最終更新日:2022年8月2日

※本稿はドラフトです。

縄文時代後期(4500年前~3500年前)

 中期の終わりころから寒冷化が始まり、後期の始めには有名な三内丸山遺跡が解体します。一般的には気候の寒冷化によって大人数のムラを維持することが困難になったと説明されます。

『環境と文明の世界史』(石弘之・安田喜憲・湯浅赳男/著)より加筆転載

 中期のページでもお見せした東京都の多摩ニュータウン遺跡群の遺跡数と竪穴住居跡数を表したグラフですが、後期になると激減しているのが分かると思います。

東京都埋蔵文化財調査センターにて撮影

 八ヶ岳西南麓の場合も再掲しますが、こちらも徐々にフェードアウトして行っているのが分かります。

長野県立歴史館にて撮影

 下の写真もまたまた再掲ですが、何やら熊本では後期になると賑やかになってきたようですよ。

熊本博物館にて撮影

 縄文時代というと、東日本が非常に栄えたイメージがあるかもしれませんが、そういうイメージはどうやら後期になると揺らぎそうですね。では、縄文時代後期の日本列島の様相を見てみましょう。

 

縄文時代後期の関東地方

 中期の後葉、大木8式土器(縄文時代の伊達政宗)の南下によって加曽利E1式土器が成立し、その勢力が西進して西関東の勝坂式土器を消滅させました。その流れで後期に入りますので、後期の関東は東西で別の土器型式があったわけではなく、おおむね統一された型式で推移します。

 ・称名寺式
 ・堀之内式
 ・加曽利B式
 ・安行式