AICTにて探訪した際のレポートをお伝えします。

 当日は事前調査をせずに訪れたため、古墳の名前は分からなかったのですが、帰宅後に調べたのでそれをもとに記述します。

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 異様に顔面の変形したシャーマンかも知れない人骨が出土した松坂古墳の探訪を終え、高千穂を目指して東進します。

 途中、阿蘇のカルデラ内を通りますが、3年くらい前だったか、クラツーのお客様からカルデラ内にたくさんの古墳があるのをテレヴィで見たという話を聴いて以来、ずっと気になっているため、オマケ程度になりますがカルデラ内の古墳を見てみたいと思います。

 阿蘇カルデラの北部には、中通古墳群というのがあります。そのなかで最大の前方後円墳である長目塚古墳を目指します。

 中通古墳群はこの辺ですね。周囲を観察してみましょう。

 墳丘がポコポコと見えますよ。

 左側のは車塚1号墳(車塚A古墳)、真ん中あたりの赤い植物が生えている場所は、古墳のように見えますが定かではなく、少なくとも墳丘はありません。そしてその右に入道塚古墳があるようです。

 車塚1号墳。

 よく見ると、車塚1号墳の右側には車塚2号墳の小さな墳丘が見えます。

 赤い植物に囲まれた場所には、石碑や墓石が集められているようです。

 ここからの角度だと木立と重なっており、木立の向こうに入道塚古墳があります。

 では、少し移動しましょう。

 入道塚古墳の姿が露わになりました。

 入道塚古墳の右手奥には車塚1号墳。

 おっと、説明板発見。

 これによると、古墳群は中期から後期にかけ築造され、現状では2基の前方後円墳と9基の円墳があるようです。

 ではここで、中通古墳群の分布図を見てみましょう。

『中通古墳群を考える』(阿蘇市教育委員会/編・2021)より転載

 この図には説明板が言うところの9基の円墳の内、ウバガ塚古墳だけ記されていませんが、消滅してしまったようなので、現在見られる円墳は8基と考えられます。

 最初私たちは、図中の右下あたり、「国土地理院」の文字の北側の十字路に到達し、そこから探訪を開始していますが、目指すは長目塚古墳です。

 長目塚古墳は、東岳川の西岸にありますが、そちらへは銭亀塚の南側の橋を渡らないと行けないようです。

 細い砂利道を通り抜けると、南方に勝負塚古墳が見えました。

 

 周囲は墓石に囲まれています。

 車塚1号墳も見えます。

 南側にある阿蘇の山々はちょうど逆光ポジションになっていますが、頂上がギザギザのいかにも噴火しちゃった的な山が、阿蘇五岳の一つ・根子岳で、標高は1408m。私は登山はしないのですが、初心者向けの山ではないらしく、面白そうな雰囲気を醸し出しています。

 こちらは入道塚古墳。

 勝負塚古墳の前に来ました。

 お墓に囲まれていますね。説明板がありますよ。

 ここに書いてある通り、中通古墳群の円墳の中で最大規模で、径58.7mを誇ります。

 円墳としては大型の部類に入りますね。

 南西側には銭亀塚が見えます。

 勝負塚古墳と同じ通り沿いにある車塚1号墳へ行ってみましょう。

 手前には小さな円墳である車塚2号墳も見えます。

 車塚2号墳。

 可愛らしい円墳です。

 車塚1号墳の横から見ます。

 車塚1号墳。

 車塚1号墳にも説明板がありました。

 こちらも径47mもありますから、結構大きいですね。

 西側には銭亀塚古墳。

 円墳ということですが、東側から眺めると南北の軸で、前方部を南に向けた前方後円墳に見えるんですよね。

 「銭亀塚」という名前は前方後円墳あるいは5世紀の築造でしたら帆立貝形を連想させられますが、円墳だそうです。

 では、主役の長目塚に行ってみましょう。

 東岳川西岸の細い道を北上して行くとありました。

 説明板があります。

 南九州でも日向の前期古墳は、ほとんどが柄鏡形なのですが、肥後の阿蘇地方でも柄鏡形が造られたんですね。

 ただし、説明板に書かれている通り、築造されたのは5世紀ということなので、中期にまでその遺風が残っていたということでしょうか。

 墳丘長111.5mというのもかなり大きく、熊本県で3番目に大きな古墳です。

 周堀と外堤も備えていたようです。

 墳頂に登って周囲の眺めを見てみましょう。

 西側にも古墳が点在しています。

 これらの中で一番南に位置する上鞍掛塚B古墳。

 少し大きそうな円墳です。

 その北側にも小さな円墳が見えます。

 鞍掛塚B古墳ですね。

 さらにその北側には円墳の鞍掛塚A古墳が見えます。

 目立つ前方後円墳は、上鞍掛塚A古墳です。

 みんな綺麗に下草が刈られており、とても美しい姿をしています。

 しかし素晴らしい景観だ。

 長目塚古墳の前方部を見てみましょう。

 現状は、車が停まっているあたりまでしから墳丘が無いのですが、元々はその先の東岳川の場所にまで前方部が伸びていました。河川改修によって前方部が破壊されてしまったのです。

 南側の阿蘇五岳を眺めます。

 ギザギザの根子岳(1408m)は先ほど紹介しました。

 左(東)側から、最高峰の高岳(1592m)、中岳(1506m)、この角度だと二子山のように見えるのは烏帽子岳(1337m)と杵島岳(1321m)です。

 でも、北側の外輪山から連なっているこの山も気になるんですよね。

 ちなみに、前日は熊本空港に降り立ったのですが、上空から阿蘇カルデラを望むことができました。

 あんまり上手に撮れなかったのですが、阿蘇カルデラのスケールの大きさに感動しました。

 噴煙が上がっているのも目視できました。

 外輪山はまるで巨大な土塁に見えて、世界最大の巨大城郭に見えます。

 しかし窓を拭きたい。

 ちなみに機種はボーイング737-800でした。

 ボーイング737というとかなり古い飛行機というイメージがあると思いますが、800番台は大幅に改造されており、ウイングレットといって主翼の先端を曲げてしまったのも特徴のひとつです。こうするだけでも燃費が向上するので、最近の飛行機ではよく見られますね。

 余談の余談ですが、帰りの飛行機も同じ機種でしたが、乱気流によって今までで最高の揺れを体験しました。シートからお尻が浮き上がったり、どこからか女性の悲鳴が聞こえて来たり、飛行機代に遊園地のアトラクションの料金が含まれていると考えれば得した気分でした。

 では、墳丘を降ります。

 向こうには、上鞍掛塚A古墳が見えます。

 

 長目塚古墳を北側サイドから確認してみます。

 後円部。

 現状では前方部はこのように切断されています。

 元々前方部が伸びていた東岳川。

 河川改修のために前方部が破壊される前に調査が行われており、前方部から墳丘の主軸に長軸を合わせた竪穴式石室が見つかっています。大きさは、1.85m×85㎝で、墳頂から50㎝ほど掘ったときに天井石にあたりました。

 前方部の竪穴式石室は未盗掘で、石室内からは石枕を下にした頭蓋骨が見つかっており、出土遺物は阿蘇神社に保管されています。

 なお、発掘調査が行われたのは前方部のみで、この古墳の最初の主が眠っていると考えられる後円部では行われていません。

 以上で、中通古墳群の探訪は終わりです。

 当初は長目塚古墳だけ見てすぐに移動しようと思っていたのですが、あまりにも景観が美しいので、結局現存する10基をすべて見てしまいました。

 全然下調べをしないできて、従って解説できるほどの知識はないのですが、純粋な古墳めぐりを楽しんでいただけたかと思います。

 さて、時刻は12時半です。

 高千穂へ行く前にランチを食べたいですね。

 車に乗り込み、山道をグングン登って行くと、右手に「峠」というお店が現れました。

 一瞬の判断で駐車場に侵入。

 お腹が空いているので何でもいいので食べたい。

 全員ちゃんぽんを注文。

 昨日から車を走らせていて思っていたのですが、熊本の人ってちゃんぽんが好きみたいですね。

 おでんも置いてあり、なんと1本100円!

 厚揚げを1本いただきます。

 よく味が染みていて美味い。

 少しして出てきたちゃんぽんも最高です。

  

 元々ちゃんぽんはそれほど食べなかったのですが、今年の夏に長崎に行った時に現地で食べて以来、私はちゃんぽん好きと化しています。

 野菜がたくさん食べられるのがなにしろありがたい。

 美味しくてスープを飲み干してしまいました。

 おでんも美味しいし、家の近くにあったら通いたい店です。

 

 お腹いっぱい幸せ気分になりました。

 それでは、高千穂へ向かいましょう。