刺突文」というものを具体的に知らない。本古墳と塚堂古墳および端ノ城古墳を比べると、本古墳と端ノ城古墳の築造時期は同じ頃だが、塚堂古墳は中期の古墳であるので、同じ埴輪を使うことはあり得ない。埴輪の年代が違っても、その施文手法は普遍的に使われるものなのだろうか。
20170821
82.2
須多田下ノ口古墳
🅿なし
🚻なし
須田下ノ口古墳は、6世紀後半築造の前方後円墳。墳丘長は82.2m。二重周溝を備えることが特筆される。
後円部は古墳らしく残っているが、前方部は削平されているようだ。説明板はない。
なお、須田上ノ口古墳は、6世紀前半築造の前方後円墳。墳丘長は43mで、葺石、周溝、周堤を備える。
20170821
67
須多田ミソ塚古墳
🅿なし
🚻なし
須田古墳群の一基。6世紀後半頃の築造。
説明板はない。
20170821
101.7
在自剣塚古墳
あらじつるぎづかこふん
🅿なし
🚻なし
6世紀末の築造。宗像地域最大を誇る墳丘長101.7mの前方後円墳。前方部後円部ともに2段築成で、葺石あり。須恵器の甕と高坏形器台がみつかっている。
説明板はない。
20170821
新原・奴山古墳群
福津市内には現存古墳60基からなる国指定史跡・津屋崎古墳群があり、そのなかに含まれる新原・奴山(しんばる・ぬやま)古墳群は、中期から後期(5世紀から6世紀)にかけて築かれた古墳群。現在見ることのできる古墳は41基で、内訳は、前方後円墳(帆立貝形含む)が5基、円墳が35基、方墳が1基。かつてはもっと多くの古墳があった。
もっとも大きな古墳は中期に築造された墳丘長75~80mの帆立貝形古墳である22号墳。6世紀後半には小さな円墳が現存で32基築造され、後期群集墳を形成した。
令和4年3月までに墳丘の発掘調査が行われた古墳は、1~6号墳、44~45号墳、49~59号墳で、1号墳の墳丘はその後、道路建設のため前方部が破壊され、それ以外もすべて調査後に湮滅した。現存しているものは39号墳以外はすべて測量調査をしているが、地表面を見るだけでは大きさを確定できない古墳もある。
新原・奴山古墳群は、2019年に『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』として世界文化遺産に登録された。構成資産は下記の通り。
・宗像大社沖津宮(沖ノ島・小屋島<こやじま>・御門柱<みかどばしら>・天狗岩)
・宗像大社沖津宮遙拝所
・宗像大社中津宮(御嶽山祭祀遺跡を含む)
・宗像大社辺津宮
・新原・奴山古墳群
20170821
20180128C
20180216C
20180223C
20180309C
20180323C
20180706C
20181012C
20190111C
20190326C
20190510C
20190621C
20190705C
20190929C
20200117C
75~80(推定)
新原・奴山22号墳
築造年代は細かくは分からないが、円筒埴輪片が採集されており、中期の古墳と考えられている。大きさは新原・奴山古墳群最大であり、本古墳群造営の端緒となった古墳の可能性があり、そうなると5世紀前半の築造か。その時期は、列島各地で帆立貝形古墳が造られ始めた時期である。
後円部は3段築成。中期の帆立貝形は元々前方部が低い。現状はかなり低く分かりにくくなっているが、上図の通り、21号墳に向かう踏み分け道がちょうどくびれ部分にあたり、その部分が僅かに高いのが分かる(鳥居に向かって右側)。
幅10mほどの周溝とその外側に周堤が確認されており、周溝は場所によっては目で見て分かる。
墳丘上にはかつて、縫殿宮の祠があったが現在は撤去されている(地元の人の話によると、神様は近くの本宮の方に戻ってもらったということだ)。
神様に移ってもらったということは、発掘調査の期待が持たれるが、市の担当者によると整備の予定があるという。ただし、現状では墳丘に登る石段も荒れており、あまり登りやすい古墳ではない。
17
新原・奴山21号墳
5世紀前半に築造された円墳。土師器がみつかっている。22号墳に隣接しており、築造時期も近いと考えられるため、両者は何らかの関係を持っていると推測できる。
新原の百塔板碑
新原・奴山古墳群の墳丘の上に8基の板碑が建立されている。建立の由緒は不詳だが、北条時頼が平家の霊を弔うために建てた説や、蒙古来襲の戦死者の供養のために建てたとの説がある。
墳丘はフェンスで囲まれていて入れない。見学をするにはあらかじめ福津市教育委員会に申し込む必要があるようだが、新原・奴山古墳群には何度も訪れているのに個人的には1度しか訪れたことが無く、そんなこともありまだ一度も見学ができていない。
私が普段見慣れている武蔵型板碑と時代は変わらないが形状が大きく違う。板碑好きとしてはいつかちゃんと見てみたいと思っている。
50
新原・奴山1号墳
5世紀中頃の築造。道路建設で前方部が破壊され、また後円部も損壊が激しい。道路建設に先立って発掘調査が行われ、横穴式石室から武器・武具・馬具・工具等がみつかっており、カメリアステージ歴史資料館に展示している。
現状、後円部墳丘には天井石が捨てられたように置かれているが、これは発掘調査の際に移動したもの。
<写真は撮っているはずだが見つからず・・・>
35
新原・奴山25号墳
5世紀後半に築造された径35mの円墳で、新原・奴山古墳群で最大の円墳。2段築成で葺石あり。周溝を伴う。須恵器の高坏や甕などがみつかっていることから、築造年代を比較的絞り込むことができている。
主体部は横穴式石室と推定されている。
平成26~2年には、墳丘法面の保存修理に伴う事前調査を行い、墳丘断面に10~30cm程度のほぼ水平方向の層状盛土を確認し、墳丘の具体的な構築方法が分かった。
53.5
新原・奴山24号墳
6世紀前半に築造された前方後円墳。後円部側で周溝と周堤が確認されており、本来は全周していたのではないだろうか。
後円部西側が大きく陥没しているが、そこは横穴式石室の入口あたりで、過去の盗掘の形跡かも知れない。
現地説明板の図や、墳丘に登ってみた感触では、段築があったように見えるのだが、カメリアステージ歴史資料館にある推定模型は段築が無く奇妙。
54
新原・奴山30号墳
6世紀前半から中頃に築造された墳丘長54mの前方後円墳。墳丘上で須恵器の甕や高坏がみつかっている。葺石あり。
主体部は確認されていないが、後円部に横穴式石室があると考えられている。
墳丘は修理されている。
20
新原・奴山15号墳
6世紀後半に築造された円墳。周溝あり。須恵器やガラス玉が出土。
隣接する現存5基の円墳と群集するが、径9.5~11.5mの19号墳とは一体の墳丘をなしていた可能性があり、その場合は、40mほどの前方後円墳となる。
以前あった火葬場跡は現在は撤去されて墳丘も修理されている。
新原・奴山34~43号墳
6世紀後半に築造された群集墳。形状が確定していない古墳もあるようだが、現状ではすべて円墳と考えられている。
34号墳を除いて、すべて大きさは9~17mほどに収まり、すべて横穴式石室であったと想定でき、39号墳は横穴式石室が残存している。
また、34号墳はこれらの中では大きめの直径24mで、横穴式石室の玄室内には石棚が構築されている。ただし、どの石室も土に埋もれていて見れない。
35
宮地嶽古墳
宮地嶽神社境内の奥に所在し、奥之宮不動神社となっている。
築造時期は7世紀前半から中頃。現状は南北27m×東西34mの楕円形となっているが、本来は径35mの円墳と推定されている。
横穴式石室の長さは23mもあり、長さでは全国で2番目。石室の奥は一般的には玄室があって、そこが最も広々とするが、本石室は、玄室に当たる部分が狭まり、横口式石槨の影響が看取できる。石室図を参照していただければ分かるが、最奥の部分に「石槨」と記されている。大変珍しい平面形だ。
石室内にはお不動さんが祀られており、普段は入口近くの祭壇の前までしか入れないが、祭りの際には、タイミングが良ければ奥まで入れる場合がある。ただし、石室奥の写真撮影はNG。
石材は相島産の玄武岩を使用している。
出土遺物は、金銅製透彫冠や金銅製の馬具類、特大金銅装頭椎大刀などが出ており、国宝に指定されている。特大金銅装頭椎大刀は、模造品がカメリアステージ歴史資料館に展示してあるが、あまりの大きさに驚く。
なお、既述した通り、本古墳は宗形徳善の墓と考える研究者が多いが、宮地嶽古墳を所有する宮地嶽神社では、宗像とは別勢力の安曇氏の墓域とし、筑紫君磐井との繋がりを強調している。宮地嶽神社の思いは、説明板の文章によく表れているので是非読んで欲しい。
20170821
20180128C
20180216C
20180223C
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20190929C
20200117C
? 25
手光波切不動古墳
てびかなみきりふどうこふん
7世紀前半に築造された古墳で、
横穴式石室の全長は10.8m。宮地嶽古墳と同様に、石室奥が横口式石槨の影響を受けたと考えられる構造になっている。石材の大部分は相島産の玄武岩。
20190111C
宮地嶽神社
福津市宮司元町
祭神は、神功皇后、勝村大神(かつむらのおおかみ)、勝頼大神(かつよりおおかみ)の三柱。
社伝では創建は約1600年前で、息長足比売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)が三韓征伐の際、宮地嶽の頂に祭壇を設け戦勝を祈願したのが始まり。
拝殿の注連縄は日本一の大きさ(重さ3t)といわれており、他にも日本一の大太鼓(直径2.2m)と日本一の大鈴(重さ450㎏)がある。
注連縄に関しては、クラツーで案内した際、出雲大社とどちらが大きいかという話になることが多かった。結論的には・・・分からない。
20170821
20180128C
20180216C
20180223C
20180309C
20180323C
20180706C
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20190326C
20190510C
20190621C
20190705C
20190929C
20200117C
カメリアステージ歴史資料館
岡県福津市津屋崎1-7-2
0940-72-1207
火曜・最終水曜休館
10:00〜20:00
福津市複合文化センターの図書館と同じ建物内にある。展示室の面積はそれほど広くないが、新原・奴山古墳群を始めとして、福津市内の遺跡から出土した貴重な遺物が並んでおり、かなり見ごたえがある。
20時まで開館しているのが大変ありがたい。
20170821
20171001C
20180128C
20181231C
宮若市
20170820
20241020A
竹原古墳
6世紀後半に築造された円墳。複室の横穴式石室を備え、玄室の奥壁に見事な壁画が残されている。また玄門部分にもあるが消えかかっており分かりづらい(コンディションが良ければ見える)。
壁画が意味するところについては昔から様々な解釈がなされている。もちろん、本当のところは分からないが、四神思想を表現しているという考え方もある。すなわち、奥壁に青龍、すでに消えかかっている玄門には玄武と朱雀、そして無くなってしまった入口側にはかつては白虎が描かれていたという仮説だ。
描かれている人物の格好は渡来系。彼は龍が水を飲みに来るのを伺って雌馬を水辺に連れて行き、あわよくば龍が交わって素晴らしい馬が生まれることを期待していた、というストーリーを描く学者もいる(龍媒信仰という)。
一つの絵でいろいろな話を考えることができるのが、竹原古墳の壁画の魅力である。
また、竹原古墳は一斉公開日でなくても、原則的にはいつでも石室を見ることができるという点でも素晴らしい。
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竹原2号墳
石室が露出しており、墳丘も崩落しているため見学時は崖から落ちないように注意。
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宮若市文化財・収蔵・展示・交流センター
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宗像市
鐘崎(上八)貝塚
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田熊石畑遺跡
弥生時代中期を中心とした集落および墓域。中期前半の6基の木棺墓からは武器形青銅器が合計15点見つかり、中期後半の伊都国や奴国に王墓が出現する前段階の有力集団の姿が浮き彫りになった。
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64.4
東郷高塚古墳
64.4m(*1)
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東郷3号墳
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東郷5号墳
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平等寺瀬戸1号墳
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桜京古墳
さくらきょうこふん
横穴式石室・装飾壁画・石屋形
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39m(*1)
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久原Ⅱ‐3号墳
くばらにのさんごうふん
久原澤田古墳群
久原遺跡にある古墳群で、6世紀中頃に築造された墳丘長45mのⅡ-3号墳のほか、6世紀前半に築造された3基の円墳が保存されている。Ⅱ-3号墳は、2段築成で、周溝がめぐっており、人物埴輪や家形埴輪が見つかっている。横穴式石室は単室構造。
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朝町竹重遺跡
弥生時代中期を中心とした150基を越える土壙墓・木棺墓・甕棺墓が造られ、弥生墳墓からは、銅矛・銅戈・石戈・銅鏡などが出土した。
また、古墳時代には円墳群が築かれている。
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宗像大社辺津宮
宗像大社は、 辺津宮(へつみや)、 中津宮(なかつみや)、 沖津宮(おきつみや) の三宮の総称だが、単に宗像大社と呼んだ場合は辺津宮を指す。
現在の祭神 は以下の「宗像三女神」と呼ばれる女神たちだ。
・沖津宮 田心姫神(たごりひめのかみ)
・中津宮 湍津姫神(たぎつひめのかみ)
・辺津宮 市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
宗像三女神は、元々は地元の豪族である宗像(胸形)氏が祀っていた神々で、広島県の厳島神社も宗像三女神を祀る神社として有名。
拝殿・本殿ともに弘治3年(1557)に焼失してしまい、本殿は天正6年 (1578)に第80代宮司宗像氏貞が再建し、拝殿は天正18年(1590)に小早川隆景が再建した。拝殿・本殿ともに国の重要文化財に指定されている。
◆御生れ(みあれ)祭について
中世の頃、長い竹に布を付けたものを神の印として辺津宮に迎える「御長手神事(おんながてしんじ)」が行われており、その後途絶えていた御長手神事を昭和37
年に現在の形で復興した。
9月中旬に沖津宮のタゴリヒメが中津宮のタギツヒメの元に迎えられる。そして、10月1日に二柱の神が辺津宮のイチキシマヒメの元に迎え入れられる「海上神幸・みあれ祭」が行われ、これにより秋季大祭が幕を開ける。
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宗像大社神宝館
沖ノ島で出土した8万点の国宝の一部を展示。素晴らしい施設だが、展示の写真撮影はNG。
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海の道むなかた館
宗像市深田588
0940-62-2600
9:00~18:00
月曜休館
宗像の古代海人集団の様相が分かる展示で、縄文土器の展示もある。田熊石畑遺跡から出土した青銅器も展示している。
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織幡神社
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鎮国寺
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宗像市(大島)
宗像大社中津宮
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牽牛神社
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御嶽神社
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宗像大社沖津宮遙拝所
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安昌院
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安倍宗任の墓
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日本海海戦・戦死者慰霊碑
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砲台跡
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