※現在、古代史以外のスポットも含めて32項目掲載しています。
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会津坂下町
127m(説)
福島県最大の前方後円墳で東北地方全体でも2位


20190506
20190923
20191103C
55・56m(説)
亀ヶ森古墳と隣接している前方後方墳。これらの古墳の周囲には多くの方形周溝墓も見つかっている

20190506
20190923
20191103C

杵ヶ森古墳
45.6m(説)
東北最古級の前方後円墳のひとつ。箸墓古墳の6分の1の相似形と騒がれることがあるが、果たして箸墓、つまりヤマト王権とはどのような関係にあるのだろうか。

20190923
20191103C
稲荷塚遺跡
杵ヶ森古墳と同じ公園内に、古墳時代前期の前方後方形周溝墓などが復元されている。
20190923
20191103C

臼ヶ森古墳
50m(DB)
杵と臼とはワンセット。昔の人の素朴な発想が看てとれるネーミングの古墳。
20190923
20191103C
会津若松市
25m(説)
東北地方最古級の前方後円墳で、田んぼの中に浮かぶ島のような小さな墳丘が可愛らしい

20190506

会津大塚山古墳
114m(説)
東北地方の古墳は大したことがないという通説を覆した、古墳時代の学史に燦然たる輝きを放つ大型前方後円墳

20190506
20190923
20191103C
県立の博物館が福島市内ではなく会津にあるところが良い。福島県の歴史を知るためには必ず訪れるべき博物館で、縄文や弥生の考古遺物の展示も素晴らしいが、古墳についてもかなり力を入れており、とてもではないが短時間で見学することは不可能。鶴ヶ城の三の丸に所在するため城好きの人は鶴ヶ城とともに訪れよう。
20190506
20191103C
泉崎村
22m(推定・説)
小さな前方後円墳で現地で見てもどこに墳丘があるのかも分からないような状況だが、この古墳からは素晴らしい形象埴輪がいくつも出土している。その埴輪たちは福島県立博物館と泉崎村資料館に分かれて展示されているのでぜひ会いに行こう。

20190507
全国的に知られている装飾壁画を備えた横穴墓。壁画の詳細は泉崎資料館で知ることができるが、本物を見たい場合は毎年10月の第2土曜日の公開日に合わせて訪れよう。

20190507
発見時は白河郡衙跡か白河軍団跡かのどちらかだと考えられたが、その後の調査により郡衙跡であることが分かった。現地には目で見られる遺構や復元はまったくないが、古代から富裕であった白河の地の中心を目の当たりにして古代に思いを馳せるのもいいだろう。

20190507
平安時代末、浄土真宗第二世・如信は、現泉崎村に大網奥之坊を開基したが、江戸時代になりこちらに如信の墓所が移された。

20190507

泉崎資料館
泉崎横穴の装飾壁画は普段は見られないので、こちらの展示で確認してみよう。原山1号墳出土の形象埴輪のなかで、力士の埴輪だけ地元の当館に飾られている。
20190923
郡山市

大安場古墳(大安場1号墳)
83m(説)
今や東北地方を代表する古墳の一つと言える東北最大の前方後方墳。公園として綺麗に整備されており、墳頂へ登れば古代の王が見た景観を目の当たりにできる。墳頂目指して頑張って歩こう。

20190506
大安場2号墳
大安場古墳の前方部側に隣接する径15mの円墳。周囲にはもう3基の円墳が見られる。

20190506

大安場史跡公園ガイダンス施設
名称はガイダンス施設だが中身は立派な郷土博物館で大安場古墳群のみならず、郡山市内の遺跡から出土した素晴らしい遺物たちが見学者を待ち受ける。市内の遺跡についての書籍も入手可能。
20190506
蝦夷穴横穴群
道路から気軽にアクセスできる横穴墓群で、横穴墓初心者に優しい佇まいになっている。独り言をつぶやいているような稀有な文面の説明板は必読。

20190506
令制安積郡の役場跡。目で見られる遺構や復元はないが、芳山公園に説明板が設置してある

20190506
名称の通り安積国造にちなむ神社で田村麻呂との関りもうかがえる古社

20190506
白河市
71.8m(説)
ペタンコになるほど墳丘が削られてしまった可哀そうな前方後円墳だが、こう見えても元々は71.8mの墳丘長を誇る後期の東北地方では最大級の前方後円墳。墳頂には石室に使ったであろう石材がゴロゴロと散乱している。被葬者は白河国造かも。

20190507
16m(説)
全国で10基ほどしかない珍しい上円下方墳の中でも最北に位置する古墳。古墳であることすら分からないくらいのガッカリな現況ではあるが、古墳マニアであれば東北の上円下方墳が築造された現地を見ておくことも必要であろう。

20190507
10m(説)
終末期に多い山寄形の円墳で、説明板が立っていなければ見つけることも困難な目立たない古墳。石室内は土で埋まっており、開口はしているが入室は困難。とか言うと、無理してでも入ろうとする人が現れると考えられる。

20190507

白河関跡
白河の関と聴くと、関東以西から来た場合は、いよいよ奥州、異郷への思いが高まるが、古代の関の跡は見つかっていない。実際にあるのは中世の館跡である。もしかしたら古代白河関は幻の存在かも知れないが、ここが関東と東北との境界であることは間違いないため、歴史マニアであるならば絶対訪れたくなる場所だろう。

20190508

白河城跡
中世領主・白河結城氏の本城。

20190508
文化財センター内に考古系の展示コーナーがあり、県内の遺跡から出た縄文土器を始めとする遺物が展示されている。
20190508
須賀川市
30m(説)
6世紀後半に築造された須賀川を代表する円墳で、岩背国造の墓との説もある。
石室の入口には鍵のかかった扉が設置してあり、一見入室不可能のように見えるが・・・

20190507
室町幕府は、元中8年(1391)に奥羽を鎌倉府へ移管し、応永6年(1399)には、鎌倉府の奥州での出先機関として篠川御所と稲村御所を設置。篠川御所には第2代鎌倉公方・足利氏満の次男・満直が入部した。

20190507
篠川御所と同時に設立され、篠川御所の足利満直の弟・満貞が入部した。
20190507
天栄村
磐梯町

慧日寺跡
磐梯町の公式サイト内にある慧日寺跡のページは、詳しい説明とともに慧日寺への強い熱意が感じられて必見
⇒史跡慧日寺跡
東北を代表する古代寺院のひとつで、復元された金堂にはきちんと薬師如来が安置されており「跡」ではなく、現役のお寺と言っても過言ではない。古代仏教を追い求める人は是非参拝しよう。
開創した法相宗の徳一は、天台宗の最澄と激論を交わしたことで有名なアツい僧侶。
※有料なので注意(資料館と共通で一般500円)

20190923
20191103C
9時~17時
4月10日~11月30日(期間中無休・冬期休館)
一般500円(慧日寺跡と共通)
20190923
20191103C