最終更新日:2023年5月1日
長持形石棺は、概ね中期の古墳に使用された石棺で、「王者の棺」の通称がある通り、最高グレードの石棺とされます。ただし、大王が埋葬されたことが確実に分かる長持形石棺は、現状では一つも見ることができません。
長持形石棺が使用された古墳は、現在は見ることができない言い伝えレヴェルのものも含めて30基以上あります。
編年図
下図は、堺市立博物館に展示してある図で、主な長持形石棺が掲載されています。

考古遺物のほとんどに言えることとして、その種のものが初めて造られたときが最も凝った造りになっていて、時間を経るにしたがって省力化され、形が崩れていきます。上図で分かる通り、古いものは天井面に格子状彫刻を施していますが、それもすぐになくなります。
縄掛突起の数は被葬者のランクを表しているといわれていますが、私自身、それについて深く考察したことはありません。
130
松岳山古墳/大阪府
後円部墳頂に埋もれた状態で現存します。ただし、これはまだ、長持形石棺になる前段階のものであると考える研究者もいます。

208
津堂城山古墳/大阪府
後円部から見つかり、調査後に埋め戻されましたが、レプリカが「まほらしろやま」の敷地内にあります。これが長持形石棺の第一号にして、最高傑作とされます。

238
室宮山古墳/奈良県
後円部墳頂に埋もれた状態で現存します。石槨内には入れますが、さすがに石棺内には入れません。
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出石の謎の石棺/兵庫県
町内では長持形石棺の欠片が見つかっており、いずし古代学習館に展示してあります。天井に格子状彫刻があるため古いタイプだと考えられます。


125
お富士山古墳/群馬県
関東・東北(というか東日本)で唯一見ることができるもので、後円部に建てられた覆屋のなかに保存されています。クラツーでは5回も案内しましたが、これが物凄く貴重な物であることが分かってくれたかなあ?

140
屋敷山古墳/奈良県
葛城市歴史資料館に展示してあります。

50
産土山古墳/京都府
10分の1サイズの模型ですが、京丹後市立丹後古代の里資料館に展示してあります。50mの円墳にもかかわらず、長持形石棺が使われているという事実は、いかに丹後半島の勢力がヤマト王権にとって重要な存在であったか考察する材料になるでしょう。

光明院石棺/大阪府
堺市立博物館に長持形石棺の欠片の展示があり、御廟山古墳(203m)の石棺の可能性があります。

143
壇場山古墳/兵庫県
後円部墳頂に埋もれた状態で現存します。見ると、つい掘ってみたい衝動に駆られますが、掘ったことはありません。
当たり前です。

60
山之越古墳/兵庫県
墳丘上に姿を現しています。60mの方墳である点も注意です。
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94
前塚古墳/大阪府
大阪府立近ツ飛鳥博物館に展示してあります。古墳自体は帆立貝形ですが、帆立貝形の中ではおそらく全国で5番目に大きい古墳になると思います。

180
久津川車塚古墳/京都府
京都大学総合博物館に展示してあるほか、京都府立山城郷土資料館にはレプリカがあり(写真撮影NG)、城陽市歴史民俗資料館では、復元展示があって、副葬品などの埋葬状況がよく分かります。


525
大山古墳(仁徳天皇陵)/大阪府
前方部の主体部から見つかり、埋め戻されましたが絵図が残っているため、それを元に復元したものが堺市立博物館に展示してあります。天皇陵のものですが、前方部であるため大王はこの棺には葬られていないはずです。
縄掛突起の先端のみ赤く塗っていたようです。

156
雲部車塚古墳/兵庫県
兵庫県立歴史博物館に、精巧な復元模型が展示してあります。

87.5
弁天山古墳/千葉県
これは長持形石棺ではないのですが、竪穴式石室(石槨)の3枚の天井石のうちの1枚(中央)を長持形石棺風に造っている変わり種です。しかも、もう1枚(向かって右側)もきちんと整形した石ではなくて、海岸から持ってきた石をほとんどそのまま使っているような感じがまた面白いです。
整形した石を3枚揃えなかったのは、被葬者のこだわりだったら良いですが、途中で予算を使い果たした結果であれば気の毒です。あるいは、後世の人が1枚持って行ってしまい、その代わりに置いたのかもしれないとか、これだけで色々なストーリーが考えられて楽しいですね。
