たごひ 和銅4年(711)に建立か

 

古代の石碑・上野三碑(こうずけさんぴ)の一つ

多賀城碑、那須国造碑と並ぶ「日本三古碑」の一つ

上野三碑は高崎市が運行する無料巡回バスでめぐることができる

多胡碑記念館と同じ公園内にあるためカーナビで行くときは、多胡碑記念館を目指せばよい(電話番号:027-387-4928)

同敷地内には古墳の移築もある

駐車場、トイレあり

 

 

現地説明板

現地説明板(2022年6月4日撮影)
現地説明板(2022年6月4日撮影)

 

解説

※本項の写真は、特に断りが無い限り2022年6月4日にAICTで訪れた時に撮影したものです

 覆屋へは山上碑や金井沢碑と違って駐車場から凹凸なく行けます。

 覆屋の前に解説員がいたら、分からないことはどんどん聴いてみましょう。

 多胡碑は、上野三碑の一つにして、「日本三古碑」の一つ。多賀城碑、那須国造碑とともに日本の古代石碑の頂点に君臨します。

 内容は、『続日本紀』によっても建郡が裏付けられる和銅4年(711)の多胡碑建郡を知らしめたもので、建立もその年ではないかと考えられます(元明天皇御代)。文字数は60文字で、山上碑や金井沢碑よりもフォントが大きくダイナミックで読みやすい。両碑と比べると、可愛らしい文字です。

 律令国家から建郡について発令された官符の内容を写したような文面で、上野国の片岡・緑野・甘良の各郡から300戸を割いて多胡郡を建て、その長官には「羊(ひつじ)」という人物が任じられたことが分かります。内容からすると、建立者は多胡郡の初代郡司となった羊であると考えられますが、羊という人物のフルネームや実態については不明(なぜか七輿山古墳の伝承にも登場します)。石碑を建てていることから、羊は渡来系の人物でしょう。

 文面最後には何の脈略もなく、天武天皇の第5皇子で当時政権のトップであった知太政官事・穂積親王と、彼を助けて政治を行っていた左大臣・石上麻呂、それに右大臣・藤原不比等の名が刻されており、『続日本紀』の世界をリアルに感じ取ることができ興奮を禁じ得ません。なお、彼ら3名の名を刻んだのは羊自身の権威付けのためと、3名に阿る気持ちがあったのだろうと推測します。

 なお、既述した通り、上野三碑は無料巡回バスでめぐることができます。詳しくは下記ページをご覧ください。

  高崎市公式HP内「上野三碑めぐりバス」のページ

 

関連施設

 多胡碑記念館では、上野三碑をはじめとした古代の石碑について詳しく説明しています。
 また、JR高崎駅のコンコースには、上野三碑のレプリカが展示してあります。

 

参考資料

現地説明板
高崎市教育委員会の上野三碑解説サイト
『多胡碑の記憶』(多胡碑記念館/編・2019)