手下だと思ったら社長だった
2023年10月3日号
今は分からないが、十数年前は大手企業のソフト開発は、大きなビルの建設現場と一緒で、例えばNECや東芝といった元受けのその大手企業のオフィスに、その会社の社員だけでなく、協力会社(下請け)のエンジニアが集結して、数十人から数百人の兵力でソフトを作っていた。数百人規模だと、十数社の社員が机を並べて一緒に戦う。
そういうのを数か月とか1年ごとにずっと繰り返していたので、私は人見知りをしない。どこの職場に行っても、2日目には昔からいた社員のように振舞っていたし、すぐに他社のお友達もできた。ITエンジニアは酒飲みが多かった。
会社員時代は侍大将として部下を引き連れて現場に赴いていたので、多くの会社がひしめく中で、自分の会社が元受けから好印象を持ってもらえるように振舞った。戦陣での功績も大事だが、政治力やときには謀略も必要だ。
さて、今日はそんな稲用年表でいうところの「IT時代」の「終末期」の話をする。
実年代では、2000年代後半。
あの頃はもう自殺寸前の体調不良で、当時のことはあまり覚えていないのだが、会社員ではなく、フリーエンジニアとして上述のような現場に入り込むようになっていた。
時給は最も高かったときで3500円だったが、仕事ができるほどの気力も体力も無かった。それでも1ヶ月通えば結構な金額だ。まあ、給料泥棒なわけだが、死ぬ思いで通勤電車に乗って出社し、ほとんど働かない頭脳でパソコンをいじっていた。
社員食堂で食事を棚から取るとき、何を食べて良いのか分からずちょっと立ち止まったら、後ろにいた上司から「モタモタしねえで早く決めろよ!」と衆目の前で怒鳴られた。きっとノロノロして頭の回転が遅い人間はムカつくんだろう。私自身が昔はその上司のようなタイプだったが、今はテキパキできない人の気持ちが分かるから怒らない(ようにしている)。
終末期は、せっかく現場に入っても、早ければ2週間、長くても3ヶ月でダウンした。ダウンすると3ヶ月くらい寝たきりになる。ちょっと回復すると面接に行く。その繰り返しの地獄の日々。
あるとき、大手求人サイトの募集を見て、ある会社に応募した。
待ち合わせ場所は池袋駅。
現れたのは、私よりも少し若そうな30代前半くらいの金髪の男性。黒いスーツで決めていて、ホストのような雰囲気だ。
地下にある喫茶店に案内され、男は「アイスコーヒーで良いですか?」と私に聴くのと同時に、近くに立っていたウェイトレスに目配せした。
なるほど、ウェイトレスのあの反応だと、いつも応募者をこの喫茶店に連れてきているんだな。
この金髪の男はきっと手下で、このあと社長が現れるんだろう。
しかし、差し出された名刺を見たら、その男が社長だった。
当時は、フリーエンジニアを相手に、単に仕事を回すだけのブローカーのような人がいて、IT業界では「人身売買」と呼んでいた。この人も人身売買稼業の人だな。見た目で判断するのは良くないが、きっとこの人はプログラミングはできまい。
今はあるか分からないが、ネズミ講のような有名な会社もあって(銀座の本社に面接に行ったことがある)、自分が入り込んだ現場で、追加人員が必要になったときに知り合いを紹介して採用されれば、その知り合いの月収の何パーセントかが自分の銀行口座に毎月入って来る仕組みだった。こういう知り合いが10人もいて真面目に働いてくれさえすれば、紹介者はそうとう富裕な生活ができる。
金髪の男はきっとこういう類のビジネスをしていたのだと思う。しかし残念ながらその後はその男とは縁がなく、お仕事に結びつかなかった。
私にとって池袋という町はこういう思い出のある町なのだが、今日、かつて待ち合わせた池袋駅西口に行って見たら、嫌な感じは受けなかった。あれから十数年経つが、私の中では当時の苦しかったことはすでに浄化されたんだと思う。
さて、そんな池袋にある豊島区立郷土資料館は、考古系の展示もちょっとだけある。
こちらは駒込一丁目遺跡から出土した弥生土器。
館内は写真撮影NGだが、職員に許可を得れば可能だ。ただし、接写はダメということだ。
これらの土器は弥生時代後期のさらに後半の頃の土器で、古墳時代に入る少し前だ。駒込一丁目遺跡では、20棟以上の竪穴住居跡が見つかっており、隣の文京区弥生町の方まで集落が続いていたと考えられている。
ITの仕事をやっていた頃があまりにも昔のことのように思えて、弥生時代の方が最近のように感じてしまう。
※本記事で紹介した遺物が現時点で展示されているとは限りませんので、その点はご了承ください。