最終更新日:2024年1月15日

 群馬県には13,000基を超える古墳があり、探訪した古墳の数も多いため、下図の通り3ブロックに分けて紹介します。古代の地域的なまとまりとは関係がありません。
 本ページでは南西部をご紹介します。

 

目次

安中市

高崎市

玉村町

藤岡市

 

 

安中市

80
簗瀬二子塚古墳

安中市簗瀬

 
 

詳細ページ

20211128A

 

 

高崎市


日高遺跡

 
 

20220904A

【鉄道】JR上越線

日高遺跡のど真ん中をJR上越線が通っており電車がよく見える

96
元島名将軍塚古墳

もとしまなしょうぐんづかこふん

2013年5月5日撮影
 

2期

総覧171

20130505
20150506
20170402
20170408C
20171209C
20180721C
20180821C
20181209C
20190529C
20190602C
20191117C
20200112C
20200301C
20211127A

30
お伊勢山古墳

別称:滝川村1号古墳

昭和45年12月に発掘調査が行われているが、主体部は未調査のため不明

30m(総覧)
総覧96

 

20211127A

20
下滝3号墳

未発掘

20m(総覧)
総覧95

 

20211127A

60
前山古墳

別称:滝川村2号古墳

昭和41年1月に発掘調査が行われ、両袖型の横穴式石室が見つかっている

60m(総覧)
総覧89

 

20211127A


慈眼寺1号古墳

慈眼寺境内にある古墳は戦前からアルファベットで呼んでいたようだが、『群馬県 古墳総覧』の一覧表の記載を見ると、1号古墳と3号古墳は、どちらがA号墳かC号墳なのか今となっては不明のようだ。

昭和45年12月に発掘調査が行われているが、主体部は未調査のため不明。

総覧83

 

20211127A

10
慈眼寺2号古墳

別称:大師堂古墳

昭和45年12月に発掘調査が行われているが、主体部は未調査のため不明

10m(総覧)
総覧84

 

20211127A


高崎市歴史民俗資料館


 
 

20150506
20170402
20170408C
20171209C
20180721C
20180821C
20181209C
20190529C
20190602C
20191117C
20200112C
20200301C
20211127A

171.5
浅間山古墳

倉賀野古墳群

 
 

詳細ページ

20171025
20200822T
20211127A


123
大鶴巻古墳

浅間山古墳と同じころに築造された大型前方後円墳

 
 

詳細ページ

20171025
20200822T
20211127A



53
大山古墳

 

言及ページ

20200822T
20211127A



46
庚申塚古墳

 

言及ページ

20200822T
20211127A



87.5
小鶴巻古墳

 

詳細ページ

20200822T
20211127A



100+?
漆山古墳

山上碑に登場する健守命の墓の候補の一つ

 
 

詳細ページ

20200822T
20211127A



佐野村28号墳

 

言及ページ

20200822T



佐野村30号墳

 

言及ページ

20200822T



佐野村32号墳

 

言及ページ

20200822T





定家神社

 
 

言及ページ

20200822T




放光寺・放光明神跡

 
 

言及ページ

20200822T
20211127A



61.2
普賢寺裏古墳

 

61.2m(DB)
説明板なし

20200822T
20211127A

94
不動山古墳

 
 
 

8期
説明板では5C後半

20200822T
20211127A

97
綿貫観音山古墳

 
 
 
 
 
 
 

10期

総覧786

20171025
20200822T
20211127A


群馬県立歴史博物館

ぐんまけんりつれきしはくぶつかん
高崎市綿貫町992-1
027-346-5522
公式サイト
9:30~17:00
月曜休館
一般300円

 
 
 
 

20190123
20200822T
20210321A
20220527A

108
井出二子山古墳

保渡田古墳群

上毛野において新技術の登場と須恵器を対応させると、鉄器生産は TK216型式(富岡市上丹生屋敷山遺跡の羽口・鉄鋌など)、舟形石棺の量産開始が ON46・TK208型式(岩 鼻二子山古墳、不動山古墳)、窯業生産が TK23・47型式(藤岡猿田埴輪窯、井出二子山古墳出土須恵器)、三ツ寺Ⅰ遺跡といった豪族居館が造られる時期が、TK23型式期となり、5世紀中葉前後が画期(『東国における古墳時代地域経営の諸段階』若狭徹著)

2013年5月5日撮影
 
 

8期

20130505
20170504T
20170701C
20180331C
20180912C
20181021C
20190209C
20200926C
20201017C
20201107C
20201129C
20201212C
20211123C
20211128A




三ツ寺Ⅰ遺跡

豪族居館跡。若狭徹氏は、三ツ寺Ⅰ遺跡の設置者は、井出二子山古墳の被葬者に比定している。

 
 

20211128A



96
保渡田八幡塚古墳

保渡田古墳群

2013年5月5日撮影
2021年11月23日撮影
 
 

8期

20130505
20170504T
20170701C
20180331C
20180912C
20181021C
20190209C
20200926C
20201017C
20201107C
20201129C
20201212C
20211123C
20211128A




105
保渡田薬師塚古墳

保渡田古墳群

 
 

8期

20201107C
20211128A




井出北畑遺跡(移築)

2013年5月5日
 

20130505
20211128A



20
下芝谷ツ古墳

 
 

20211128A





かみつけの里博物館

2018年3月31日撮影
2019年2月9日撮影

20130505
20170504T
20170701C
20180331C
20180912C
20181021C
20190209C
20200926C
20201017C
20201129C
20201212C
20211123C
20211128A

剣崎稲荷塚古墳跡

 

20220522A

剣崎長瀞西遺跡

 

20220522A

35.5
剣崎長瀞西古墳

 
 

35.5m(説)

20220522A

15
物見塚古墳

 
 

15m(説)

20220522A

105
平塚古墳

ひらつかこふん
八幡古墳群

 

105m(DB)
8期

20170402
20220522A
説明板なし

66
八幡二子塚古墳

八幡古墳群

2017年4月2日撮影
2022年5月22日撮影
2022年5月22日撮影

10期

20170402
20180331C
20180912C
20181021C
20190209C
20220522A

105
八幡観音塚古墳

八幡古墳群

2022年5月22日撮影
 
 
 

10期

20170402
20180331C
20180912C
20181021C
20190209C
20220522A

八幡遺跡20号墳(移築)

 
 

20170402
20220522A


八幡八幡宮

 

20220522A


観音塚考古資料館

 

20170402
20180331C
20180912C
20181021C
20190209C
20220522A

65
山名伊勢塚古墳

山上碑に登場する健守命の墓の候補の一つ

 

詳細ページ

20220604A
20220904A
20221012A

16.5
山名原口Ⅱ号古墳

藤岡の伊勢塚古墳と同じく、模様積みの側壁が見られる

 
 
 

20220604A
20220904A
20221012A


山名古墳群

後期から終末期の群集墳で、19基の古墳が保存されている。

群馬県では13,000基以上の古墳が確認されているが、意外と「古墳ポコポコ地帯」的な景観が現在も残っているところは少なく、ここではとくに良いものが見られて貴重。世界遺産である福岡県福津市の新原奴山古墳群と似た雰囲気がある。

各古墳は川原石が多用されており、葺石というよりかは、まるで積石塚のように見える古墳もある。

 
 
 

20220604A
20220904A
20221012A

15
山上古墳

山上碑を建立した長利の先祖が築いた古墳で、上毛野ではいち早く切石積の横穴式石室を採用。

 
 

詳細ページ

20190206
20220604A
20220904A
20221012A


山上碑

上野三碑のひとつで、天武天皇の681年に建立され、古事記リリースの31年前の文字史料として格別に重要。

 

詳細ページ

20190206
20220604A
20220904A
20221012A


金井沢碑

上野三碑のひとつで、神亀3年(726)に建立され、奈良時代の家族のあり方が分かる貴重な史料

 

詳細ページ

20190206
20220604A
20220904A
20221012A

32.6
片山1号古墳(移築)

多胡碑や多胡碑記念館がある「吉井いしぶみの里公園」にある移築古墳。

元々は32.6mという大きな円墳だったが、円墳を墳丘ごと移築したのではなく、粘土槨のみ移築して土で覆っているという、ある種、粘土槨の保存施設のような土盛り。肝心の粘土槨は見ることはできない。

 
 

20190206
20220604A
20220904A
20221012A

17
南高原1号古墳(移築)

多胡碑や多胡碑記念館がある「吉井いしぶみの里公園」にある移築古墳。

横穴式石室は開口しているが扉に鍵がかかっており中に入ることはできない。

扉から覗くと、移築された実物の奥壁や一番奥の天井石を見ることができるが、結構大きくて良い。

 
 
 
 

20190206
20220604A
20220904A
20221012A


多胡碑

上野三碑の一つにして、「日本三古碑」の一つ。多賀城碑、那須国造碑とともに日本の古代石碑の頂点に君臨する。

内容は、続日本紀によっても建郡が裏付けられる和銅4年(711)の多胡碑建郡を知らしめたもので、建立もその年か。

 

詳細ページ

20190206
20220604A
20220904A
20221012A


多胡碑記念館

たごひきねんかん
高崎市吉井町池1085
027-387-4928
公式HP

9時半~17時(最終入館16時半)
月曜休館
※上野三碑「世界の記憶」登録記念のため令和5年(2023)3月31日まで観覧無料

多胡碑の近くに建てられた資料館で、上野三碑や国内の石碑、それに諸外国の文字について展示解説がなされている。よくある歴史系資料館とはちょっと雰囲気が違って、とても面白い。考古系としては、多胡郡衙跡の遺物やパネル展示もある。

上野三碑が建立された当時のストーリーを紙芝居風にまとめた映像が放映されており、とても分かりやすく、上野三碑について理解するには最適なのでぜひ見てみよう。

各種図録やグッズの販売もあり、とくに上野三碑のキャラクター(ヤマピー、タゴピー、カナピー)がデザインされたクリアファイルがファンシーでお勧め。

 
 

20190206
20220604A
20220904A
20221012A

【食事】そば処 いな垣

高崎市吉井町池1606-7
027-387-8578
日曜定休

多胡碑記念館の近くにあるため、上野三碑めぐりの際のランチで立ち寄るのにベストロケーション

群馬といえばソースカツ丼。蕎麦とのセットはヴォリュームもあって美味い


上野国分寺跡

遺跡は、高崎市東国分町・引間町から前橋市元総社町にかけて所在するが、便宜上ここに記載する。

東大寺式伽藍配置と呼ばれる配置方法で建てられ、寺域は東西220m、
南北235mと推定されている。

現地には、一辺約19mもある七重塔の基壇や金堂基壇、そして築垣の一部が復元されており、築
垣は当時の工法で現地の方々によって造られた。

 

20150504
20190206
20190214C
20211019
20220522A


上野国分寺跡ガイダンス施設

七重塔の模型や国分寺跡から出土した瓦などが展示してある。

 
 

20150504
20190206
20190214C
20211019
20220522A


上野国分尼寺跡

現況は畑で、標柱が立ち、その傍らに礎石が置
いてあるだけ。平成28年度以降の調査により、伽藍配置がかなり分かってきた。

現在は史跡指定はされておらず、高崎市は国指
定史跡への登録を目指してる。

 

説明板なし

20150504
20190206
20211019
20220522A


妙見神社・妙見寺

吉祥院妙見寺は三鈷山と号する天台宗の寺院で本尊は釈迦如来。創建年代は不詳だが、平安時代
初頭には創建されていたと考えられる。本堂のすぐ隣には妙見信仰の総本社といわれている妙見社
が並び立つ。

平将門の乱(939~940)では、上野国府を攻めた将門がここで菅原道真の霊に導かれて「新皇」の
位に就いたと伝わっている。

 

20150504
20190206
20190214C
20211019
20220522A


元島名城跡

城域にある眼聖寺

20150506


大類城跡

 
 

20150506


伝箕輪城主長野業盛の墓

 
 

20130505


高崎城跡

 
 

20130505
20221012

 

 

玉村町


軍配山古墳

大きさ不詳。玉村町のHPによると4世紀の築造。
大きさ不詳。

信長横死後の天正10年(1582)におきた神流川合戦の際には、滝川一益がここに陣をしき、軍配を振るったという伝えから軍配山古墳と呼ばれている。

 
 


20190818


42×45
梨ノ木山古墳

説明板によると、径は南北42m・東西45mで、5世紀から6世紀の築造。玉村町のHPによると、5世紀後葉の築造。

 
 


20190818



砂町遺跡

 
 

20150506
20190818

 

 

藤岡市

155
白石稲荷山古墳

群馬県の中期古墳を代表する古墳のひとつ

 
 
短甲形埴輪(東京国立博物館・平成館にて撮影)

詳細ページ

20171025
20220604A
20220904A
20221012A

54
宗永寺裏東塚古墳

美土里村7号墳

呼称に混乱が見られ、「前方後円墳データベース」では、美土里村7号墳の西隣に宗永寺東裏古墳 (美土里村6号墳)という前方後円墳がプロットされているが、『群馬県古墳総覧』によると、美土里村6号墳は消滅した別の前方後円墳

 

総覧178

20220904A

48
宗永寺裏西塚古墳

美土里村4号墳

 

総覧592

20220604A
20220904A
20221012A

宗永寺石棺

宗永寺東塚古墳から出土したものを伝えられているが、疑う意見もある

 
 
 

20220604A
20220904A
20221012A

150
七輿山古墳

被葬者は継体天皇与党で緑野屯倉の管掌者か?

 

詳細ページ

20171025
20220604A
20220904A
20221012A


七輿の門

白石古墳群を散策する際の拠点になる施設で、駐車場、トイレ、自販機があり、展示室もあってパネルによる解説がある

 

20220904A
20221012A

31
皇子塚古墳

単龍環頭大刀柄頭が出土した後期円墳。

 

詳細ページ

20171025
20220604A
20220904A
20221012A


24
平井地区1号古墳

 

詳細ページ

20171025
20220604A
20220904A
20221012A


27.2
伊勢塚古墳

模様積と呼ばれる珍しい側壁の横穴式石室は、いつでも入室可能

 

詳細ページ

20171025
20220604A
20220904A
20221012A


平井地区2号古墳

 

言及ページ

20220604A
20220904A
20221012A


平井地区2号北古墳

 

言及ページ

20220604A
20220904A
20221012A

57
諏訪古墳

 
 
 
 

横穴式石室が開口しているが扉に鍵がかかっている。

20220604A

諏訪神社北古墳

 
 

横穴式石室が開口しているが扉に鍵がかかっている。

20220604A



本郷埴輪窯址

 
 

20171025


吉良上野介陣屋跡

 
 
 
 

20171025


藤岡歴史館

 
 
 

20171025
20220604A
20220904A
20221012A

【食事】蕎麦処 鏑屋 響

藤岡市上落合365-39
0274-50-4300
火曜定休

七輿山古墳や上野三碑を探訪する際にはぜひ立ち寄っていただきたいお店。ランチでの予算は2000円くらい。

夏季限定。富山の白エビの天ぷらがふんだんに乗ったぶっかけ蕎麦。めちゃ美味かった。

 

一覧へ戻る

 

探訪懸案箇所

・安中市学習の森 ふるさと学習館
・中高瀬観音山遺跡 富岡市中高瀬 弥生高地性集落
・譲原石器時代住居跡 藤岡市譲原1087 縄文晩期
・北谷遺跡 高崎市 古墳時代豪族居館跡
・玉村町郷土資料館
・多胡郡衙跡
・富岡市郷土館
・【県史跡】笹森古墳 甘楽町 100m 6世紀後半
・天王塚古墳 甘楽町 76m 中期