加曽利E式土器/縄文時代中期【ひたすら土器写真】

最終更新日:2024年9月22日

※写真はすべて稲用が撮影しました
※写真はなるべく文様がよく見えるように明るめに補正していますので、実物とは色味が違うことがあります
※展示ケースの反射で余計なものが写り込んでいるものがあります
※今一ピンが甘いものがあります
※撮影禁止のものは写していないつもりですが、万が一掲載不可のものがあったらお知らせください
※型式を始めとして説明文におかしな点がありましたらご教示ください
※紹介した遺物が現在その施設で展示されているとも限らないのでご注意ください
※各写真はクリックで拡大します

 

 

 加曽利E式土器の標式遺跡は、千葉県千葉市若葉区の国特別史跡・加曽利貝塚のE地点です。B地点は、後期の加曽利B式土器の標式遺跡となっています。

公園入口部分

 

 大雑把に言うと、縄文時代中期前半の関東地方は、東の阿玉台式土器と西の勝坂式土器が、まるで古河公方vs関東管領上杉氏のように相対していました。それが後半になると、関東地方全域は、南東北の大木8b式土器の影響のもと成立した加曽利E式土器によって統一されます。ただし、中期前半に勝坂式土器の文化圏であった甲斐地方と八ヶ岳南西麓地方は、加曽利E式土器の西方進出を拒み、曽利式土器の文化圏を形成します。曽利式土器文化圏では、かの有名な水煙文土器がフィーバーして、独自の文化を繫栄させるわけですが、たまたま加曽利E式と曽利式は名前が似ているため混乱してしまう人がいるようです。

 本場である加曽利貝塚博物館の説明は以下の通りです。

加曽利貝塚博物館にて2022年2月13日撮影

 

 中期前半の関東地方の土器と比べると外見は地味になってしまいましたが、縄文前・中期における大ヒット作品の大木式土器の影響のもと作られただけあって、シンプルな機能美を感じさせ、多くの人びとに親しまれそうなデザインになっています。

 上図にも説明されている通り、加曽利E式土器は、Ⅰ式からⅣ式まで細分化して考えるのがポピュラーです。関東地方の研究者は、「新地平編年」と呼ばれる編年観で時代を見ることがありますが、それを示すと下表のとおりです。

『新八王子市史 通史編1 原始・古代』(八王子市史編集委員会/編)より転載

 

 calBCというのは実際の年代ですから、加曽利E1式(この表では、「Ⅰ」ではなく「1」)土器の始まりは、紀元前2950年で、加曽利E4式の終わりは、紀元前2470年となります。もちろん、当時の社会においては、こんなに綺麗に土器の交代が進んだわけではないですし、地域によって歩みはバラバラですから、これはあくまでも参考として考えてください。

 考古学は「型式学」というのが学問の根幹の一つです。学者の方々は、こういう表を作るのに命を懸けていますが、私たち一般の土器好き人間は、学者の方々の仕事に感謝しつつ、こういった編年を参考にしながら土器自体を楽しむことに専念したいです。

 なお、加曽利EⅣ式は中期一杯まで使われ、後期のトップバッターとして称名寺式土器が出現するというのが一般的な考えですが、埼玉県などでは加曽利EⅣ式土器と称名寺式土器が共伴するケースもあるため、そもそもすっきり綺麗に型式で時代を分けることはできないと思います。あまりにもケースバイケースが多すぎるため、現代の考古学者が頑張って分類しようとしているのを縄文人が知ったら、「未来の人はおかしなことに興味があるんだなあ」と笑うかもしれません。

 

加曽利EⅠ式土器

キャプション情報
タイトル:深鉢
出土地:加曽利貝塚北貝塚
土器型式:加曽利EⅠ式土器

加曽利貝塚博物館
2022年2月13日撮影

 

 

キャプション情報
タイトル:縄文土器(深鉢)
出土地:埼玉県児玉町新宮遺跡
土器型式:加曽利E式土器(古い段階)

本庄早稲田の杜ミュージアム
2022年6月12日撮影

筆者所感
中期前半の派手な突起の名残が残っている。加曽利EⅠ式土器か。

 

 

キャプション情報
タイトル:縄文土器 深鉢
出土地:東京都町田市TN No.245遺跡
土器型式:加曽利E式土器

東京都埋蔵文化財センター
2022年5月14日撮影

筆者所感
口縁部とその下で区画がはっきりしており、口縁部のグルグルが未発達な感じがするので加曽利EⅠ式土器ではないか。

 

 

キャプション情報
タイトル:縄文土器 深鉢
出土地:東京都稲城市TN No.9遺跡
土器型式:加曽利E式土器

東京都埋蔵文化財センター
2022年5月14日撮影

筆者所感
口縁部の装飾がゴテゴテしており、磨消縄文は見られない。器形がキャリパー形なのでEⅡかもしれないが、胴部の施文が古い感じもするので加曽利EⅠ式土器と推測する。

 

 

加曽利EⅡ式土器

キャプション情報
タイトル:深鉢
出土地:加曽利貝塚北貝塚
土器型式:加曽利EⅡ式土器

加曽利貝塚博物館
2022年2月13日撮影

 

 

キャプション情報
タイトル:縄文土器 深鉢
出土地:東京都稲城市TN No.9遺跡
土器型式:加曽利E式土器

東京都埋蔵文化財センター
2022年5月14日撮影

筆者所感
加曽利EⅡ式土器か。

 

 

キャプション情報
タイトル:加曽利EⅡ式土器
出土地:埼玉県富士見市中沢遺跡
土器型式:加曽利EⅡ式土器

水子貝塚資料館
2023年3月5日撮影

 

 

キャプション情報
タイトル:加曽利EⅡ式土器
出土地:埼玉県富士見市羽沢遺跡
土器型式:加曽利EⅡ式土器
備考:「連弧文土器」とよばれている土器

水子貝塚資料館
2023年3月5日撮影

 

 

キャプション情報
タイトル:縄文土器 浅鉢
出土地:東京都町田市TN No.300遺跡
土器型式:加曽利E式土器

東京都埋蔵文化財センター
2022年5月14日撮影

筆者所感
加曽利EⅡ式土器か。

 

 

加曽利EⅢ式土器

キャプション情報
タイトル:深鉢
出土地:加曽利貝塚西外縁部
土器型式:加曽利EⅢ式土器

加曽利貝塚博物館
2022年2月13日撮影

 

 

キャプション情報
タイトル:縄文土器(深鉢)
出土地:埼玉県児玉町新宮遺跡
土器型式:加曽利E式土器(古い段階)

本庄早稲田の杜ミュージアム
2022年6月12日撮影

筆者所感
キャプションには「古い段階」とあるが、口縁部から胴部まで隔てなく流れるような文様になっているし、磨消縄文の部分が広いため、加曽利EⅢ式土器ではないかと思う。

 

 

キャプション情報
タイトル:縄文土器 深鉢
出土地:東京都町田市TN No.72遺跡
土器型式:加曽利E式土器

東京都埋蔵文化財センター
2022年5月14日撮影

筆者所感
加曽利EⅢ式土器か。

 

 

キャプション情報
タイトル:加曾利EⅢ式土器(縄文時代中期)
出土地:千葉県成田市長田雉ケ原遺跡
土器型式:加曽利EⅢ式

成田市下総歴史民俗資料館
2024年6月16日撮影

 

 

キャプション情報
タイトル:加曽利EⅢ式土器 深鉢
出土地:千葉市若葉区芋ノ谷東遺跡
土器型式:加曽利EⅢ式土器

千葉市埋蔵文化財調査センター
2024年7月11日撮影

 

 

キャプション情報
タイトル:浅鉢形土器(加曽利EⅢ式土器)
出土地:神奈川県横須賀市吉井第1貝塚
土器型式:加曽利EⅢ式土器

横須賀市自然・人文博物館
2024年9月8日撮影

キャプションには浅鉢とあるが深鉢だ。

 

 

キャプション情報
タイトル:赤彩黒彩土器(加曽利EⅢ式土器)
出土地:神奈川県横須賀市江戸坂貝塚
土器型式:加曽利EⅢ式土器

横須賀市自然・人文博物館
2024年9月8日撮影

土器の内側に黒と赤で文様を付けている土器だがこういうのは見たことが無く不可解。

 

 

加曽利EⅣ式土器

キャプション情報
タイトル:深鉢
出土地:加曽利貝塚南貝塚
土器型式:加曽利EⅣ式土器

加曽利貝塚博物館
2022年2月13日撮影

 

 

キャプション情報
タイトル:加曽利EⅣ式土器
出土地:埼玉県富士見市打越遺跡
土器型式:加曽利EⅣ式土器

水子貝塚資料館
2023年3月5日撮影

 

 

キャプション情報
タイトル:深鉢
出土地:千葉市若葉区餅ヶ崎遺跡
土器型式:加曽利EⅣ式土器

千葉市埋蔵文化財調査センター
2024年7月11日撮影

 

 

参考資料

・『縄文土器の研究 普及版』 小林達雄/著
・「あれもE これもE」の各冊 千葉市立加曽利貝塚博物館/編

 

 

 

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