遠野まちなか・ドキ・土器館|岩手県遠野市【AICT開催レポート】第155次現地講座「岩手の縄文にドップリ浸かる」その5

その4の記事はこちら

 江釣子古墳群八幡支群の見学を終え、次は遠野市へ向かいます。

 遠野市内では3か所寄る予定ですが、まずは「遠野まちなか・ドキ・土器館」で遠野市内の遺跡から出た遺物を見てみましょう。

 「創業平成二十二年」とあります。老舗の和菓子屋かあるいは漬物屋のような雰囲気ですが、ここがドキ土器館です。

 

 私は列島各地にある博物館や資料館、そして埋文センターの展示室などを数多く訪れていますが、ドキ土器館はトップクラスで好きな資料館です。

 今はこの展示をやっていますよ。

 

 「総点数なんと50点!」とあり、小さな文字で「破片を含めて」、「しかない」とあります。

 こういうセンスが好きなんですよね。少ないことを逆手に取って上手い表現です。

 展示室は小ぢんまりしています。

 

 でもこの小さなスペースに素晴らしい遺物がたくさん展示してあるのです。

 私的には、数で勝負みたいな展示よりもこういう展示の方が好きです。

 今回は中央に張山遺跡出土の立石が置かれていました。時代は縄文中期です。

 

 上部には火を受けた跡がありますが、そういえば今まで、立石に火を当てるということは想像していませんでした。今後は留意して見てみます。

 

 出土したヒスイの大珠も展示してありますよ。

 

 糸魚川のヒスイですが、遠い場所からよくも招来されたものです。

 ちなみに2022年に訪れた時の室内はこんな感じでした。

2022年7月18日撮影

 

 なかなかぶっ飛んでいて好きです。

 では、遠野の土偶を全部見てみましょう。

 バーン!

 

 一騎当千の強者が集結!

 50の兵力で山梨県笛吹市の釈迦堂遺跡の1116体に対して戦いを挑んでも善戦できると思います。

釈迦堂遺跡博物館で待ち受ける土偶の大軍勢(2024年8月21日撮影)

 

 いや、いざとなったら同じ北奥のよしみで、三内丸山遺跡に援軍を頼めば、重要文化財を含めた2000体くらいの援軍が来ますから大丈夫。

三内丸山遺跡出土・さんまるミュージアムにて2023年1月21日に撮影

 

 一体なにが大丈夫なのか分かりませんし、縄文時代に戦いの話を組み込むと嫌悪感を示す平和妄想系縄文マニアもいそうなので話を元に戻すと、遠野最古の土偶も展示されています。砂子沢(いさござわ)Ⅲ遺跡出土の中期初頭の土偶の胴体下と右脚部分です。

 

 元々の形はイメージしづらいと思いますが、下の展示パネルにも類例の写真が載っていますし、例えば北海道江別市の大麻3遺跡から出土したペア土偶も似た形状です。

大麻3遺跡出土のペア土偶その1(江別市郷土資料館にて2021年8月3日撮影)


 ただし、ペア土偶にはおへそが無い。

 岩手県というと土偶が多い(とくに晩期)イメージがありますが、遠野市内で見つかったものは小破片を含めて64点ということで意外と少ないです。

 

 全国の縄文遺跡を見ていると気づきますが、土偶は出る場所からは大量に出て、出ない場所からは本当に出ないのです。

 そういう事実も土偶の謎を解く手掛かりになるでしょう。

 なお、たまに「土偶とはこういう使い方をした!」と断言調で説明する研究者がいますが、そういう話は参考程度に聴いておき、皆様が素直に感じるものを大切にしてください。

 ちなみに、ドキ土器館のスター土偶である「たそがれ土偶」は、自身のケースを持っているので、今日もその中にいました。しかも、今日は石鏃に囲まれて賑やかな装いです。

 

 夫婦石袖高野遺跡出土の後期土偶で、こういうポーズを決めている土偶はこの時代の東北に多いですね。右手がお椀のようになっているのは重要なので覚えておいてください。

 せっかくなのでいろいろな角度から見てみましょう。

 真横から見るとよく似た土偶を思い出す人もいるかもしれませんが、たそがれ土偶の場合は、お腹が大きくないですね。

 

 後から見るとまるで背骨のようなラインがあります。

 

 真上から。

 

 川向遺跡出土の晩期土偶も可愛いです。

 

 新田Ⅱ遺跡出土の晩期土偶。 

2022年7月18日撮影

 

 つづいて、土器を見てみたいと思いますが、このあと綾織新田遺跡に行きますので、当該遺跡の土器はあとで説明するとして、他の遺跡から出た土器をご紹介します。

 冒頭に出てきた立石は張山遺跡の遺物ですが、張山遺跡の土器として中期後葉から後期初頭のものが展示されています。古い順に行くと、まずは大木9式土器。

2022年7月18日撮影

 

 中期というと、関東甲信越の人はド派手な土器を想像すると思いますが、意外とシックですね。

 こちらも同じく大木9式土器。 

2022年7月18日撮影

 

 縄文中期のイメージ。

2022年7月18日撮影

 

 右手の富裕な男性が抱きかかえている土偶は国宝の「縄文のビーナス」をイメージしていると思いますが、当該土偶は中期の所産なので、この画は時代考証に耐え得ると思います。ただし、中期のミラーボールはまだ出土していません。

 中期終わり頃の大木10式の樽形壺。

2022年7月18日撮影

 

 ちなみに、大木式土器は宮城県七ヶ浜町の大木囲(だいぎかこい)貝塚が標式遺跡で、AICTでも2度訪れたことがあります。

大木囲貝塚(2022年7月1日撮影)

 

 近くにある七ヶ浜町立歴史資料館では大木式土器がたくさん見られ、大木式土器マニアの聖地と化しています。

 岩手県南部の後期初頭の型式である門前式土器もあります。

2022年7月18日撮影


 門前式土器は、岩手県陸前高田市の門前貝塚が標式遺跡ですが、残念ながら訪れたことはありません。なお、本日の午前中に訪れた北上市立博物館にも門前式土器の優品が展示してありましたね(北上市立博物館のページはこちら)。 

 栃洞遺跡出土の晩期土器は一瞬前期土器かと思いました。

2022年7月18日撮影

 

 縄文時代後期以降は、特別な時用の精製土器と普段使い用の粗製土器が分けて造られるようになりますが、これは普段使い用でしょう。良く見ると紋様の付け方が意外と不規則。

 ところで、2年前に来たときは、大畑遺跡で表採された謎の石製品が展示されていました。 

2022年7月18日撮影

 

2022年7月18日撮影

 

2022年7月18日撮影

 

2022年7月18日撮影

 

 謎過ぎて言葉がありません。

 さて、ドキ土器館の最大の目玉は、金取遺跡出土の中期旧石器だと私は思っています。

 

 初めて訪れた時もそれらが目当てでした。

 それらに関しては、今日も金取遺跡に行きますので、遺跡にて説明したいと思います。

次の綾織新田遺跡はこちら



 

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