最終更新日:2025年3月16日
注意事項
・三河国と尾張国の境界は境川で、南から高浜市、刈谷市、みよし市、豊田市は三河国に属し、東郷町は愛知郡で尾張国に属します。
・現在の愛知県の地図を見ると、旧三河国内は大きな行政区画にまとまっていますが、旧尾張国内は群雄割拠のままで、家康家臣団と信長家臣団の違い(尾張と三河の人柄の違い)が現代にも投影されているように思えて興味深いです。
・自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
・一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。
地図
安城市

堀内貝塚
安城市堀内町羽開道
縄文晩期中頃の桜井式土器の標式遺跡。縄文時代晩期の遺跡で墓域と貝塚が見つかっている。貝塚としては矢作川流域では最奥部に位置する。
昭和2年の発見以来、5回にわたる発掘調査が行われたが、住居跡は検出されておらず、墓域と同じ場所にあったと推定されている。
墓に関しては、縄文時代晩期から弥生時代前期にかけての土壙墓が20基、土器棺墓が15基の合計35基の墓が検出された。東海地方では、4歳前後を境にしてそれ以下は遺体を土器棺墓に収め、それ以上は土抗墓に埋納していたようだ。
興味深いのは土抗墓の中の1基(16号墓)が再葬墓であったことで、3体の遺体をまとめて再葬している。
現地には擁壁に小窓が2つあり、それを覗くと貝層を見ることができる。
安城市博物館に充実した堀内貝塚コーナーがあり、詳しい解説がある。
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桜井古墳群
碧海(へきかい)台地の東縁部を中心に展開する23基からなる古墳群。二子古墳と姫小川古墳が国史跡となっており、市史跡の古墳も複数あるが、古墳群を一体化して国史跡にするくらいの価値は十分に有する。

築造時期に関しては前期から後期までだが、比較的規模の大きい4基の古墳はすべて前期古墳だ。すなわち、二子塚古墳・姫小川古墳、それに市史跡の塚越古墳と獅子塚古墳である。前方後方墳が築造されていることがとくに注目される。

68.2m
二子古墳
桜井古墳群
安城市桜井町
墳丘長68.2mを誇る桜井古墳群最大にして古墳群を代表する古墳。桜川古墳群で最も美しく見応えがある。
愛知県の前方後方墳としては最大級(有名な犬山市の東之宮古墳は72m)。姫小川古墳と並んで、西三河最古級の古墳。
葺石・埴輪なし。墳丘全体をめぐるような周溝は確認されていないが、前方部北側の溝が周溝の可能性が高い(各地の前期古墳の中には、周溝を一部分のみに構築するものが見受けられる)。主体部は調査されておらず不明。
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65m
姫小川古墳
桜井古墳群
安城市姫小川町
4世紀前半の築造。桜井古墳群では二子古墳と並ぶ最大級の前方後円墳で、また二子古墳と並び西三河最古級の古墳。
後円部先端部分に周溝が確認されている。葺石はみつかっていない。墳丘上には浅間神社が鎮座しており、主体部は社殿の下にあるはずで、調査はされていない。
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40m+
獅子塚古墳
桜井古墳群
安城市東町
4世紀後半から5世紀初頭の築造。現状見ると円墳のようになっているが、元々は40mを越える前方後円墳あるいは前方後方墳であったと考えられている。葺石は確認されておらず、周溝からは壺形埴輪が見つかっている。墳丘上には秋葉神社が鎮座しており、主体部は不明。
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46m
塚越古墳
桜井古墳群
安城市古井町
現地説明板には4世紀末の前方後円墳とあり、そうすると中期古墳になるが、安城市歴史博物館の展示パネルでは前期古墳として紹介している。形状に関しては、安城市埋文センターの展示によると、令和5年度の調査によって前方後方墳の可能性が高まったとしている。
昭和24年に後方部の調査が行われたが、主体部の検出までは至らなかった。ただし、紡錘車形石製品や鏨・鋸の鉄製品が出土しており、副葬品と考えられる。
従来、桜井古墳群には葺石も埴輪もないとされていたが、近年では塚越古墳と獅子塚古墳で埴輪が見つかっている。ただし、葺石に関しては、やはり無かったようで、各古墳を歩いてもそれらしい石は見当たらない。
20230529
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40m?
比蘇山古墳
桜井古墳群
桜井神社の社殿が乗っている丘が古墳。安城市歴史博物館の編年によると、5世紀前半の築造で、前方後方墳の可能性がある。もし、前方後方墳であれば、4世紀中に収まるのではないだろうか。古墳についての説明板は無い。
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安城市歴史博物館
安城市安城町城堀30
0566-77-6655
9:00~17:00(16:30)
月曜休館
安城市の歴史について詳しく説明しており、充実した展示となっている。古代に関しては、縄文時代についても比較的詳しく、弥生時代は多くの土器とともに解説している。
弥生時代の遺物の目玉は、亀塚遺跡出土の人面文壺形土器(弥生終末期の所産)。古墳時代に関しては、桜井古墳群について詳しく解説している。ただし、撮影禁止の遺物が結構あってとても残念。
三河一向一揆で家康と対峙した本證寺や徳川家に関する展示も充実。
20250124
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岡崎市

真宮遺跡
しんぐういせき
岡崎市真宮町・六名1丁目
矢作川東岸段丘上に立地する縄文時代から鎌倉時代にかけての複合遺跡。縄文時代晩期の住居跡や土器棺墓が多数検出され、第2次調査区は、「発掘区再現」として地表面で発掘の時の様子が分かるようになっている。
その範囲内には、縄文晩期の住居跡が6軒、土器棺墓が30基、古墳時代後期の竪穴住居跡が4軒、平安時代の竪穴住居跡が1軒再現されている。昭和49年の発掘当時、県内における土器棺墓の出土数は吉胡貝塚に次ぐものであった。
また、弥生時代中期後葉の方形周溝墓の再現もあり、位置は実際に検出された場所だ。
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【食事】駅前食堂まるこし
岡崎駅東口ロータリーにある。お店の方はとても丁寧だ。


蒲郡(がまごおり)市
10×12m
馬乗2号墳(移築)
まのりにごうふん
7世紀初頭に築造された方墳で、蒲郡市博物館の敷地内に移築してある。外護列石も復元。横穴式石室は見学可能。
蒲郡市博物館には本墳あるいは1号墳から出土した須恵器を展示している。
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蒲郡市博物館
蒲郡市栄町10-22
0533-68-1881
10:00~17:00(16:30)
月曜・第3火曜休館
蒲郡市内出土の縄文・弥生時代の考古資料のほか、馬乗1・2号墳や市内各地の古墳から出土した遺物を展示している。民俗コーナーもある。
縄文時代に関しては、形原遺跡からは縄文早期の土器が出土し、早期前半の押型文土器のかけらが2つ見つかっている。また、関東から運ばれてきたと考えられる後期土器も出土している。
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新城(しんしろ)市

長篠設楽原PA(上り)
上りは武田陣営だぞ。
20161016


【食事】長篠設楽原PA(上り)・レストラン味蔵
長篠設楽PA(上り)は武田陣営だが、「徳川家康の戦めし・三河武士猪ラーメン」を食べてしまった。

田原(たはら)市

保美貝塚
ほびかいづか
田原市保美町平城110-1
縄文時代晩期の貝塚で、「渥美三大貝塚」の一つに数えられている。
人骨は156体見つかっている。上腕骨は内陸よりも海辺に暮らす縄文人の方が男女ともに太い傾向があるが、保美貝塚の男性の上腕骨は調査した20体すべてが平均よりも太かったため、保美貝塚は「縄文マッチョ村」と呼ばれている。
保美貝塚の集団がなぜマッチョなのかは、外海に出て遠州灘まで漁に赴いたり、二上山のサヌカイトを海を越えて手に入れていたからとの考え方があるが、いまだその理由ははっきりしていない(西三河の縄文晩期の遺跡から出土するサヌカイト製石器は渥美半島経由で伝わっている)。
貝輪を製作していた遺跡であることが分かっているほか、遺構として特筆できるのは、石川県・真脇遺跡やチカモリ遺跡で著名な環状木柱列が検出されていることだ。時代的にも縄文晩期で近い時期。
なお、大正11年(1922)には、小金井良精・柴田常恵・大山柏というビッグネームが発掘調査を行っている。
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伊川津貝塚
いかわづかいづか
田原市伊川津町郷中
伊川津神明社付近に広がる縄文時代後期から晩期にかけての貝塚で、「渥美三大貝塚」の一つ。
人骨は、183体(最新情報だと212体)みつかり、その中には叉状研歯が認められるものもある。また、犬の墓からは日本で初めて副葬品が見つかった。なお、有髯(ゆうぜん)土偶や土面も見つかっており、土面は東海地方では、はっきりしたものは伊川津貝塚と同じ田原市内の川地貝塚からしか見つかっていない。
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吉胡貝塚
よしごかいづか
田原市吉胡町
縄文時代後期末から晩期を中心とする貝塚で「渥美三大貝塚」の一つ。三河湾に注ぐ汐川の河口に位置する。
大正11年(1922)とその翌年に京都大学の清野謙次が発掘。現在までに362 体の人骨が見つかっている。
貝層の断面展示と平面展示もあり、埋葬の様子が良く分かる。貝塚断面展示は、平成17年に発見された5体の人骨と2体の犬の骨の埋葬状況を模型で再現している(貝層自体は実物)。特に興味深いのは、生まれて間もない赤ちゃんと幼犬とが合葬されていることだ。
また、平面展示では、吉胡貝塚で最古の貝層を見られる。時期は後期末から晩期初頭で、貝層の厚さは20㎝ほどある。なお、吉胡貝塚からはハマグリが最も多く見つかっている。現在の三河湾ではハマグリは見なくなったといわれてい
たが、最近は少し回復しているようだ。
それと、シェルマよしごで語りかけてくる「ヨシ」さんのモデルとなった19 号人骨が出土した場所の表示もある。19号人骨は、50歳くらいの熟年女性で屈葬の状態で見つかった。右腕には4つ、左腕には7つの貝輪をはめ、朱がまかれ
ていた。特別な人物であると考えられる。後ろの岩は吉胡貝塚のシンボルともいえる「矢崎岩」があるので、自己責任で登ってみよう。
ところで、吉胡貝塚からは住居跡は一つも検出されていない。遺跡の範囲はもっと広がる可能性があるため、現在までに発掘調査を行った範囲外で検出される可能性がある。
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藤原古墳群
渥美半島の西側にある西ノ浜の砂丘上に築造された群集墳。辛うじて古墳のように見える高まりが確認できるが、古墳かどうかは分からない。砂丘上に墓を造るという文化が興味深く、時代は違うが山口県・土井ヶ浜遺跡などを想起させられる。田原市渥美郷土資料館に出土遺物の展示がある。
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シェルマよしご
田原市吉胡町矢崎42-4
0531-22-8060
9:00~17:00(16:30)
月曜休館
吉胡貝塚について詳しく解説した施設で保美貝塚や伊川津貝塚についての展示もある。
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田原市渥美郷土資料館
田原市古田町岡ノ越6-4
0531-33-1127
9:00~17:00(16:30)
月曜休館
保美貝塚や伊川津貝塚から出土した考古資料のほか、弥生・古墳時代の出土遺物、奈良東大寺が再建されたときに瓦を焼いた渥美古窯製品を展示。
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豊川市
豊橋市
55~60m
市杵嶋神社遺跡(貝塚・古墳)
いちきしまじんじゃいせき
豊橋市牟呂市場町26-3
🅿神社
🚻なし
墳丘長55~60mの前方後方墳で、後方部に社殿が建っており、社殿に向かって左側に前方部がある。
前方部側に回ってみると墳丘が残っているが、驚いたことに墳丘の上は貝殻で覆われている。なんとここには元々縄文晩期の貝塚があって、古墳は貝塚の上に造ったのだ。
貝塚をいじるということは、土器や石器は絶対出てきたはずで、4世紀の人はそれを見てどう思ったのだろう。また、動物の骨もたくさん出ただろうし、人骨も出た可能性が高いので、古墳人はここが昔の人の墓だと思ったかもしれない。この辺は貝塚が多いため、古墳人もそういうものは普段から知っていた可能性があります。
ともかく、全国的に見ても大変珍しい古墳で、古墳と貝塚の両方が好きな人であれば探訪時の喜びは2倍以上に増幅するであろう。
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瓜郷遺跡
うりごういせき
豊橋市瓜郷町寄道・前川
🅿あり
🚻あり
弥生中期の瓜郷式土器の標式遺跡。弥生時代中期に集落の形成が始まり、後期に拡大し、古墳時代初頭には衰退した。貝塚を伴う。
戦後間もないころに5回に渡って東大・明大・愛知大学などが発掘調査を行ったが、それはちょうど登呂遺跡の発掘の時期と重なる。
現地は実際の遺跡範囲内の一部が公園のようになっていて、後藤守一の設計によって復元された住居が一棟建っている。
説明板には「竪穴住居」とあるが、中を覗くと竪穴を掘り込んでいる感じはない。低地に住居を造るときは、掘るとすぐに水が湧く場合があり、そういう場所の住居は掘り込まない。
出土遺物は、豊橋市美術博物館に展示している。
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33m
権現山2号墳
ごんげんやまにごうふん
🅿ないが何とか停められる
🚻なし
3世紀後半に築造されたと考えられる三河最古級の前方後円墳。前方部は短い。
水道施設の傍から山の中を歩いていくと、3分くらいで墳丘に到達する横には権現山砲台跡もある。古墳までの道は、案内板も多くあり、斜面にはロープも張っているため迷わず到着できるだろう。
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38.4m
権現山1号墳
ごんげんやまにごうふん
墳丘長38.4mの前方後円墳で、築造時期は2号墳よりだいぶ後の4世紀後半とされている。
2号墳と違って通有な前方後円墳の形をしており、2号墳と大きさはそれほど変わらないはずだが、しっかりした感じ。
後円部では竪穴式石槨が検出されており、墳丘上では二重口縁壺が多数出土している。
権現山2号墳からさらに奥に2分くらい歩いて行くと現れる。道にはロープが張られているので迷うことはない。
なお、1号墳と2号墳は同じ尾根上にあり、両者合わせて権現山古墳群とも呼ばれますが、県史跡としては2基併せて「権現山古墳」と名付けられている。
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36m
車神社古墳
くるまじんじゃこふん
豊橋市植田町八尻36-2
🅿神社
🚻なし
後期に築造された36mの前方後円墳で、市杵嶋神社古墳と似ていて後円部の上に社殿が建っていて、社殿に向かって左側(北西方向)に前方部がある。
後円部からは主体部がみつかっているが、構造ははっきりしない。ただし、副葬品と考えられる銅製鈴杏葉3個や碧玉製管玉33個、ガラス製勾玉1個などが見つかり、県の有形文化財に指定されている。古墳自体は史跡指定されていない。
神社の一画に市内の古墳とともに車神社古墳を詳しく説明している掲示コーナーがあり、「車神社古墳 見学のポイント」という説明も貼られている。どなたが作成したかは分からないが古墳愛を感じる。
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38m
三ツ山古墳
みつやまこふん
🅿なし
🚻なし
6世紀前半に築造された墳丘長38mの前方後円墳。2段築成で埴輪を備え、力士埴輪の足部分も検出されている。
周溝は墳丘相似形。現地でも床面の色の違いで周溝を示している。
双室墳で、後円部と前方部にそれぞれ一つずつ横穴式石室を備えており、後円部の石室は損壊が著しかったが、前方部の石室は良く残っており、長さ4.5mの単室で無袖の石室。ただし、石室は埋められていて見ることはできない。
現在、この周辺は新しい住宅がたくさん建っており、古墳の場所は児童公園のようになっており、近所の家族連れが遊べる場所になっている。つまり、稲用語でいうところの「児童公園墳」に分類できる。
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49m
妙見古墳
みょうけんこふん
豊橋市老津町明見36
🅿なし
🚻なし
後期に築造された前方後円墳で、墳丘長は49m、2段築成。
前方部は人為的に削られ、まるで土塁を備えた方形の郭のようになっている。雰囲気的には中世の頃にお堂でもあったような雰囲気だが分からない。
後円部墳頂は大きく陥没しており、もともとあった横穴式石室が崩落してできた穴だそうで、崩落前の明治時代の話によると、石室内は6畳ほどの広さがあったそうだ。
20250308A
70m
馬越長火塚古墳
まごしながひづかこふん
豊橋市石巻本町紺屋谷18
🅿バリバリなし
🚻なし
東三河最後にして最大の前方後円墳。6世紀後半の築造で西向き。2段築成で葺石あり。後円部側に横穴式石室が開口している。石室は複室構造で、前庭部を含めると全長は17.5m以上で、愛知県最大の規模を誇る。
玄室・前室・羨道のそれぞれの区切りの部分に、縦長の大きい石をまるで門柱のように立てており(立柱とよぶ)、これが三河型横穴式石室の大きな特徴。
ただ、立柱を設けてメリハリをつけたせいなのか、玄室に入るときも袖が広がらず、実質的には無袖といってよいと思う。玄室の奥壁は潔く巨石一個。
各部屋の平面形は胴張ということだが、見た感じではそれほど張っているとは思えない。
玄室の天井石は、奥から2枚までは同じ高さだが、そこから立柱までは入口側に向かって徐々に低くしている(天井石を平行ではなく傾斜を付けて架している)。この造りは前室も一緒。
石は風化しているせいか、まるで珪化木のような風合いの物もあって面白い。
石の独特な感じも楽しめるし、居心地も良いし、石室の作り自体も他では見られない独自なものなので、石室好きにはかなりお勧めしたい。
なお、墳丘際まで車で行くことは困難。ただし、なるべく近い場所に車を停めれば、徒歩5分も掛からず到着できる。
前方部側のすぐ近くにある大塚南古墳と口明塚南古墳を含めて、3基で国史跡にしてされており、築造順は6世紀末葉に長火塚、つづいて7世紀初頭に大塚南古墳、7世紀前葉のうちに口明塚南古墳で、3世代に渡る古墳と考えられている。
これら3基の古墳の被葬者に関しては、穂国造が該当する可能性が高い。
20250309A
19m
大塚南古墳
おおつかみなみこふん
径19mの円墳。墳丘上には石室をイメージしたような石の並びがありるが、石室は10mほどの横穴式石室で、この石の並びは10mもない。何を言いたいのか、説明板が無く分からない。
20250309A

車神社
くるまじんじゃ
神社本庁被包括法人。祭神は武甕槌命、宇迦御魂命、罔象女命。
どうやら、車神社という名前の神社は日本で2か所しかないらしく、もう1社は、同じ三河の新城市にあり、そちらの祭神は日本武尊だ。
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権現山砲台跡
ごんげんやまほうだいあと
第二次大戦の際に大砲を据え付けようとした工事の跡で、建物などの遺構はなく、ただ大きな丸い穴が開いているだけ。
大砲と言っても、ここは海から遠く、艦船を攻撃するものではなく、豊川海軍工廠を狙う敵爆撃機に対する高角砲(海軍は高角砲と呼び、陸軍は高射砲と呼んだ)を据え付けようとしたが、未完成だった。
なお、Wikipediaによると、豊川海軍工廠は機銃や弾丸の製造では東洋随一の規模とされ、たびたびB-29にやられていたが、昭和20年8月7日に大空襲があり、動員されて働かされていた子供たち数百人を含め、二千数百人が亡くなった。
20250309A
【食事】和洋食事処 シャンデリア
豊橋市老津町新田192
0532-23-2139
ランチメニューも豊富で迷った挙句、うな丼・うどんセットのマグロの刺身付きを頼んだ。マグロは中トロで切り身も大きく、うな丼のタレも個人的に好みでお米も美味しく、うどんには鰹節が乗りバッチリだった。店員さんも親切で良いお店だ。



【ラーメン】豊来軒 JR豊橋駅
豊橋駅在来線改札内のフードテラス内にあり、「鶏系らーめん食堂」を標榜している。

西尾市
【食事】まーま・ぱぱ
西尾市吉良町富好新田青鳥2-4
少し大き目の喫茶店という佇まいで、日替わりランチが素晴らしい。私は愛知県に行ったときは、ここぞとばかりに好物の味噌カツを食べるのだが、ここのも美味しかった。茶わん蒸しも最後まで熱々。ご飯大盛は別料金だが、飲み物を付けなければ反対に200円引きになる。でも、コーヒーも美味しいので飲まないという選択肢はないだろう。店員さんも親切で近所にあったら通いたいお店。




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