36.8
稲荷山古墳
山の神古墳の次は、ほぼ隣にあるような稲荷山古墳へ向かいます。
あの森ですよ。
振り返ると山の神古墳。
お、墳丘が見えますね。
稲荷山古墳のある場所は公園になっているようです。
公園の中にある古墳のことを「公園墳」と呼びます。児童公園の場合は、「児童公園墳」です(共に稲用語)。ここの場合は、遊具もありますから児童公園墳と呼んでもいいかも知れません。
いろいろあって賑やか。
説明板を読んでみましょう。
径36.8mの円墳ということで、円墳としてはやや大きな部類に入りますね。
2段築成で葺石があり、周溝もめぐっていて、埴輪とはいっていませんが、土師器が見つかったということです。葺石の様子は写真が掲載されていますが、大振りな印象の河原石をビッシリと葺いていたようです。
時期は、4世紀末から5世紀半ばということですが、前期末というよりかは中期初頭から中葉と考えて良いと思います。
主体部は未発掘。
もうひとつ、昭和47年に建立された石碑もあります。
この石碑を建てた頃にはこの辺の丘陵の破壊が始まっていたのでしょう。古墳を大切に思っていた当時の方々の気持ちがここに残されています。
では、墳丘に登ります。
なるほど、周溝の跡の窪みが分かりますね。
墳頂には小詞があります。
入口とは反対側の墳丘はガッツリと削られてしまっています。
墳丘の中腹からは2段築成の段築の様子も分かります。
36.8mの直径ということで大きなサイズ感のある良い円墳です。
説明板には市内最大級の円墳とありますが、浜松市内の円墳を見てみると、5世紀中頃に築造された千人塚古墳が径49m、5世紀前半に築造された入野古墳が径44m、そして5世紀代に築造された米塚古墳が径40mというように、稲荷山古墳よりやや大きい古墳が数基存在します。
立地を見ると、今まで見てきた内野古墳群の3基は南北に並んでおり、すべて東側に南流する御陣屋川に臨む崖の縁に築造されており、古墳を造る場所としてはよくあるパターンですね。
それでは、非常に興味深い、積石塚群の二本ヶ谷積石塚群へ行きますよ。