かないざわひ 神亀3年(726)に建立
古代の石碑・上野三碑(こうずけさんぴ)の一つ
上野三碑は高崎市が運行する無料巡回バスでめぐることができる
カーナビで行くと裏の住宅地へ誘われることがあるので注意(住宅地からは行けない)
駐車場、トイレあり
駐車場からは少し階段を登る
現地説明板
解説
※本項の写真は、特に断りが無い限り2022年6月4日にAICTで訪れた時に撮影したものです
駐車場からは少し階段を登ります。
登りつめたところに覆屋が登場。
壁には電灯や音声案内のスイッチがあるので、説明を聴いてみましょう。
写真を撮るときは、ガラス面にカメラを密着させるようにして撮るときれいに撮れます。
金井沢碑は、上野三碑の一つで、聖武天皇の御代、神亀3年(726)の建立です。112文字が刻まれています。
当地の豪族である三家(みやけ)氏の一族6名と、彼らと一緒に知識(信仰グループ)を結んだと考えられる3名の人びとの名が刻まれており、建立の目的は、一般的な説としては先祖供養とされます。
筆頭の人物の名は欠字により不明ですが、三家を氏とすることから、山上碑に登場する佐野屯倉の関係者の末裔と考えることができます。また、この碑に刻まれたメンバーを見ると、すでに嫁いでいる筆頭人物の娘が自分の子らを率いて実家の祭祀に参加していたことが分かり、その際は、嫁は夫を連れてこない風習があったことがうかがえます。つまり、娘は嫁いだ後も父方との親密な関係が続くのが古代の風習であり、古墳時代に夫婦が一緒の古墳に入るケースは例外的で、妻は死後は実家の古墳に入るのが一般的だったという説と符合しています。
なお、既述した通り、建立の目的が先祖供養にあるというのは一般的な説ですが、先祖供養のためにこういった石碑を立てる風習は当時の日本にはほとんどありません。
石碑の建立は、刻された内容を永久に周囲に対して誇示しつづけることが目的ですから、三家氏の人びとは地域における政治的な関係から自らの地位を明示する必要に迫られていたと考えることもでき、またその際の表現方法として、日本人に馴染みのない石碑を選んでいることは、渡来系氏族であることへのアイデンティティの発露ではないかと考えます。さらに言えば、石碑の建立はかなりの費用が掛かるため、石碑を建立したこと自体がその主体者の財力が豊富であるということを周囲に見せつける効果があったでしょう。
それともう一点、現在の群馬という文字は、元々は「車(くるま)」でしたが、金井沢碑は羣(群)馬という文字の初見史料となります。
なお、既述した通り、上野三碑は無料巡回バスでめぐることができます。詳しくは下記ページをご覧ください。
高崎市公式HP内「上野三碑めぐりバス」のページ
関連施設
多胡碑記念館では、上野三碑をはじめとした古代の石碑について詳しく説明しています。
また、JR高崎駅のコンコースには、上野三碑のレプリカが展示してあります。
参考資料
● 現地説明板
● 高崎市教育委員会の上野三碑解説サイト
●『金井沢碑の遺産』(多胡碑記念館/編・2020)