とやまいせき |
山形県寒河江市大字谷沢字富山 |
遺跡を示す標柱や説明板などはなく、遺跡は完全破壊されたか |
岩宿の発見よりも前に旧石器が見つかっていた朝日町の大隅遺跡の次は、同じ旧石器時代でも後期ではなく中期の遺構を含む富山遺跡を訪れます。中期と言った場合、そこにいた人びとはホモサピエンスではありません。つまりは、富山遺跡は、「私たちとは違う人類」が日本列島にいたことを証明する遺跡です。
しかし、現代の多くの研究者は、日本列島における人類の痕跡は後期旧石器時代(大体4万年前)以降としています。それ以前の北京原人の仲間であるホモエレクトスや、ヨーロッパのネアンデルタール人のような人びとは日本にはいなかったとしています。
これは、西暦2000年に発覚した「前・中期旧石器捏造事件」の影響が非常に強いのですが、きちんと石器を見極める能力のある研究者は、ホモサピエンスではない人類が造った石器の存在を認めています。私は学者ではありませんが、そういう古い時代について列島各地で調べ続けています。
そのため、富山遺跡は以前から注目しており、今回は現地講座の行程に組み込みました。
なお、AICTでは以前、岩手県遠野市の金取遺跡を訪れていますが、そこは9万年前まで遡る可能性があり、ホモサピエンスではない人びとの遺跡である可能性が高いです。それ以外には、個人的に九州の古い時代の遺跡を何か所か訪れています。
さて、『富山遺跡 発掘調査報告書』(山形県埋蔵文化財センター/編・1998年=以降「調査報告書」と称す)に掲載された地図を頼りに現地に来ました。
やはり、想像通り何もないですね。
高速道路を作るときに調査がされており、遺跡が破壊された上で道路が造られているはずですが、「調査報告書」によると、遺跡の範囲は結構広そうなので、高速道路が造られた場所(調査区)の周辺にはまだ遺跡が残っているのではないかと思います。
遺跡の場所は確実にここなのですが、何もないのはやはり寂しいものですね。
すぐ近くには、「いこいの森」という施設がありますので、来る方はそれを目指してきてください。
富山遺跡は、石器製作遺跡です。ただし、ある時代においては遺跡内で石材が採取できたことから、その時期に限っては石材の原産地遺跡を兼ねていました。
しかしなぜ、こんな重要な遺跡なのに無視されているのか不思議に思ったら、「調査報告書」の現地調査ならびに資料整理の協力者の中に捏造事件の藤村新一の名前がありました。おそらくこのことによりまだ再評価がきちんとできていないため、ひとまず保留にしているのではないでしょうか(もしかすると、もう再評価すらできない状況なのかもしれません)。
ただし、藤村新一の関与とは関係がない評価もされています。その藤村の捏造を暴かせた竹岡俊樹氏は、「調査報告書」に「富山遺跡Ⅱ3G層出土の石器文化」という論考を寄せており、その後、竹岡氏は、一般向けに『旧石器時代人の歴史』を著し、その中で13万年前の可能性がある遺跡としています(調査報告書の刊行は1998年で、捏造事件発覚は2000年、そして『旧石器時代人の歴史』の刊行は2011年ですから信用できます)。
なぜ富山遺跡が13万年前の遺跡と考えられるかというと、間氷期に形成される赤色土の中から石器が見つかったからです。しかも、見つかった石器の種類は、チョッパーやチョッピングツールなどで、石器群全体の様相はアフリカから西ユーラシアに広く見られるアシュール文化とおよそ同じです。
該当する間氷期はMIS5です。
上の図に赤い字で「5」と書かれている時代が該当しますが、13万年前であることが分かります。
「調査報告書」から、竹岡俊樹氏の論考を引用します。ちょっと難しい内容ですが、この遺跡の特徴ですから興味がある方は読んでみてください。
富山遺跡II3G層の石器群の特徴 この遺跡では大形石器の製作、剥片剥離技法の工程、剥片石器の製作と、当時の旧石器時代人が行った石器製作の全作業が残されていると考えられる。このような状況は石材の条件もあろうが、筆者の経験では前期旧石器時代の遺跡のあり方としては普通である。たとえば筆者が分析したテラニアマタ遺跡(フランス・ニース市、38万年前)の組成と基本的に同じである。 この遺跡の石器群を特徴づける一つは大形の石器類で、前期旧石器時代に特徴的な全ての種類の石器をみることができる。すなわち、チョビングツール、チョッパー、両面加工石器、クリーバー、多面体石器、円盤状石器である。その中でもっとも量的に多いのはチョビングツールで製作技術、大きさともに多彩である。また、明確な両面加工石器、多面体石器、円盤状石器など今日まで日本では未見の石器類も文化そして時代を規定する重要な資料となろう。 もう一つの大きな特徴はかなりの斉一性をもつ剥片剥離技法の存在である。ここにみられる技法はたとえばヨーロッパのアシュール文化に普遍的にみられる。上述のテラ=アマタ遺跡の石核類とも非常に近似している。その剥片の消費の形態は今後の分析に期待されるが、多くの剥片はそのまま刃物として用いられたことが予想される。 一方、剥片製石器には正方向の剥離によって形づくられた削器や鋸歯状石器、ノッチを除けば未見のものも多く、分類が困難である。むしろ礫や節理に沿って剥離された礫片を素材とした厚形削器の方が類型的である。 総じてみれば非常に荒々しい石器文化の中に両面加工などかなり丁寧に製作された石器が混じるという印象を持つ。 |
チョッパーとチョッピングツールについて
チョッパーは、礫をそのまま使用することから礫器(れっき)と呼ばれ、礫の一端に主として片面から数回打撃を与えて刃を作り出し、刃部の形状は様々です。富山遺跡からは下図のチョッパーが出土しています。
上から見た図を見ると、刃が片面だけに付いているのが分かると思います。
参考までに海外ではこういったものが見つかっています。
チョッピングツールは、「チョッピング・トゥール」とカッコよく表記することもありますが、これも礫器です。ただ、刃の造り方がチョッパーと違い、造り出したい刃部に対して、両側から交互に打撃を与えます。そのため、刃部(尾根のようになっている部分)がジグザグに形成されます。
富山遺跡からは下図のチョッピングツールが出土しています。
1番(一番上の石器)が分かりやすいと思います。両面をほぼ交互に5回打撃して刃を作っています。
参考までに海外ではこういったものが見つかっています。
3番の石器のサイドから見た図が、刃の造られ方を分かりやすく示しています。
中期旧石器時代の遺跡を積極的に紹介する山形県
ところで、山形県内の博物館には、中期旧石器の展示があるのです。これは全国的に見ても珍しいことですが、例えば、昨日訪れた、うきたむ風土記の丘考古資料館のロビー展示にもありました。
斜軸尖頭器は、「尖頭器」の名の通り槍先として使用されていたことを想定していますが、円盤形石核とともに中期旧石器時代の指標とされる石器です。ただし、後期旧石器時代初頭の遺跡からも出るようです。
こちらは「片刃礫器」とあります。
上の2つともに山形県立博物館蔵とありますが、山形県立博物館では、常設展示室に堂々と中期旧石器の展示があります。
全国のスタンダードは、日本人のルーツが遡れるのは後期旧石器時代までです。そういう趨勢にあってこのような展示は非常に素晴らしいと思います。刺さる人には刺さるでしょう。
山形県立博物館の公式HPによると、上屋地B遺跡の発掘調査は、1968年から3年間行われ、これらの石器は粘土質の第2層とその下の礫層である第3層から出土したもので、中国の山西省の丁村(ていそん)文化やシベリアのルバロワ=ムスティエ文化期の石器とよく似ているとしています。
なお、『旧石器時代人の歴史』(竹岡俊樹/著)によると、上屋地遺跡から出土した石器は、富山遺跡の石器と類似しているとのことです。
また、丁村遺跡で見つかった人の歯は、ネアンデルタール人に近いとされており、ホモサピエンス以前の人類のものでしょう。
これらは今回訪れた際に撮影してきたものですが、実は恥ずかしいことに、4年前に山形県立博物館を見学した時は、中期旧石器を見た記憶がないのです。写真にも収めていませんでした。あの日もいつものごとく時間が無くて、駆け足で見学したのは確かですが、きちんと見学すれば素晴らしい展示があることに気づいたはずです。
でも、今回は気づけて良かった。予期せずに道端で偶然大好きな人に会ったくらいに嬉しい。
山形県は今後、ぜひ中期旧石器時代をもっとアピールして欲しいです。
捏造事件発覚からすでに23年経っており、時代は着実に次のステップに進んでいます。
西沼田遺跡
縄文以前の遺跡もなかなか興味深しです✨
山形県立博物館前にいった時はそのあたりよく見なかったので、また機会がありましたらじっくり見たいとおもいます!
野澤さん
2000年の捏造事件以降、日本にはホモサピエンス以外の人類はいなかったことにされてしまいましたが、ちゃんと調べていくと、そうでないことが分かりますよ。
とくに、山形県は本文でも述べた通り、そういう古い時代に対して積極的なようなので、今後の展開にも期待しています。