2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2019年10月12日に投稿した記事です。
2018年10月2日(火)の探訪レポート
⇒【gooブログから】真言宗安芸国分寺|広島県東広島市 ~律令時代の国分寺の法灯を受け継ぐ~ 【安芸・備後古代史探訪 ⑨】
東広島市西条の安芸国分寺の次は、同じ東広島市内の三ツ城(みつじょう)古墳へ行ってみましょう。
三ツ城近隣公園に到着!
公園の説明。

中央に巨大な前方後円墳が鎮座していますね。
立派な説明板もあります。


ここに書いてある通り、史跡三ツ城古墳は3基の古墳からなり、1号墳は墳丘長92mの前方後円墳で、広島県内でもっとも大きい古墳です。
地形についての詳細な説明もあります。
50万年前。

大昔は海だったんですね。
かなり飛んで戦後間もないころ。

周囲にも遺跡が結構あるようです。
そしてこの公園ができたころ。

ジオラマ。

三ツ城古墳の位置はわかりますか?
中央のやや右上ですよ。
説明板に書かれている通り、周りの山々に囲まれて意外と奥まった場所にありますね。
現在はかなり山が削られてしまっているのですが、往時の地形を見ると、三ツ城古墳の被葬者の主たる支配領域は、古墳北側の黒瀬川の流域ですね(上のジオラマ写真だと左側)。
その方面は少し平野が開けているので、そこに集落や水田があったのではないでしょうか。
この近辺だと現在の広島市街地がここよりも広い平野になっていますが、古墳時代はまだ海だった箇所も多かったと考えられ、むしろここ西条の地が安芸国内では最も農業生産力が高く、かつ黒瀬川で瀬戸内海ともつながっていますから、そういった地理的な理由もあって三ツ城1号墳のような大型の前方後円墳を築造することのできる支配者が存在し得たのでしょう。
古代の山陽道もこの近くを通っていたはずです。
それでは、いよいよ墳丘へ登りましょう。

おーっ、立派だ!
3段築成の上段と中段には葺石が復元されていますね。
こちらは2号墳。

それでは、まずは1号墳へ行きますよ。

周溝の跡も分かるようになっています。

周溝の外側には周堤もあったんですね。

三ッ城はさきほど見た説明板でもわかる通り、くびれ部分に近い場所の両サイドに見事な造り出しがあります。
それを墳丘側から見てみましょう。


こういった整った造り出しがあるということは、古墳時代中期以降の築造だと想像できると思いますが、東広島市は1号墳は5世紀前半の築造と考えています。
群馬県などでは丸い川原石で葺石されていた古墳をよく見ますが、こちらの石はごっついですね。

中段テラスからのが眺め。

この古墳には1800本の埴輪が立てられていたそうですが、ここまで埴輪を並べた復元は結構大変だったでしょうし、これを維持していくのもまた大変でしょう。

前方部側へ回ります。


上段へ上がり、前方部から後円部を見ます。

前方部にも埋葬施設がありますよ。


東側の眺望。

私が子供の頃、広島東洋カープといえば衣笠選手!
広島の古墳にも衣蓋形埴輪がありました!


後円部に来ました。
埋葬主体が見れるようになっているような雰囲気・・・

あー、しかし残念ながら中は良く見えない!
1号埋葬施設。


この説明を読む限りでは、この1号埋葬施設は最初に造られたものなので、この古墳は女性首長のために造られたようにも受け取れます。
ところが、2号埋葬施設の説明を読むと、どうやらそうではないということが分かります。


2号は後円部中央部にあり、2号に葬られた人がこの古墳の築造主(つまりこの地の王)というわけです。
状況的には、王のために生前から古墳が築造されたのですが、王よりも先に王の近親者の女性が亡くなってしまい、その人のために1号を拵えて、そこに埋葬したというストーリーが考え付きます。
ただし、この場合の王の近親者は妻ではなく、姉か妹でしょう。
妻は原則的に実家に葬られます。
そして、3号埋葬施設。


後円部には合計3つの埋葬主体がありました。
しかし、こういった展示の試みは素晴らしいですが、時間が経つとこのように見えづらくなるのが難点ですね。

2号墳とその先の3号墳を見ます。


北川の眺望。

こちらの方面が三ツ城古墳被葬者の支配下の村々が展開していた方面でしょう。

ただし、向こう側の山が結構近くに見えますから、このコアな支配領域はあまり広くありません。
では、1号墳から降りて、前方部側に回ってみましょう。
あ、ここにも説明板があった。

好きなアングルが見れた。

可能な限り引いて、側面も。

後円部側から。

つづいて2号墳へ行ってみましょう。
墳頂。

2号墳は1号墳よりも先に築造されました。
主体部の説明。

こちらも箱形石棺ですが、槨はないようです。
2号墳から1号墳の後円部を見ます。

最後に3号墳。

分かりづらいですが墳丘があります。
こちらは6世紀前半ということで、やはり箱形石棺です。

楕円形の古墳というのが面白いですね。
主体部は写真でパネル展示されています。


ここから奥はもう古墳はありませんよ。

3号墳から2号墳、そして1号墳を見ます。

それでは駐車場へ戻りましょう。
あれ、もう1基古墳があった!

でもこちらは移築復元ですね。

あー、面白かった!

三ツ城古墳はなかなか見ごたえのある古墳でした。
今度のツアーは島根と鳥取の1泊2日で、ここ広島は入っていないのですが、来年はこの古墳を含めたツアーを創ろうと思います。
※2019年度はこのときの思惑通り、三ツ城古墳をツアーに含めることにしました。
スーパースタミロン!

では、広島県の山地側へ進みますよ。
⇒【gooブログから】茶臼城跡・旗返山城跡・糸井大塚古墳|広島県三次市 ~街道沿いの遺跡三連発~ 【安芸・備後古代史探訪 ⑪】
