丹生遺跡|大分県大分市 ~40万年前の石器が出土した「消された」遺跡~

更新日:2022年5月11日

前期旧石器時代
にゅういせき
大分県大分市丹生

2022年5月6日(金)

 2022年GWの九州一周探訪の目的の一つは、旧石器時代の中でも約4万年前以降の後期ではなく、前期や中期といった、私たちの先祖であるホモサピエンスとは違う人びと(簡単に言うと北京原人の仲間など)が生活した可能性のある場所を訪れ、できれば石器を実見することでした。

 大分県大分市の丹生遺跡もそんな遺跡の一つで、『旧石器時代の日本列島史』(安蒜政雄/著)や『旧石器時代人の歴史』(竹岡俊樹/著)によると、1962年に前期旧石器時代のインドのソーアン文化やインドネシアのパジタン文化の石器に類似しているチョッパーやチョッピングツールが出土した遺跡です。

 ※チョッパーやチョッピングツールというのは石器の種類の名前で、通常は日本のホモサピエンスが使用した石器を形が似ていてもそう呼ぶことはしない

 それらの石器については、人工品であると考える研究者と偽石器(自然石)と考える研究者がいましたが、人工品と考える研究者が大多数でした。ところが、問題はそれらの出土場所です。それらは地表や攪乱された土層からの出土のため、真実の製作年代が確定できず、石器が本物であることは確かであっても、例えば芹沢長介は、縄文時代の石器であると主張したりして、結局はそのうち話題にも上らない遺跡となり、歴史の闇へと葬り去られてしまった感のある遺跡となってしまいました。

 さて、丹生遺跡の場所については、一応はGoogle上にあるため、ひとまずGoogle先生の指し示す場所に行くことにしました。それ以外のヒントは、大分市観光協会のHPにある簡単な遺跡の紹介ページだけです。

 ⇒大分市観光協会HPの「丹生台地(旧石器)遺跡」のページ

 ところが、Google先生は大分キヤノンの事業所の入口あたりへ誘い、そこには標柱もなく、上述のWeb上の写真とは風景がかけ離れています。

 Web上の遺跡の写真はかなり古そうだったため、もしかしたら遺跡が破壊された上にキヤノンの事業所が造られたのかな?と思いましたが、大分市教育委員会に電話をして確認すると、キヤノンの場所ではないことが分かりました。

 ただし、現在は大きめの看板などは撤去してあり、小さな標識が立っているのみということで、その場所は分かりづらい場所にあるようで、担当の方は私に口頭で教えるのに苦慮していましたが、地図を見ながら話を伺った結果、なんとなくその場所が分かったため、行ってみることにしました。

 その場所は、釘宮牧場の敷地の近くということなのですが、行ってみてもそれらしき標識は見当たりません。

 牧場の敷地内ではないということでしたので、牧場の外側をグルグルと走り回りながら注意深く確認しましたが、いくら探しても見つかりません。

 これはダメパターンだな。

 時間の関係もありますし、さきほどの担当者の話によると、今後は標柱などの再設置も考えているとのことでしたので、またいずれリベンジすることにして今回は諦めることにします。

 発掘場所とは違うはずですが、近辺はこんな感じで、いくつか牧場や「廃牧場跡」があります。

 Web上の写真で見た牧場の建物もありましたが、写真には収めていません。

 なお、『旧石器時代人の歴史』(竹岡俊樹/著)によると、ある一点のチョッパーが採取された第10地区A地点の崖面は、間違いなく一時堆積の志村砂礫層で、その地層はミンデル・リス間氷期(MIS11)に比定され、その年代は40万年前です。

 竹岡氏はその石器を実見して間違いなく人工品であるとしており、出土層位も明確であるため、この地に40万年前くらいにホモサピエンス以前のホモ属の人びとが滞在したことは確かなのです。

 このような凄い事実があるのにもかかわらず、同書によれば、その石器は無視され続けているそうです。2000年に発覚した「前期旧石器捏造事件」以降、こういう問題は非常にデリケートになっていますし、竹岡氏とは違う考えの研究者も当然いるでしょうから、なかなか難しい問題ですね。

 なお、松藤和人氏はその著書『日本列島人類史の起源』のなかで、上述の石器(礫器)に注目しているのは竹岡俊樹氏だけとしつつ、「気になって仕方がない」とし、2010年にその礫器を所有している古代学協会に問い合わせたのですが、実見は叶わなかったといいます。

 何かありそうですね。

 大分市がもし新たな説明板を設置するのであれば、どういう文面になるかとても楽しみです。

 なお、丹生遺跡の場所などについてご存じの方がいらっしゃいましたらご教示いただけるとありがたいです。

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