【募集終了】11/10~12【3日連続】魏志倭人伝の国ぐにをめぐる

※平日組は1名の参加申し込みもないため取り消します(5月2日追記)

 

講座概要

 AICTでは、2021年11月に伊都国・奴国・末廬国の故地をめぐる現地講座を開催しましたが、今回はそれを再構成しました。

 車を使って効率的にめぐり、極力歩く時間や歩く際の高低差はないように留意します。

 本現地講座で訪れる場所は、邪馬台国問題に関心がある方にとっては絶対に訪れるべき地域です。ただし、邪馬台国の候補地をめぐると数が多く、また位置的に分散しているため、今回も2021年と同様、伊都国・奴国・末廬国に絞ります。

 

本講座のテーマ

 AICTの掲げるテーマの内、本講座は主として「◎」に該当します。

 ※当初は古墳もテーマに含めていましたが、時間の都合上、伊都国・奴国・末廬国関連に絞ることにして、初期ヤマト王権との関連が考えられる出現期の古墳以外は訪れないことにします(3月10日追記)

旧石器時代日本人のルーツと列島文化の始まりを探る
縄文時代土器と土偶を楽しもう・列島各地の多様な縄文文化に触れる
弥生時代列島各地における国ぐにの発生と邪馬台国の謎を追う
古墳~飛鳥時代リアル日本書紀・ヤマト王権の確立と古代国家成立への軌跡を探る
古墳~飛鳥時代列島各地の古墳をめぐろう・諸国古墳探訪
奈良~平安リアル続日本紀・列島各地に残る律令国家を見る

 

開催日

2023年11月10日(金)~12日(日)

 

集合場所と出発時刻

福岡空港の到着ロビーに、10時10分までにお集まりください
※具体的な待ち合わせ場所は後日お伝えします。

以下の飛行機があります(4月30日調べ)

・ANA241便 羽田空港7:25発 福岡空港9:20着
・JAL307便 羽田空港8:00発 福岡空港9:55着

    

宿泊場所

1泊目、2泊目ともに博多駅近くでお取りください(4月30日追記)

  

解散場所と帰着時刻

福岡空港に17時30分までに戻る予定です。
帰りの飛行機は、18:30以降の便をご予約下さい。

  

探訪箇所


 以下の遺跡をめぐりますが、探訪順は未定です。

 

【伊都国】

 


三雲南小路遺跡

 国指定史跡・三雲・井原遺跡の範囲に入ります。

 墳丘は残っていませんが、弥生時代中期の後半に築造された特定個人墓が見つかっており、伊都国の3つの王墓のうち最古の墓です。

 発掘調査の結果、東西32m×南北31mの方形の墳丘の周りに幅4mほどの周溝がめぐり、2つの大型甕棺が出土し、1号甕棺には35面以上、2号甕棺には22面以上の前漢鏡が副葬されていました。これだけ大量の前漢鏡が見つかったのは、ここと奴国の王墓(須玖岡本遺跡D地点)のみで、奴国と伊都国が弥生時代中期後半以降、日本列島を代表する二大強国であったことが分かります。

 
三雲南小路遺跡出土の2号甕棺の上甕(左)と下甕(右)(伊都国歴史博物館にて撮影)

 


三雲番上遺跡

 国指定史跡・三雲・井原遺跡の範囲内ですが、地表面で観察できるものはなく、説明板や標柱も立っていません。

 伊都国内の各遺跡からは外来系土器がよく見つかりますが、ここからは特に多く見つかり、楽浪土器も見つかっていることから楽浪郡からやってきた役人(後漢王朝の役人)が居住していた可能性が高い場所です。楽浪土器に関しては、伊都国歴史博物館で実見できます。

 
三雲番上遺跡出土の楽浪土器(伊都国歴史博物館にて撮影)

 


井原鑓溝遺跡推定地

 18世紀中葉、農作業中に偶然大きな壺、赤い顔料、銅鏡、鎧のような鉄板などが発見されたことが天明年間(1771~78)の記録に見えますが、その後遺跡の場所は不明となってます。ただし、残された絵図によって、銅鏡21面、巴形銅器などが副葬されていたことがわかり、副葬品の内容から王墓(特定個人墓)があることは間違いなく、伊都国で3つ分かっている王墓の内の2つ目です。

 おおよその場所は推定されていますが、その後の調査によっても、推定地近辺からはいまだ王墓は発見されていません。ただし、近年の発掘で弥生時代後期の木棺墓が25基、甕棺墓47基、祭祀土坑81基が発見され、伊都国王に仕えた有力者の集団墓があったと考えられています。

 

  


平原遺跡

 平原遺跡からは、5基の墳丘墓が発見され、1号墓は、特定個人墓で、「平原王墓」と通称されます。伊都国の3つの王墓の中で最後の墓です。

 1号墓の大きさは東西14m×南北10mと、それほど大きくありませんが、主体部から出土した銅鏡は40面で、径46.5㎝の国内最大の内行花文鏡が5面も含まれているという特殊な墓です。ちなみに、伊勢神宮の『御鎮座伝記』では、天皇家の三種の神器の一つである八咫鏡の図象は「八頭花崎八葉形」とあり、それに該当するのは日本中探してもここの大型内行花文鏡のみです。

 主体部からは、頭の両耳の位置から耳璫(じとう)が見つかっており、被葬者は祭祀的な役割を担った女性であることが分かります。耳璫は漢の貴族の女性がつけたピアスで、国内ではここでしか見つかっていない貴重なものです(伊都国歴史博物館にて見られます)。このような内容なので、卑弥呼の墓という人もいますが、年代的には卑弥呼よりも前の人物で、卑弥呼のお祖母ちゃんかもしれません。

 

 


伊都国歴史博物館

 平原王墓から出土した銅鏡や実物大の主体部模型が目玉ですが、伊都国を知るための豊富な展示があります。素晴らしい博物館ですので、可能な限り丹念に見学するつもりです。

 
平原王墓主体部の実物大模型

 

【奴国】

 


志賀島・金印公園(金印出土伝承地)

 ※ちょっと遠いため躊躇しましたが、お客様からリクエストをいただいたため探訪することにします。

 

 


西新町遺跡

 初期ヤマト王権との関りを語る上で重要な遺跡。現地には説明板の一つもありませんが、福岡市博物館にてパネル展示と遺物で解説があります。

 

 


比恵・那珂遺跡群

 比恵遺跡群と那珂遺跡群を一括して比恵・那珂遺跡群と呼びます。弥生時代開始時期の前9世紀には、日本最古の環濠集落が造られた遺跡です。目で見られる遺構はありませんが、現地に行くだけでも違うと思います。

 弥生時代中期以降に奴国の中心であった須玖岡本遺跡は、弥生末には衰退しますが、それに代わって比恵遺跡群では遺構が激増し、邪馬台国時代の奴国の中枢は比恵・那珂遺跡群であったと考えられています。その中には、弥生時代後期から古墳時代前期までの首長居館の区画と考えられる大規模な方形区画溝が見つかっています。もしかすると、卑弥呼を補佐した難升米の居館かもしれません。

この辺りが首長居館跡

 


那珂八幡古墳

 古墳ですが、邪馬台国問題を述べる上では外せないので訪れます。ヤマト王権との関連のもとに築造された墓なのか、それとも奴国の後裔勢力が独自に造営した墓なのかが議論されている古墳です。三角縁神獣鏡が出土しているため、これが考察する際の手掛かりになるでしょう。

 
福岡市博物館に展示してある那珂八幡古墳出土の三角縁神獣鏡

 


須玖岡本遺跡 岡本地区(D地点)

 伊都国と並ぶ強国であった奴国の王墓が見つかった場所です。現状ではただの草地ですが、立地が面白いので現地で確認してみましょう。

 

 


須玖岡本遺跡 岡本山地区

 D地点で見つかった王墓の石が移設展示されているほか、甕棺墓群も展示されています。

 

 


須玖岡本遺跡 坂本地区

 奴国の最重要産業である青銅器工場が見つかった場所。

 

 


奴国の丘資料館

 奴国を知るためには必ず訪れるべき施設。

 
 
奴国王墓から出土した前漢鏡の草葉文鏡のレプリカと復元品は必見
 

 


板付遺跡

 菜畑遺跡と並んで最初期の灌漑水田跡が見つかった遺跡。環濠集落が復元されています。この場所は奴国の領域内で、奴国全盛期の頃にはすでに奴国の支配下に入っていたと考えられています。

 

 


板付遺跡弥生館

 
 

 


福岡市博物館

 福岡市の歴史を総合的に紹介している博物館ですが、有名な国宝・金印のほか、奴国の領域にある遺跡についての展示もあります。全体を詳細に見ていると時間が足りなくなるため、今回のテーマに合致した場所を集中的に解説します。

金印は通常は実物が展示されていますが、貸出中の場合はレプリカが展示されますのでご了承ください
 
博多遺跡群からは東海系のS字甕も出ており、3世紀には東海勢力も北部九州に進出していました

 


吉武高木遺跡

 国内最古級の王墓が見つかった遺跡。甕棺墓の説明に非常に力が入っています。「サワラ国」と仮称される国があったと思われますが、弥生末期には奴国に併呑されてしまったと考えられています。

 吉武高木遺跡からは弥生前期末から中期末にかけての甕棺墓や木棺墓、土抗墓が見つかっており、それらのなかで一辺20mの範囲で特に厚葬の箇所があり、その範囲は特定集団墓と考えられています。特定集団墓内にある3号木棺墓からは、いわゆる三種の神器に相当する、鏡、剣、玉が出土し、鏡は国内で出土する銅鏡の中でも最古の部類となる多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう)も見つかっています。

 3号木棺墓は副葬品の内容から王墓と考える研究者もおり、そうだとすると国内最古の王墓となります。また、大型建物跡も見つかっており、近くの吉武樋渡遺跡でも特定集団墓が見つかっています。

 

 

【末廬国】

 


菜畑遺跡

 直接末廬国とは関係しませんが、国内最古級の灌漑水田が見つかった学史的に重要な遺跡です。

 

 


末廬館

 

 


宇木汲田遺跡

 宇木汲田(うきくんでん)遺跡は、縄文晩期から弥生時代中期にかけての集落跡および墓域です。甕棺からは多鈕細文鏡、銅矛、銅剣などが出土し、中期前半には特定集団墓的な様相を帯びてきており、王の出現を予感させます。

 

 


柏崎遺跡

 弥生時代中期の集落跡、貝塚、墓域です。中期中葉の柏崎石倉では、触角式有柄(しょっかくしきゆうへい)銅剣1本と中細銅矛2本が出土しています。とくに、触角式有柄銅剣は、スキタイの銅剣にルーツを持つものとされ、恐らく国内では4本しか見つかっていません。

 

 


桜馬場遺跡

 桜馬場(さくらのばば)遺跡は、昭和19年に最初の発見があり、平成19年に再発見および再発掘がされた末廬国王墓の有力候補地です。

 弥生後期前半の特定個人墓で、甕棺の中からは、方格規矩鏡が2枚、内行花文鏡が1枚、素環頭大刀が1振、有鉤銅釧(ゆうこうどうくしろ)が26個、巴形銅器が5個(うち4個は鉤付)、その他玉類などが副葬された厚葬墓です。

 

 

参加費

2名様以上で催行します。

2名様の場合、お一人様70,000円。
3~4名様の場合、お一人様60,000円。
5名様の場合、お一人様50,000円。

 

キャンセル料と発生時期

本現地講座は、飛行機使用のため、キャンセルが遅いと、他の希望者が代わりに参加することが難しくなるため、キャンセル料発生時期は、開催3ヶ月前の8月10とさせていただき、最少参加費の半額の35,000円とさせていただきます(5月2日追記)。

 

催行人員

最少は2名様、最大は5名様

 

参加予定メンバー(4月28日現在)

・ふじくんのおかあさん
・なほみさん
・まだらさん
・檜山さん
・MTさん

以上、女性4名様、男性1名様、合計5名様



「【募集終了】11/10~12【3日連続】魏志倭人伝の国ぐにをめぐる」への8件のフィードバック

    1. MTさん

      ありがとうございます。
      日程が決まり次第、詳細を詰めていきますので、よろしくお願いいたします。

    1. 手塚典子さん

      参加希望ありがとうございます。
      日程はまだ決めていませんので、他の参加希望の方々と調整させていただき、決めさせていただきます。
      行程も基本的な場所は私の方で決めますが、少しの余裕を持たせておくので、可能な限り参加いただく方々の希望の場所にも行けるように致します。
      よろしくお願いいたします。

    1. ふじくんのおかあさん

      参加のご意向、ありがとうございます。
      これから参加希望の方々と調整に入りますので、またご連絡しますね。
      よろしくお願いいたします。

    1. 檜山眞弓さん

      参加表明ありがとうございます。
      ちょうどさっき、他の方々に日程調整のメールを送ったところでしたので、
      檜山さんにも送らさせていただきますね。
      よろしくお願いいたします。

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