やまないせづかこふん 65m 6世紀末

 

山名古墳群最大の墳丘長65mの前方後円墳で地域首長墓

被葬者は山上碑に登場する健守命か

山名古墳群の南側の県道200号線沿いに駐車場がある

駐車場は大型バスも入れるので旅行会社の方もどうぞ

 

 

現地説明板

現地説明板(2022年6月4日撮影)

 

解説

 山名古墳群の中で最大の規模を誇る墳丘長65mの前方後円墳です。説明板によると、築造時期は6世紀末とされ、2段築成で、埴輪と葺石を伴いました。

 後円部側から見ます。

 墳丘はかなり低く削られている印象を受けます。

 主体部は横穴式石室で、後円部南側に開口部があるようですが、発掘調査時には玄室は調査していないので全貌は不明です。

 後円部墳頂に登り、西側の前方部側を見てみます。

 説明板の図によると、周囲には周堀がめぐっていたようです。

 山名伊勢塚古墳が築造された6世紀末は、全国的に前方後円墳の築造が終焉を迎える時期で、この時期で65mの大きさは、地域の首長墓として申し分ないです。近辺の同規模の古墳を見ると、漆山古墳が70m、諏訪山古墳が58mということで、これらの古墳の被葬者と同様に、山名伊勢塚古墳の被葬者は地域のリーダーでした。なお、白石稲荷山古墳の近くに墳丘長60mの白石二子山古墳がありましたが湮滅しています。

 被葬者像をもっと具体的に考察すると、群馬県内の研究者の間では、山上碑の碑文に登場する佐野の屯倉の管掌者の健守命と考えられていますが、健守命の墓に関しては、漆山古墳とする研究者もいます。

 最近の調査では、漆山古墳の墳丘長が従来よりも大きいことが分かり、もしかすると100mを越えるかもしれないということで、単純に規模だけを見たら、漆山古墳の可能性が高いですが、おそらくこれからしばらくの間は、研究者の間で健守命の墓についての議論が活発に行われるのではないでしょうか。

  

参考資料

現地説明板
『群馬の古墳物語 下巻』(右島和夫/著・2018) P.42~

『古墳時代東国の地域経営』(若狭徹/著・2021)

 

一覧へ戻る