
講座概要
伊賀と伊勢は今では三重県として一つになっていますが、古代においては畿内の文化が及びやすかった伊賀に対して、伊勢は東海地方の文化圏です。古墳や遺物を観察して、その違いを楽しみましょう。
また、日本書紀や記録類によると、垂仁天皇のときに、倭姫が天照大神を奉じて伊賀・近江・美濃をめぐり、最終的に伊勢神宮(内宮)に祀ったとされていますが、それは壬申の乱での天武天皇の進軍ルートと重なることから、倭姫のたどったルートは壬申の乱の際に天武天皇がたどったルートが元になって創作されたものであるとの説があります。本現地講座では、近江・伊賀・伊勢国内にある倭姫関連のスポットを壬申の乱との関係を考えつつめぐります。
倭姫の奉斎ルートと同様、本現地講座のゴールも伊勢神宮です。伊勢神宮とはいったいどのような歴史を秘めた神社なのか現地で解説します。
※本現地講座は自動車での探訪となります
本講座のテーマ
AICTの掲げるテーマの内、本講座は主として「◎」に該当します。
旧石器時代 | 日本人のルーツと列島文化の始まりを探る | |
縄文時代 | 土器と土偶を楽しもう・列島各地の多様な縄文文化に触れる | |
弥生時代 | 列島各地における国ぐにの発生と邪馬台国の謎を追う | |
◎ | 古墳~飛鳥時代 | リアル日本書紀・ヤマト王権の確立と古代国家成立への軌跡を探る |
◎ | 古墳~飛鳥時代 | 列島各地の古墳をめぐろう・諸国古墳探訪 伊賀・伊勢編 |
奈良~平安 | リアル続日本紀・列島各地に残る律令国家を見る |
開催日
7月21日(金)~23日(日)
集合場所と出発時刻
名古屋駅9:30出発 (具体的な待ち合わせ場所については後日お伝えします)
宿泊場所
1泊目 名張駅近く
2泊目 松阪駅近く
※名張駅の近くにはあまりホテルが無いため、予約したホテルが駅から離れている場合は車で送迎します
解散場所と帰着時刻
名古屋駅に18:00までに着くようにします。
また、最終日に近鉄・伊勢市駅から「しまかぜ」で名古屋あるいは大阪難波へ帰りたい場合は、その乗車時刻を考慮し、伊勢市駅まで送迎します。例えば、「しまかぜ」に乗車する場合、伊勢市16:25発・名古屋17:44着と伊勢市16:43発・大阪難波18:21着があります(4月28日現在)。

稲用も乗って帰りたいですが、レンタカーを返しに行かないとなりませんので乗れません(涙)。
探訪箇所
本当は倭姫の元伊勢伝承を大和から順番に追っていければいいのですが、本現地講座では行程の都合上、順序が入れ替わり、またすべての伝承地を訪れることはできません。
【伊賀国】

都美恵神社
伊賀市柘植町の元伊勢伝承地。倭姫は伊賀から甲賀へ山を越えました。
都美恵神社がある場所は、木津川支流の柘植川の最上流域で、近くには目立った古墳はありませんが、8kmほど下流へ行くと、伊賀国最大(東海地方最大)の前方後円墳・御墓山古墳があります。
180
御墓山古墳
墳丘長180mを誇る三重県最大の前方後円墳。


伊賀国庁跡
御墓山古墳のすぐ近くには伊賀国府がありました。そのことから、古墳時代のみならず、律令時代もこの地が伊賀の中心であったことが分かります。伊賀の中心地はどのような地形になっているのか、現地でご確認ください。

121
石山古墳
三重県で3番目に大きい古墳ですが、墳丘内には入れず、近くまで行くだけです

石山古墳からは靭形埴輪をはじめとした、素晴らしい埴輪がたくさん見つかっており、京都大学総合博物館での埴輪展示の主役になっています。当該博物館には今回の現地講座では行きませんが、まだ行ったことが無い方はぜひ行ってみてください。


神戸神社
穴穂宮伝承地。

大村神社
祭神の大村神は、倭姫の弟と言われています。
142
馬塚古墳
美旗古墳群を構成する一基で、三重県で2番目に大きい墳丘長142mの前方後円墳です。

100
女良塚古墳
帆立貝形なのに100mもある古墳で、おそらく帆立貝形としては、全国で4位になるんじゃないかと思います。ただし、墳丘はフェンスで囲まれているため、外から観察するに留まります。

55
貴人塚古墳
後期の前方後円墳。墳丘がモシャモシャでなければ登りましょう。


名張市美旗市民センター歴史資料館
第3日曜日休館。



名張市郷土資料館
基本、月・木休館。


参考:壬申の乱と伊賀国
日本書紀によると、672年6月24日に吉野を出発した大海皇子一行は、夜になっても進軍を止めず、夜半に大和国から国境を越え、伊賀国の隠(なばり)駅家に到着しました。隠駅家の場所は分かっていません。
吉野に隠棲していたときの大海皇子の宮は、吉野町の宮滝遺跡の可能性がありますが、そこから大和と伊賀との国境まで直線距離で27㎞あり、実際の行程はそれよりもかなり多くなりますから、1日で相当な距離を移動したことになります。
つづいて、横川、伊賀駅家を経ますが、これらの比定地も不明です。伊賀の山中に至ったところ、郡司たちが兵を率いて加勢に現れ、ようやくにして大海皇子の一行は軍隊の体裁が整いました。
その後も休む間もなく進み続け、明け方にタラノに着き、ここで吉野を出発以来、初めての食事を兼ねた休憩をします。つかの間の休息の後、再び進みだした一行は、積植(つむえ・現在の柘植)の山口で高市皇子率いる軍勢と合流しました。大海皇子には多くの男子がいましたが、幼い子が多く、唯一長男の高市皇子だけが一軍を率いる将として期待できる子です。積植の山口では、国道25号線に説明板が立っています。
【伊勢国】
※伊勢国に関しては、探訪箇所はもう少し増える予定です。
90
能褒野王塚古墳
日本武尊の3つある古墳の内の一つ。日本武尊は最初ここに埋葬されましたが、白鳥になって飛んで行ってしまいました。棺には衣類だけが残されていましたが、衣類を残して遺体がなくなるのは、実は死んでいないということを示唆しているという考えもあります。陵墓ですので、外から見るだけです。

111
宝塚1号墳
日本一の大きさの舟形埴輪が出土した大型前方後円墳で、綺麗に整備されています。

墳丘からは素晴らしい眺望が望めます。

現地では舟形埴輪が出土した位置も分かるように模造品が置かれています。

89
宝塚2号墳
墳丘長89mの大型の帆立貝形古墳。


松阪市文化財センター はにわ館
宝塚1号墳から出土した有名な日本一の舟形埴輪が見られるほか、各種埴輪について詳しく説明している施設です。基本、月曜休館。



伊勢神宮外宮


伊勢神宮内宮


斎宮跡
いつきのみやあと。天皇家から派遣されてきた斎王が住んだ宮殿跡と斎宮寮という役所の遺構が見つかっています。

三重県立斎宮歴史博物館
伊勢神宮を特に詳しく解説した博物館で、考古遺物としては平安時代以降のものが中心です。伊勢神宮は、考古学的に見るとどのような神社であるのか、展示を見ながら考えてみましょう。基本、月曜休館。
参加費
48,000円(当日現金払いの場合は50,000円)振込期限、6月21日(この日以降に申し込みをされた場合は、申し込み日から1週間以内あるいは当日現支払い)
振込期限はとくに設けません(6月7日追記)
2日間のみの参加の場合は、32,000円です(6月7日追記)
キャンセル料と発生時期
キャンセル料は、開催1ヶ月前の6月21日に発生し、25,000円となります。
催行人員
最少は2名様、最大は5名様
参加予定メンバー(5月23日現在)
・おおくみさん
・まちさん
・みっきいさん(2日間or全日)
・葉っぱさん
以上、女性4名様(残席1名様)