最終更新日:2024年12月29日
※写真はすべて稲用が撮影しました
※写真はなるべく文様が見えるように明るめに補正していますので、実物とは色味が違うことがあります
※展示ケースの反射で余計なものが写り込んでいるものがあります
※今一ピンが甘いものがあります
※撮影禁止のものは写していないつもりですが、万が一掲載不可のものがあったらお知らせください
※型式を始めとして説明文におかしな点がありましたらご教示ください
※紹介した遺物が現在その施設で展示されているとも限らないのでご注意ください
※各写真はクリックで拡大します
※勝坂式土器は、テーマが大きすぎて整理に時間がかかります。手元にはかなりの数の写真があります。したがって、このページは少しずつ作り上げていくことにします。
標式遺跡と土器分布圏
勝坂式土器の標式遺跡は、神奈川県相模原市南区の国史跡・勝坂遺跡です。大正15年、地元の清水二郎さんが中村忠亮さんの畑で土器を見つけ大山柏に持ち込み、大山柏がその年のうちに発掘調査を行いました。そして、そこで見つかった土器の一群を昭和3年に山内清男が整理して勝坂式と命名しました。
勝坂式土器の主な分布圏は下図のようになっています。
厳密な図ではないので、あくまでもイメージとして捉えてください。この図にはほとんどプロットされていませんが、埼玉県や群馬県でも見ることができます。なお、長野県域では、千曲川流域に分布しません。同じ時期の阿玉台式土器と比べると、狭い地域に凝縮しており、排他的というか、個性的なそのデザインと相まって独特な世界を構築していたように見えてきます。
勝手なイメージを言うと、当時の別の文化圏の人は、所用があってこの黄色のエリアに入るときは一種の緊張感を伴ったのではないでしょうか。「これからヤベーとこに行くぜ」みたいな。
上の分布図を見ても、南西関東と甲信地方にそれぞれコアがあったように見えますが、様式としては一つの物として捉えられ、実際に私たちが見てもこの分布図の範囲の土器は、どの地方の土器を見ても似ています。
型式名について
ややこしいのは、その呼び名です。上の分布圏のなかで土器型式を呼ぶ場合は、大雑把に言うと関東地方の人は「勝坂式」と呼び、それを「Ⅰ式」とか「Ⅱ式」などと細分し、中部地方の人は、井戸尻編年というものが確立されていますので、それに沿って、「新道式」とか「藤内式」などと呼ぶ傾向にあります。
さらに、「勝坂式」と呼ぶ場合も、それを1~3式に細分するか、あるいはそれをさらに分けて6つに細分する考えがあるほか、5つに細分する研究者もいます。
もっというと、主として多摩地域の研究者が使う「新地平編年」という編年もあって、それだと勝坂式期は、5a期から9c期までの12期に分けられます。
これらの話をまとめたのが下図です。
新地平編年に至っては、興味が無い人からすると、「ご苦労なこった」と嘲られそうな細緻な研究成果ですが、土器型式にハマるとこういう研究に進みがちです。好きな人にはたまらなく面白い。
しかし、5000年も前の人が造って使った道具を20年とか30年とかの単位で細かく分けようとするのは、普通に考えたらナンセンセンスとは思えないでしょうか。当時の人の土器が地域や時代で同期しつつ、カチカチとモデルチェンジをしていくという事態は考えられず、あるモデルは、その地域では10年で使われなくなったのに、遠く離れた別の地域では100年のベストセラーになったかも知れません。
編年表を作るのであれば、本当は各型式がオーヴァーラップしている表にするべきだと思いますが、それをあえてカチカチと切り替わったような表現にしているのです(これは土器だけじゃなく、すべての考古遺物に当てはまります)。
デザインの変化は特に社会的に大きな事件(異民族による占領とか)が無い限りは緩慢ですから、どの時点のものからその次の型として認識するか、判断が難しいはずです。そういうときには、どうしても研究者の恣意的判断が入り、結局は科学としては破綻してしまう運命にあると考えます。
型式の細分化に熱中するおっさんたち研究者たちは、こういうことは分かっていてそれを乗り越えようとしているのでしょう。
近い将来は、今まで見つかった膨大な量の土器のデータをAIに覚えさせ、AIが一気に編年を決定することになると考えています。ただ、そうなると分類好きな型式マニアの「人間さん」としては楽しみが減ってつまらないですね。
デザインの特徴
勝坂式土器の一番わかりやすい特徴は、変な動物や人間の顔の造形を土器にくっつけるのが好きなことです。他の土器型式でも少しは見られることがありますが、勝坂式はそれが段違いにエグイです。
把手に人間の顔をくっつけたり、器面に人間の顔をくっつけたりするのは、土偶と合体させる発想があったのかもしれません。
上の「ぴ~す」は、人体文様は抜きにして説明すると、有孔鍔付(ゆうこうつばつき)土器という勝坂式土器文化圏で独特な土器で、口縁部に貫通した「孔」が横位にめぐっていて、その下に「鍔」状の突帯があります。古くは、山内清男は太鼓説を唱え、実際に今でも博物館などで有孔鍔付土器の模造品に皮を張って太鼓として仕立てているところがあり、実際に叩くと分かりますが、楽器としてきちんと成立します。
他の説としては、酒造り土器説があり、実験では実際に酒を造ることができています。各地の博物館をめぐっていると、酒造り説を採る人が多いような感触ですが、実際のところは分かりません。酒を造って皆に分けたあと、やおら皮を張って、叩きながら皆でワイワイと酒を楽しんでも良いかと思いますが、こういうのは現代人的発想ですね。
把手に顔がある土器は結構見かけます。
こちらは、「出産文土器」と呼ばれている土器です。
こういうった人面把手の顔はほとんどが内側を向いており、まれに外向きのものもあります。
こちらの土器なんかは把手というよりかは普通に土偶です。
まるでお風呂に入って良い気持ちになっているような造形ですが、上の「出産文土器」のように、土器を「母体」として考える研究者はいても、「露天風呂」と考える研究者はいるか分かりません。
土偶と言えば、勝坂式土器文化圏では、かの有名な国宝土偶「縄文のビーナス」が生まれていますね。
同じ時期の阿玉台式土器の文化圏内では土偶はほとんど造られていないことから、両者は文化的に相当異なる人びとであったことが想像できます。
変な動物と言ったら変ですが、勝坂の人びとは毛虫のようなものやツチノコを連想させるものも好きです。土器に毛虫が這い上がってきているような表現もあります。
こちらの釣手土器には、この角度から見ると釣手の部分にツチノコみたいなのが3匹います。
でもこれを違う角度で見ると、もう1匹いるのです。
まるで4人兄弟の末っ子が「待ってよー」とお兄ちゃんたちを追いかけて必死に這い上がってきている様子が想像できますね。
こういうセンスって、現代人の琴線にも触れるでしょう。
気持ち悪いけど可愛い(笑)。
こういうふうに現代人が勝手にストーリーを考えられることが多いところも勝坂式の魅力です。
変な生き物の代表格は、ミヅチと呼ばれる伝説上の生き物(日本書紀にも登場)で、サンショウウオとか蛇などと呼ぶ人もいます。爬虫類が嫌いな人からすると気持ち悪いと思われるかもしれません。
胴部の下半部にへばりついているのがミヅチです。
ミヅチの造形は登場時がもっともリアルで、時代を経るにつれ段々雑な造形になり、最後の方には、もはや見る影もないくらいに情けないものになり果てます。
カエルのような生き物も多いです。こちらの土器は、カエルのような生き物が器面にピッタリとへばりついています。
こういう生き物は、「半人半蛙(はんじんはんあ)」と呼ばれ、要するに「カエル人間」なわけですが、実際のところは何をイメージしたものなのかは分かりません。なお、これもそうですし、「ぴ~す」もそうですが、変な生き物には3本指の表現が多いです。カエルから採ったと考える人もいるようですが、カエルの前肢の指は4本です。なぜ3本なのかは誰にもわかりません。
カエルのような生き物が土器に這いがってきている土器もあります。
把手の部分が蛙のような生き物の頭部になっていて、器面に胴体部分を付けた感じですね。
こういうので夕飯を作っていたわけですから、勝坂の人たちは本当に面白い(多分、当時の人に面白いとか言うと怒られそうですが)。
また、こちらの土器は、カエルがビックリして飛び上がっているように見え、その右側を見ると、ミヅチに追いかけられているような構図になっています。
最後に構図の話をします。
土器を一周ぐるっと見たときに、一つの物語を表しているように見えるものがあります。神話を画として表現したと考える研究者もおり、私もそうじゃないかと思っています。この時代は文字はありませんが、絵によって自分たちの先祖や部族の由来を説明したとの考えがあります。
勝坂式土器は静的ではなく、動的な土器といえます。本来の土器としての機能を越えたある種の「装置」のような存在で、深鉢にしても、煮炊きの道具以上の各種機能が備わっているように思えます。
勝坂式土器は、区画が好きです。区画してその中に文様を表現するのですが、その区画文様を見ていると、各土器共通の物が見受けられ、そういうのももしかしたら文字のようなもので、何かを意味しているのではないかと勘繰ってしまいます。
私はそれを、「勝坂プロトコル」と呼びたい。
さて、ここまで見て来ても勝坂式の独特さは良く分かったかと思いますが、ここでいったん、同じ時期の阿玉台式土器を見てみると、その違いに愕然とすると思います。
両者は同じ時代であり、歩いても行き来できる距離にある隣人同士なのに、まるで違う民族であるかのような違いがあるのです。これはいったい何なんでしょうか。こういうところも縄文時代の非常に面白い一面です。
キャプション情報
タイトル:縄文土器 深鉢
出土地:東京都八王子市TN No.72遺跡
土器型式:勝坂式
東京都埋蔵文化財センター
2022年5月14日撮影
キャプション情報
タイトル:縄文土器 深鉢
出土地:東京都八王子市TN No.446遺跡
土器型式:勝坂式
東京都埋蔵文化財センター
2022年5月14日撮影
キャプション情報
タイトル:縄文土器 深鉢
出土地:東京都稲城市TN No.9遺跡
土器型式:勝坂式
東京都埋蔵文化財センター
2022年5月14日撮影
キャプション情報
タイトル:縄文土器 深鉢
出土地:東京都稲城市TN No.9遺跡
土器型式:勝坂式
東京都埋蔵文化財センター
2022年5月14日撮影
キャプション情報
タイトル:縄文土器 深鉢
出土地:東京都稲城市TN No.471遺跡
土器型式:勝坂式
東京都埋蔵文化財センター
2022年5月14日撮影
キャプション情報
タイトル:縄文土器 深鉢
出土地:東京都稲城市TN No.471遺跡
土器型式:勝坂式
東京都埋蔵文化財センター
2022年5月14日撮影
キャプション情報
タイトル:縄文土器 深鉢
出土地:東京都稲城市TN No.3遺跡
土器型式:勝坂式
東京都埋蔵文化財センター
2022年5月14日撮影
キャプション情報
タイトル:縄文土器 深鉢
出土地:東京都稲城市TN No.9遺跡
土器型式:勝坂式
東京都埋蔵文化財センター
2022年5月14日撮影
参考資料
・『縄文土器大観2 中期Ⅰ』 小林達雄/編 小川忠博/撮影 1989年
・『縄文土器の研究 普及版』 小林達雄/著 2002年
・『縄文土器ガイドブック』 井口直司/著 2012年
・『縄文土器展 デコボコかざりのはじまり』 長野県立歴史館/編 2014年
・『縄文土器展Ⅱ 進化する縄文土器』 長野県立歴史館/編 2017年