最終更新日:2024年10月7日
現代の群馬県は、一般的に下図で示した4つの地域に分けられます。本ページでは、北毛・中毛・東毛の遺跡や関連施設について一覧します。
※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。
目次
板倉町
伊勢崎市
125
お富士山古墳
関東・東北で「王者の石棺」と呼ばれる長持形石棺の安置が確実に認められるのは太田天神山古墳と本墳のみだが、そのうち現在目で見られるのは墳頂の覆屋の中に展示してある本墳の石棺のみ。
長持形石棺の使用から畿内の有力者と同等の力を持った被葬者像が伺える。
墳丘前方部の先端はJR両毛線の線路建設のため破壊されており、古墳を見学していると稀に電車を見ることができる。
5期
20170402
20170701C
20180331C
20180912C
20181021C
20190209C
20221120A
赤堀歴史民俗資料館
20190818
大泉町
太田市
60
寺山古墳
てらやまこふん
太田市強戸口
2期
20190123
20221119A
80
太田八幡山古墳
2期
4C末~5C初頭(説)
20151104
168
円福寺茶臼山古墳
えんぷくじちゃうすやまこふん
別称:別所茶臼山古墳
4期
20170402
210
太田天神山古墳
5期
20151104
20170402
20170408C
20170504T
20171209C
20180721C
20180821C
20181209C
20190529C
20190602C
20191117C
20200112C
20200301C
20200926C
20201017C
20201107C
20201129C
20201212C
20221119A
35
A陪塚
20151104
20170402
20170408C
20170504T
20171209C
20180721C
20180821C
20181209C
20190529C
20190602C
20191117C
20200112C
20200301C
20200926C
20201017C
20201107C
20201129C
20201212C
20221119A
目塚1号墳跡
女体山古墳の隣にあるセブンイレブンが目塚1号墳の跡だが、写真を撮ったことが無かったようだ
20151104
20170402
20170408C
20170504T
20171209C
20180721C
20180821C
20181209C
20190529C
20190602C
20191117C
20200112C
20200301C
20200926C
20201017C
20201107C
20201129C
20201212C
20221119A
106
女体山古墳
20151104
20170402
20170408C
20170504T
20171209C
20180721C
20180821C
20181209C
20190529C
20190602C
20191117C
20200112C
20200301C
20200926C
20201017C
20201107C
20201129C
20201212C
20221119A
102
太田鶴山古墳
おおたつるやまこふん
7期
20151103
58
鳥山亀山古墳
説明板無し
58m(DB)
7期
20151103
74
二ツ山1号墳
10期
20151103
45
二ツ山2号墳
10期
20151103
中溝・深町遺跡
新田小金井町320-3 小金井史跡公園
20170402
上野国新田郡家跡
20151103
寺井廃寺跡
20151103
生品神社
20170402
伝新田氏累代の墓
20170402
太田金山城跡
20151104
史跡金山城跡ガイダンス施設
20151104
渋川市
道訓前遺跡
20241005
瀧沢石器時代遺跡
20220612P
20220903A
小室敷石住居跡
20241005
下遠原遺跡
20220612P
20220903A
20241005
道訓前古墳
20241005
金井東裏遺跡
20220612P
20221120A
20240129A
黒井峯遺跡
20220612P
空恵寺
20240129A
【食事】お食事処 辰麿
赤城歴史資料館から近く、この近辺の遺跡めぐりの際に便利な食事処。
渋川市赤城町上三原田917-7
0279-56-3356
メニューがたくさんあって迷ったがカレーうどんをチョイス。ご飯が付いて880円という良心的な価格設定。美味かった
【食事】一本松食堂
リーズナブルでヴォリュームがある。焼きまんじゅうもお勧め。
渋川市北橘町真壁1626-3
0279-52-2612
榛東村
茅野遺跡
かやのいせき
🅿あり
縄文時代後期後葉から晩期前葉にかけての大規模集落跡。600点もの土製耳飾が出土したことでも著名で、遺物は榛東村耳飾り館に展示している。
ヒガンバナがたくさん植えられていて見事。私が訪れた10月5日の時点では、雨のため花が倒れており、地元の人曰く、3日前くらいが良かったそうである。
20241005
榛東村耳飾り館
耳飾りに特化したミュージアム。順路通りに歩くと、普段は見ることがないであろう世界各国の美しい耳飾りを楽しみ、最後に縄文時代の耳飾りが現れる。世界中の耳飾りと縄文時代の耳飾りの比較ができて非常に興味深いし、面白い展示だ。メソアメリカにも縄文の玦状耳飾そっくりのものがあって驚いた。展示室内が写真撮影NGなのが残念だが、展示物の貴重さからすると、考古系というより美術系の施設に近いため仕方がないとも思う。
20241005
館林市
玉村町
軍配山古墳
大きさ不詳。玉村町のHPによると4世紀の築造。
大きさ不詳。
信長横死後の天正10年(1582)におきた神流川合戦の際には、滝川一益がここに陣をしき、軍配を振るったという伝えから軍配山古墳と呼ばれている。
20190818
千代田町
前橋市
130
前橋八幡山古墳
まえばしはちまんやまこふん
朝倉・広瀬古墳群
前方後方墳としては東日本最大で、全国でも4位の規模。登れる前方後方墳としたら全国2位になる。
130m(『朝倉・広瀬古墳群』前橋市教育委員会)
2期
20150505
20190818
20190825C
20220521A
129
前橋天神山古墳
まえばしてんじんやまこふん
朝倉・広瀬古墳群
危うく完全隠滅するところを地元の高校生の通報で助けられ、後円部の主体部付近だけが四角く削り残されている。2018年に訪れた時には東屋は撤去されていた。
2期
20150505
20190818
20190825C
20220521A
50
文殊山古墳
もんじゅやまこふん
前橋市山王町77
朝倉・広瀬古墳群
前期としてはかなり大きな規模になる円墳
50m(『朝倉・広瀬古墳群』前橋市教育委員会)
20150505
25
阿弥陀山古墳
あみだやまこふん
朝倉・広瀬古墳群
25m(『朝倉・広瀬古墳群』前橋市教育委員会)
20150505
104
前橋二子山古墳
まえばしふたごやまこふん
別称:天川(あまがわ)二子山古墳
前橋市文京町3-26
朝倉・広瀬古墳群
6世紀末頃の築造だが、その時点で104mもの大型前方後円墳を築造している点が驚きであり面白い。
10期
20150505
20190818
20190825C
20220521A
54.5
不二山古墳
ふじやまこふん
前橋市文京町3-2
朝倉・広瀬古墳群
墳丘長が前橋二子山古墳のちょうど半分であるが、相似形とされる説明は間違いで相似形ではない。
10期
20190818
20220521A
93.7
前二子古墳
まえふたごこふん
大室古墳群
MT15併行。MT15は、FA降下時で497年(+3/-6)。『埼玉』P.279
20170402
20170701C
20190818
20190825C
20200926C
20201017C
20201107C
20201129C
20201212C
20211123C
20221120A
111
中二子古墳
なかふたごこふん
大室古墳群
20170402
20170701C
20190818
20190825C
20200926C
20201017C
20201107C
20201129C
20201212C
20211123C
20221120A
85
後二子古墳
うしろふたごこふん
大室古墳群
20170402
20170701C
20190818
20190825C
20200926C
20201017C
20201107C
20201129C
20201212C
20211123C
20221120A
38
小二子古墳
しょうふたごこふん
大室古墳群
20170402
20170701C
20190818
20190825C
20200926C
20201017C
20201107C
20201129C
20201212C
20211123C
20221120A
M-1号墳
大室古墳群
20170402
20170701C
20190818
20190825C
20200926C
20201017C
20201107C
20201129C
20201212C
20211123C
20221120A
M-4号墳
大室古墳群
20170402
20170701C
20190818
20190825C
20200926C
20201017C
20201107C
20201129C
20201212C
20211123C
20221120A
大室はにわ館
20170402
20170701C
20190818
20190825C
20200926C
20201017C
20201107C
20201129C
20201212C
20211123C
20221120A
70
遠見山古墳
総社古墳群
20150504
20210320A
20211126A
75.6
王山古墳
総社古墳群
発掘当初は積石塚とされたが、最近ではそういう話題が出てこない不思議な古墳。
県内における最初期の横穴式石室を備えており、その長さは16.4mで東国では最長級。
そのうち、羨道は12mもあり、初期横穴式石室の羨道は細いのだが、墳丘上の川原石による石室平面の表示を見ると細いにもほどがあるほど幅が狭くてこれもまた不思議。
なお、狭くて長い石室の実物は、長野県飯田市の飯沼天神塚(雲彩寺)古墳で見ることができる(築造時期も王山古墳とほぼ同じ頃)。
20150504
20210320A
20211126A
60
王河原山古墳(湮滅)
総社古墳群
墳丘完全湮滅。王山古墳と総社二子山古墳の築造時期の間が少し空いているため、機械的にそこに編年されることがあるが、そんな安直な考え方でよいのか疑問。無理して首長墓系列を設定する必要は無い。
20210320A
20211126A
90
総社二子山古墳
総社古墳群
6世紀後半に築造された墳丘長90mの前方後円墳で、2段築成。葺石と埴輪が確認されている。
後円部と前方部にそれぞれ南側に開口する横穴式石室を備えており、後円部の石室は、全長9.4m(残存値)、玄室長6.8m、天井が崩落しているが、大きさは県内最大級。壁面は角閃石安山岩を使用。
前方部の石室は、全長8.7m、玄室長4.2m、頭椎大刀が出土している。なお、後円部の石室が先に造られている。
20150504
20171025
20171028C
20190214C
20210320A
20211017
20211126A
56
愛宕山古墳
総社古墳群
7世紀前半に築造された一辺約56mの方墳で、2段築成。葺石が施され、周堀は一重。墳丘は地元の方の墓地になっている。
横穴式石室は羨道・玄室からなるが、羨道は土砂で埋まっており正確な全長は不明。全長約7mの玄室には凝灰岩製の割抜式家形石棺が安置されている。
現在は石室の入口がかなり狭いため、しゃがまないと入れないが、中に入れば余裕で立てる天井高がある。
20150504
20171025
20171028C
20190214C
20210320A
20211017
20211126A
66
宝塔山古墳
総社古墳群
7世紀中葉に築造された一辺66mの方墳で、3段築成。葺石が確認されており、周堀は一重だが幅が広く、周堀を含めた一辺は102mで、この時代の方墳としては国内最大級。
石室は羨道・前室・玄室からなる複室構造で、全長12.04m、羨道長は3.56m、前室長は3.9m、
玄室長は3.32m。見事に整形された切石積みで組まれてる。
前室と玄室の入口には門柱状の石を設置して区画しており、壁面は漆喰を厚く塗り白く仕上げている。
玄室には輝石安山岩製の割抜式家形石棺が安置され、石棺の底面付近は格狭間様に割り込まれており、仏教の要素が垣間見られる。
20150504
20171025
20171028C
20190214C
20210320A
20211017
20211126A
44
蛇穴山古墳
総社古墳群
7世紀後半に築造された一辺44mの方墳で、2段築成。葺石が施され、二重堀を完備してる(ただし、外堀は規模が小さいため遠慮して「溝」と呼ばれる)。墳丘はかなり削られている。
石室は玄室のみのワンルームのような構造だが、「ハ」の字に開いた前庭部を持っている。玄室長は3m、幅は2.6mで、壁面と天井は一枚の巨大な石で組まれており、その精巧さには圧倒される。玄室壁面を白い漆喰で塗布しており、今でもその形跡が見られる。玄室入口の天井部分には、格狭間状の割り込みが施されている。棺は見つかっておらず牛伏砂岩製の棺台らしきものがあるのみ。
2021年度に発掘が行われ、墳丘の作り(外観)は従来の説とは違う知見がもたらされた模様(詳細は発掘調査報告書の刊行を待つ)
20150504
20171025
20171028C
20190214C
20210320A
20211017
20211126A
熊谷稲荷神社
20210320A
20211017
20211126A
山王廃寺跡
東国最古の寺院の一つで、創建は総社古墳群最後の首長墓である蛇穴山古墳とほぼ同時期。このことから、総社では古墳の築造から仏教の導入への時代の流れを見ることができる。
この寺跡は山王廃寺と呼ばれていたが、出土した瓦に「放光寺」の文字があることから本来の名前は放光寺だったと考えられ、上野三碑の一つである山上碑は、放光寺の僧長利が建立したことがその碑文から分かるため、山上碑の造立とリンクして面白い。
20150504
20190206
20190214C
20211017
20220522A
総社城跡
総社古墳群
20150504
天狗岩用水
20150504
20171025
20171028C
20190214C
20210320A
20211017
20211126A
秋元山江月院光厳寺
秋元氏の菩提寺で墓域もある
20150504
20171025
20171028C
20190214C
20210320A
20211017
20211126A
前橋市総社歴史資料館
総社古墳群や山王廃寺跡、それに江戸期の秋元氏と天狗岩用水について詳しく解説した資料館で、たくさんの無料パンフレットが入手できるのも嬉しい。
展示の中でも必見は、総社二子山古墳から出土した頭椎大刀(かぶつちのたち)の復元だが、総社古墳群以外にも、山王廃寺跡や近世領主・秋元氏についての展示も豊富。
入館無料。
20171025
20171028C
20190206
20190214C
20210320A
20211017
20211126A
上野国府跡
区画整理に従って少しずつ発掘調査が進められ、徐々にその内容が明らかになってきている。現状では目で見られる復元や説明板の設置はないが、宮鍋神社に国庁の想像図が掲げられている。
20150504
20190206
20190214C
20220522A
大友神社
20150504
蒼海城跡
総社神社近辺は、中世の蒼海城跡で、総社神社に平面図が掲げられている。
縄張的には近世城郭のように計画的なプランで造られておらず、家臣たちの力が強かったために郭の寄せ集めのような全体最適がされていないプランになっている。戦国時代前期の縄張の面影が濃厚。
20150504
20190206
20190214C
20220522A
石倉城跡
20150504
20210320A
20211126A
前橋八幡
20150504
24
上庄司原1号墳
横室古墳公園
20240129A
20
上庄司原2号墳(移築)
横室古墳公園
20240129A
16
上庄司原4号墳(移築)
横室古墳公園
20240129A
塩売原古戦場
横室古墳公園
20240129A
みどり市
岩宿遺跡
20170402
20170408C
20171209C
20180721C
20180821C
20181209C
20190529C
20190602C
20191117C
20200112C
20200301C
20220305C
20201119A
岩宿ドーム
20170402
20170408C
20171209C
20180721C
20180821C
20181209C
20190529C
20190602C
20191117C
20200112C
20200301C
20220305C
20201119A
岩宿博物館
いわじゅくはくぶつかん
20170402
20170408C
20171209C
20180721C
20180821C
20181209C
20190529C
20190602C
20191117C
20200112C
20200301C
20220305C
20201119A
西鹿田中島遺跡
さいしかだなかじまいせき
みどり市笠懸町西鹿田882-1
縄文草創期
20190123
20201119A
西鹿田中島遺跡ガイダンス施設
さいしかだなかじまいせきがいだんすしせつ
みどり市笠懸町西鹿田882-1
9:00~17:00
月曜休館
無料
20190123
20201119A
みどり市大間々博物館 コノドント館
20190818
みなかみ町
梨の木平敷石住居跡
柄鏡形敷石住居の遺構展示は大したことが無いという先入観があったが、ここは凄い。とても美しい。柄鏡形敷石住居をなめている方も是非見に行こう。
みなかみ町月夜野郷土歴史館に車を停めて、こちらと深沢遺跡配石遺構をセットで見学すると良いだろう。
20241005
深沢遺跡配石遺構(移築)
縄文時代後期の集団墓地。移築ではあるが、ストーンサークルとかそういうのが好きな人には堪らない遺構。
こういった遺跡は、一つひとつが個性的で、深沢遺跡配石遺構の場合は、一基ごとに形状や大きさがことなるところが面白い。
みなかみ町月夜野郷土歴史館に車を停めて、こちらと梨の木平敷石住居跡をセットで見学すると良いだろう。
20241005
みなかみ町月夜野郷土歴史資料館
続100名城の名胡桃城を推しているような雰囲気ではあるが、縄文遺物の展示が素晴らしい。
渋川市内もそうだが、利根川の上流部に来ると、関東西部の土器以外にも関東東部や北陸などの他地域とのミクスチャー的な土器が多く見ることができて楽しい。
矢瀬遺跡の貴重な木柱根がさりげなく置かれているし、土製耳飾も優品が多い。
弥生時代や古墳時代の遺物も展示してあり、じっくり見学するためにはある程度の時間を確保して臨もう。
ちなみにみなかみ町まで来てしまったら、火炎土器で有名な新潟県十日町市までは高速道路を使って一瞬なので、新潟方面と行程を繋げても良いだろう。
20241005
吉岡町
吉岡町文化財センター
20221120A
探訪懸案箇所
・上野国佐位郡正倉跡 伊勢崎市上植木本町
・十三宝塚遺跡 伊勢崎市境伊与久3344−311
・武井廃寺塔跡 桐生市新里町武井
・新田荘歴史資料館
・相川考古館
・結城屋分店