神奈川県(相模国)の遺跡・関連施設一覧

最終更新日:2025年3月19日

目次

注意事項

 ・神奈川県のうち現在の川崎市全域は武蔵国の範囲です。横浜市は大雑把に言って瀬谷区・泉区・戸塚区・栄区は相模国で、港南区は半々、それ以外は武蔵国の範囲。川崎市と横浜市全域は、神奈川県(川崎市・横浜市)のページに記載します。
 ・自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
 ・一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。

 

地図

 

 

愛川町


三増合戦場

20180501
20180505C

 

 


志田南遺跡出土遺物供養塔

20180501
20180505C

 

 

 

 

厚木市

80~90m
愛甲大塚古墳

厚木市愛甲東1-2

出土した土器から4世紀の築造とされる。

墳丘は厚木市愛甲東と伊勢原市石田にまたがっており石田車塚古墳とも呼ばれる。

現状では円墳状になっているが、発掘調査の結果、前方部の周溝が確認され、西南西向きの前方後円墳だったことが分かった。前方部跡からは平安時代の住居跡が検出され、その頃にはすでに削平されていた。

墳頂部からは鉄鏃片が採集されている。

令和5年3月に説明板が設置され、以前は雑木林のようになっていたが、現在は墳丘の姿が良く見える。

🅿なし
🚻古墳の前にコインパ

20190402
20250313A

 

 

 

 

65m
ホウダイヤマ1号墳跡

厚木市温水783‐1(ぼうさいの丘公園)

🅿あり
🚻あり

ぼうさいの丘公園にあった古墳。墳丘は完全に削平されている。高射砲陣地設営の影響かもしれない。

前方後円墳であることは確かだが、墳丘全体の平面形は把握されておらず、現地説明板の墳丘図の点線部分は推定ライン。大きさは、推定65m。

周溝は北西部と前方部前面で確認されているが、全周していたかは分からない。出土した土師器から4世紀後半の築造と考えられている。

コンディションがよければ真西に美しい大山が見られる。また、桜の時期はとても綺麗だ。

20190402
20250313A

 

 

 

14m
ホウダイヤマ2号墳跡

ホウダイヤマ1号墳の前方部側で見つかった円墳跡。周溝が検出されている。築造時期は不明。

典拠:『神奈川の古墳(Ⅸ) 神奈川県古墳地名表(7)』

20190402
20250313A

 

70m
地頭山古墳

厚木市船子1187

墳丘長70mを誇る北向きの前方後円墳。平成初頭に設置された現地説明板には5世紀前半の築造と記されているが、今は4世紀後半まで引き上げる考え方が主流。また、市内の前方後円墳は地頭山1基のみと記載されているが、現在ではホウダイヤマ1号墳と愛甲大塚古墳が確認されており、すべて前期に収まる。

道路建設によって破壊されそうになったが、洞門によって古墳を守ることが決定し、墳丘が残された。

🅿なし
🚻なし

20190402
20250313A

 

洞門上に前方部がある

 

 

 

45~55m
吾妻坂古墳

4C後半~5C初(標柱)
中期頃(説)

20230811A

 

 

 

 


登山古墳群

 5基の円墳が登山古墳史跡公園内に整備保存されている。公園から南東500mの位置にあった1号墳は破壊されたが、素晴らしい埴輪が出土し、あつぎ郷土博物館に展示されている。

 

 

30m
登山4号墳

20230811A

 

12m
登山2号墳

20230811A

 

17×15m
登山3号墳

20230811A

 

13m
登山5号墳

20230811A

 

 


あつぎ郷土博物館

厚木市下川入1366−4
046-225-2515
毎月最終月曜日休館
9:00~17:00(最終16:30)
公式サイト

20190402
20230811A

 

 

 

 

綾瀬市


神崎遺跡

弥生後期

20190402
20190406C
20200209C
20230811A

 


神崎遺跡資料館

綾瀬市吉岡3425-5
0467-77-0841

20190402
20190406C
20200209C
20230811A

 

 

 

 

伊勢原市


三ノ宮・宮ノ前遺跡

🅿あり
🚻あり

比々多神社境内やその周辺に広がる縄文時代の遺跡。草創期の微隆起線文土器が出土していることから、1万4000年くらい前には人びとがいたのであろう。中~後期になると集落が営まれるようになっていた。

20250313A

比々多神社

 

境内裏側の第3駐車場近くに設置してある説明板

 

 


下谷戸縄文遺跡 環状列石及住居跡

🅿あり
🚻あり

柄鏡形敷石住居と環状列石が比々多神社境内(社殿裏側)に移設されている。柄鏡形敷石住居は辛うじて分かるが、環状列石に関してはどういう配置なのかよく分からない。

20250313A

 

柄鏡形敷石住居(右側が入口部分)

 

 

 

 


伊勢原八幡台石器時代住居跡

伊勢原市八幡台1-4-2(山王塚公園)

🅿なし
🚻なし

昭和7年に見つかった遺跡で、発掘調査には三浦半島の発掘で著名な赤星直忠も携わっている。

2基の敷石住居がみつかり、第一号敷石住居跡は後期、第二号敷石住居跡は中期から後期の所産。

ちなみに、戦前に国史跡に指定された遺跡で名称に「石器時代」が付いている場合は、縄文時代の遺跡であることを示す(戦前に旧石器時代の遺跡は公式には発見されていない)。そして、そういう遺跡は得てして地表面で見られる物はとくになかったりするが、本遺跡も潔いくらいに何も見られない。

20250313A

 

柄鏡形敷石住居(右側が入口部分)

 

 


石田遺跡群

🅿なし
🚻なし

小田急線・愛甲石田駅周辺に展開する弥生時代から中世までの複合遺跡。弥生時代の環濠集落跡が検出されている。

20250313A

 

 

 

46.9×48.9m
小金塚古墳

🅿なし
🚻なし

伊勢原市高森1093(小金神社)

相模平野では珍しい前期の大型円墳で、伊勢原市HPによると、大きさは東西46.9m×南北48.9m。周囲には周溝跡とおぼしき地割がめぐる。西側には大山を望む。

墳丘は小金神社となっている。説明板なし。

なお、小金神社の祭神は、金山彦命。

20190402
20250313A

 

 

 

34m
松山古墳

🅿なし
🚻なし

復元すると径34mの円墳となる。

20250313A

 

古墳横からの眺望

 

 

40m
埒免古墳

🅿なし
🚻なし

恵泉女学園内にあり見学はできない。出土遺物は、三之宮郷土博物に展示している。

20250313A

 

 

 

 

 


三之宮3号墳(移築復元)

🅿あり
🚻あり

比々多神社境内に復元されている。玄室長は7mで、羨道を含めると12mあり、相模では最大の石室。

20250313A

 

 

 

 


小金神社

🅿なし
🚻なし

伊勢原市高森1093

祭神は、金山彦命。小金塚古墳の墳丘上に建つ神社。地域の人びとに大切にされているのか、全体的に綺麗。伊勢原市には梵鐘がある神社が多いらしいが、本社にも梵鐘がある。

20190402
20250313A

 

 

 


比々多神社

🅿あり
🚻あり

伊勢原市三ノ宮1472
0463-95-3237

主祭神は、豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)・天明玉命(あめのあかるたまのみこと)・稚日女尊(わかひるめのみこと)・日本武尊。延喜式内社(式内論社)。相模国三宮。梵鐘がある。

20250313A

 

 

 


比々多神社 元宮

🅿なし
🚻なし

比々多神社から5~6分山側に歩いた場所にある。元々、比々多神社の社殿があった場所。平野の眺望が素晴らしい。

20250313A

 

 

 

 


三之宮郷土博物館

伊勢原市三ノ宮1472
0463-95-3237
9:00~16:00
開館時間は不規則なようなので事前に電話したほうが無難

比々多神社が運営する施設。展示点数は少ないが、縄文土器や古墳時代の遺物で俊逸なものがある。古墳に関する資料もいただける。

20250313A

 

 

 

 

海老名市


柏ヶ谷ヲサ遺跡

国府型ナイフ形石器が出土。

20220225A
20220226A

 

 

 


秋葉山古墳群

 

 

37.5m
秋葉山4号墳

 

20170429
20171118C
20190210R01
20190504C
20220225A
20220226A

51m
秋葉山3号墳

 

20170429
20171118C
20190210R01
20190504C
20220225A
20220226A

50.5m
秋葉山2号墳

 

20170429
20171118C
20190210R01
20190504C
20220225A
20220226A

59m
秋葉山1号墳

 

20170429
20171118C
20190210R01
20190504C
20220225A
20220226A

20m
秋葉山5号墳

 

20170429
20171118C
20190210R01
20190504C
20220225A
20220226A

80m
瓢箪塚古墳(上浜田7号墳)

ひさごづかこふん
上浜田古墳群
海老名市国分南

 
 

20190210R01
20220225A
20220226A


上浜田1号墳(馬捨塚古墳)

 
 

墳形・年代不明

20190210R01
20220225A
20220226A

上浜田2号墳

 

墳形・年代不明

20190210R01
20220225A
20220226A

22m
上浜田6号墳

20190210

 
 

20190210R01
20220225A
20220226A


相模国分寺跡

さがみこくぶんじあと

 
 

20170429
20171118C
20190210R01
20190504C
20220225A
20220226A


相模国分尼寺跡

さがみこくぶんにじあと

 
 

20170429
20171118C
20190210R01
20190504C
20220225A
20220226A


海老名市文化財収蔵庫



 

20190504C

逆川古代運河跡

 

20190210R01
20190504C
20220225A
20220226A


上浜田中世建築遺構群

浜田歴史公園

 
 

20190210R01
20220225A
20220226A

かいな坂


 
 
 

20220225A
20220226A


常泉院


 
 

20190210R01
20190504C


龍峰寺


 

20190210R01
20190504C
20220225A
20220226A


水堂


 
 

20190210R01
20190504C
20220225A
20220226A


弥生神社


 

20190210R01
20190504C
20220225A
20220226A


真言宗国分寺


 
 
 

20220225A
20220226A

海老名の大ケヤキ


 
 

20220225A
20220226A


八坂神社


 
 

20190210R01


鳳勝寺


 

20190210R01


海老名市郷土資料館(海老名市温故館)

海老名市国分南1-6-36
046-233-4028
公式サイト
定休日なし
9:00~17:15(最終16:30)

 
 

20170429
20171118C
20190210R01
20190504C
20220225A
20220226A

海老名中央公園の七重塔模型

海老名駅東口のショッピングモールの広場

 

20220225A
20220226A

 

 

小田原市


久野一本松遺跡

20240402

 

 


中里遺跡

20240402

 

 

 

 

48m
久野1号墳

6C前半までには築造(説)

20240402

 

 

 


久野2号墳

20240402

説明板近辺

 

 

20m
久野4号墳

20240402

 

 

 

 


久野15号墳

石室復元

20240402

 

 

 

15m
久野森下古墳跡

墳丘消滅

20240402

古墳はここから50mほど先の左手にあった 

 

 


潮音寺

20240402

 

毘沙門堂

 

 


北条幻庵屋敷跡

20240402

 

北条幻庵公御廟

 

 

 


小田原城

20000520
20240402

 

天守からの眺め

 

 

 

 


小田原市郷土文化館

20000520
20240402

 

 

【鉄道】小田急・足柄駅

小田急8000形

 

小田急1000形

 

小田急5000形

 

小田急EXEα(30000形)

 

 

【食事】日本料理 番場亭

小田原市久野851ー2
0465-32-1181

ランチメニューはとてもお得感がある。夜も行ってみたくなるお店だ。

刺身も蕎麦も最高

 

 

鎌倉市


稲村ヶ崎新田義貞徒渉伝説地

 
 
 

20230816

極楽洞

 
 

20230816


極楽寺

 
 
 
 

20230816


伝上杉憲方墓

 
 

20230816


長谷寺

 
 

20230816


高徳院(鎌倉大仏)

 

20230816

由比ヶ浜南遺跡

 

20230816


石造宝篋印塔(明徳4年銘)

 
 
 

20230816


和田塚

6世紀初頭の古墳で、墳形は不詳。

 
 

20230816


今小路西遺跡(鎌倉郡衙跡)

 

20230816

若宮大路幕府旧跡

 
 

20230816


八坂大神

 
 

20230816


寿福寺

 
 
 

20230816


北条政子墓

 

20230816


源実朝墓

 

20230816


英勝寺

 
 

20230816

扇谷上杉管領屋敷跡

 
 

20230816


鶴岡八幡宮

 

20230816

 

 

相模原市中央区


田名向原遺跡

たなむかいはらいせき

 
 

後期旧石器時代後半
国内最古級の建物跡

20180501
20190406C
20200209C
20220129A


谷原12号墳 移築復元


 
 

移築古墳

20180501
20190406C
20200209C
20220129A


谷原13号墳

 

20180501
20190406C
20200209C
20220129A


谷原14号墳

 

20180501
20190406C
20200209C
20220129A


史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館 旧石器ハテナ館

 
 

20180501
20190406C
20200209C
20220129A


相模原市立博物館

相模原市中央区高根3-1-15
042-750-8030
公式サイト
月曜休館
9:30~17:00

 
 

20180513T17
20190210T
20190406C
20200209C
20220129A
20240901

 

 

相模原市緑区


川尻八幡神社

 
 

20160102
20160110T01


川尻八幡神社古墳(翁塚)

境川最上流の古墳

 
 

20160102
20160110T01


春林横穴墓群

 
 

20160102


寶泉寺

 

20160102


小松城跡

 
 

20160102

下馬梅

 
 

20160102


津久井城跡

 
 
 

20151205
20160102
20160110T01
20180501
20180505C

 

 

相模原市南区


勝坂遺跡

かっさかいせき
史跡勝坂遺跡公園
横浜市南区磯部1822(管理棟)

 
 
 
 

20180501
20180513T17
20190406C
20200209C
20220129A


有鹿神社奥宮

あるかじんじゃおくみや

 

20180501
20180513T17
20190406C
20200209C
20220129A


䂖楯尾神社神社

いわたておじんじゃ

海老名の石楯尾神社は、いわの字を石に一つ点を足した文字で表す


 

20180501
20180513T17
20190406C
20200209C
20220129A


勝源寺


 

20180501
20180513T17

 

 

寒川町


大蔵東原遺跡

おうぞうひがしはらいせき

20241214

 

 

 


岡田遺跡

20241214

 

 

 


宮山遺跡

20241214

 

 

 

50m
大神塚古墳

墳丘長50mほどの寒川町で現存する唯一の前方後円墳。築造年代は4世紀後半から5世紀前半頃。明治41年に坪井正五郎が発掘調査をした。出土遺物は、寒川神社方徳資料館で見ることができるそうだが未見。

20241214

 

 


大神塚周辺古墳群E号墳

20241214

 

主体部の表示

 

 

 


寒川神社

相模国一宮。

20170429

 

 

 


根岸弁財天

20241214

 

 

 


菅谷神社

20241214

 

 


寒川調圧水槽

20241214

 

 

 


寒川町観光協会 観光案内所

JR相模線寒川駅の北口にある。岡田遺跡出土遺物や鉄道関係の展示が少しだけあり、各種パンフレット類も置いてある。寒川町の史跡めぐりマップももらえるので、それを参考に町内を歩いてみよう。

20241214

 

縄文関係の展示

 

鉄道関係の展示

 

 

 

茅ヶ崎市


西方貝塚

20241214

 

 

 

茅ヶ崎市博物館にて撮影

 

 


下寺尾官衙遺跡群 高座郡衙跡

20241214

 

 


下寺尾官衙遺跡群 下寺尾廃寺跡(七堂伽藍跡)

20241214

 

 

 

 

 

 

茅ヶ崎市博物館にて撮影

 

 


茅ヶ崎市博物館

20241214

 

 

 

 

秦野市

46m
二子塚古墳

20190402

 

 


桜土手古墳群

 6世紀末から7世紀まで築造され、8世紀初頭まで追葬が行われた古墳群で、35基の円墳が見つかっている。それらのうち、古墳公園内に6基、日産車体内に5基、島津製作所内に1基が保存され、公園内には、古墳群最大の1号墳(28m)が移築復元されている。

 

 

28m
桜土手1号墳(移築復元)

20190402
20230811A

 

 

 

 

 

 

14.5m
桜土手26号墳

20190402
20230811A

 

 

15.6m
桜土手28号墳

20190402
20230811A

 

 

15.6m
桜土手29号墳

20190402
20230811A

 

 

22.8m
桜土手30号墳

20190402
20230811A

 

 

11.2m
桜土手31号墳

20190402
20230811A

 

 

14.5m
桜土手32号墳

20190402
20230811A

 

 


はだの歴史博物館

20190402
20230811A

 

 

 

 

葉山町


長柄桜山古墳群

葉山町/逗子市

 長柄桜山古墳群は、葉山町と逗子市の境に位置する丘陵上に築造された2基の大型前方後円墳からなる。築造時期は前期後半(4世紀後半頃)。古墳群東側の住宅地は丘陵を切り崩して造成されたが、地
元の方の話によると、そこにも古墳らしきものがあったが、破壊されてしまったそうだ。もしかすると大型古墳だったかもしれないが、今となっては如何ともなし難い。

 長柄桜山古墳群のように、海上から見える、あるいは反対に墳丘から海を臨めるように築造された前方後円墳のことを海浜型前方後円墳と言い、列島各地にある。長柄桜山古墳群は、平成11年3月に地元の東家洋之助さんが埴輪片を見つけたことにより発見されたため、比較的最近見つかった古墳と言える。見つかった頃は、こういった農業生産力の低い場所になぜ大型前方後円墳が築造されたのか謎とされた。ただし、その後の研究の進展によって、経済力を決めるのは農業だけではないということを今の考古学者は理解している。

 そもそも、大型前方後円墳は在地豪族の力だけで築造したとは思えず、ヤマト王権が補助金を出した可能性もあるだろうし、むしろ、王権が築造主体になった古墳もあるのではないだろうか。大型前方後円墳は単なる墓ではなく、極めて政治性の高いモニュメントでもあるため、列島各地にある大型前方後円墳の築造に王権が積極的に関与した可能性は極めて高い。

 なお、相模湾と東京湾とは、古墳群北側に流れる河川を使ってショートカットできたと考える研究者もいる。もしそれが事実だとすると、この古墳群の重要性がさらに増す。

 

 

 

91.3m
長柄桜山1号墳

1号墳は、現在残っている古墳としては神奈川県最大の古墳である(消滅したが、横浜市港北区にあった観音松古墳は100mほどであったと推定されている)。近年整備されたのはこの1号墳である。

墳丘は地山削り出しで、1.5m盛土している。段築は後円部3段、前方部2段で、葺石は無い。壺形埴輪と円筒埴輪が出土。後円部墳頂には円筒埴輪の模造品が置かれている。

埋葬施設は後円部で1基みつかっており、粘土槨の中に木棺を収めたものだった。副葬品は知られていない。後円部墳頂に掘り方の範囲を表示している。

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後円部墳頂からは江の島とその先に富士山が望める(コンディション次第)

 

 

 

 

後円部の埋葬施設表示

 

 

 

88m
長柄桜山2号墳

2号墳は、1号墳の西側500mほどの場所にあり、比較的自然な状態で残っている。墳丘長は88mで、段築は不明。1号墳と違い、葺石
が施されている。こちらも壺形埴輪と円筒埴輪がみつかっている。主体部は未調査。

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後円部から前方部を見る

 

富士山の方角に墳丘の長軸を合わせて築造している

 

 

 

 

 

平塚市


五領ヶ台貝塚

関東地方の縄文時代中期初頭の土器型式である五領ヶ台式土器の標式遺跡。五領ヶ台式は昭和12年に山内清男が提唱し定着した。

遺跡は舌状台地上にあり、東と西の斜面に貝塚が分布。貝塚としては小規模。主な貝類は、ダンベイキサゴ・ハマグリ・ウミニナなど。

遺跡は公園となっており、貝殻の散布は見られない。地表面から見る貝塚としては面白みに欠けるが、コンディションが良いと富士山と大山の両方が望めるため、縄文人の気持ちが分かる気がする。

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48m
塚越古墳

平塚市北金目2-15

4世紀後半に築造された墳丘長48mの南西向きの前方後方墳。周溝あり。

前期の前方後方墳らしく、眺望の優れた場所にある。主体部は粘土槨に舟形木棺が収められていた。管玉などが出土。

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43m?
真土大塚山古墳跡

完全に破壊された古墳。相模湾から5㎞内陸に位置する。その間には、東西方向の砂丘列が十数列あり、真土大塚山古墳は砂丘上に盛土して築造され、標高は19.5m、かつての水田との比高差は11m。戦前は「砂丘墳」と呼ばれた。

墳丘はきちんと調査をせずに破壊されたため、形状に関しては諸説あるが、平塚市博物館によると前方後方墳説を採る研究者が多いとのことだ。大きさは43mとの説がある。

出土遺物の中で著名なのは三角縁神獣鏡が1面出土したことで、京都府・椿井大塚山古墳出土鏡や岡山県・湯迫車塚古墳出土鏡、兵庫県・権現山51号墳出土鏡と同范鏡。県内で三角縁神獣鏡が出土した古墳は、他に川崎市・加瀬白山古墳がある。

平塚市博物館に出土遺物の展示があるが、三角縁神獣鏡は複製品(原資料はトーハク所蔵)。

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真土大塚山古墳模擬墳丘

平塚市西真土3-18

真土大塚山古墳の近くにある公園内に再現された前方後円墳のような物体。一応、真土大塚山古墳の模擬墳丘と呼んでいる。

実際に見てみると、前方後円墳のような形にはしているが、古墳を見慣れた人の目にはかなり違うものに見える。ということは、現代人が前方後円墳を見よう見まねで一から造ることが難しいということだ。きちんと設計して、人力で造り上げた古墳時代の人たちの凄さが良く分かる。

なお、コンディションが良ければ富士山が見える。

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相模国府跡

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前鳥神社

相模国四之宮。

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平塚八幡宮

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平塚市博物館

平塚市浅間町12-41
0463-33-5111
9:00~17:00(16:30)
月曜休館

平塚市の歴史について展示解説した博物館。時代順に並べずジャンルごとに並べているので注意。考古関係では、縄文時代は五領ヶ台貝塚出土遺物などがあり、古墳に関しては真土大塚古墳の遺物の展示がある。バランス的には相模国府跡の展示に力を入れている。岩石の展示も豊富。

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三浦市


諸磯の隆起海岸

🅿なし
🚻なし

国指定天然記念物。

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諸磯貝塚

🅿なし
🚻なし

三浦市三崎町諸磯1237-5

西関東や山梨、そして長野県の八ヶ岳山西南麓における代表的な前期後半の土器である諸磯式土器の標式遺跡。最初の調査は、明治30年に八木奘三郎が行った。貝層は、サザエ、アワビ、カキが主体。現地には電柱の後ろに石碑があるのみだが、学史的に非常に重要な遺跡である。

諸磯式土器は、上述した地域の博物館などによく展示されている。

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石碑の裏面

 

 


赤坂遺跡

🅿なし
🚻なし

三浦市初声町三戸字ハタ232ほか

弥生時代中期後半から後期にかけての三浦半島の拠点的集落跡。竪穴住居跡は130軒以上確認されており、興味深いのは長軸10mを超える住居跡が4軒検出されていることで、15m×12.2mの大型建物跡が見つかっている。貝塚を伴う竪穴住居跡も検出されており、そこからは鹿角製の簪(かんざし)やベンケイガイ製の貝輪などが出土している。

その他の遺物としては、銅釧・
銅環・ガラス玉といった装身具や
威信財、石斧と違って高い性能を
示す板状鉄斧、それに出自を大陸
に求められ、灌漑稲作を行ってい
た証拠とされる太形蛤刃(ふとがたはまぐりば)石斧などがあり、海に近い場所であるという土地柄、鉄製釣針も出土している。なお、太形蛤刃石斧は、樹木の伐採やその荒割に使用するが、水田の水路を補強するための板材を作る最初の行程にも必要。

弥生時代中期後半の関東南部は宮ノ台式期と呼ぶ。その前の中期前半の頃までは、関東全体で灌漑稲作の形跡が乏しく、三浦半島における中期前半の遺跡は、水田とは無関係な海岸や砂丘上などにあるが、宮ノ台式期になると、集落が台地上に造られるようになり、その近くには谷戸がある。その谷戸に水田を作っていたのだ。

現地は数次にわたって発掘調査が行われた。2024年9月8日に訪れた時点では、説明板もなく、残念だと思ったが、3ヶ月後の12月15日に訪れたときには説明板が立っていた。三浦市ナイス。

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弥生人も海の向こうの富士山を見ていた

 

 

 

 


海南神社

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三浦市初声市民センター 赤坂弥生学習室

三浦市初声町入江200
046-888-1626
基本無休
※館内にいる方にお願いすると部屋を開けてもらえる

赤坂遺跡から出土した資料を展示・学習する施設で初声市民センター内に所在する。展示の中心は、第2~8次調査地点の出土資料で、とくに第8次調査地点の資料を中心に展示している。

出土した石器は、太形蛤刃石斧のほか、抉入柱状片刃石斧や扁平片刃石斧などがあり、これらの出自は大陸に求められ、灌漑稲作の行程に必要な石器であるため、灌漑稲作が行われていた証拠となる。

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横須賀市


夏島貝塚

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🚻なし

早期の撚糸文系土器・夏島土器の標式遺跡。

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野島展望台の説明板

 

 


平坂貝塚

🅿なし
🚻なし

縄文時代早期中頃の平坂式土器の標式遺跡。平坂式土器の時期は、無文となる。

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茅山遺跡

横須賀市佐原5-22-1(慈眼院)

普門山慈眼院の敷地内にある。縄文時代早期末の貝塚で、吉井貝塚の盛期と同じ頃。台地北側の貝層は最大4mの厚さがあり、ほぼマガキの純貝層。茅山式土器の標式遺跡である。

関東地方の早期土器は、前葉には撚糸文系(木の棒などを芯にしてそれに縄を巻き付けた絡条体によって施文)、中葉には貝殻沈線文系、後葉には貝殻条痕文系となる。

茅山式土器は、貝殻条痕文系土器で、その後の研究によって、現在では古い順に、野島式、鵜ヶ島台式、茅山下層式、茅山上層式に分離されて認定されている。

貝殻条痕文は土器の文様のベースになっているもので、二枚貝の表側を擦り付けるようにして施文しており、よく見ないと分からない場合が多い。

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吉井貝塚

横須賀市吉井

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🚻なし

県史跡「吉井貝塚を中心とした遺跡」にある。

縄文時代の遺跡としては、2箇所の貝塚がみつかっており、縄文時
代早期末の茅山式土器を含む貝層が主体だが、縄文時代中期後半から中期末頃の貝層もある。ただし、弥生時代後期から古墳時代前期にかけての住居跡や中世城館跡も見つかっており、縄文時代の生活の痕跡は、後世に破壊されたためかほとんど見つかっていない。

第2貝塚は怒田城跡とも言われる城郭の空堀によって破壊されている。

現地は夏に訪れると草ぼうぼうで見学が難しいことがあるかもしれないが、冬場はとても快適で、コンディションが良ければ富士山が望める。

詳しい解説が書かれた説明板が多数設置されており、整備した方の熱意が感じられて好感が持てる。

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コンディションが良ければ富士山が望める

 

 

 

 

縄文時代前期の竪穴住居跡の表示

 

 

第2貝塚の跡も表示で分かるようになっている

 

 

 

 

 

 

 


怒田城跡

ぬたじょうあと

県史跡「吉井貝塚を中心とした遺跡」にある。

平安末の治承・寿永の乱(源頼朝挙兵による内乱)の際には、三浦一族は頼朝を援護したが、その際、三浦一族の和田義盛が籠城して戦おうとした怒田城跡と言われているが定かではない。

ただし、空堀が実際に検出されており(現在は埋まっている)、何らかの城館跡であることは間違いない。

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段になっている手前に空堀があった

 

 

 


明治憲法起草地記念碑

夏島貝塚の隣にある。元々は少し離れた場所に建てられていた、日産の工場ができる際にこちらに移転。

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横須賀市自然・人文博物館

横須賀市の自然や歴史について広汎に知ることができる総合博物館で展示が豊富。歴史に特化しているわけではないが、吉井貝塚の出土遺物(骨角牙器・貝製品)をはじめとして、縄文時代や古墳時代などの多くの遺物を展示しており見ごたえがある。

縄文土器の展示としては、早期の貝殻条痕文系土器、前期の関山式、黒浜式、中期の阿玉台式、加曽利E式、後期の称名寺式などがある。

横須賀市深田台95
046-824-3688
9:00~17:00
月曜休館

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探訪懸案箇所

・寸沢嵐石器時代遺跡
・川尻石器時代遺跡
・寒川町文化財学習センター(事前予約による平日のみの開館)
・三浦市文化財収蔵庫(事前予約による平日のみの開館)
・赤星直忠博士文化財資料館(平日のみの開館)

 

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