【淡路、阿波への路】12/5~7【3日間】淡路島と阿波の古代史 <第N次AICT>


※日程を決定しました(6月7日追記)

講座概要

 AICTでは以前、西摂津・淡路島・阿波の現地講座を2度開催しました。今回は、西摂津を省略し、淡路島と阿波の探訪箇所を増やします。淡路島は日本列島誕生の発端となった島ということもあり、神社が多くあり、有名な弥生遺跡・五斗長垣内遺跡もあります。阿波では、古墳を中心にめぐり、博物館や資料館などで考古遺物の鑑賞をします。なお、裏テーマは、考古学者・鳥居龍蔵です。

※今回は、前2回と異なり、なるべく登り坂や歩程を少なくします。ただし、稲用未探訪の箇所に行く場合は、行ってみた先がどうなっているか分からない場合がありますので、その時は頑張ってください。
※本現地講座は自動車を使用します。
※万が一、積雪が多い場合は探訪箇所の変更を行う可能性がありますのでご了承ください。

 

本講座のテーマ

 AICTの掲げるテーマの内、本講座は主として「◎」に該当します。

旧石器時代日本人のルーツと列島文化の始まりを探る
縄文時代土器と土偶を楽しもう・列島各地の多様な縄文文化に触れる
弥生時代列島各地における国ぐにの発生と邪馬台国の謎を追う
古墳~飛鳥時代リアル日本書紀・ヤマト王権の確立と古代国家成立への軌跡を探る
古墳~飛鳥時代列島各地の古墳をめぐろう・諸国古墳探訪 阿波編
奈良~平安リアル続日本紀・列島各地に残る律令国家を見る

 

開催日

2025年12月5日(金)~7日(日)

※本現地講座は、日程調整案件です。開催日に関しては、参加希望者が2名以上集まった時点で調整して決めます。参加希望の方は、まずは参加表明をお願いします。複数の希望者同士で開催日が折り合わなかった場合は、早く参加表明をしてくださった方を優先します。

 

集合場所と出発時刻

オリックスレンタカー 新大阪店 10時出発(新大阪出発のときのいつもの場所です
大阪市淀川区宮原1-19-17 06-6399-0543
店のサイトには、「JR新大阪駅西口出て右へ徒歩7分。市営地下鉄御堂筋線東三国駅4番出口より徒歩4分」とあります。

新幹線の改札を出た後、西口出口を目指します。西口は小さな出口で、出る前にトイレがあります。建物から出ると高架下の暗い場所で大きな通りの前です。出て右方向(北方向)に向かい、歩道橋の上を行けるところまで行って、降りてちょっと歩いたら右手にファミリーマートの看板が見えます。レンタカー屋はファミマから1分くらい先の右手です(西口出口を出てから一直線です)。

店のサイトはこちら

    

宿泊場所

1泊目:淡路島の洲本市内。なるべく中心街でお取りください。どうしても見つからない場合は、洲本城から5㎞くらいの距離であれば送迎いたします。よく分からない場合はご相談ください。
2泊目:JR徳島駅から徒歩圏のホテルをお取りください

 

解散場所と帰着時刻

新大阪に19時00分までに戻る予定です。
ただし、新大阪駅近くはかなり混雑しますので、到着が遅れた時のことを考えて、新幹線の指定券を買う方は、できれば当日乗る前に買うようにしていただくと安全かと思います。あるいは、あらかじめ買うとしても遅い時間にしておけば無難かと思います。
※どうしても早く帰らなければならない方はお伝えください。

   

探訪箇所

※探訪箇所は、参加者の好みを伺って、下記の箇所からさらに増えます。
※淡路島にはたくさんの神社があるため、参拝する神社に関しては今後精査します(希望があれば仰ってください)。

 

194m
五色塚古墳|兵庫県神戸市垂水区

 兵庫県最大の前方後円墳。今回のテーマからは外れますし、有名な古墳のためすでに訪れたことがある方も多いと思いますが、何度訪れても良い古墳だと思います。淡路島に渡るに先立って、まずは五色塚古墳の墳頂から明石海峡と淡路島を眺めたいと思います。
 ※参加者全員がすでに探訪済みの場合は割愛します(6月7日追記)

 

  


塩壺西遺跡|兵庫県淡路市

 明石海峡を眼下に望む標高60mの山上に営まれた弥生時代後期の集落跡。明石海峡を監視するにはちょうどよい場所です。烽火が設置されていた形跡がみつかっており、本州側と通信をしていたかもしれません。
 弥生時代最大級の現存長13.6㎝の長大な鉄鏃が出土していますが、当然ながら殺傷能力は抜群であるものの大きすぎないか?
 現在、遺跡は高速道路のSA「淡路ハイウェイオアシス」になっているため、その場所を訪れて往時を偲ぶことにします。

 

 コイン式の望遠鏡を使えば、対岸にある五色塚古墳を見ることができます。

明石海峡大橋

 


貴船神社遺跡|淡路市

 弥生時代末から奈良時代にかけての製塩遺跡。石敷炉が検出されおり、塩を大量生産していました。日本書紀に登場する野嶋の海人の活動拠点と考えられており、現地には土器製塩の様子を表したモニュメントが展示されています。

 


舟木石上神社(舟木遺跡)|淡路市

 巨石が御神体。いわゆる「太陽の道」といわれる北緯34度32分線上に位置し、古代の太陽信仰に関連すると考える人がいます。女人禁制の神社なので、女性は参道を通れず、拝殿や巨石は一段下がった場所から拝することになります。なお、近辺は舟木遺跡という弥生時代後期から終末期にかけての集落遺跡で、鉄器生産も行っていた拠点的集落ですが、特に目で見える何かあるわけではありません。

 


五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡|淡路市

 弥生時代後期の集落跡。見つかった23棟の建物のうち、12棟から鉄器生産を行った炉跡が見つかったという興味深い遺跡。現地には鉄器を生産していた住居跡が復元されており、見晴らしの良いとても素敵な状態に整備されています。

 

 また、五斗長垣内遺跡活用拠点施設があり、ビデオで五斗長垣内遺跡の概要を知ったり遺物を見ることができます。

 


洲本市立淡路文化史料館|兵庫県洲本市

 歴史・民俗・自然・美術の総合的な博物館。歴史展示室では神話の紹介から始まり、古代から近代までの淡路島の歴史を考古遺物とともに解説しています。淡路島でみつかった唯一の三角縁神獣鏡であるコヤダニ古墳出土の三角縁神獣鏡も展示。洲本城の続日本100名城スタンプを設置。月曜休館。

 


洲本城跡|兵庫県洲本市

 洲本城は、「上の城」(国史跡)と「下の城」(市史跡)に分かれます。上の城は、大永6年(1526)に淡路水軍の安宅氏の築城と伝わります。天正13年(1585)に脇坂安治が入部し、今見ることができる総石垣の城に改修されましたが、慶長14年(1609)に脇坂氏が伊予大洲に移ると廃城となりました。模擬天守は昭和3年に建築されたもので日本最古。下の城で現在見られる石垣や堀は、蜂須賀氏が拠点を由良から洲本に移した1630年代以降の構築と考えられています。上下の城を結ぶ登り石垣は類例が少なく貴重です。

 ※「上の城」にある駐車場まで車で登り、そこから模擬天守までは数分で着きます。

 

洲本城からの眺め

 


自凝(おのころ)島神社|兵庫県南あわじ市

 むかしむかし、かなりむかし、イザナキとイザナミが天の沼矛で海をグルグルかき回し、その矛から滴り落ちた何らかの液体が凝り固まって「おのころ島」(自ずと凝まった島)ができた。彼らはその島に降り立って日本列島を造ったのだが、最初に完成したのが淡路島である・・・。
 という、国生み神話の「おのころ島」の伝承地の一つ。

 


滝川記念美術館玉青館|南あわじ市

 幼・少年期を淡路島で過ごした玉青画伯の作品を展示する施設で、天井画の龍雲図や元々は長さ30mの巨大な作品の『禅の牧牛 うしかひ草』は圧巻。
 考古遺物の展示も俊逸で、松帆銅鐸7点および舌7本(紐が残っているのは全国でここだけ)をはじめとして、国内最古級の銅鐸である菱環鈕式銅鐸の中川原銅鐸や日光寺銅鐸のレプリカも展示。月曜休館。

  


弁慶の岩屋古墳|徳島県小松島市

 終末期(あるいは後期後半)の古墳で、封土が流出して横穴式石室が露出しています。そのため、墳形や規模は不明。横穴式石室の全長は10.6mで、県内有数の規模を誇ります。

 

105m
渋野丸山古墳|徳島市

 5世紀中頃に築造された墳丘長105mの大型前方後円墳で、徳島県では最大、四国では2番目の規模を誇ります。丘の上ではなく、平野部に造営。墳丘は3段築成で造出を設け、葺石を施し、盾形の周堀を備え、多くの埴輪が立て並べられており、ヤマトの前方後円墳とそっくりな構造です。
 隣の讃岐を含め、阿波でも4世紀までは在地色の豊かな個性的な古墳が造られていましたが、中期になるとこのようなヤマトのフォーマットに則った古墳が造られるようになります。主体部不明。

 

 


徳島県立博物館|徳島市

 旧石器時代から近代までの歴史展示や動植物・恐竜、地質など、13のブースに分けて展示している非常に見ごたえのある博物館。2021年8月に常設展をリニューアル。考古遺物としては、古墳関係以外には徳島県らしく銅鐸などの青銅器の展示が豊富。月曜休館。

 
 

 


徳島県立鳥居龍蔵記念博物館|徳島市

 徳島県立博物館の隣にある施設で、その名の通り、鳥居龍蔵に特化した博物館。
 鳥居龍蔵は、明治3年(1870)に生まれ、昭和28年(1953)に没。徳島の裕福な家に生まれましたが、学校に馴染めず不登校となり、学歴は小学校卒業。ただし、のちに大学教授になっています。若い頃に坪井正五郎の知遇を得て、ろくな交通手段がない時代に、国内のみならず、台湾・朝鮮・樺太・千島・中国大陸各地を踏査。関東大震災で焼け野原となった都心でここぞとばかりに当時珍しかったカメラを担いで古墳の調査をしまくったのは有名な話。独学で物凄い業績を残し、後輩の学者たちに多大な影響を与えた研究者ですが、大人になってからは貧困生活の連続でした。

 


城山の貝塚|徳島市

 徳島城跡のなかに縄文後~晩期の貝塚を伴う岩陰・洞窟遺跡があります。鳥居龍蔵が発掘しました。

 

 鳥居龍蔵の記念碑も建っています。

文学博士鳥居龍蔵先生記念碑

 


徳島市立考古資料館|徳島市 

 徳島市内の遺跡から出土した遺物が展示してあり、渋野丸山古墳出土の埴輪や、気延山古墳群出土の須恵器、装飾品などを展示しています。
 徳島市国府町西矢野10-1。088-637-2526。9:30~17:00(16:30)。月・祝の翌日休館。

 
 

 

17.5m
矢野の古墳|徳島市

 気延山(212.3m)には、約200基からなる気延山古墳群があり、本古墳はそのうちの一基。6世紀末から7世紀初頭の築造で、径17.5mの円墳。全長11.5mの横穴式石室は、羨道、前室、玄室からなる複室構造で、玄室は両袖式、奥壁に巨石を使っています。

 

50m
奥谷1号墳|徳島市

 気延山古墳群の一基。4世紀後半に築造された徳島県で唯一の前方後方墳。盛土によって構築。円筒埴輪が並べられていました。主体部は不明。

 

37.5m
宮谷古墳|徳島市

 以前は4世紀初頭の築造と考えられていましたが、最近では3世紀後半、徳島県内の前方後円墳としては最古級と考えられています。後円部は2段築成、二重口縁壺形土器が並べられ、葺石を伴います。前方部先端付近で三角縁神獣鏡が3面出土。主体部は竪穴式石槨の中に木棺。

 

 


レキシルとくしま(徳島県立埋蔵文化財総合センター)|徳島県板野町

 徳島県内の遺跡から出土した遺物を豊富に展示。月曜休館。

 
 

 

20m
大里2号墳|徳島県海陽町

終末期頃に築造された径20mの円墳で、南側に開口する全長11.2mの横穴式石室を備える。玄室は両袖型。砂岩の巨石によって構築。

 


海陽町立博物館|海陽町

海陽町の歴史を紹介した施設。大里二号墳のジオラマも展示している。
海陽町四方原杉谷73。0884-73-4080。9:00~17:00(16:30)。月曜休館。

 

※最後の探訪地から新大阪駅までは順調に行って約2時間です。その時間を考慮して遺跡めぐりを終了します。
※新大阪駅まで戻らず、途中で離団したい方はご相談ください。

 

参加費

2名様のご参加の場合、一人様65,000円。
3~5名様ご参加の場合は、お一人様60,000円。

  

キャンセル料と発生時期

キャンセル料発生日は、開催1ヶ月前で、37,500円とさせていただきます。
※前日・当日のキャンセル料は、65,000円となります。

 

催行人員

最少は2名様、最大は5名様

 

参加予定メンバー(6月7日現在)

・MTさん
・松山さん

以上、男性2名様 

※ニックネームを教えていただいた方のみ掲示します。

 

 




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