2023年11月29日(水)は、日帰りで埼玉県比企地方の現地講座を催行しました。テーマはタイトルの通り、古墳と松山城跡です。
松山城跡のリクエストを頂いて企画したのですが、近くには野本将軍塚古墳や埼玉県最古級の根岸稲荷神社古墳などの古墳があるため、それらを加味し、さらに平日しかオープンしていないこともあって個人的に中々行けずにいた東松山市埋蔵文化財センターを加えました。そのため、開催日は平日としました。
①
坂戸市立歴史民俗資料館|坂戸市
集合場所は大宮駅西口のレンタカー屋です。お約束通り9時までには皆様お集まりいただけたので、予定通り出発です。
まずは坂戸市へ向かいます。
比企をテーマにしておきながら、坂戸市は入間郡です。当初探訪を考えた場所だけでは少し時間が余ることが予想されたため、前日にどこか良い場所がないか探しました。すると、以前から気になっていた坂戸市を思い出し、坂戸市立歴史民俗資料館が平日のみの開館だったため、良い機会だと思ってまずは坂戸市を訪れることに決めたのです。
さすがに平日の朝は道路が混みますね。出発から1時間かかり坂戸市立歴史民俗資料館に到着しました。
おー、レトロな感じの建物でいいですねえ。
建物は、昭和13年に竣工した旧勝呂小学校の校舎の一部を移築・改修したものです。建物の中身は私が通っていた当時の小学校よりも古い。懐かしいというよりかは素敵です。
歴史民俗資料館という名称の施設は当たりはずれがあって、民俗展示しかない場合もありますが、事前に調べた感じでは考古遺物の展示もあるようなので密かに期待しています。
2階の展示室に入りますよ。
わおー、素敵な部屋だ。
思うんですが、古代史好きな人に対しては、まっさきに人物埴輪が目に入るレイアウトは心を掴みますね。
こちらの人物埴輪、馬形埴輪、円筒埴輪は市内の北峰22号墳から出土したものです。
関東の人物埴輪らしく、皆良い顔をしています。
期待通りの資料館でよかった。
もちろん縄文土器もありますよ。
上谷遺跡から出土した中期の土器で、勝坂式土器ですが、最奥の深鉢はちょっとわかりません。
一番右の大きい深鉢も勝坂式かどうか迷いますが、多分勝坂式でしょう(詳しい方がいらっしゃったらご教示ください)。
坂戸市立歴史民俗資料館のすぐ近くには7世紀後半に建立された勝呂廃寺があるのですが、勝呂廃寺の遺物も一つの目玉になっています。ちゃんとコーナーがありますよ。
他にも民俗コーナーも充実しており、ここはお勧めの施設です。
建物自体も素敵なのでぜひ訪れてみてください。
② 埼玉県選定重要遺跡
勝呂廃寺|坂戸市
勝呂(すぐろ)廃寺は、歴史民俗資料館の近くなので歩いて向かいます。
ありました。
説明板がありますよ。
目で見られるものとしては、1棟の掘立柱建物跡の柱列表示があります。
これ以外は、周辺に空き地が広がっているだけで特に何もありませんが、説明板に記されている通り、勝呂廃寺の建立は680年頃と考えられており、埼玉県では最古級、関東地方全体で見ても初期の仏教寺院です。
関東地方全体でさらに古い寺院を探すと、有名なものとしては群馬県前橋市の山王廃寺が挙げられます。
クラツーやAICT、そしてその他でも案内したことがありますよ。
それと、千葉県栄町の龍角寺ですね。
龍角寺もクラツーやAICTで何度も訪れています。
勝呂廃寺はこれらの廃寺に引けを取らない古代寺院跡なのですが、ヴィジュアル的にはちょっと弱いですね。
柱列表示がされている建物は、歴史民俗資料館のパネル展示で確認すると、四面廂掘立柱建物です。その名の通り、4方向に廂が付いている建物で、廂が付いている建物の中では最も格式が高いです。
これを見ると身舎(もや)は、桁行4間×梁行2間のようですが、西側の道路の部分は掘っていないので、桁行はもっと長かった可能性があるのでしょうか。
なお、勝呂廃寺に隣接して古代道路が南北方向に走っていました。東山道武蔵路の跡で、南側は川越と繋がっています。川越で検出された武蔵路跡は、これも以前AICTの現地講座で訪れています。
この踏切の場所から勝呂廃寺までは約6.7㎞で、その間はほぼ一直線の道で繋がっていたのです。
③ 67
胴山古墳
せっかく坂戸市に来たので、近くにある古墳も少し見たいと思います。
この辺もかなり多くの古墳がありますが、時間の都合上、目立つ古墳だけ見ますよ。
まずは、胴山古墳にやってきました。
胴山古墳は、6世紀に築造された墳丘長67mの前方後円墳で、坂戸市で最大の古墳で、入間郡全体で見ても最大級です。
しかし、古墳は未整備状態で説明板もありませんでした。
墳丘は完全なジャングル状態です。
周囲を少し見ただけで諦めます。
次の古墳に行きましょう。
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