東京都(23区)の遺跡・関連施設一覧Ⅱ<中世以降>

最終更新日:2025年5月19日

目次

 ※自治体ごとに示し、自治体の並び順は市区町村コード順です。
 ※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。
 ※博物館・資料館は、中世以降に特化した施設でない限り、「遺跡・関連一覧Ⅰ」のページに記載しました。
 ※古代に創建が求められそうな神社もありますが、神社はすべてこのページに記載しました。

 

千代田区

こちらで紹介

 

中央区


椙森神社

すぎのもりじんじゃ

20110829
20230218A

  
 
 


常盤稲荷神社

20110829

 
 


鎧橋

20110829
20230218A

 


兜神社

20110829
20230218A

 


鐵砲洲稲荷神社

20110829

 
 
 
 


郡代屋敷跡

20171112T
20230218A

 
 


江戸城常盤橋門

20110829
20170909
20230218A

 
 


日本国道路元標

20170909
20170910T
20230218A

 
これはレプリカ
 


日本橋

20170909
20170910T
20230218A

 
 


日本橋魚河岸跡

20170909
20170910T

 
 


中央区立京橋図書館

201100905

 

 

港区


赤坂氷川神社

 
 
 
壊滅的にピンボケ 
 
 


亀塚稲荷神社および弥陀種子板碑

20230610A

 
 


久国神社

 

 


妙円寺

20180104
20180105C

<写真準備中>

 


瑞聖寺

20180104
20180105C

<写真準備中>

 


覚林寺

20180104
20180105C

<写真準備中>

 


今井城跡

戦国城郭跡との伝承があるが遺構はみつかっていない。

20020302
20110922

 


高縄原古戦場跡

大永4年(1524)、武蔵進出を目論む北条氏綱は、扇谷上杉氏の江戸城を落とすべく北進し、高縄原で両軍は激突した。その場所は、港区高輪3丁目辺りといわれている。勝利した氏綱は江戸城を落とし武蔵統一への大きな足が掛かりとした。

一方、南側には太田道灌が江戸城に入る前に一時的に居したといわれる御殿山城があったといわれている。

20180104

 

 


高輪大木戸跡

20190903
20230610A

 
 


東京消防庁 高輪消防署 二本榎出張所

20180104

 
 
 


二本榎

20180104

 
 

 

新宿区


赤城神社

20001209

<写真準備中>


筑土八幡神社

20001209

<写真準備中>


牛込城跡

19990914
20010123

<写真準備中>


牛込見附跡

<写真準備中>


四谷見附跡

20170325
20230520A

 
 


新暦調御用所(天文屋敷)跡

20010123

<写真準備中>


玉川上水水番所跡

20230520

<写真準備中>


四谷大木戸跡碑

20230520

<写真準備中>


西念寺

家康の江戸入部後、半蔵は麹町清水谷(千代田区内)に居し、信康の遺髪を供養した。家康はそこに寺を建てるように命じたが、それが果たせないまま半蔵は慶長元年(1596)に病没。その後建立されたのが西念寺。

その後、西念寺は、寛永11年(1634)に現在地へ遷った。

20170325
20230520A

 
 


服部半蔵の墓

服部半蔵というと忍者として有名だが、「半蔵」という名前は一家の当主の通称。家康に仕えて活躍した有名な服部半蔵は2代目半蔵で、諱は正成。天文11年(1542)生まれ。

父の保長(初代半蔵)は、伊賀国の土豪で忍者だったが、家康と縁ができ、三河に移住。正成は三河で成長する。

正成は、16歳の弘治3年(1557)に初陣を果たしたのち、槍の使い手として数々の戦で敵の首級を挙げ、「鬼の半蔵」として名を馳せた。

出自から分かる通り、正成本人は忍者ではないが、家康の江戸入部後、家康の伊賀越えの際に家康に臣従した元・伊賀の地侍たちで編成された伊賀同心(伊賀衆)の指揮をゆだねられた。

なお、天正7年(1579)、岡崎信康が切腹した際は、渋川四郎右衛門が介錯役であったが、直前に出奔したため、急遽正成に命じられた。ところが、正成も刀を振れず涙を流して倒れ込んでしまったため、天方通綱が介錯を行ったという。

20170325
20230520A

 
 


岡崎三郎信康供養塔

家康の嫡男。「信」の字は信長の偏諱で、妻は信長の娘・徳姫。永禄2年(1559)の生まれなので、家康が17歳の時に生誕している。

浜松城に居した家康とは別に岡崎城に居して、その周辺には信康の家臣団ができあがっていたため、父とさほど年齢の変わらない信康は、父にとってはライバルのような存在になっていたと考える研究者もいる。

父と子でそれぞれ派閥ができていたことは事実だと考えられるが、織田・徳川の同盟にとって最大のライバルであった武田勝頼に通じたとの嫌疑を受け、信長の命によって、天正7年(1579)、22歳の時に母とともに自刃させられた。

供養塔は文禄2年(1593)に服部正成が建立したもの。

20170325
20230520A

 
 

 

文京区


妻恋神社

20110929
20230401A

 
 


湯島天満宮

20110929
20230401A

 
 
 


根津神社

20170226
20170311C
20230401A

 
 


本郷城跡/三四郎池

20110929
20230401A

 
 
 


旧加賀屋敷御守殿門(赤門)

20110929

 
 


徳川家宣胞衣塚

根津神社境内にある。

20170226
20170311C

 
 


サトウハチロー旧居跡

20170226
20230401A

 
 


「向岡記」碑

20170226
20170311C
20230401A

 
 

 

台東区


博士王仁碑

20170226

 
 


彰義隊の墓

20170226

 
 


西郷隆盛銅像

20170226

 
 


池之端児童遊園

20170226

 


七倉稲荷神社

20170226
20170311C

 
 


境稲荷神社

20110929

 
 


五條天神社

20110929
20170311C

 
 


下谷神社

20110929

 
 


銀杏岡八幡神社

20111207
20230218A

 
 
 


須賀神社

20111207

 
 


第六天榊神社

20111207
20230218A

 
 


鳥越神社

20111207
20230104
20230218A

 
 
 
 
 


三島神社

20111207

 


黒船稲荷神社

20111207
20230218A

 


浅草寺 駒形堂

20111207
20230104
20230218A

 
 
 


浅草観音戒殺碑

20111207
20230104
20230218A

 
 


戦災により亡くなられた方々の碑

20230104

 
 
 
 


浅草寺

20111207
20230104
20230218A

 
 
 


浅草寺 弁天堂

弁天堂が建っている小丘は古墳といわれている。

20230104
20230218A

 
 
 


浅草神社

20111207
20230104
20230218A

 
 
 


待乳山聖天

待乳山は前方後円墳の可能性がある。

20230104
20230218A

 
 
 


日輪寺

20111207

 
 


今戸神社

20230104

 
 


浅草見附跡

20171112
20230218A

 
 

 

墨田区


回向院

20161106

 
 
 



吉良上野介上屋敷跡(本所松坂町公園)

20161106

 
 



旧安田庭園

20161106

 
 



都立横網町公園

20161106
20190714T
20210703A

 
 



東京都復興記念館

20161106
20190714T
20210703A

 
 



江戸東京博物館

2010年以降、「発掘された日本列島」を見に行っているが、2016~18年は家庭の事情で行けなかった。2022年以降は別の場所で開催。

20100725
20110706
20120728
20130713
20140906
20150711
20190714T
20200711
20210703A

 
発掘された日本列島 2010
発掘された日本列島 2011
発掘された日本列島 2013


 

江東区

 未探訪。

 

品川区


荏原神社

20180104

 
 
 
 


梶原塚稲荷

塚状になっているが、梶原塚稲荷の由来によると、中世の梶原一族を祀る塚である。

古墳を再利用した中世の塚の可能性もあるが、その場合は、規模から見ても6世紀以降の群集墳の一基であると考えられる。ただし、周囲の古墳調査が進んでいないため確実なことはいえない。

近辺には大井林町2号墳があるが、それはおそらく前期の前方後円墳で、梶原塚が古墳だったとしても直接の関連性はないだろう。

あるいは、この地に梶原氏の居館があったと言われているので、土塁の削り残しを利用した塚かも知れない。

20180104

 
 
 


梶原氏館跡および来福寺

来福寺は、梶原氏の創建と伝わっており、来福寺から梶原塚稲荷のあたりに中世の梶原氏の居館があったといわれている。

「役帳」によると、梶原日向守が新井宿(大田区山王・中央)に51貫分、梶原助五郎が馬込に32貫60文の役高を有しており、梶原塚稲荷の由緒から見ると、梶原氏の勢力がこの辺りに及んでいたことが想定できるが、それ以上のことは分からない。

20180104

 
 


御殿山城跡

15世紀半ば、太田道灌は御殿山城に居していたが、夢のお告げによって江戸城を築いて移り、御殿山城には宇田川泉守長清を配置したという。

御殿山城があった場所は、品川区北品川4丁目から港区高輪4丁目にかけてといわれている(『日本城郭大系5』)。

現在は行政地名としての御殿山はなくなったが、周囲の施設名などに形跡が多く残っている。

20180104

 
御殿山地名から北側はさらに標高が高くなり、大永4年(1524)の高縄原の合戦はこの辺りで行われたと言われている


海妟寺

20180104

 
 


海雲寺

20180104

 
 
 
 


品川寺

ほんせんじ

20180104

 
 


天妙国寺

20180104

 

品川橋

20180104

 
 
 


東海道品川宿本陣跡

20180104

 
 


鈴ヶ森刑場跡

20180104
20230610A

 
 


大経寺

20180104
20230610A

 
 


浜川神社

20180104

 
 

泪橋

20180104
20230610A

 
 


坂本龍馬像

20180104
20230610A

 
 
 

浜川砲台

20180104

 
 

 

目黒区


瀧泉寺(目黒不動)

20180104
20180105C

<写真準備中>

 


蟠龍寺

20180104
20180105C

<写真準備中>

 


大円寺

20180104
20180105C

<写真準備中>

 

大田区

 こちらを参照ください。

 

世田谷区

 こちらを参照ください。

 

渋谷区


金王八幡宮

20010106
20241201

 

 

 


渋谷氷川神社

20010106
20241201

 

 


渋谷城跡

金王八幡宮一帯は渋谷城跡と伝わる。

20010106
20241201

 

 

 

 

中野区


中野城山居館

目で見られる遺構なし。説明板なし。

20231005

 

 


江古田古戦場

20231005

 

 

 

杉並区

 


大宮八幡宮

杉並区大宮2-3-1

大宮遺跡や善福寺川対岸の松ノ木遺跡との関係が伺える、古代からの神聖な場所に建立。都内には、11世紀の前九年・後三年合戦に参じた源頼義やその子・八幡太郎義家に因む神社が多いが、大宮八幡宮もそのひとつ。康平6年(1063)、頼義が前九年合戦から凱旋する途中に京都の石清水八幡宮から勧請したと伝わっている。

20231005
20250420A

 

 

 

 

豊島区

 

北区


王子神社

20160924
20170121
20170226
20170311C
20230128A
20230129A

 
 
 
 



平塚城跡および平塚神社

20121116
20230125
20230128A
20230129A

 
 



七社神社

20121116
20230125
20230128A
20230129A

 
 
 
 



関神社

20160924
20230128A
20230129A

 
 




王子稲荷神社

20160924

 



金剛寺(源頼朝の布陣伝承地)

20160924
20170121

 



松橋弁財天洞窟跡

20160924

 
 



正受院(不動の滝跡)

20160924
20170121

 
 
 



西ヶ原一里塚

 
 

20121116
20170121
20170226
20170311C
20230125
20230128A
20230129A



飛鳥山の碑

20160924
20230128A
20230129A

 
 
 



桜の賦の碑

20160924
20230128A
20230129A

 
 



石造近藤守重坐像

20160924
20170121

 
 



醸造試験所跡地公園

20160924
20170121

 



飛鳥山公園の鉄道車両展示

20160924
20230128A
20230129A

<写真準備中>


 

荒川区


石浜神社

20230104

 

 

 


石浜城跡

20230104

 

 

板橋区


氷川町氷川神社

20130118

 

 


熊野神社

20130118

 

 

 


小豆沢神社

板橋区小豆沢4-16-5

主祭神は国之常立神(くにのとこたちのかみ)で、他に16柱を祀る。東京都内の神社でよく見られる八幡太郎義家創建伝承神社である(11世紀の前九年合戦および後三年合戦に因む)。武蔵野台地の縁にあり、小豆沢貝塚の立地を考えるためにも参考になる立地。

20250211
20250518A

 

 

 


板橋

20130118

 

 

 


志村城跡

20130118

 

 


赤塚城跡

20130118

 

 

 

 


志村一里塚

板橋区志村1-12/板橋区小豆沢2-16

江戸幕府による一里塚の整備は、慶長9年(1604)から始まった。中山道の日本橋から数えて3つ目の一里塚で、23区内に残る一里塚としては、北区西ヶ原とここのみという貴重な遺跡。しかもここは西ヶ原の一里塚と違って、両サイド残っており、両サイド残っている一里塚は全国的に見ても少ない。

20130118

 

 

 


縁切榎

板橋区本町18

旧中山道沿いにある。文久元年(1861)、皇女和宮が14代将軍家茂の元に輿入れする際には、縁起が悪いということでわざわざ迂回したことが古文書に残っている。現在は、悪縁を切り良縁を結ぶとして信仰されており、アル中の人は断酒もできるそうで、難病も治ると信じられている。

20130118

 

 

 

練馬区


石神井城跡

20160415D


三宝寺

20160415D


道場寺

20160415D


石神井神社

20160415D


石神井氷川神社

20160415D


稲荷諏訪神社

20160415D


水神社

20160415D


厳島神社

20160415D


宇賀神社 穴弁天

20160415D


旧赤塚街道

20160415D


ふじ大山道

20160415D


谷原延命地蔵

20160415D


富士街道

20160415D


所沢道

20160415D


馬頭観音

20160415D


旧内田家住宅

池淵史跡公園にある。

20160415D


勝海周邸屋敷門

三宝寺に移築され通用門となっている。

20160415D

 

足立区


伊興氷川神社(淵の宮)

20160501

 

 

 


舎人氷川神社

20160501

 

 

 


舎人天神社

20160501

 

 

 


西門寺(舎人氏館)

20160501

 

 

 


法受寺(綱吉生母桂昌院墓)

20160501

 

 

 


応現寺

20160501

 

 

 

葛飾区


柴又八幡神社

20240330A

 

 


五方熊野神社

20230104
20240330A

 

 

 

 


古録天神社/古録天遺跡/古録天東遺跡

古録天神社の東側には、古録天遺跡と古録天東遺跡が広がる。大島郷戸籍に記載されている嶋俣里の比定地。古墳時代後期から奈良・平安時代にかけての住居跡が見つかり、溝で区画された中世の屋敷跡と思われる建物群や井戸、中世の陶磁器などが見つかっている。

20240330A

 

 

 


葛西城跡/御殿山遺跡

15世紀中葉に関東管領・山内上杉氏が築城し、武蔵国守護代大石石見守が居城。

その後、大永4年(1524)に後北条氏が江戸城を落とし、葛西城も奪取した。天文7年(1538)の第一次国府台合戦の際には、後北条氏の最前線の城として運用され、後北条氏によって擁立された古河公方・足利義氏は、葛西城で元服式を執り行っている。

天正18年(1590)の豊臣政権による小田原攻めの際に戸田忠次らによって攻められ落城したが、江戸に入府した家康は、ここに青戸御殿を建て、家光の代まで使用した。

葛西城跡の下層では古墳時代前期の集落跡が見つかり、葛西城と区別して御殿山遺跡と呼ばれている

20240330A

 

 

 

 

 


柴又帝釈天/柴又帝釈天遺跡

柴又帝釈天は、正式な寺号を経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)という日蓮宗寺院。寛永6年(1629)の創建。

柴又帝釈天を中心に柴又帝釈天遺跡が広がる。奈良・平安時代の建物跡のほか、中世末から近世初頭の大溝が見つかり、溝の中からは陶磁器や、かわらけが見つかっていることから武士の館があったかもしれない。

20240330A

 

 


島俣塚

20240330A

 

 

江戸川区

 未探訪

 

一覧へ戻る

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です