江釣子古墳群|岩手県北上市【AICT開催レポート】第155次現地講座「岩手の縄文にドップリ浸かる」その4

その3の記事はこちら

展勝地レストハウス

 樺山遺跡を見学した後は、江釣子(えづりこ)古墳群へ行きますが、その前にランチを食べましょう。

 向かった先は展勝地レストハウス。

 私は24歳からときたま北上市に行くようになったのですが、たまに展勝地レストハウスでランチを食べていました。

 個人的に気に入ってしまったため、クラツーでこちらのツアーをやるときはランチ場所に指定していました。私はあまりランチ場所を会社にリクエストしていなかったのですが、ここは別格です。

 展勝地は桜の名所として有名で、一度クラツーでもろにその時期に来たことがあり、バスが渋滞に巻き込まれて偉いことになったことがあります。

 桜のシーズンとは打って変わって、しかも今日は平日ということもあり静かな展勝地へやってきました。

 

 さて、何を食べようかな!

 展勝地ラーメンというのがありますが、これは昔あったかな?

 ミニカレーとのセットで試してみます。

 

 展勝地ラーメンはとろみがかったスープです。

 漬物が乗っており、豚バラ肉が入っています。

 もう四半世紀も昔のことなので記憶がおぼろげですが、とろみがあることから何となく花巻の「マルカンラーメン」を思い出しました(あっちはタマネギがたくさん入っているしピリ辛なので実際は全然違うでしょう)。

 もう一方のカレーには驚きました。

 かなり美味い。

 あんまり辛くないので万人受けするカレーだと思いますし、トッピングされている野菜がこれまた美味しい。

 お客様がデザートを食べるということで私も真似しました。

 

 ソフトクリームの下には小豆のあんこが詰まっていて、その中には意外と大きめのお餅が2つ入っています。

 これはミニサイズなのですがミニでも結構多いし、ましてや標準サイズは凄いよ。

 食べてから思い出しましたが、展勝地のお餅はとても美味しいんですよね。

 ずんだ餅も食べたくなったけど、結構お腹いっぱいになったのでやめておきます。

 久しぶりに訪れた展勝地レストハウスは、相変わらず食事も美味しいし、店員さんも元気で良かったです。

 なお、座敷席にはツアーの団体客がいましたが、このお店はツアーでも使いやすいと思います。値段も安めだし、旅行会社の方もどうぞ。

 それでは、江釣子古墳群へ向かいましょう。

 


八幡古墳群(江釣子古墳群八幡支群)

 今回の現地講座は縄文をテーマにしたので、当初は江釣子古墳群は割愛しようと思ったのですが、やはり北上に来たら少しでも見ておいた方がいいと思うので探訪します。

 ただし、江釣子古墳群は広大なため、今回行くのは八幡支群のみです。

 八幡支群は、えづりこ古墳公園に隣接しており、八幡神社の境内に古墳が見られます。公園内には北上市内の遺跡を紹介する説明板があったりしますが、時間の関係で車から降りたらまっさきに古墳を目指します。

 

 まずは神様にご挨拶。

 

 説明板を読んでみましょう。

 

 北上市立博物館のページでも述べた通り、江釣子古墳群は、北上川支流の和賀川の北岸に所在します。東から八幡、猫谷地、五条丸、長沼の4支群に分けられており、総数は130基以上で、末期古墳の古墳群としては日本最大です。

 ただし、長沼支群に関しては、支群として見るより独立した古墳群として見た方が良いのではないかと思っており、事実、岩手県立博物館の展示パネルでは無視されています。

 

 さて、八幡支群には8基の古墳が残っているということで、分布は下図の通りです。

 

 八幡支群の8基はすべて発掘調査がされていません。

 説明板がもう一つ出てきました。

 

 4号墳が現れました。

 

 境内敷地の奥には、5号墳。

 

 八幡支群は五条丸支群や猫谷地支群と違って、あまり石が目立ちませんが、墳丘を見ると川原石が散らばっているのが分かります。

 

 8基すべてにプレートが設置されているわけではないようで、これはプレートがありませんが古墳でしょう。

 

 わずかばかりのマウンドの上に川原石が散見できれば古墳のはずです。

 以上、八幡支群の見学はとてもしっとりとしたものになりましたが、ひとまず、末期古墳の現状の一断面を皆様にお見せすることができました。

 こういうのは、普通の古墳好きの人にとっては面白くないと思いますが、マニアックな人や蝦夷(エミシ)の歴史に興味がある人にとっては非常に興味深いものです。

 ということで、古代史目当てで北上に来たら寄るべき北上市立博物館、樺山遺跡、江釣子古墳群の3か所を訪れましたので、次は遠野市へ向かいます。

この次の遠野まちなか・ドキ・土器館のレポートはこちら

 なお、江釣子古墳群についてもっと知りたい方は以下もお読みください。

 


猫谷地古墳群(江釣子古墳群猫谷地支群)

 上で出てきた八幡支群の説明板の古墳分布図にも記されていますが、八幡支群の西側の田んぼ向かいには、猫谷地(ねこやち)支群が展開しています。八幡支群と猫谷地支群を画す田んぼは、往時は浅い谷だったかもしれません。

 

 古墳分布図。

 

 猫谷地支群の古墳たちは、上記した八幡支群の古墳たちとはだいぶ見た目が違います。

 こちらは、説明板のすぐ横にある18号墳ですが、まるで積石塚のようです。

18号墳

 

 結構大きな川原石を使っており、異様な感じがします。

16号墳


 石をどかしてみれば、中身のどこまでが石なのか分かりますが、もちろんそんなことはしませんよ。ちなみに、もしそういうことをしたら、ここは国史跡ですから普通に法律違反で罰金あるいは禁固です。

 江釣子古墳群の主体部は、川原石で石室を造るものが多いため、その部材が出てきてしまっているのかもしれず、なぜこういう形になっているのかは良く分かりません。

 猫谷地支群では、道路端に古墳が散見できます。

手前が14号墳で奥が13号墳

 

 上の説明板には立派な石室の写真が掲載されていますが、それは1号墳です。

 江釣子古墳群の代名詞みたいな古墳なのですが、残念なことに今は石室は埋められてしまって見られないのです。

1号墳

 

 こんな状態。

1号墳

 

 ただし、石室の実物大レプリカ(どの古墳かは未確認)が岩手県立博物館にあり、今回の現地講座でも見学しました。

岩手県立博物館にて2022年7月18日撮影

 

 石室内を見ると、仕切りのような石がありその側壁にも立石状のものがあり、通有の複室式の横穴式石室における部屋と部屋との仕切りを真似ているのかもしれません。

岩手県立博物館にて2024年9月11日撮影

 

 ただ、それらで仕切られた一つの区画内に伸展で遺体を置けるほど広くはありません。

 これは横穴式石室が退化した形の竪穴式石室で、したがって羨道はありません。

 天井高は1mくらいのはずですが、どの古墳を見ても天井石らしき大型の石がまったく見られないのが不可思議です。

 7世紀後半にエミシがこういった古墳を造ったわけですが、これはどう考えても古墳文化を知っている人間の仕業です。

 エミシといっても、その内実は様々で、南東北や関東などからの移民も含まれます。こういう石室の形態は何となく多摩川流域の古墳(例えばあきる野市の瀬戸岡古墳群)に似ているのですが、多摩川流域の古墳に床面の仕切りの石があったかどうかはちょっと思い出せません。

 猫谷地古墳群の南側を見ると、車がビュンビュン走っていますが、その向こう側はすぐに和賀川となります。

 


五条丸古墳群(江釣子古墳群五条丸支群)

 猫谷地支群の西側には、五条丸支群が展開しています。

2024年9月14日撮影

 

 古墳群を現代の研究者が区分けする際には、谷地などの自然地形によって画されているかを見たりしますが、猫谷地古墳群と五条丸古墳群の間にも微妙に谷地があったのかもしれません。

2024年9月14日撮影

 

2024年9月14日撮影

 

 五条丸支群も猫谷地支群同様、道路端に古墳が見られ、2021年9月の現地講座で訪れています。

10号墳(2021年9月20日撮影)

 

 やはり川原石ゴロゴロです。

9号墳(2021年9月20日撮影)

 

 小さな古墳ですが、きちんと守って道路を作っているところが素敵。

7号墳(2021年9月20日撮影)

 

 しかし本当にこの川原石の雰囲気は異様で、葺石なのか積石塚なのか外見からでは判断できません。

6号墳(2021年9月20日撮影)

 

 五条丸支群は、これらの道路端とは別に、「何かの施設」があった場所の敷地内にも4基まとまって残存しています。上記説明板が設置されている場所の近くです。

16号墳・奥は17号墳(2024年9月14日撮影)

 

 そこには、川原石で構築した石室の模型のようなものも設置されています。

2024年9月14日撮影

 

 ところで、エミシの武器といえば、蕨手刀(わらびてとう)を思い出す人もいるかもしれません。下図は五条丸古墳群から出土した蕨手刀です。

岩手県立博物館にて2024年9月11日撮影

 

岩手県立博物館にて2024年9月11日撮影

 

 蕨手刀は、奈良時代を中心にして平安時代初めまでの時期に造られたということで、それはまさしく朝廷の征夷が盛んだった時代です。そのため、征夷との関連が考えられるわけですが、蕨手刀は一応は列島各地から出土します。ただし、やはり東北での出土例が多いです。

岩手県立博物館にて2024年9月11日撮影

 

 上図は昭和40年6月1日現在ということで古い情報ですが、その後もそれほどは発見されていないはずなので、これで傾向は掴めると思います。

 岩手県に特に多いです。

岩手県立博物館にて2024年9月11日撮影

 

 それ以外の地域では、北海道内としては珍しく末期古墳が造営された石狩低地帯でも多く見つかっており、また面白いことに、オホーツク人の遺跡からも見つかります。日本固有の領土である国後島からも見つかっていますね。

いつかは行きたい国後島(2022年6月22日撮影)


 ちなみに都内では、例えば台東区の鳥越神社が所蔵しており、その話はAICTで浅草を歩いたときにもしています。

鳥越神社(2023年1月2日撮影)

 

 鳥越神社の蕨手刀は神社近くから見つかったと言われており、周辺に古墳の存在を感じさせるのです。

 蕨手刀の分類は下図の通りです。

岩手県立博物館にて2024年9月11日撮影

 

 正倉院所蔵のものや西日本で見つかるものは、Ⅲ型で、反りはありませんが、東北・北海道で多く見つかるⅠ型には反りがあります。上の写真を見てもグリップ部分が大きく反っていることが分かりますが、これはエミシたちが馬上で使いやすいように独自に改良したとの説があります。

 また、その後現れる日本刀のルーツを蕨手刀に求める考えもあります。

 


長沼古墳群(江釣子古墳群長沼支群)

 長沼支群は、江釣子古墳群の支群として説明されることが多いですが、別の古墳群として考えて良いのではないかと思います。その理由は、距離が離れすぎていることで、車でも7~8分かかります。

2024年9月14日撮影

 

 長沼古墳群は、和賀東中学校の敷地内にありますが、これがまた微妙で、学校には門柱はあるものの敷地の内外を隔てるフェンスはありませんので、古墳群を歩くと、自動的に不法侵入になるような感じがします。

2024年9月14日撮影

 

 訪れた時は土曜日だったため学校は休みでしたが、校舎からは吹奏楽部の練習の音が聴こえてきました。

 長沼支群では、13基の古墳が見つかっていますが、素晴らしいことにすべて墳丘が残っています。

2024年9月14日撮影

 

 ただし、墳丘を整備した際にどの程度の工事をしたのかは分かりません。そしてここは、猫谷地支群や五条丸支群と違って、川原石は見られません。

 ところで、北上市立博物館のページでも述べた通り、同博物館には長沼支群から出土した錫釧が展示されています。

花巻市博物館にて2024年9月11日撮影

 

 例えば、弥生時代や古墳時代には青銅器が造られましたが、青銅器は銅に錫を混ぜて造ります。その際、錫の量を多くすると白っぽくなります。日本では、錫のみで製品を造ることはせず、サハリンなどの北方から入ってきた製品であると考えられますが、その錫釧の復元品はこのような感じです。

花巻市博物館にて2024年9月11日撮影

 

 私はこういうシルバーっぽいのも素敵だと思いますが、古代の日本人はもうちょっと黄色い方がすきだったのでしょうか(それとも錫で造らなかったのは技術的な問題か?)。

 長沼支群からも蕨手刀が出土しています。

岩手県立博物館にて2024年9月11日撮影

 

 また、説明板には、ゴールドサンドウィッチグラスという聴いたことのない遺物について記されています。

 これについてはまだ何も語ることができませんが、何気に北上市立博物館に展示されていることを帰宅後に気づきました。

北上市立博物館にて2022年7月18日撮影

 

 「金属ガラス玉」というキャプションで展示されているのがそれです。

 良く見たらカッコ書きで「ゴールドサンドイッチガラス」と書いてある・・・。

 不覚にもまったくノーマークでした。

 しかし物凄く貴重な物のはずなのに、このクールな展示は一体なんなんでしょうか!

 ついでに言うと、北上市立博物館の和賀分館に展示されている北上市高畑遺跡出土の縄文前期土偶も顔の表現があって貴重なのに普通に置かれています。

北上市立博物館和賀分館にて2022年7月18日撮影

 

 こういった展示手法を見ると、岩手人の懐の深さを感じざるを得ません。

この次の遠野まちなか・ドキ・土器館のレポートはこちら



 

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