美浦村文化財センター
2023年10月28日(土)、土浦市周辺の現地講座を開催しました。主なテーマは貝塚と郡衙跡です。
土浦駅を出発し、まず向かったのは美浦村文化財センターです。陸平(おかだいら)貝塚に隣接している施設です。
実は、昨年の1月に個人的に訪れたのですが、到着時、時刻は16時半で、駐車場のゲートが閉じられた後でした。今回はそのときの雪辱を晴らします。
土浦駅から30分ほど走って到着。
展示室です。
陸平貝塚の概要。
陸平貝塚は、ここに書いてある通り、明治10年に大森貝塚を発掘したモース博士から直に教えを受けた佐々木忠次郎と飯島魁(いさお)が明治12年に発掘した遺跡です。日本人の手で初めて発掘調査を行った遺跡と言われていますが、正確には、江戸時代も発掘調査は行われているので、どれを日本最初の発掘調査とするか考えると複雑な様相を呈してきます。
しかし、モース直伝というのが一つのポイントですし、佐々木・飯島の発掘が学史的に重要な発掘であったことに間違いはありません。
実際に遺跡に行くと分かりますが、周囲の地形がかなり落ちていて、島のようになっています。事実、縄文海進の頃は島だったんですね。
遺跡に関しては、またあとで現地に行ったときにお話しします。
出土遺物。
部屋の奥の角には、陸平遺跡から出土した土器を接合したものが展示してあります。
入口左手には、佐々木・飯島が発掘した際の出土遺物のレプリカが展示してあります。
これは面白い形をしていますが、双口土器といいます。
縄文時代後期の加曽利B式ですが、縄文人って本当に面白いものを作りますね。
いったい何に使ったのでしょうか。
他にも何点かの展示がありますが、これらの土器の実物は東京大学総合博物館が所蔵しているとのことなので、以前同博物館に行ったときに撮った写真を見返したところ、双口土器が写り込んでいました。
この写真の一番右側のがそうじゃないかと思います。
東大総合博物館の展示ってゴチャッとしていてあんまり見やすくないので、もしかすると他の場所にも陸平貝塚の土器が展示してあるかもしれません。
こちらは企画展示で、木の根田遺跡と内出遺跡について紹介しています。
出土遺物。
小ぢんまりとしていて良い展示室でした。
エントランス部分にも展示がありますよ。
興津貝塚のミニ展示。
遺物。
上の説明にも書いてある通り、興津貝塚は、興津式土器の標識遺跡です。
前期後半、西関東では諸磯式土器が大勢を占めますが(最後の方に十三菩提式土器)、東関東では、浮島式、ついで興津式土器がつくられます(縄文時代の通史に関しては、本サイト内のこちらのページに記述していますが、そこには諸磯式土器の説明しか書いていませんでした・・・)。
海に近い遺跡では、土器の文様をつけるのにも貝殻を使うんですよ。
佐々木がアメリカのモースに宛てた手紙のコピーなども展示してあります。
私も「モース詣で」の一環として、マサチューセッツ州のセーラム市にあるピーボディー・エセックス博物館に行ってみたい。
それでは、現実的な対応として、まずは陸平貝塚へ行ってみましょう。
陸平貝塚については、2022年1月に訪れた時のレポートが別サイトにありますのでそちらをご覧ください
陸平貝塚の次は、土浦市立考古資料館です。