【武田氏三代】4/13~14【2日連続】甲斐武田氏の興隆と滅亡 信虎・信玄・勝頼ゆかりの地めぐり <第N次 AICT>

 日程を決定しました(2月2日追記)。

 

講座概要

 戦国時代の甲斐武田氏三代が本拠とした武田氏館(躑躅ヶ崎館)から勝頼が自刃した最後の戦いの鳥居畑古戦場跡まで、戦国武田氏の軌跡を追います。

 ※本現地講座は、自動車を使用します。

 

開催日

2024年4月13日(土)~14日(日)

 

集合場所と出発時刻

甲府駅から徒歩2~3分の指定集合場所に、9時20分までにお集まりください。指定集合場所については、後日個別にメールします(甲府出発の現地講座に参加されたことのある方は、あの場所です)。

※東京方面からいらっしゃることを想定しますが、遅くても、甲府駅に9時8分に到着する「あずさ3号」に乗ってきてください。この特急は、千葉始発で船橋、錦糸町、新宿の順に停車するため都心~千葉方面から来る方は便利です。

※特急指定券は、当日買おうとして買えない場合は大幅な遅刻になりますので、特急で来る方はあらかじめ買っておくことをお勧めします。

 

宿泊場所

甲府駅周辺でお取りください。

甲府駅周辺にも美味しいお店がたくさんありますが、個人的には鳥モツが好きです。

甲府駅近くの奥藤本店の鳥モツ丼(大盛は結構多い)
奥藤本店は蕎麦も美味い

 

解散場所と帰着時刻

甲府駅に18時までには帰着する予定ですが、もし帰りの特急の指定席をあらかじめ購入する場合は、念のため18時半以降をお取りください。

 

主な探訪箇所

探訪順はこの通りではありません。
各寺社にある宝物館も訪れます。

  


武田氏館跡(躑躅ヶ崎館跡)・武田神社|甲府市

 武田氏三代が本拠とした武田氏館は、神社のイメージが強いと思いますが、城としてきちんと見ようとするとなかなか見ごたえのある館跡なのです。徳川氏が入ってきたあとに増築された個所もあり、丹念に歩きながらじっくり解説します。

 
 

 


甲府市武田氏館跡歴史館(信玄ミュージアム)|甲府市

 


要害山城跡|甲府市

 もし甲府が敵から攻められる事態が想定された場合は、武田氏館跡から北に2㎞の地点にある要害山城に籠城するようになっていました。当時の遺構もバッチリ残っています。

 信虎の妻・大井夫人は信玄が生まれそう!というときにちょうど籠城していました。

 

 


積翠寺|甲府市

 要害山城跡の麓にあります。信玄はこの寺で生まれたとの伝承があります。

 

 


大泉寺|甲府市

 信虎の墓があります。

 
信虎の墓

 


円光院|甲府市

 武田氏の祖・逸見太郎清光が創建した寺で、信玄の妻・三條夫人の墓があります。

 
三條夫人墓所

 


武田信玄公御墓所|甲府市

 

 


新府城跡|韮崎市

 勝頼が築いた武田氏最後の本拠地。見ごたえのある遺構も残っています。新府城跡で勝頼が描いた夢に想いを巡らせてみましょう。

新府城の見どころの一つ・丸馬出
現地説明板を撮影

 

 


鳥居畑古戦場|甲州市

 天正10年(1582)の織田氏の侵攻によって新府城を捨てた勝頼らは織田勢に急迫されつつ、小山田氏の郡内(大月市周辺)を目指して東へ向かいましたが、3月10日、笹子峠の手前で小山田氏謀叛の情報を得たため、この地で最後の戦いを試みることに決めました。

 翌11日、織田勢の滝川一益や河尻秀隆などが率いる軍勢が、わずか数十名となっていた勝頼の軍勢に襲い掛かり、37歳の勝頼は19歳の妻・北条夫人らとともに自刃し、甲斐武田氏は滅亡したのです。

 

 


景徳院|甲州市

 勝頼は自刃する際、16歳の嫡子・信勝に逃走を図り武田家を存続させるように諭しました。ところが信勝は父の言いつけを拒否します。というのは、戦いの直前、信勝は武田家相伝の楯無の鎧を着て元服式を挙げていたからです。信勝は「自分はもう子供ではありません。一人前の武士となった以上は逃げることなどはできません」といい、腹を切りました。

 景徳院には、勝頼、北条夫人、信勝の墓があります。

 
勝頼、北条夫人、信勝の墓

 


雲峰寺|甲州市

 信虎の代に戦災で焼失しましたが再建。勝頼自刃後に遺臣たちが武田氏再興を願って寺に持ち込んだ「日の丸の御旗」、「孫子の旗」、「諏訪神号旗」などが寺宝として納められています。

 

 


恵林寺|甲州市

 信玄が帰依していた快川国師が住職の時に寺勢が上がりました。信玄死後は勝頼からも崇敬されましたが、勝頼らが自刃して武田氏が滅亡した後の4月3日、信長勢の焼き討ちにあいました。このとき快川国師は100人以上の僧侶と共に焼き殺されましたが、快川国師が残した「安禅必ずしも山水を須(もち)いず、心頭滅却すれば火も自(おのずか)ら涼し」という言葉は有名です。

 
武田信玄の墓

 


河尻塚|甲府市

 武田家滅亡後、甲府は信長配下の歴戦の勇士・河尻秀隆が治めましたが、本能寺の変後、秀隆は地元民に襲われ殺害されました。地元では秀隆は暴政を敷いたため恨みを買っていたと言われていますが、実際のところはどうなのでしょうか。

 カリスマ・信玄の本拠地だった場所を征服者が治めるのは相当難しかったと思い、それだからこそ信長は胆力のある秀隆を見込んで任せたと思いますが、秀隆としても自身が赴任してからわずか3ヶ月で信長が死ぬなどとは思いもよらなかったはずで、秀隆自身も運が悪かったとしか言いようがないと思います。

 

 

参加費

お一人様、35,000円

 

催行人員

最少は2名様
最大は5名様

 

キャンセル料と発生時期

キャンセル料は、1ヶ月前から発生し、17,500円になりますのでご了承ください。
前日・当日のキャンセルは、35,000円となります。

 

参加予定メンバー(月日現在)

 

※ニックネームの掲載を許可してくださった方のみ掲載しています



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