五郎山古墳および五郎山古墳館|福岡県筑紫野市 ~見事な絵画系彩色壁画のある古墳~

まずはウエストへ

 お客様が乗った飛行機も遅れたため、出発時刻は予定よりも少し遅くなりました。

 でも、飛行機の遅れは仕方がないので、めぐれる範囲で無理せずめぐりましょう。

 レンタカーの手続きを済ませ、まず目指したのは、二日市のウエストです。

 福岡の人たちはうどん好きですが、その福岡に多くの店舗を構えるうどんチェーンです。

 関東にも数店舗あるのですが、家の近くにはありませんから、福岡に来たときはチャンスがあれば食べます。

 着きました。

 ちょっと肌寒いのですが、ぶっかけにしました。

 

 美味い。

 私は讃岐うどんとか武蔵野うどんのようなコシのあるうどんが好きなのですが、福岡のうどんは柔らか目です。でも、ウエストは最初ぐにゃっとした食感なのに最後はちゃんとコシがあるので、初めて食べた時に衝撃を受けて、それ以来ファンです。

 九州は何でも甘味なので、私は好みなのですが、人によってはそれがダメということもあるので、皆様のお口に合ったかどうかは分かりません。

 以前、クラツーで福岡を案内した時に、お客様に「福岡って何が美味いの?」と聴かれたので、普通に「うどんです」と答えたら、「えー、うどんかよー」と返ってきました。せっかく旅行で福岡に来たため、もっと豪勢な何かを期待したのでしょうが、福岡に来てうどんを食べないのはもったいない。

 ウエスト二日市店の道路向かいは、原口古墳です。

 今日は訪れませんが、九州最古級の古墳として紹介されることもある80mの前方後円墳で、三角縁神獣鏡が3面出ています。

 以前訪れた時のレポートがブログにアップしてあります。

  日本史大戦略にある原口古墳の探訪レポート

 

 


五郎山古墳館

 今回は筑後川流域の装飾古墳の見学がメインです。五郎山古墳は筑後川支流の宝満川流域の古墳ということで行程に組み入れました。ただ、古墳自体には今は入ることができないため、古墳館のレプリカで我慢してもらおうと思います。

 五郎山古墳館に到着しましたが、微妙に雨が降っています。

雨の写真よりマシな前回来た時の写真

 五郎山古墳館は、その名の通り五郎山古墳に特化した施設で、パネル展示や映像で五郎山古墳について解説しています。遺物の展示はあまりありません。

 

 ここの目玉は、実物大の石室レプリカです。

 でも、羨道入口が狭いため、これでは脚が良くない人は入れませんね。

 石室の構造はこの通りです。

五郎山古墳館のパネル展示を撮影

 石室全長は11.2m。前室を備えた複室構造で、玄室は両袖型。北部九州らしく天井は高く、玄室の天井高は、4m近くあります。赤い丸で囲ってあるのは、框(かまち)石といって、しきみ石と同様、空間を仕切るために床面に設置した石です。

 石室に入り、しゃがみながら進んで玄室へ行くと、見事な壁画がお出迎えしてくれました。

以下4枚の写真は、あとで石室を動かしてもらってから撮影

 使っている色は、赤、緑、黒です。

 古墳によって使っている色は違うのですが、今回当初行く予定だった王塚古墳は、赤・黄・緑・黒・白・灰の6色を使用しており、6色は王塚古墳だけです。でも、五郎山古墳も貴重な緑色を使っていますからなかなか頑張っていますよ。

 

 私は前回来た時も本物を見ることができなかったのですが、古墳館の方によると、実際の壁画はかなり薄くなっているそうです。

 

 石室や石棺に装飾が施された古墳のことを装飾古墳といいますが、その装飾は大きく、五郎山古墳のような彩色画と、鉄製の道具で壁面に傷をつけて描く線刻画に分かれます。

 さらに彩色画は、具体的な絵画様のものと、丸や三角などの図形のようなものだけで構成された抽象的なものに分かれます。

 装飾古墳というカテゴリーに入る古墳は、熊本装飾古墳館によると全国に700基ほどありますが、線刻画が圧倒的に多く、五郎山古墳のように具体的な絵画様のものは大変少なく貴重です。

 

 しかし思ったのですが、前に来たときは石室に入るのにこんな苦労はしなかったはずです。

 そう思いながら石室から出ると、古墳館の方が通路部分を開けてくれました。

 

 そうだ、確かに前はこうだった。

 その時は、来た時点ですでに開いていたような気がします。

 まだ3年前のことなのに意外と覚えていないものですね。

 では、せっかくなので墳丘も見てみましょう。

 

 

32
五郎山古墳

 古墳館の裏手の山の上に古墳があります。

 今日は雨のため坂道が滑りますので気を付けましょう。

 数分登ると着きます。 

 

 五郎山古墳は、6世紀中頃に築造された円墳で、径は32mですのでそこそこ大きいです。

以下3枚は2020年10月2日撮影

 ※上の写真を見ると、赤は色味を変えて2種類あるように見えますが、単に写真の写り方でそう見えるだけです。

 後期古墳は、前方後円墳の場合は2段築成がポピュラーになりますが、五郎山古墳は3段築成です。

 

 1段目は地山整形で、2段目と3段目は盛土で構築されています。

 周囲には幅2m、深さ30㎝の形ばかりの周溝がめぐっていました。この時代になると、それ以前のように広大な周堀を掘ることは段々なくなってきて、結界を示すだけのような幅が狭い浅い周溝に変化(ある意味退化)してきます。

 石室の断面図を見ると、玄室は墳丘内中央にあることが分かりますね。

 
五郎山古墳館のパネル展示を撮影

 天気予報では雨は昼頃に止むとのことでしたが、13時近くになってもまだシトシトと降っています。

 まあ、そのうち止むでしょう。

 では、つづいて九州歴史資料館へ行きますよ。

 



 

 

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