6/30~7/2【3日連続】 アテルイと田村麻呂ゆかりの地と宮城の古代遺跡をめぐる

※本講座は、どなたでも参加可能です(参加資格についてはこちら)。

 2021年に開催した現地講座に少々アレンジを加え開催します。以下に記している探訪箇所を訪れますが、参加者のリクエストによって変更が可能なように余裕をもってスケジューリングしています。

開催日:2022年6月30日(木)~7月2日(土)

集合場所:仙台駅

出発時間:10時に出発しますので、それまでにお集まりください。

集合場所は後日ご連絡いたします。

宿泊場所は、以下の場所でお取りください
1日目(6月30日)は、仙台駅周辺
2日目(7月1日)は、一ノ関駅周辺

解散場所:盛岡駅

17時半までには盛岡駅に帰って来れると思いますが、帰りの新幹線の指定席は、余裕をもって18時以降でお取りください。

※開催タイミングによってはコロナの影響などで博物館などの屋内施設が休館になることがあるため、その場合は、遺跡などのオープンスペースに代替させていただきます。
 

1日目 宮城県の旧石器・縄文時代を学ぶ

 1日目は主として宮城県の旧石器遺跡や縄文遺跡をめぐります。仙台駅の指定場所に10時までにお集まりください。
 

 地底の森ミュージアム(仙台市富沢遺跡保存館)

 富沢遺跡で出土した後期旧石器時代終わりころ(今から2万年前)の森林跡を保存して公開している施設です。遺物やパネル展示で旧石器時代について学べるほか、敷地屋外には当時の植生を再現した森があり、縄文時代以降から現在までつづく森林の植生とは違った当時の自然環境を体感できます。

 

  仙台市縄文の森広場および山田上ノ台遺跡

 縄文時代中期の集落跡を中心とした複合遺跡の山田上ノ台(やまだうえのだい)遺跡を保存・活用するための施設で、出土した素晴らしい遺物を展示しているほか、屋外には今流行りの土屋根の竪穴住居が復元されています。

 

   七ヶ浜町歴史資料館および大木囲貝塚

 大木囲(だいぎがこい)貝塚は、大木式土器の標式遺跡です。大木式土器は、青森県の三内丸山遺跡などで出土する北東北の円筒土器と並び称される南東北を代表する縄文土器で、七里ヶ浜町歴史資料館には大木式土器の各型式が一堂に会しています。縄文マニアであれば宮城に来たら絶対に訪れるべき施設および遺跡と言えましょう。

 

 鹽竈神社および志波彦神社

 

 東北歴史博物館

 多賀城跡の近くにあることから多賀城跡や多賀城廃寺跡についての解説が豊富ですが、館のコンセプトとしては、名前の通り東北地方全体の歴史について解説することを目的としています。古墳時代については、福島県の会津大塚山古墳について詳しく説明してあるのが面白く、日本以外の東アジアの石器についても解説してあるのが珍しく貴重です。

2日目 宮城県の古墳を楽しむ

 飯野坂古墳群

 実は飯野坂古墳群は本現地講座の「裏メイン遺跡」です。古墳マニアにはたまらない古墳群のはずです。

 宮城県名取市にある飯野坂古墳群は、比較的大型の前方後方墳が5基も連続して築かれた全国的に見ても類まれな古墳群です。下に掲載した説明板の図にある古墳「跡」を除くすべての古墳を1時間半ほどかけて歩いてめぐります。ここはおそらく旅行会社のツアーでは来れないと思いますし、よしんば来れたとしてもAICTほど丁寧にはめぐれないでしょう。


 なお、5基の前方後方墳の築造順は、観音塚古墳(65m) → 宮山古墳(60m)→ 薬師堂古墳(65m) → 山居古墳(60m) → 山居北古墳(40m)と考えられ、すべて前期に収まります。

 ※飯野坂古墳群には宮山古墳の横と山居古墳の横に説明板がありますが、山居古墳の説明板の方が新しく、築造順に関しては山居古墳の説明板から引用しました。
 

-1 宮山古墳(飯野坂古墳群)

 墳丘長60mの前方後方墳。

 

-2 観音塚古墳(飯野坂古墳群)

 薬師堂塚古墳とならんで墳丘長65mの古墳群最大の前方後方墳です。古墳群では最初に築造されました。

 

-3 観音塚北1号墳(飯野坂古墳群)

 一辺14.4mの方墳です。飯野坂古墳群にて現状確認できる古墳は7基ありますが、5基の前方後方墳以外の2基は両者とも方墳で、この地域は「四角の世界」が展開しているところが独特で面白いです。

 

-4 観音塚2号墳(飯野坂古墳群)

 一辺14.2mの方墳です。写真のように、ここまで「もしゃ子ちゃん」状態だと登頂できませんね。

 

-5 山居北古墳(飯野坂古墳群)

 住宅街の中に残る墳丘長40mの前方後方墳で、5基の前方後方墳の中で最後に築造されました。

 

-6 山居古墳(飯野坂古墳群)

 墳丘長60mの前方後方墳です。前方部側に説明板があります。

 

-7 薬師堂古墳(飯野坂古墳群)

 墳丘長65mの前方後方墳で、墳丘に登ると結構なヴォリューム感があります。

 

  雷神山古墳

 東北地方最大の前方後円墳で、墳丘長は168mあります。古墳時代前期の終わりころ(4世紀後半)に築造されましたが、東北地方各地の大型墳は一部地域を除いてこの時期に造られ、近畿や関東、吉備の地域最大級古墳が造られる中期とは時期がずれているところが興味深いです。

 この事実は、4世紀後半にヤマト王権が東北地方の経略にかなりの力を注いだことを表していますが、4世紀後半の時点で、ヤマト王権は一体何を得るために東北地方にテコ入れをしたのでしょうか。

 

  小塚古墳

 雷神山古墳後円部側に隣接して築かれた径54mの円墳です。雷神山古墳が凄すぎてあまり注目されていないようですが、直径54mというサイズは東北地方最大規模の円墳ですし、3段築成で、往時は葺石によって荘厳されていました。ちゃんと見てあげてね。

 

    郡山遺跡

 7世紀後半に造営された初代陸奥国府跡です。ただし、国府以前の遺構も見つかっており、大化前代の蘇我氏の時代には王権はこの地に拠点を構えて北東北の経略を行っていたことが分かります。

 校舎の中には遺構が保存されており事前申し込みによって見学できるようになっています。
 

  遠見塚古墳

 仙台市を代表する前方後円墳で、墳丘長110mは、宮城県では雷神山古墳に次いで2番目に大きく、東北地方全体では現在のところ5位に位置します。前方部の先端部分が道路造成のため削られていますが、全体のサイズ感は失われていません。墳丘はいつ訪れてもきれいに整備されていますが、稀に「もしゃ子」ちゃんのことがあります。

 

 史跡陸奥国分寺・尼寺跡ガイダンス施設

 比較的最近オープンした施設で、陸奥国分寺跡と同国分尼寺跡についてパネル展示や瓦などの遺物の展示により紹介しています。入館は無料です。

 
  陸奥国分寺跡

 陸奥国分寺跡には慶長12年(1607)に建てられた陸奥国分寺薬師堂が建っています。この薬師堂は、伊達政宗が泉州の工匠・駿河守宗次らを招いて再建したもので、国の重要文化財に指定されています。

 
  陸奥国分尼寺跡

 下の写真は尼寺跡境内にある和賀忠親主従の五輪塔群。

 

 多賀城廃寺跡

 多賀城に付随した寺院跡で、金堂、塔、講堂などの基壇や礎石が残っています。

 

  多賀城跡

 724年に郡山遺跡から移転してきた2代目陸奥国府です。

 多賀城跡は広大で、2時間あれば歩いて大体の場所へ行けるのですが、現地講座では時間の都合もあるため、車を上手に利用しながらとくに重要なポイントをめぐります。

 

 陸奥総社宮

 陸奥国は広大なため、陸奥の総社には100社の神様が集まっています。

 

 荒脛巾神社

 一部の神社マニアから熱烈な注目を浴びている謎の神「アラハバキ」が祀られています。位置は多賀城の北東側鬼門にあたります。いったいこの神様は何者なのでしょうか。

3日目 アテルイゆかりの地をめぐる


 3日目は岩手県内をめぐります。岩手県南部はアテルイが治めた地。いよいよアテルイゆかりの地をめぐりますよ。

達谷窟毘沙門堂

 達谷窟は、伝説上のエミシ・悪路王の本拠地であり、悪路王は史実のアテルイとオーヴァーラップされるようになり現在まで語り継がれています。毘沙門堂はその名の通り、毘沙門天を祀っており、悪路王を退治した田村麻呂が創建したと伝わっています。

 北東北の歴史の面白いところは、ミステリアスな伝承や場所が数多く残っているところで、現地講座の3日目は、いよいよ北東北のポジティブな魑魅魍魎の世界に突入していきます。

  

  角塚古墳

 本州最北端に位置する墳丘長45mの前方後円墳で、前方後円墳としては岩手県で唯一の存在です。角塚古墳の存在によって、5世紀後半頃の一瞬(一世代)だけヤマト王権の影響力が現・岩手県にまでおよんだことが分かりますが、岩手県が日本になるのはまだまだ先の9世紀の話です。

胆沢郷土資料館

 角塚古墳から出土した埴輪などを展示しており、奥州市の古代史を知るには探訪必須の施設です。

 

  中半入遺跡

 古墳時代中期の豪族居館跡が見つかっており、時期的・地理的に見ると角塚古墳の被葬者が生前住んでいた館の可能性が高いです。標柱が2本立っているのみで説明板はなく、地表面で観察できる遺構や復元もありませんが、角塚古墳を訪れたらこちらにも来ないと中途半端です(と言いつつ、バスでは来れないためクラツーでは外していました)。

 村社神明社

 この近辺は「跡呂井(あとろい)」という地名で、地元の方々はここがアテルイ生誕の地であるとして親しみを抱いています。その跡呂井地区にある神明社は、アテルイ祭りの起点にもなります。

 

巣伏古戦場跡(田んぼアート櫓)

 延暦8年(789)に進撃してきた紀古佐美の軍勢をアテルイが迎え撃った戦いは「巣伏の戦い」と呼ばれています。その古戦場跡と伝わる場所には、田んぼアートを見るための櫓が建っていますが、その上に登ると古戦場跡を見渡せるため非常に都合が良いです。

 ここから南の方を眺めながら、古佐美とアテルイとの戦いについて解説します。ただし、極端に寒くなければですが。

 

羽黒山

 巣伏の戦いのとき、アテルイは羽黒山の頂に本陣を構えたと伝わっています。そこには、古塚と呼ばれる掘ると祟りがあるという塚がありますが、末期古墳かも知れません。末期古墳ではなく、ヤマトの終末期古墳であったらもっと面白いかも。

 

 奥州市埋蔵文化財センター

 胆沢城跡についての展示解説がメインの展示室があります。アテルイに対する地元民の愛を感じることができる施設です。

 

 胆沢城跡

 アテルイ降伏の目途がついた延暦21年(802)の春に坂上田村麻呂によって造営された城柵で、平安時代における朝廷の陸奥経略の拠点となりました。

 胆沢城が造営されたことにより、この地に鎮守府将軍が将軍府を開いて岩手県以北に軍政を敷き、岩手県域は特殊地域ではあるものの日本国家の一部になりました。一方、多賀城においては文官である陸奥守が陸奥の統治を行うようになりました。

 鎮守府八幡宮

 

 矢巾町歴史民俗資料館

 

  徳丹城跡

 田村麻呂亡きあと、最後に造営された城柵で、史上最少規模に仕上がりました。徳田小学校の校庭隣に基壇と柱跡が復元されており、さらに現在は新たな整備が始まっています。

 

  志波城跡

 老いたりとはいえどもまだ元気が残っていた桓武天皇が田村麻呂に対して「とにかくでっかいすっごいのを造って!」とオーダーして造営した史上最大の城柵で、陸奥最北に位置します。ところが、雫石川の氾濫によって北側が流されてしまい、最北の拠点は少し南の徳丹城に移転してしまいました。

 あの田村麻呂が川の氾濫を考慮しないで場所を決めたというのは俄かに信じられないため、築城場所を選定した経緯についてはもっと深く考察してみる必要があるでしょう。

 ガイダンス施設も訪れます。

最少催行人員:3名様
最大催行人員:5名様

※本講座は、自動車を使用します
※簡易レジュメ付き
※ガイディングレシーバー付き

参加費:
50,000円

キャンセル料:
6月16日以降にキャンセルされた場合は、25,000円いただきます。

【参加予定メンバー】(5月16日現在)

・マッサンさん
・葉っぱさん
・勝衛さん
・まちさん

合計4名様

※ニックネームを教えていただいた方のみ掲載しています

申し込みフォームはまだ設置していませんが、メールやコメントなどで参加は受け付けています。


「6/30~7/2【3日連続】 アテルイと田村麻呂ゆかりの地と宮城の古代遺跡をめぐる」への2件のフィードバック

  1. 参加を希望します、どうぞよろしくお願いします。
    やっとやっとの東北です(*˘︶˘*).。*♡

  2. 遠藤葉子さん

    早速の参加申込みありがとうございます。
    これで2名様ですので、あと1名様の申し込みで催行となります。
    今回の講座は奥州の古代史のいろいろなジャンルが楽しめるように腕によりをかけて造りました。
    よろしくお願いいたします。

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