ふるしだひがしいせき |
山形県米沢市林泉寺3-12 |
つづいてやってきたのは、同じく米沢市内の古志田東遺跡です。
平安時代の豪族居館跡ということですが、この時代の豪族居館跡の遺跡は全国的に見ても珍しいですね。
AICTの現地講座の特徴は、案内する稲用が行ったことがない場所にも行くことがあるということです。行ったことがない場所を案内できるはずがないと思われるかもしれませんが、実際その通りですね。ただし、全国の遺跡を延べ8000か所訪れている経験があるため、その知識と経験を元にできる限り解説をするように心がけており、お客様から罵倒されたことは今のところありません。
さて、古志田東遺跡は初めて訪れる遺跡です。
お、思っていたより綺麗に整備されている。
時代は、9世紀前半から10世紀初頭ということで、平将門の乱の少し前の時期にあたります。
将門の居館の実態については遺跡が見つかっていないため判然としないのですが、この古志田東遺跡を見ることによってイメージが湧くかもしれません。
母屋を始めとして、説明板のイメージ図にある建物跡について、地表面に柱列で表示されており、それは道路を挟んだ向こう側の敷地にも及んでいます。なかなか丁寧で素晴らしい。
そしてこの遺跡の目玉は何といっても、河川跡と船着場跡でしょう。
河川跡も復元されており、手が込んでいることとして、ちゃんと絶えず綺麗な水が流れるように造られているのです。維持するのは大変だと思いまが、河川跡に水があるのと無いのとではだいぶ違いますね。
こちらは東船着場。
説明板はこのように各ポイントにあって親切です。
東があれば西もある。
こういった小さな切りかけは、接岸遺構と呼ばれています。
木簡も多数見つかっていることから、そういう文字史料もこの時代を知る上で非常に重要な史料になりますね。
訪れる前に調べているときに、船着場が見つかっているということで期待してきたのですが、ここまで具体的に船着場の様相が分かるとは思っても見ませんでした。
なお、大量の呪具も見つかっており、当然ながら水辺の祭祀もあったはずですが、現在の遺跡の整備状況からはそういったものは分かりませんでした。
古志田東遺跡は、駐車場も完備してありバスも停められる広さですから、旅行会社で訪れることもできると思います。トイレもありますし、こういった珍しい遺跡がきちんと整備されて見学できるというのは素晴らしいことで軽い感動さえ覚えました。