最終更新日:2023年11月20日
※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。
目次
石岡市

常陸風土記の丘
ひたちふどきのおか
石岡市染谷1646
0299-23-3888
公式サイト
有料エリアに遺物の展示室である展示研修施設や鹿の子遺跡を復元した鹿の子史跡公園などがある。
9時~16時(11月~2月)or17時(3月~10月)
月曜休館
一般310円

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【蕎麦】お食事処曲屋
常陸風土記の丘の有料エリアにある。



宮平遺跡
みやだいらいせき
石岡市染谷
常陸風土記の丘は、縄文時代の宮平遺跡の上にあり、出土遺物は風土記の丘の展示研修施設に展示してある。土器を始めとして優品が多い。

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染谷古墳群
石岡市
常陸風土記の丘に隣接して存在する群集墳で、かなりの広範囲に古墳が散在


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46
長堀2号墳
ながほりにごうふん
長堀古墳群
石岡市

46m(説)
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37
長堀6号墳
ながほりろくごうふん
長堀古墳群
石岡市
時期不明
前方後円墳?

37m
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柿岡佐志能神社
かきおかさしのじんじゃ
石岡市

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186
舟塚山古墳(舟塚山16号墳)
舟塚山古墳群
石岡市
関東・東北で2番目の規模を誇る前方後円墳
5期
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10
舟塚山13号墳
舟塚山古墳群
石岡市

時期不明
10m(『石岡を掘る4』)
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11.5
舟塚山14号墳
舟塚山古墳群
石岡市

11.5m(『石岡を掘る4』)
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23.8
舟塚山17号墳
舟塚山古墳群
石岡市

23.8m(『石岡を掘る4』)
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舟塚山9号墳の箱式石棺
舟塚山古墳群
石岡市
ふるさと歴史館の横に設置してある。古墳自体は終末期の一辺約10mの方墳。
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常陸国府跡
石岡市
石岡小学校の校庭がまさに国庁跡だが目で見られる遺構はなく、復元も全くない。学校敷地内にあるふるさと歴史館内に詳しいパネル展示がある。
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石岡市立ふるさと歴史館
石岡市総社1-2-10(石岡小学校敷地内)
0299-23-2398
公式サイト
石岡市内の郷土資料館的な位置づけの施設で、石岡市の歴史を知るためには必ず訪れるべき施設。係の方から地元の方ならではの話を聴くことができるため、時間に余裕をもって訪れよう。
10時~16時30分
月曜休館
無料

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常陸國總社宮
石岡市

20170415

常陸国分寺跡
石岡市
浄瑠璃山東方院国分寺の境内が古代国分寺の伽藍中心。現在薬師堂が建っている場所が金堂跡で、その北側には講堂跡、反対側の駐車場側には中門跡が残る。塔跡は住宅街の中に推定場所があるが、こちらの境内に塔心礎が安置されている。
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常陸国分尼寺跡
ひたちこくぶんにじあと
石岡市
西に筑波山を望む心地良い空間に金堂、講堂、中門、南門の基壇が復元され、回廊も位置が分かるようになっており、北方建物跡は短い柱列によって表示されている。ただし、説明板は全体をまとめるものが一基のみで、各ポイントには設置されていない。桜が美しい時期に訪れるのがとくにお勧め。
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鹿の子遺跡
かのこいせき
石岡市
律令時代に朝廷が東北へ進出する際にその武器などを生産した工房などが見つかっており、長屋形式の連坊式竪穴遺構は非常に珍しい。
現地には目で見られる復元などは何もないが、風土記の丘に建物の復元展示があり必見。

千代田の一里塚
石岡市

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【食事】オリーブの丘 石岡店
お手頃価格で美味しい洋食が食べたいときはお勧め。とくに平日ランチはお店の経営が心配になるほどの低価格。店内が広いため、グループでの遺跡めぐりでは重宝するだろう。

潮来市
71.5
子子前塚古墳(大生西部1号墳)
まごまいづかこふん
潮来市大生
110基以上の古墳からなる大生古墳群を構成する4つの支群の一つ・大生西部支群の盟主墳的古墳。「子子」と書いて「まご」と読ませる昔の人のセンスがいい。

10期とあるが、茨城県は中期とする
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63
天神塚古墳(大生西部4号墳)
潮来市大生

63m(DB)
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大生西部8号墳
潮来市大生
やや大型の円墳

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稲敷市
【食事】レストラン吉野
稲敷市内だが、美浦村の陸平貝塚からも近い。美味しい洋食がリーズナブルな価格で食べられて、お店の方も親切でお勧め。



鹿嶋市
かすみがうら市
富士見塚古墳公園展示館
かすみがうら市柏崎1553-3
029-896-0174
公式サイト
富士見塚古墳群を始めとしてかすみがうら市内の古墳から出土した埴輪などを展示してあり、パネル展示も丁寧なため見ごたえがあって楽しい。鹿の埴輪がとくに可愛い。
9時~16時30分
月曜休館
無料

20190323
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60
太子古墳
たいしこふん
かすみがうら市
元々は墳丘長60mの前方後円墳だったが現在は石室周囲の墳丘が残るのみとなっており、横穴式石室が随時開口している。玄室奥壁には朱色の丸紋が描かれており、装飾古墳の一つとして数えられる。現在でも赤い模様のようなものは見えるが壁画かどうかは分からない。
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松山瓦窯跡
まつやまかわらかまあと
かすみがうら市

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かすみがうら市歴史博物館
かすみがうら市坂1029-1
029-896-0017
公式サイト
新しい時代の霞ヶ浦の歴史がメインで、考古系はあまりない。写真撮影は館内すべてNGだったため何の展示があったのか記憶がほとんどない。
9時~16時半
月曜休館
一般220円(水族館も見学する場合は430円)

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古河市
許我の渡り
万葉集に現れる古代からの渡良瀬川の渡河地点

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川戸台遺跡
平安時代の製鉄遺跡。砂鉄はすぐ近くの渡良瀬川河床から採取。兵士が携行する鉄鍋などを製造していたが、時代的には元慶の乱の時期に重なるため、征討軍が使用した物資を製造していた可能性が高い

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古河城 桜門跡


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古河市歴史博物館および古河城 諏訪曲輪跡
古代・中世の展示は僅かしかないが、近世・近代は充実している。古河の歴史を知る上では必ず訪れるべき施設だが、今時写真撮影NGなのが残念。
敷地内周辺は古河城の諏訪曲輪跡で土塁が残る。

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鷹見泉石記念館

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【食事】うどん茶屋 俵屋
古河市茶屋新田50-4
0280-48-6611


桜川市

爪黒神社
永享12年(1440)3月3日(4日説もある)、持氏の遺児春王丸と安王丸が持氏の遺臣たちとともに常陸国の木所城で挙兵し、安王丸が総大将に奉じられた。
木所城の場所は判明していないが、桜川市の橋本城(別名吉所城)ではないかと言われており、爪黒神社はその麓にある。
爪黒神社の祭神は磐長姫命。神社の由緒によると、地頭太田伊勢守貞経が応永年中(1394~1427)に橋本山に城郭を構え、応永32年(1425)にその鬼門に当る大手先に静岡県松崎町の雲見浅間神社の磐長姫命を奉遷し城の守護神とした。
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鴨大神御子神主玉神社
祭神は主玉神、太田々根子神、別雷神。
挙兵した安王丸らは、同月4日には木所城にほど近い当社で戦勝祈願を行った。
奉納した人物の名は「御代衆景助」で、景助という名前の武士が代理を務めたことが分かるが、「助」を通字に持つ簗田氏の人物であると考えられている。簗田氏は、のちに古河公方の有力家臣となる一族。
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長方南の鎌倉街道
地元で鎌倉街道と呼ばれている古道跡。中世古道の雰囲気が残っている。
結城合戦の前段、春王・安王らはここを通過して西へ向かったはず。
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【蕎麦】魚勝
桜川市西小塙845-2
070-4105-4564
名前の通り海鮮関係もあるようだが、安くて美味しい手打蕎麦が食べられる。ただし、ご主人一人でやっており提供まで時間が掛かるため気長に待とう。


筑西市

小栗城跡
桓武平氏の小栗氏は、12世紀からこの地で代を重ねたが、応永30年(1423)、14代満重のとき、鎌倉公方持氏と戦い没落。
永享12年(1440)の結城合戦の前段では、木所城に10日間滞在した春王丸・安王丸らは、周囲にその存在を知らしめながら、4月13日には小栗城へ移動した。
タイミング的に、小栗氏没落の後なので、小栗城は空き家状態だったのだろう。
結城合戦後、小栗助重が結城城攻めの勲功により小栗城を回復した。
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伊佐城跡
『吾妻鑑』によると、文治5年(1189)8月の奥州藤原氏討伐における阿津賀志山の戦いで、常陸入道念西は、子息である常陸冠者為宗・同次郎為重・同三郎資綱・同四郎為家らとともに活躍しており、伊達家では、この確実に実在人物であることがわかる念西の名を朝宗とし、高祖としている。
念西の本貫地は、伊佐郡だと思われ、念西は伊佐を名字としていた可能性がある。伊佐氏は、平安時代には常陸国の在庁官人を勤める家系であった。
南北朝時代、伊達行朝は南朝側として戦ったが、伊佐城は興国4年(1343)に落城した。
結城合戦の前段で、春王丸・安王丸らが小栗城の次に移った場所が伊佐と伝わるが、それが今の伊佐城跡であったかは分からない。


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勸音寺
施無畏山延命院と号する天台宗の寺。
寺伝によると、中国梁の時代の580年頃に渡来した法輪獨守居士(ほうりんどくしゅこじ)が、この地に観音菩薩像を祀ったのが始まり。
646年には、阿部倉梯麻呂の姫の熱病を平癒させた霊験により孝徳天皇から「延命」の称を賜った。
源頼朝の平泉征伐の際に、当地の豪族・中村常陸介が武運を祈願。南北朝の戦いが激しかった1336年には、南朝方の伊達行朝が武運を祈念して本堂、仁王門、経蔵、鐘楼、五層塔を新たに造営し、比叡山より実相坊心海(じっそうぼうしんかい)が招かれ、中興開山された。
江戸時代になっても伊達家から篤く信奉されている。


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つくば市
沼田八幡古墳西側の古墳
詳細不明

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金田官衙遺跡(河内郡衙関連遺跡)
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説明板なし
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つくば市桜歴史民俗資料館


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土浦市

土浦市立考古資料館
土浦市


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56.2
后塚古墳
きさきづかこふん
王塚古墳群
土浦市手野町
形状は前方後円墳説があったが、最近の調査で前方後方墳であることが確定した。霞ヶ浦沿岸では、この規模の前方後方墳は本墳と小美玉市の勅使塚古墳(64m)しか見つかっておらず珍しい存在。

56.2m(『王塚古墳・后塚古墳』)
4C中葉
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83
王塚古墳
おうつかこふん
王塚古墳群
土浦市手野町

83m(『王塚古墳・后塚古墳』)
4C中葉
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60
今泉愛宕山古墳
いまいずみあたごやまこふん
土浦市今泉町原田
愛宕山古墳群

60m(DB)
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行方市
【食事】ばんどう太郎
茨城県に多いファミレス系のお店だが、三昧塚古墳から車ならすぐの場所に玉造店がある。冬は味噌煮込みうどんが最高


坂東市

國王神社

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美浦村

美浦村文化財センター
おかだいらかいづか
美浦村


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結城市

結城城跡
永享12年(1440)4月21日、春王丸・安王丸らは結城氏朝に迎えられ結城城に入り、盟主の安王丸は、結城城から各地へ檄を飛ばした。世に言う、結城合戦の始まりである。
結城氏は、藤原秀郷の子孫・小山政光の三男・朝光に始まり、鎌倉時代は代々結城を本拠地とた。
結城氏は南北朝時代には南朝側として戦い、その頃に結城城を築城したが、築城当時は本拠地ではなく、純粋な軍事的拠点だったと考えられる。
朝光以来の本拠地は、結城城の南南西約4㎞の地点にある「城の内」と呼ばれる館跡の可能性が高い。
1360~70年頃になると、結城氏は結城城を本城としたことが、周辺の寺院の創建年代から推測できる。
平城で、現在は周囲との高低差があまりなく、防御力は高そうには思えないが、実際には要害堅固な城だった。
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結城蔵美館
ミニ郷土資料館的な展示で、結城市内の遺跡から出土した考古遺物も少し展示してあり、意外と良いものがあるので考古系が好きな人もぜひ訪れよう。



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探訪懸案遺跡
新治廃寺跡 附 上野原瓦窯跡
新治郡衙跡
広畑貝塚
鹿島神宮境内 附 郡家跡
小幡北山埴輪製作遺跡
結城廃寺跡 附 結城八幡瓦窯跡
長者山官衙遺跡及び常陸国海道跡
芦間山古墳
長辺寺山古墳
要害山1号墳
取手市埋蔵文化財センター
鹿嶋市どきどきセンター
桜川市歴史民俗資料館
つくば市出土文化財管理センター