福岡県(豊前国)の遺跡・関連施設一覧

最終更新日:2025年3月15日

目次

注意事項

 ・北九州市は、小倉北区・小倉南区・門司区が豊前国で、戸畑区・八幡東区・八幡西区・若松区は筑前国です。
 ・令制では現在の中津市や宇佐市は豊前国でしたが、両市は今は大分県に属しています。
 ・自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
 ・一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。

 

地図

 

大任町(おおとうまち)

20m
建徳寺2号墳

6世紀後半に築造された径20mの円墳。

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石室見学用通路

 

基本的には閉まっている

 

 

本来の墓道

 

 

 

駐車場にある説明板は滅亡状態

 

 


ふるさと館おおとう

建徳寺2号墳がある丘の道路向かいにある。少しだけ遺物の展示がある。

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川崎町(かわさきまち)

15m 
戸山原1号墳

川崎町安眞木

とやんばるいちごうふん

7世紀頃に築造された円墳。周溝がめぐる。花崗岩で構築された横穴式石室は複室構造で全長は5.3m。複室構造ではあるが、仙道はほとんどなく、前庭部のような体をなしている。

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奥壁

 

玄室天井石

 

 

 

 

 

 

香春町(かわらまち)


勾金陵墓参考地(外輪崎古墳)

まがりかねりょうぼさんこうち

香春町鏡山

🅿なし
🚻なし

天武天皇の孫である長親王の王子・河内王の陵墓参考地。

横穴式石室を備えた古墳だが詳細不明。

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横穴式石室の石材が見えている

 

古墳からの景色

 

 

 

 


古代大宰府道 田河道

香春町鏡山

たがわどう

🅿なし
🚻なし

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鏡山大神社

香春町鏡山705

神社本庁被包括法人。神功皇后が新羅出兵の際に鏡山に天神地祇を祀り必勝祈願をしたとされている。

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苅田町(かんだまち)

130m
石塚山古墳

いしづかやまこふん

苅田町富久町

🅿苅田町歴史資料館

宇佐神宮の近くにある赤塚古墳と並んで豊前を代表する前期の前方後円墳。ただし、石塚山古墳の墳丘長は130mあり、赤塚古墳と比べて段違いに大きい。

墳丘は南東向きで、前方部は2段、後円部は3段築成。葺石が施されている。

『豊前石塚山古墳 復刻版』によると、古墳は山側から海に向かって突き出た舌状台地の先端に位置し、前方部墳端の10m先に海岸線があったとしている。

前方部墳端と道路を挟んだ反対側には人工的に見える土盛りがあるが正体は分かっていない。

主体部は竪穴式石槨で、三角縁神獣鏡が現存しているだけで7面出土している。遺物の一部は、苅田町歴史資料館に展示している。

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後円部墳頂

 

後円部から前方部を見る

 

前方部から後円部を見る

 

前方部墳端側にある人工的な土盛

 

 

 

119m
御所山古墳

ごしょやまこふん

苅田町与原

🅿らしきスペースが北側にあり
🚻なし

5世紀後半に築造された北向きの前方後円墳。前方部・後円部共に3段築成で、くびれ部分の両側に造出を設け、造出や前方部墳端部分の段築は綺麗に残っている。周溝も深く、墳丘は全体的に見ごたえがある。葺石・埴輪あり。

横穴式石室は、側壁は割石の小口積みで持ち送られ、天井はドーム状。石障を備え、朱が塗られていた。古式の横穴式石室と言われているが、残念ながら今は塞がれている。

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角が丸くなっているがこちらが前方部側

 

後円部側から見る

 

西側造出

 

きれいな段築が見られる前方部墳端部分

 

 

 

 

 


御所山古墳 陪塚1号墳

比較的最近、前方後円墳であることが確認された。後円部の盛土の一部が残っている。

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御所山古墳 陪塚2号墳

墳丘の一部が残っており、元々は方墳であった。

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50m
番塚古墳

ばんづかこふん

苅田町尾倉

🅿なし
🚻なし

5世紀の終わりから6世紀初の頃に築造された南向きの前方後円墳で、前方部・後円部ともに2段築成。ただし、墳丘はかなり損壊されている。埴輪あり。

西側に開口している単室の横穴式石室は今も開口しているが、施錠されており中には入れない。

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塚廻り古墳(南原1号墳)

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蛸の久古墳(南原2号墳)

九州では珍しい盾持人埴輪が出土。苅田町歴史資料館に展示している。

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八郎塚古墳

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苅田港線 廃線跡

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浮殿神社

うきどのじんじゃ

神社本庁被包括法人。石塚山古墳の墳丘上にある神社。祭神は天照大神。元々は石塚山古墳の北西700mの位置にある宇原神社の旧社地で、宇原神社は、彦火々出見尊・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊・豊玉姫尊を祀り、石塚山古墳出土の三角縁神獣鏡を所持している。

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白庭神社

神社本庁被包括法人。御所山古墳の墳丘上に鎮座する。祭神は饒速日命。

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苅田町歴史資料館

かんだまちれきししりょうかん

苅田町富久町1-19-1
9:00~17:00
基本無休

石塚山古墳出土遺物のほか町内の遺跡から出土した遺物を展示。写真撮影はNG。

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北九州市小倉北区(きたきゅうしゅうしこくらきたく)


小倉城

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八坂神社

単立宗教法人。

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北九州市立埋蔵文化財センター

北九州市小倉北区金田1-1-3
093-592-3196
9:00~17:00(16:30)
月曜休館

🅿あるがエグイ

北九州市内の遺跡から出土した考古遺物を展示しており、北九州の縄文時代についても多くの土器や特徴的な遺物を示して説明している。目玉は、城野遺跡の方形周溝墓の移築で、南棺の線刻様画のある小口石の実物も展示している。

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北九州市小倉南区(きたきゅうしゅうしこくらみなみく)


重留遺跡

しげとめいせき

北九州市小倉南区重住1丁目

🅿なし
🚻なし

弥生時代の集落遺跡で、後期の1号住居跡は通常の住居より大型で、しかも住居内に穴を掘って広形銅矛を埋納しており、祭祀用の住居ではないかと目されている。

見つかった広形銅矛は国の重要文化財に指定され、埋納の様子を再現したジオラマと共にいのちのたび博物館に展示している。

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城野遺跡

じょうのいせき

北九州市小倉南区城野1-14-22

🅿なし
🚻なし

弥生時代後期の竪穴住居跡が40棟以上検出された拠点集落跡。それら住居跡の内、2棟は玉造工房だった。また、弥生時代末の方形周溝墓も見つかっており、方形周溝墓があった周辺が城野遺跡公園として整備されている。

弥生時代の墓と言えば方形周溝墓を思い出すことが多いと思うが、九州では古墳時代になってから造られることが多く、古いものは城野遺跡のように弥生時代末のものがある。城野遺跡の方形周溝墓は、石棺が2つ直葬されており、まず南棺が納められ、つぎに北棺が納められた。南棺からは、4~5歳くらいの幼児の頭骨および下顎骨が見つかった。北棺もサイズから見て幼児墓の可能性が高いとされる。

注目すべきは、南棺の西側小口石に線刻画が描かれていることだ。のちの装飾古墳とは文化的にはつながらないとは思うが、興味深い存在である。

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重住遺跡

🅿なし
🚻なし

目で見られる物は特になく、説明板も無い。

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田川市(たがわし)

35m
セスドノ古墳

田川市伊田

🅿なし
🚻なし

5世紀末から6世紀初頭に築造された径35mの円墳。周溝と周堤がめぐる。

横穴式石室は全長4mで全体的に赤色顔料が塗布されている。ただし、現在は塞がっている。

豊富な副葬品が出土するとともに5体の人骨が検出され、埋葬順は、3・4・5号→1・2号の順で、2号人骨は熟年男性。

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周溝と周堤の形跡

 

 

 

14.2m
夏吉1号墳

田川市夏吉

6世紀後半に築造された円墳。全長8.2mの複室の横穴式石室を備え、玄室には田川地方で唯一の石棚を設けているが、面白いことに奥壁から見て右側の側壁に設置している。

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前室から玄室を覗くと左手に石棚が見える

 

石棚

 

玄室から見る

 

 

 

25m
夏吉21号墳

田川市夏吉

6世紀末に築造された円墳で、横穴式石室の全長は12.5m。福岡県では珍しい三累環刀柄頭が出土。

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奥壁

 

 

 


筑豊炭田遺跡群

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田川市石炭・歴史博物館

田川市伊田2734-1 0947-44-5745
9:30~17:30(17:00)
月曜休館

かつて筑豊随一の規模を誇った三井田川鉱業所伊田竪坑の跡地に所在。石炭が主たるテーマだが、日本最古級の馬形埴輪や甲冑形埴輪、セスドノ古墳出土遺物などの考古遺物を展示。ただし、考古遺物コーナーは写真撮影NG。

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福智町(ふくちまち)

32m
伊方古墳

福智町伊方

6世紀末に築造された円墳で、複室構造の横穴式石室の全長は12.5m。福岡県では珍しい三累環刀柄頭が出土。

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城山横穴群

じょうやまよこあなぐん

福智町金田

🅿あり

遠賀川流域は福岡県内でも屈指の横穴墓地帯。城山横穴群は、6世紀前半から7世紀前半にかけて築造された横穴墓群で、222基の横穴墓と12基の墳丘が確認されている(いわゆる墳丘横穴墓)。

石室は天井をドーム形に造る傾向があるが、それは周防灘沿岸の横穴墓と共通する。

Y133号墓を再現したレプリカ展示があり、羨門と玄室内部を見ることができる。羨門にはベンガラで彩色が施された形跡がある。

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福智町図書館・歴史資料館 ふくちのち

福智町赤池970-2
0947-28-2855
火曜休館
10:00~18:00

図書館の一画に歴史コーナーがあり、町内出土遺物を少しだけ展示している。

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みやこ町(みやこまち)


徳永川の上遺跡

みやこ町田中255

🅿なし
🚻なし

縄文時代から鎌倉時代にかけての複合遺跡。とくに注目すべきは、卑弥呼の時代の墳丘墓が見つかったことで、墓域からは銅鏡6面や素環頭大刀などのほかに弥生時代最大の全長11.4cmの鉄製釣針が見つかっている。

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4号墳丘墓の石棺の展示

 

 

58.4m
扇八幡古墳

みやこ町勝山箕田

🅿扇八幡神社
🚻なし

6世紀前半に築造された北向きの前方後円墳。墳丘は前方部・後円部共に2段。葺石・埴輪あり。周溝がめぐり、その外側には周堤がめぐっていた。発掘調査はされておらず、主体部は不明。

周堤の南側に筑紫君磐井が造らせた岩戸山古墳の「別区」に似た突出がある。豊の国は石人石馬のルーツの場所とも言われており、磐井は最期、豊の国に向けて逃走を試みている。

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40m
箕田丸山古墳

🅿なし
🚻なし

6世紀中葉の築造。後円部と前方部に横穴式石室を備える。説明板なし。

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85m
庄屋塚古墳

みやこ町勝山黒田

🅿あり
🚻なし

6世紀中頃に築造された墳丘長85mの南西向きの前方後円墳で、この周辺では大きな部類になる。

前方部と後円部にそれぞれ横穴式石室を備えた双室墳であるが、石室内を見ることはできない。なお、古墳脇には立派な駐車場があるが、地主の方が町に寄贈してくれた土地だ。

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43×35m
甲塚方墳

みやこ町国作1393-1

🅿らしきものあり
🚻なし

6世紀後半に築造された九州最大級の方墳。3段築成で葺石・埴輪あり。周溝と周堤を備えている。見事な横穴式石室が開口しており内部は非常に快適だ。古代の官道にも面しており、眺望に優れた古墳。

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墳丘からの眺め

 

 

 

37×39m
橘塚古墳

みやこ町勝山黒田825-1
0930-32-2022(みやこ町立黒田小学校)

🅿あり
🚻なし

6世紀末ごろに築造された方墳。周溝を備える。花崗岩で造られた両袖式で複室構造の横穴式石室の現存長は16.3mだが、本来は17.5m前後はあったとされる。

黒田小学校の敷地内にあるため、学校の許可を得てから見学すること。

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24m
彦徳甲塚古墳

けんどくかぶとづかこふん

みやこ町豊津671-4

🅿なし
🚻なし

6世紀後半に築造された径24mの円墳。二重周溝を備え、周溝を含めた大きさは径約56m。

主体部は不明だが、横穴式石室が設けられている可能性が高い。

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墳丘からの眺め

 

 

 

40m
綾塚古墳

みやこ町勝山黒田

🅿あり
🚻なし

7世紀前半に築造された2段築成の円墳。石室は羨道の長い複室構造で、長さは19mもあり、全国的に見ても長大な部類に入る。玄室には京築地域で唯一の家形石棺が安置されており、この地域では採れないデイサイト質凝灰岩製。玄室は信仰の場となっており入ることはできない。

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豊前国府跡

🅿あり
🚻あり

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総社八幡神社

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扇八幡神社

みやこ町勝山箕田

神社本庁被包括法人。扇八幡古墳の隣にある。

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豊前国分寺跡

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豊前国分尼寺跡

🅿なし
🚻なし

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豊前国分寺

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みやこ町歴史民俗博物館

みやこ町豊津1122-13
9:30~17:00(16:30)
月曜休館

橘塚古墳や綾塚古墳のほか町内の遺跡から出土した遺物を展示。徳永川の上遺跡出土の鉄製釣針も展示している。

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行橋市(ゆくはしし)


長井遺跡の石棺(移築)

長井遺跡は、弥生時代前期から古墳時代初頭に至る大規模墳墓群。周防灘に面した標高5mの砂丘上に造営されており、稲童古墳群の北側に位置している。方形周溝墓も確認されている。

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50m
ビワノクマ古墳

4世紀末に築造された前方後円墳。後円部は、戦没者の墓地となっており、前方部もまた墓地だ。

🅿なし
🚻なし

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68m
石並古墳(稲童20号墳)

行橋市稲童

🅿ではないが停められる
🚻なし

稲童(いなどう)古墳群は、前期から終末期にかけて造営された古墳群で25基確認されている。

古墳群最大は、石並古墳と通称されている20号墳で、中期に築造された68mの帆立貝形あるいは造出付き円墳。

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石並古墳から歩いて2分で砂浜に出られる

 

真中が石並古墳(行橋市歴史資料館にて撮影)

 

行橋市歴史資料館にて撮影

 

 


稲童21号墳

中期後半に築造された円墳。

稲童古墳群から出土した遺物のうち、8・15・21号墳から出土した197点が国の重要文化財に指定されており、その一部は行橋市歴史資料館で見ることができる。

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稲童21号墳出土・金銅立飾付眉庇付冑(立飾はレプリカ)・頸甲・横矧板鋲留短甲(行橋市歴史資料館にて撮影)

 

 

74m
八雷古墳

はちらいこふん

行橋市長木758

🅿八雷神社
🚻なし

南西向きの前方後円墳で、周溝と周堤がめぐる。ちょっと風変わりな古墳で、前方部の幅が76mもある。全長と全幅がほぼ同じというのは、例えば関東では高崎市の観音塚古墳がそうだが、そういう形は前方後円墳の最終形態とされている。ところが、八雷古墳は6世紀前半の築造と考えられているのだ。また、「全国古墳データベース」によると、前方部が2段築成なのに後円部に段築がないとされている。現地で確認してもよく分からない。

とても武人には見えない可愛らしい武人埴輪が出土し、行橋市歴史資料館で会える。


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古墳裾からの眺め

 

 

行橋市歴史資料館にて撮影

 

 

42m
隼人塚古墳

はやとづかこふん

行橋市高瀬

🅿なし
🚻なし

後期に築造された西南西向きの前方後円墳。複室構造の横穴式石室を備える。行橋市歴史資料館に出土遺物の展示がある。

古墳は個人宅の敷地内にあり、墳丘南側にあるお宅に許可を頂いて見学する。

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入口は狭いがしゃがめば入れる

 

前室から玄室を見る

 

奥壁

 

玄室天井石は2枚

 

玄室から羨道を見る

 

後円部墳頂から前方部を見る

 

前方部墳頂から後円部を見る

 

 

 


御所ヶ谷神籠石

行橋市津積・みやこ町

🅿3ヶ所あって一番奥の第3駐車場まで行けば、中門まで徒歩5分、景行神社まではさらに5分
🚻駐車場にあるが第3駐車場にはない

古代山城の中で、文献に現れない神籠石系山城と言われるものの一つ。7世紀ごろの築城と考えられている。標高247mのホトギ山(御所ヶ岳)山頂から北西斜面にかけて造営されており、土塁や列石の長さは3kmに及ぶ。中門には排水のための石樋がある。

御所ヶ谷神籠石や御所山古墳の「御所」は、『日本書紀』に記された景行天皇の九州遠征にちなむ。

『日本書紀』「景行紀」によると、九州を鎮定するために出陣した景行天皇の軍勢は、今の山口県防府市までやってきて準備をしたが、そこに豊前の女性首長である神夏磯媛(かむなつそひめ)が海を越えていち早く投降してきた。景行天皇は彼女の献策で豊前の鼻垂、耳垂、麻剥、土折猪折たちを好餌をもって呼び寄せてことごとく殺害して豊前を平定した。その神夏磯媛の支配地域にあるのが石塚山古墳や御所山古墳である。景行天皇が行宮を構えたのが御所ヶ谷神籠石と伝わり、景行天皇を祀る景行神社もある。

行橋市歴史資料館に展示があり、中門の写真が大きく掲げられている。


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中門

 

中門にある石樋(排水溝)

 

 

 

 

 

 

 


景行神社/景行天皇長峡宮伝承地

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八雷神社

神社本庁被包括法人。祭神は八柱の雷神。

八雷古墳の東側くびれあたりを大きく削って造営されている。その辺ってもしかして主体部?

なお、行橋市内には西和泉2丁目にも八雷神社がある。

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行橋市歴史資料館

ゆくはししれきししりょうかん

行橋市中央1-9-3(コスメイト行橋2F)
0930-25-3133
10:00~18:00(17:45)
火曜休館

行橋市の歴史を考古遺物とともに紹介。八雷古墳や稲童古墳群、最初期の横穴墓群とされている竹並遺跡や御所ヶ谷神籠石などの展示がある。屋外には石棺を展示している。

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コスメイト行橋の入口に佇むのは卑弥呼

 

バックの写真は御所ヶ谷神籠石

 

 

渡筑紫遺跡C区出土・旧石器(32000年前)

 

卑弥呼と夕陽

 

 

★ユニーク57箇所・延べ78箇所

 

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