黄金塚2号墳、ついで1号墳跡を見たあとは、一旦山を下ります。
目指す明治天皇陵はすぐ西側にあるのですが、尾根上から直接行くことはできません。
おや、石垣が並んでいますよ。

Google Mapによると、伏見城の石垣跡のようですが、京都市立桃山東小学校の敷地内にあって、今回は時間の関係上、寄り道はしたくないので割愛です。
おっとまた踏切に遮られた。
ついでだから撮っちゃえ。

古風な民家が立ち並ぶ道を歩いていると説明板が現れました。

説明板によると、千姫は輿入れの際、この辺りから船に乗って大坂城に向かったとのことです。

さ、明治天皇陵に着きましたよ。
いつもの制札がありました。
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拝所はまだ遠いようですね・・・というか何だあの階段は!
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全体図がありました。
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階段を見たら逃げるわけにはいかない!
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登るよ!
一気には登り切れない・・・。
※註:帰宅後に調べたら230段とのことでした。
登り詰めると、わおー、今まで見たことのないような広い拝所が!
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そして振り返ると絶景が!
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さすが明治天皇。
というか、在りし日の大日本帝国を想わずにいられません。
いろいろあると思いますが、素晴らしい陵であることには間違いありません。
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奥の方には上円下方墳が見えます。
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明治天皇陵の場合は古墳とかそういうのではなく近代の墓ですが、上円下方墳で、方形檀は一辺60mあります。
これ以降、大正天皇、昭和天皇と上円下方墳が続いています。
明治天皇は、先代の孝明天皇に引き続き火葬ではなく土葬されました。
陵づくりのコンセプトは古代への回帰で、天智天皇陵をモデルにしたという上円下方の形状もその表れですが、木偶を四隅に埋納した桓武天皇陵にならって、6世紀末には造られなくなった埴輪が約1300年ぶりに4体焼かれ、四隅に埋められたとのことです。
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明治天皇や当時の支配者層は、天智系の天皇をリスペクトしていたようです。
造営場所が天下人の城跡というのも意味がありそうですが、本当の場所ではないと言われているものの桓武天皇陵の隣というのにも意味がありそうです。
ところで、今回は元々は明治天皇陵に詣でるつもりはなかったのですが、桓武天皇陵に詣でるのであればついでに詣でてみようかと思ってやってきたのに過ぎません。
でも来てよかった!
(つづく)