講座概要
摂津の西側と淡路島、それに徳島県の弥生遺跡と古墳を中心にめぐります。鑑賞する遺物としては、とくに銅鐸を堪能していただきます。また、著名な辰砂(水銀朱)採掘遺跡である若杉山辰砂採掘遺跡も訪問します。なお、裏テーマは、考古学者・鳥居龍蔵です。
※本現地講座は自動車を使用します。
※万が一、積雪が多い場合は探訪箇所の変更を行う可能性がありますのでご了承ください。
本講座のテーマ
AICTの掲げるテーマの内、本講座は主として「◎」に該当します。
旧石器時代 | 日本人のルーツと列島文化の始まりを探る | |
縄文時代 | 土器と土偶を楽しもう・列島各地の多様な縄文文化に触れる | |
◎ | 弥生時代 | 列島各地における国ぐにの発生と邪馬台国の謎を追う |
◎ | 古墳~飛鳥時代 | リアル日本書紀・ヤマト王権の確立と古代国家成立への軌跡を探る |
◎ | 古墳~飛鳥時代 | 列島各地の古墳をめぐろう・諸国古墳探訪 阿波編 |
奈良~平安 | リアル続日本紀・列島各地に残る律令国家を見る |
開催日
2025年1月21日(火)~23日(木)
集合場所と出発時刻
オリックスレンタカー 新大阪店 10時出発(新大阪出発のときのいつもの場所です)
大阪市淀川区宮原1-19-17 06-6399-0543
店のサイトには、「JR新大阪駅西口出て右へ徒歩7分。市営地下鉄御堂筋線東三国駅4番出口より徒歩4分」とあります。
新幹線の改札を出た後、西口出口を目指します。西口は小さな出口で、出る前にトイレがあります。建物から出ると高架下の暗い場所で大きな通りの前です。出て右方向(北方向)に向かい、歩道橋の上を行けるところまで行って、降りてちょっと歩いたら右手にファミリーマートの看板が見えます。レンタカー屋はファミマから1分くらい先の右手です(西口出口を出てから一直線です)。
店のサイトはこちら。
宿泊場所
1泊目:各線三ノ宮駅(三宮駅)から徒歩圏のホテルをお取りください(かなりの繁華街です)
2泊目:JR徳島駅から徒歩圏のホテルをお取りください(普通に栄えています)
解散場所と帰着時刻
新大阪に19時00分までに戻る予定です。
ただし、新大阪駅近くはかなり混雑しますので、到着が遅れた時のことを考えて、新幹線の指定券を買う方は、できれば当日乗る前に買うようにしていただくと安全かと思います。あるいは、あらかじめ買うとしても遅い時間にしておけば無難かと思います。
※どうしても早く帰らなければならない方はお伝えください。
探訪箇所
【1日目】
田能遺跡|兵庫県尼崎市
弥生時代の全期間にわたる集落跡で、木棺墓、土壙墓、壺・甕棺墓などからなる墓域も見つかった。遺構を地下に保存したうえに住居や高床倉庫などを復元。3基の方形周溝墓がみつかり、その中で最大規模の一辺19mの3号方形周溝墓(弥生中期)の被葬者は、資料館では「田能の王」として紹介。ただし、その上に資料館があるため復元はされていない。1号および2号方形周溝墓も復元はないが、面白い地表面表示方法を取っている。
尼崎市立田能資料館|兵庫県尼崎市
主として田能遺跡から出土した遺物を展示。「田能の王」が眠る3号方形周溝墓からは、16号墓と17号墓という2基の主体部(木棺直葬)がみつかり、16号墓からは632個の碧玉製管玉の首飾りが、17号墓からは白銅製釧がみつかった。そういった貴重な遺物も展示している。月曜休館。
武庫庄遺跡|兵庫県尼崎市
弥生時代中期の集落跡。平成8年の調査で弥生時代中期中頃の巨大な棟持柱をもつ大型掘立柱建物の一部がみつかった。現地にはとくに何もないが、地形を見るだけでも意味があるので訪れる。
尼崎市立博物館|兵庫県尼崎市
尼崎市の縄文時代から近代までの歴史を遺物やパネルで解説した施設。武庫庄遺跡で見つかった大型掘立柱建物の独立棟持柱を含めた柱根の展示もある。月曜休館。
会下山遺跡|芦屋市
弥生時代(紀元前2世紀~紀元1世紀頃)の高地性集落跡。遺構は竪穴住居跡が9棟など。火たき場跡も2ヶ所みつかっており、ノロシ説もある。神武東征と関係あるか?
遺物の中で特に珍しいのが、中国大陸で造られた青銅製漢式三翼鏃(せいどうせいかんしきさんよくぞく)という鉄鏃。三翼鏃は、断面が三角形をしており、スキタイが本場でポーランドでも出土している。
遺跡はまるで戦国時代の山城跡のようで、遺跡の中で最も高い位置に祭祀場跡(S地区祭祀場跡)があり、そこに近い場所に小さめの住居跡が1基あり、シャーマンの家だろうか。
※整備されている遺跡ですが、麓からあまり足場の良くない比較的急な道を10分ほど登ります。
※雨天の場合は道が危険なので割愛します。
神戸市立博物館|神戸市中央区
神戸市の歴史が分かる常設展があり、五色塚古墳などの説明がある。2階のコレクション展示では、国宝に指定されている灘区桜ヶ丘出土の14個の銅鐸と7個の銅戈の展示室がある。弥生時代ファンや青銅器マニアには堪らない展示だ。月曜休館。
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五色塚古墳|神戸市垂水区
兵庫県最大の前方後円墳。正確には摂津ではなく播磨に入るし、有名な古墳のためすでに訪れたことがある方も多いと思うが、淡路島に渡るに先立って、まずは五色塚古墳の墳頂から明石海峡と淡路島を眺め、心を整えてから淡路島への旅に向かおうではないか。
【2日目】
2日目は淡路島をめぐります。
塩壺西遺跡|兵庫県淡路市
明石海峡を眼下に望む標高60mの山上に営まれた弥生時代後期の集落跡。明石海峡を監視するにはちょうどよい場所。烽火が設置されていた形跡がみつかっており、本州側と通信をしていたかもしれない。
弥生時代最大級の現存長13.6㎝の長大な鉄鏃が出土しているが、当然ながら殺傷能力は抜群であるものの大きすぎないか?
現在、遺跡は高速道路のSA「淡路ハイウェイオアシス」になっているため、その場所を訪れて往時を偲ぶことにする。
コイン式の望遠鏡を使えば、対岸にある五色塚古墳を見ることができる。
貴船神社遺跡|兵庫県洲本市
弥生時代末から奈良時代にかけての製塩遺跡。石敷炉が検出されおり、塩を大量生産していた。日本書紀に登場する野嶋の海人の活動拠点と考えられており、現地には土器製塩の様子を表したモニュメントが展示されている。
舟木石上神社(舟木遺跡)|兵庫県淡路市
巨石が御神体。いわゆる「太陽の道」といわれる北緯34度32分線上に位置し、古代の太陽信仰に関連すると考える人がいる。女人禁制の神社なので、女性は参道を通れず、拝殿や巨石は一段下がった場所から拝することになる。なお、近辺は舟木遺跡という弥生時代後期から終末期にかけての集落遺跡で、鉄器生産も行っていた拠点的集落であるが、特に何かあるわけではない。
五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡|兵庫県淡路市
弥生時代後期の集落跡。見つかった23棟の建物のうち、12棟から鉄器生産を行った炉跡が見つかったという興味深い遺跡。現地には鉄器を生産していた住居跡が復元されており、見晴らしの良いとても素敵な状態に整備されている。
また、五斗長垣内遺跡活用拠点施設があり、ビデオで五斗長垣内遺跡の概要を知ったり遺物を見ることができる。
洲本市立淡路文化史料館|兵庫県洲本市
歴史・民俗・自然・美術の総合的な博物館。歴史展示室では神話の紹介から始まり、古代から近代までの淡路島の歴史を考古遺物とともに解説している。淡路島でみつかった唯一の三角縁神獣鏡であるコヤダニ古墳出土の三角縁神獣鏡も展示。洲本城の続日本100名城スタンプを設置。月曜休館。
洲本城跡|兵庫県南あわじ市
洲本城は、「上の城」(国史跡)と「下の城」(市史跡)に分かれる。上の城は、大永6年(1526)に淡路水軍の安宅氏の築城と伝わる。天正13年(1585)に脇坂安治が入部し今見ることができる総石垣の城に改修されたが、慶長14年(1609)に脇坂氏が伊予大洲に移ると廃城となった。模擬天守は昭和3年に建築されたもので日本最古。下の城で現在見られる石垣や堀は、蜂須賀氏が拠点を由良から洲本に移した1630年代以降の構築と考えられている。上下の城を結ぶ登り石垣は類例が少なく貴重だ。
※「上の城」に行くには数分間の山登りになります。
自凝(おのころ)島神社|兵庫県南あわじ市
むかしむかし、かなりむかし、イザナキとイザナミが天の沼矛で海をグルグルかき回し、その矛から滴り落ちた何らかの液体が凝り固まって「おのころ島」(自ずと凝まった島)ができた。彼らはその島に降り立って日本列島を造ったのだが、最初に完成したのが淡路島である・・・。
という、国生み神話の「おのころ島」の伝承地の一つ。
滝川記念美術館玉青館|兵庫県南あわじ市
幼・少年期を淡路島で過ごした玉青画伯の作品を展示する施設で、天井画の龍雲図や元々は長さ30mの巨大な作品の『禅の牧牛 うしかひ草』は圧巻。
考古遺物の展示も俊逸で、松帆銅鐸7点および舌7本(紐が残っているのは全国でここだけ)をはじめとして、国内最古級の銅鐸である菱環鈕式銅鐸の中川原銅鐸や日光寺銅鐸のレプリカも展示。月曜休館。
【3日目】
3日目は徳島県内をめぐります。
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弁慶の岩屋古墳|徳島県小松島市
終末期(あるいは後期後半)の古墳で、封土が流出して横穴式石室が露出している。そのため、墳形や規模は不明。横穴式石室の全長は10.6mで、県内有数の規模を誇る。
加茂宮ノ前遺跡|徳島県阿南市
縄文後期から弥生中期に集落内にて水銀朱を生産しており、その規模は国内最大。また、弥生中期後半から古墳前期初頭の竪穴住居からは国内最古級の鉄器の生産を行った鍛冶炉が複数確認されている。
若杉山辰砂採掘遺跡|徳島県阿南市
弥生終末から古墳初頭にかけてがピークの辰砂採掘遺跡。遺跡は太竜寺北側の若杉山の標高140~170mの山腹斜面に展開。1984年からの徳島県博物館による発掘調査で、石杵・石臼や辰砂の原石が大量に見つかったことにより、この地で辰砂の原石を元に朱に加工していたことが分かった。時代的には列島各地の古墳で朱の需要が高まった時期である。
※車を降りてから、「国史跡 阿波遍路道」を太龍寺方面に向かって片道20分ほど歩きます。距離はありますが、平坦な道です。お遍路さんになったつもりで歩きましょう。
105
渋野丸山古墳|徳島県徳島市
5世紀中頃に築造された墳丘長105mの大型前方後円墳で、徳島県では最大、四国では2番目の規模を誇る。丘の上ではなく、平野部に存在する。墳丘は3段築成で造出を設け、葺石を施し、盾形の周堀を備え、多くの埴輪が立て並べられており、ヤマトの前方後円墳とそっくりな構造。
隣の讃岐を含め、4世紀までは在地色の豊かな個性的な古墳が造られていたが、中期になるとこのようなヤマトのフォーマットに則った古墳が造られるようになる。主体部不明。
徳島県立博物館|徳島県徳島市
旧石器時代から近代までの歴史展示や動植物・恐竜、地質など、13のブースに分けて展示している非常に見ごたえのある博物館。2021年8月に常設展をリニューアル。考古遺物としては、古墳関係以外には徳島県らしく銅鐸などの青銅器の展示が豊富。月曜休館。
徳島県立鳥居龍蔵記念博物館|徳島県徳島市
徳島県立博物館の隣にある施設で、その名の通り、鳥居龍蔵に特化した博物館。
鳥居龍蔵は、明治3年(1870)に生まれ、昭和28年(1953)に没。徳島の裕福な家に生まれたが、学校に馴染めず不登校となり、学歴は小学校卒業。ただし、のちに大学教授になっている。若い頃に坪井正五郎の知遇を得て、ろくな交通手段がない時代に、国内のみならず、台湾・朝鮮・樺太・千島・中国大陸各地を踏査。関東大震災で焼け野原となった都心でここぞとばかりに当時珍しかったカメラを担いで古墳の調査をしまくったのは有名な話。独学で物凄い業績を残し、後輩の学者たちに多大な影響を与えた研究者であるが、大人になってからは貧困生活の連続だった。
なお、参考までに、徳島城には城山の貝塚があるが、そこに鳥居龍蔵の記念碑が建っている。
徳島市立考古資料館|徳島県徳島市
徳島市内の遺跡から出土した遺物が展示してあり、渋野丸山古墳出土の埴輪や、気延山古墳群出土の須恵器、装飾品などを展示している。月曜休館。
17.5
矢野の古墳|徳島県徳島市
気延山(212.3m)には、約200基からなる気延山古墳群があり、本古墳はそのうちの一基。6世紀末から7世紀初頭の築造で、径17.5mの円墳。全長11.5mの横穴式石室は、羨道、前室、玄室からなる複室構造で、玄室は両袖式、奥壁に巨石を使っている。
50
奥谷1号墳|徳島県徳島市
気延山古墳群の一基。4世紀後半に築造された徳島県で唯一の前方後方墳。盛土によって構築。円筒埴輪が並べられていた。主体部は不明。
37.5
宮谷古墳|徳島県徳島市
以前は4世紀初頭の築造と考えられていたが、最近では3世紀後半、徳島県内の前方後円墳としては最古級と考えられている。後円部は2段築成、二重口縁壺形土器が並べられ、葺石を伴う。前方部先端付近で三角縁神獣鏡が3面出土した。主体部は竪穴式石槨の中に木棺。
レキシルとくしま(徳島県立埋蔵文化財総合センター)|徳島県板野町
徳島県内の遺跡から出土した遺物を豊富に展示。月曜休館。
※最後の探訪地から新大阪駅までは順調に行って約2時間です。その時間を考慮して遺跡めぐりを終了します。
※新大阪駅まで戻らず、途中で離団したい方はご相談ください。
参加費
2名様のご参加の場合、一人様65,000円。
3~5名様ご参加の場合は、お一人様60,000円。
キャンセル料と発生時期
キャンセル料発生日は、開催1ヶ月前で、37,500円とさせていただきます。
※前日・当日のキャンセル料は、65,000円となります。
催行人員
最少は2名様、最大は3名様
参加予定メンバー(11月20日現在)
・蕪さん
・勝衛さん
以上、女性1名様、男性1名様(残席1名様)。
※ニックネームを教えていただいた方のみ掲示します。