陵墓と宮跡一覧 ~全国に残る天皇家ゆかりの地~

最終更新日:2025年2月22日

目次

※すべてを網羅しているわけではありません
※宮跡の伝承地は複数ある場合があり、紹介しているのはその一部の場合があります
※墓も同様です
※使用している写真は断りが無い限り稲用が撮影したもので、写真が無い場所は未探訪箇所です

陵墓の数に関しては、宮内庁のHPによると以下の通りです。

・陵 188
・墓 555
・分骨所・火葬塚・灰塚など陵に準ずるもの 42
・髪歯爪塔など 68
・陵墓参考地 46

以上、総計899ですが、箇所数としては同域のものもあるため、460箇所となるそうです。460箇所すべてをめぐれば、「陵墓マスター」の異名を欲しいままにできますので、天皇家LOVEな方はぜひチャレンジしてみてください。

 

初代 神武天皇


橿原宮(かしはらのみや)跡設定地

奈良県橿原市久米町(橿原神宮)

 


畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)

奈良県橿原市大久保町

 

 

第2代 綏靖天皇


葛城高丘宮(かずらきのたかおかのみや)跡伝承地

奈良県御所市

 車で近くまで行けず、車を降りてから15分くらいテクテク歩く。

 


桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)

奈良県橿原市四条町

 

 

第3代 安寧天皇


片塩浮孔宮(かたしおのうきあなのみや)跡伝承地

奈良県大和高田市片塩町(石園座多久虫玉神社)

 


畝傍山西南御陰井上陵(うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ)

奈良県橿原市吉田町

 

 

第4代 懿徳天皇


軽曲峡宮(かるのまがりおのみや)跡伝承地

奈良県橿原市白橿町

 


畝傍山南纖沙溪上陵(うねびやまのみなみのまなごのたにのえのみささぎ)

奈良県橿原市西池尻町

 

 

第5代 孝昭天皇


掖上池心宮(わきのかみのいけごころのみや)跡伝承地

奈良県御所市池之内(奈良県立御所実業高等学校)

 


掖上博多山上陵(わきのかみのはかたのやまのえのみささぎ)

奈良県御所市三室

 

 

第6代 孝安天皇


室秋津島宮(むろのあきつしまのみや)跡伝承地

奈良県御所市室(八幡神社)

 


玉手丘上陵(たまてのおかのえのみささぎ)

奈良県御所市玉手

 

 

第7代 孝霊天皇


黒田廬戸宮(くろだのいおどのみや)跡伝承地

奈良県田原本町黒田(法楽寺)

 


片丘馬坂陵(かたおかのうまさかのみささぎ)

 奈良県王寺町本町3丁目

 

 

第8代 孝元天皇


軽境原宮(かるのさかいはらのみや)跡伝承地

奈良県橿原市見瀬町(牟佐坐神社)

 


劔池嶋上陵(つるぎのいけのしまのえのみささぎ)

奈良県橿原市石川町

 

 

吉備津彦命

 孝霊天皇皇子。

120
大吉備津彦命墓(おおきびつひこのみことのはか)/中山茶臼山古墳

岡山県岡山市北区吉備津

 

 

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)

 孝霊天皇皇女。

280
大市墓/箸墓古墳

奈良県桜井市箸中

 

 

第9代 開化天皇


春日率川宮(かすがのいざかわのみや)跡伝承地

奈良県奈良市本子守町18(率川神社)

 

100
春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)/念仏寺山古墳

 

 

大彦命

 孝元天皇の皇子。

190
御墓山古墳(伝大彦命墓)

三重県伊賀市佐那具町

 三重県最大の前方後円墳である御墓山古墳は、地元では大彦の墓との伝承がある。

 

 

第10代 崇神天皇


磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)跡伝承地

奈良県桜井市金屋(志貴御県坐神社)

 

242
山邊道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)/行燈山古墳

 

 

第11代 垂仁天皇


纒向珠城宮(まきむくのたまきのみや)跡伝承地

奈良県桜井市穴師

 

240
菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)/宝来山古墳

 

 

日葉酸媛命(ひばすひめのみこと)

 垂仁天皇皇后。

207
狹木之寺間陵(さきのてらまのみささぎ)/佐紀陵山古墳

奈良県奈良市山陵町

 

 

倭彦命

 崇神天皇の皇子で垂仁天皇の同母弟。

90
身狭桃花鳥坂墓(むさのつきさかのはか)/桝山古墳

奈良県橿原市鳥屋町

 元々は5世紀前半に築造された全国最大の方墳で、後世に前方後円形に改造された。

 

 

大入杵命(おおいりきのみこと)

 崇神天皇皇子。

67
大入杵命墓/小田中親王塚古墳(こだなかしんのうづかこふん)

石川県中能登町小田中

 

 

豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)

 崇神天皇皇子。

55
丸山古墳

茨城県石岡市柿岡

 豊城入彦命の墓の伝承がある古墳。

 

 

第12代 景行天皇


纒向日代宮(まきむくのひしろのみや)跡伝承地

奈良県桜井市穴師

 

 

300
山邊道上陵(やまのべのみちのえのみささぎ)/渋谷向山(しぶたにむかいやま)古墳

奈良県天理市渋谷町

 

 

五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)

 垂仁天皇の皇子で景行天皇の同母兄。

180
宇度墓(うどのはか)/淡輪ニサンザイ古墳

大阪府岬町

 

 

彦挟嶋王(ひこさしまおう)

 崇神天皇皇子豊城入彦命の孫。彦挟嶋王は東国に赴任する途中で亡くなったが、東国の民がその遺体を引き取って埋葬したとの伝えがあり、群馬県を中心にして彦挟嶋王の墓の伝承がある古墳がいくつか存在している。

96
元島名将軍塚古墳

群馬県高崎市元島名町

 


王塚古墳

長野県佐久市協和

 

 

第13代 成務天皇


志賀高穴穂宮(しがのたかあなほのみや)跡伝承地

滋賀県大津市穴太

 

218
狹城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)/佐紀石塚山古墳

奈良県奈良市山陵町

 

 

日本武尊(やまとたけるのみこと)

 景行天皇皇子。

90
能褒野王塚古墳

三重県亀山市田村町

 宮内庁が管理している日本武尊の3つの陵の内の一つ。日本武尊は最初ここに埋葬されたが、白鳥になって飛んで行ってしまった。棺には衣類だけが残されていたが、衣類を残して遺体がなくなるのは、実は死んでいないということを示唆しているという説もある。

 


白鳥陵

奈良県御所市

 宮内庁が管理している日本武尊の3つの陵の内の一つ。日本武尊はここからも飛び立ってしまった。

 

190
白鳥陵(しらとりのみささぎ)/軽里大塚古墳

大阪府羽曳野市軽里

 宮内庁が管理している日本武尊の3つの陵の内の一つ。

 

74
白鳥古墳(白鳥御陵)

愛知県名古屋市熱田区

 日本武尊の墓との伝承のある古墳。

 

78
白鳥塚古墳

三重県鈴鹿市

 日本武尊の墓との伝承のある古墳。

 

63
鈴鹿王塚古墳

三重県鈴鹿市

 日本武尊の墓との伝承のある古墳。

 

 

第14代 仲哀天皇

245
惠我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)/岡ミサンザイ古墳

 

 

神功皇后

 仲哀天皇皇后。

275
狹城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのえのみささぎ)/五社神(ごさし)古墳

奈良県奈良市山陵町

 

 

第15代 応神天皇


軽島豊明宮(かるしまとよあきらのみや)跡伝承地

奈良県橿原市大軽町

 

425
惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)/誉田御廟山古墳

 全国で2番目の大きさを誇る超巨大前方後円墳。

 

 

仲姫命

 応神天皇皇后。

290
仲津山陵(なかつやまのみささぎ)/仲津山古墳

大阪府藤井寺市沢田

 

 

第16代 仁徳天皇

525
百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)/大山古墳

 5世紀中頃に築造された日本最大の前方後円墳。白石太一郎氏は、伝承通り仁徳天皇の陵である可能性が高いとしている(『古墳からみた倭国の形成と展開』)。

 

 

磐之媛命(いわのひめのみこと)

 仁徳天皇皇后。嫉妬深いことで著名だが、仁徳天皇が女好き過ぎた。

219
平城坂上陵(ならさかのえのみささぎ)/ヒシアゲ古墳

 

 

第17代 履中天皇

365
百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)/上石津ミサンザイ古墳

 5世紀前半に築造された全国で3番目の大きさを誇る巨大前方後円墳。

 

 

第18代 反正天皇

148
百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)/田出井山古墳

 5世紀中頃に築造された大型前方後円墳。

 

 

300.3
土師ニサンザイ古墳

 5世紀後半に築造された巨大前方後円墳。宮内庁は、反正天皇の空墓として陵墓参考地にしている。今尾文昭氏は、雄略天皇の陵と考えている(『天皇陵古墳を歩く』)。

 

 

飯豊青皇女(飯豊天皇)

 履中天皇の皇孫。

90
埴口丘陵(はにぐちのおかのみささぎ)/北花内大塚古墳

奈良県葛城市北花内

 北花内大塚古墳は、後期に築造された墳丘長90mの前方後円墳。

 

第19代 允恭天皇

230
惠我長野北陵(えがのながののきたのみささぎ)/市野山古墳

 

 

第20代 安康天皇


菅原伏見西陵(すがわらのふしみのにしのみささぎ)

奈良県奈良市宝来4丁目

 

 

第21代 雄略天皇


丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)/島泉丸山古墳+島泉平塚古墳

大阪府羽曳野市島泉

 雄略天皇陵は、島泉丸山古墳という径75mの円墳と島泉平塚古墳という方墳(古墳ではないかもしれない)を合体して造られた。

 

 

第22代 清寧天皇

112
河内坂門原陵(こうちのさかどのはらのみささぎ)/白髪山古墳

大阪府羽曳野市西浦6丁目

 

 

第23代 顕宗天皇


傍丘磐坏丘南陵(かたおかのいわつきのおかのみなみのみささぎ)

奈良県香芝市北今市4丁目

 

 

第24代 仁賢天皇

122
埴生坂本陵(はにゅうのさかもとのみささぎ)/野中ボケ山古墳

大阪府藤井寺市青山3丁目

 

 

第25代 武烈天皇


傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)

 

  

第26代 継体天皇


樟葉宮(くすはのみや)伝承地

大阪府枚方市楠葉丘2丁目(交野天神社)

 


筒城宮(つつきのみや)伝承地

京都府京田辺市多々羅都谷

 


弟国宮(おとくにのみや)推定地

京都府長岡京市

 私は、長岡京市井ノ内南内畑にある角宮神社付近ではないかと考えている。

角宮神社

 

226
三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)/太田茶臼山古墳

大阪府茨木市

 5C中葉に築造された超大型前方後円墳で、同期の古墳を見渡すと仁徳天皇陵についで列島2位の規模となる。

 

190
今城塚古墳

 多くの研究者が継体天皇の真陵と考えている古墳。6世紀前半としては国内最大の規模を誇る。

 

 

手白香皇女(たしらかのひめみこ)

 継体天皇皇后。

230
衾田陵(ふすまだのみささぎ)/西殿塚古墳

奈良県天理市中山町

 

114
西山塚古墳

 大和古墳群の中で唯一の後期の大型前方後円墳である西山塚古墳を手白香皇女の真陵とする説がある。2024年に民宿がオープンしたことで有名になった古墳。

 

 

第27代 安閑天皇

122
古市高屋丘陵(ふるちのたかやのおかのみささぎ)・神前皇女墓/高屋築山古墳

 安閑天皇と神前皇女(かんさきのひめみこ)の合葬陵墓。神前皇女は継体天皇皇女。異母兄妹の合葬だが、特別な仲だったのかもしれない。

 

 

春日山田皇女

 仁賢天皇の娘で安閑天皇皇后。

85
古市高屋陵(ふるちのたかやのみささぎ)/高屋八幡山古墳

大阪府羽曳野市古市5丁目

 『日本書紀』によると、当初は、夫の安閑天皇と夫の異母妹の神前皇女の3人が同じ陵に葬られたとされているが、現在では、春日山田皇女はこの陵に単独で祀られている。

 

 

第28代 宣化天皇

138
身狹桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのえのみささぎ)/鳥屋ミサンザイ古墳

 

 

第29代 欽明天皇


磯城島金刺宮(しきしまのかなさしのみや)伝承地

 

140
檜隈坂合陵(ひのくまのさかあいのみささぎ)/平田梅山古墳

 

 

吉備姫王

 欽明天皇の孫で、斉明天皇と孝徳天皇の母。


吉備姫王墓

奈良県明日香村

 

 

第30代 敏達天皇

93
河内磯長中尾陵(こうちのしながのなかのおのみささぎ)/太子西山古墳

大阪府太子町太子

 

 

第31代 用明天皇

65×60
河内磯長原陵(こうちのしながのはらのみささぎ)/春日向山古墳

大阪府太子町春日

 

 

第32代 崇峻天皇

倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)

奈良県桜井市倉橋

 

第33代 推古天皇

  59×55
磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)・竹田皇子墓/山田高塚古墳

大阪府太子町大字山田

 推古天皇と子の竹田皇子との合葬陵墓。

 

40×30
植山古墳

奈良県橿原市

 『古事記』には「御陵在大野岡上、後遷科長大陵也」と記され、「大野岡上」から後に「科長大陵」へ遷ったとあるが、「大野岡上」の御陵に関しては、植山古墳との説がある。

 

 

聖徳太子

43×53
磯長墓(しながのはか)/叡福寺北古墳

大阪府南河内郡太子町

 

 

第34代 舒明天皇


押坂内陵(おさかのうちのみささぎ)/段ノ塚古墳

 

 

第35代 皇極天皇

 斉明天皇として重祚。

 

第36代 孝徳天皇

32
大阪磯長陵(おおさかのしながのみささぎ)/山田上ノ山古墳

大阪府太子町大字山田

 

 

第37代 斉明天皇

 皇極天皇が重祚。


越智崗上陵(おちおかのえのみささぎ)/車木ケンノウ古墳

 『日本書紀』によると、斉明天皇は661年に崩じ、665年に薨じた娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)と共に眠っているとされる。間人皇女は、天智天皇の同母妹で、兄に先立ち薨じた。

 車木ケンノウ古墳は径45mの塚状の物体であるが、古墳であるかどうかは確定していないようだ。

 

22
牽牛子塚古墳

奈良県明日香村越

 多くの研究者が斉明天皇・間人皇女母子の真陵であると考えている終末期の八角墳。横穴式石室は、入口は一つだが、中は2つの部屋が並列しているという珍しい構造。

 

 

第38代 天智天皇

46(基壇最下段70)
山科陵(やましなのみささぎ)/御廟野古墳

京都府京都市山科区御陵上御廟野町

 

 

第39代 弘文天皇


長等山前陵(ながらのやまさきのみささぎ)/園城寺亀丘古墳

滋賀県大津市御陵町

 

 

大田皇女

天智天皇の娘。父に先立って天智天皇2年(667)に薨去。


越智崗上墓(おちのおかのえのはか)

奈良県高取町車木

 宮内庁は、斉明天皇陵の近くにあるこの場所を大田皇女墓として治定している。

 

10
越塚御門古墳

奈良県明日香村越

 牽牛子塚古墳の隣に築造された越塚御門古墳を大田皇女の本当の墓であると考える研究者は多い。

 

 

第40代 天武天皇

58×45
檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)/野口王墓

奈良県明日香村野口

 

 

第41代 持統天皇

58×45
檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)

 持統天皇は天武天皇陵に合葬された。ただし、持統天皇は火葬。

 

 

第42代 文武天皇


藤原京跡

奈良県橿原市

 持統天皇8年(694)に遷都し、元明天皇の和銅3年(710)に平城京に遷るまで日本の首都であった。文武天皇は、697年に藤原宮にて即位し、慶雲4年(707)に藤原宮にて崩御した。藤原宮で即位して崩御した唯一の天皇。

 


檜隈安古岡上陵(ひのくまのあこのおかのえのみささぎ)/栗原塚穴古墳

 栗原塚穴古墳は、径28の円墳で、築造時期は恐らく後期から終末期。元治元(1864)年6月に文武天皇の檜隈安古陵として修繕された。現在見られる墳丘はその時に修繕されたものと考えられている。その後、明治14年に宮内庁が治定。

 

19.5
中尾山古墳

奈良県明日香村平田

 8世紀初頭に築造された八角墳。「古墳」と呼べる墓の最終進化系で、往時は古墳というよりも仏塔に近いイメージだったと思う。現在の多くの研究者が、文武天皇の真陵(本当の墓)であると考えている。

 

 

第43代 元明天皇


平城宮跡

奈良県奈良市

 和銅3年(710)、藤原京から平城京に遷都した。

大極殿の復元

 


奈保山東陵(なほやまのひがしのみささぎ)

奈良県奈良市奈良阪町

 中世に所在が不明となり、幕末に現在地に決定。

 

 

第44代 元正天皇


奈保山西陵(なほやまのにしのみささぎ)

奈良県奈良市奈良阪町

 

 

第45代 聖武天皇


難波宮跡

大阪府大阪市中央区大手前

 聖武天皇は、平城宮を本拠地としながら難波宮の整備を行った。外交拠点や海外を含めた交易拠点としては大阪湾に面した難波宮の方が最適だ。なお、難波宮跡について詳しく知りたい場合は、近くにある大阪歴史博物館を訪れよう。

 

大阪歴史博物館

 


恭仁宮跡

京都府木津川市

 聖武天皇が整備した宮の一つ。木津川が近く交通の要衝だった。後に山城国分寺としてリニューアルオープンした。

 


紫香楽宮跡

滋賀県甲賀市信楽町

 聖武天皇が整備した宮の一つで、この地において後に東大寺の大仏として完成する廬舎那仏の造営を始めたため、聖武天皇は紫香楽宮を仏教信仰の拠点にしようと考えたのかもしれない。

朝堂跡が検出された宮町地区

 


佐保山南陵(さほやまのみなみのみささぎ)/法蓮北畑古墳

奈良県奈良市法蓮町

 

第46代 孝謙天皇

称徳天皇として重祚。

 

 

第47代 淳仁天皇


淡路陵(あわじのみささぎ)

兵庫県南あわじ市賀集

 

 

第48代 称徳天皇

127
高野陵(たかののみささぎ)/佐紀高塚古墳

奈良県奈良市山陵町

 佐紀高塚古墳は、佐紀古墳群を構成する一基で4世紀に築造された大型前方後円墳。

 

 

第49代 光仁天皇


田原東陵(たはらのひがしのみささぎ)/田原塚ノ本古墳

奈良県奈良市日笠町

 

 

第50代 桓武天皇


長岡宮跡

京都府向日市

 桓武天皇は、延暦3年に平城京から長岡京に遷都し、延暦13年に平安京に遷るまで、この地が日本の首都であった。

長岡京跡・大極殿地区

 


平安宮跡

 


柏原陵(かしわばらのみささぎ)

京都府京都市伏見区桃山町

 

 

藤原乙牟漏

 桓武天皇皇后。

65
高畠陵(たかばたけのみささぎ)/伝高畠陵古墳

京都府向日市寺戸町

 

 

第51代 平城天皇

253
楊梅陵(やまもものみささぎ)/市庭古墳

奈良県奈良市佐紀町

 市庭古墳は、5世紀前半に築造された元々は墳丘長253mの超大型前方後円墳だったが、前方部は平城宮造営の際に破壊された。

 

 

伊予親王

 伊予親王は平城天皇の異母弟。

140
伊予親王巨幡墓/黄金塚2号墳

 黄金塚2号墳は、4世紀末頃(中期初頭)に築造された墳丘長140mの南西向きの前方後円墳。前方部は破壊されて消滅しており、後円部の墳頂付近を伊予親王巨幡墓として宮内庁が管理している。

 

 

第52代 嵯峨天皇

 

 

第53代 淳和天皇

(陵に準ずる)
淳和天皇火葬塚

京都府向日市物集女町出口

 

 

いきなり飛んで・・・

第122代 明治天皇


伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ)

京都府京都市伏見区

 


明治神宮(めいじじんぐう)

東京都渋谷区代々木神園町1-1
祭神:明治天皇、昭憲皇太后

 

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